ポケットマネーを駆使した音楽家の自費出版事情を探る【演奏しない人のための楽譜入門#10】


 これまで出版社を中心に様々な輸入楽譜の話題をお送りしてきましたが、今回のテーマは自費出版(自社出版)。作曲家はどんなときに自費出版をしてきたのか?また、21世紀現在の作曲家たちにとっての自費出版とは?そして、自社出版の抱える問題について……と、このテーマを多角的に掘り下げてみたいと思います。

――自費出版をしてまで得たかったもの

 

 楽譜出版が本格化していくのは、イタリアのペトルッチ(1466~1539)による「活版印刷の多重刷り」以後のこと……と言われておりますが、それ以前にも以後にも手書きの「筆写譜」や「木版画」による楽譜などが流通していました。しかし、国や時代によっては出版までのハードルに大きな差があったようです。例えば、かのヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)が1000曲以上手掛けた作品のうち、生前に出版されたのは僅か20曲ほどに過ぎません。

 

楽譜コラム10(1)

▲《6つのパルティータ BWV 825–830》/ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)

 

 その数少ない例に含まれる《6つのパルティータ BWV 825–830》が、実はバッハ自身の自費出版によって世に出されたのです。1726~30年にかけて1曲ずつ出版したのち、1731年に6曲まとめて再版されているのですが、その際の表紙をみてみましょう。赤丸で囲んだ部分に「In Verlegung des Autoris(著者による出版)」と書かれていますね。

 生前のバッハは、作曲家としての評価以上にオルガン・チェンバロ奏者として名を馳せたことで知られていますが、この曲以前に出版された2つの作品はカンタータ(管弦楽付きの声楽・合唱曲)でした。1723年からライプツィヒ聖トーマス教会のカントルという要職に就いていたバッハは、日々の激務のあいだを縫って、職務内では実現が難しい自らの鍵盤楽器奏者としての実力、そして勿論、作曲家としての実力を知らしめられる作品を自腹で世に問おうとしたのでしょう。(ちなみにバッハが本作のモデルにしたことで知られるクーナウの《新クラヴィーア練習曲集》も自費で出版された作品です。)

 音楽家としての知名度と評価を目的とした自費出版としては、シューベルト(1797~1828)の《魔王》(1815)も似た事例といえるかもしれません。今でこそ音楽史に燦然と輝く傑作として知られているこの曲も、当時の感覚では作曲者は無名の18歳。もととなった詩を書いた巨匠ゲーテ(1749~1832)や出版社に楽譜を送っても、相手にされることはありませんでした。

 作曲から6年ほど経った頃、シューベルトの音楽を理解し応援してくれる人が増えてきます。そうなると何故、楽譜が全然出版されていないのか?……という違和感を、シューベルト本人になりかわって思い至る友人があらわれ、改めて出版社を経営するハスリンガーとディアベリに楽譜が持ち込まれます(後者は、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》の主題を書いたあのディアベリです!)。

 しかし、どちらの出版社も「作曲者の知名度が低い」「ピアノ伴奏が難しすぎる」……ゆえに「売れない!」と判断。シューベルト側が「印税はいらない」と大幅の譲歩をみせても、首は縦にふられません。そこで自費出版ということになるのですが、家計に余裕のないシューベルトはそのお金が出せず、彼を応援する4名が肩代わりすることで、遂にディアベリ社から出版されることになったのです。

 

楽譜コラム10(2)

▲《魔王》(1815)/シューベルト(1797~1828)

 

 この楽譜が即日で100部売れると、その費用をもとに次の曲、また売れると次の曲……と自費出版を繰り返していくと、ディアベリ社も態度を変えます。通常の出版契約を結べたことで、シューベルトの様々な作品が世に出ていくきっかけとなっていきました。

 

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左から
▲『ヴァイオリン奏法論 Art of Playing the Violin』(1751)/フランチェスコ・ジェミニアーニ
▲『正しいクラヴィーア奏法試論 Versuch uber die wahre Art das Clavier zu spielen』(第1部1753年/第2部1762年)/カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
▲レオポルド・モーツァルト

 

 また楽譜以外では、いわゆる「教則本」の類にも自費出版されたものが散見されます。18世紀にどのような演奏をしていたのかを知ることができる、今でも重要な資料となっているフランチェスコ・ジェミニアーニの『ヴァイオリン奏法論 Art of Playing the Violin』(1751)や、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(ヨハン・セバスティアン・バッハの次男)による『正しいクラヴィーア奏法試論 Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen』(第1部1753年/第2部1762年)は、どちらも最初は自費出版という形で世に出て、第2版以降は出版社が費用を出しています。

 一方、レオポルド・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父)による『基本的なヴァイオリン奏法試論 Versuch einer gründlichen Violinschule』(初版は1756年)は、勤め先のザルツブルク大司教の支援によって出版されたのですが、1770年に改訂した第2版を出す際にはレオポルド自身が費用を負担しました。楽譜以上に売れ行きが読めない教則本は、出版社がおいそれとリスクを負いたくなかったのだろうと推測されます。

 

――自ら出版社を起業した作曲家たち

 

 先ほど名前の挙がったディアベリですが、彼はもともとハイドンに師事した作曲家でした。彼の他にもソナチネアルバムに収録されたピアノ曲で知られるクレメンティなど、出版業も手掛けた作曲家は決して少なくないのですが、今回のテーマである自費出版とは大きく意味が異なります。自費出版の延長線上に位置するといえるのは、自らの作品に特化した自社出版社を立ち上げた場合でしょう。

 その最たる例に挙げられるのが、第二次世界大戦後の前衛音楽を牽引した大スター、ドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン(1928~2007)です。ウィーンの出版社ウニヴェルザールと契約を結んでいたシュトックハウゼンですが、社の中心人物だったアルフレッド・カルマス(1889~1972)が亡くなった年にシュトックハウゼン出版社 Stockhausen-Verlagを設立。以後は、この自らの出版社から細かいところまでこだわった楽譜を出していきます。なお、楽譜だけではなく自らの論考・資料や音源なども取り扱ったり、更には1990年代以降になると他社から発売されていた音源や楽譜の権利を買い戻したりと、完璧にクオリティーコントロールをしようとしていきます。

 

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▲カールハインツ・シュトックハウゼン(1928~2007)

 

 作曲家にとって理想的ではありますが、言うまでもなく簡単に実現できることではありません。ですが、吹奏楽の世界ではこうした例が国内外に散見されます。オランダのヤン・デ・ハーンが1983年に設立したデ・ハスケ社は規模が大きく、もはや自社出版の延長線上とは言い難いのですが、同じくオランダのヨハン・デ・メイのアムステル・ミュージック(1989~)、イギリスのフィリップ・スパークのアングロ・ミュージック(2000~)、アメリカのロバート・W・スミスのRWSミュージック(2015~)など、例を挙げだせばキリがないほどです。

 こうした流れが生まれてきたのは、インターネットの普及による流通の変化が確実に関わっているのでしょう。WEBサイト上でPDFファイルの楽譜を直売する作曲家も増えてきました。現代を代表するジャズ・トランペット奏者ウィントン・マルサリス(1961~ )はブージー&ホークスから出版していた楽譜を引き上げ、現在では自らのサイトで販売していたりと、最近のジャズミュージシャンにはこのタイプが目立ちます。一度、しっかりと出版されているマルサリスは例外ですが、版面制作に出版社の編集者や写譜屋といった楽譜レイアウトのスペシャリストが関わっていない直売楽譜は、正直なところ読みづらいものも珍しくありません。WEB時代の自社(自前?)出版の課題であるといえるでしょう。

 そして、もうひとつ大きな問題として指摘しておきたいのは、作曲家が自前で出版した場合、亡くなった後にその事業を誰が継続していくのか?……という点です。ボサ・ノヴァの名アレンジなどで名高い、ドイツ出身でアメリカで活躍した作編曲家クラウス・オガーマン(1930~2016)は、エボニー音楽出版社 Ebony-Musikverlagを立ち上げ、クラシック音楽の編成を用いた自作の楽譜を出版していました。ところがこの出版社が現存しておらず、どうやらオーケストラ作品のパート譜レンタルは他社に引き継がれているようなのですが、販売用のスコアが全然手に入らなくなってしまったのです。

 楽譜に限らず、制作者と消費者がインターネットを介して、直で繋がるビジネスモデルが日々増えていく昨今ではありますが、仲介する存在があるからこそ、信頼度が高くて扱いやすい楽譜が作られ、安定して供給・流通されているのだということを忘れてはならないと思います。自費・自社出版は新しい挑戦に向いていますが、音楽文化を長く繋げていくためには大手の出版社や楽譜販売の存在が欠かせないのです!

 

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Text:小室敬幸