第7回 ライブとレコード①【音楽あれば苦なし♪~福岡智彦のいい音研究レポート~】

 

音楽を聴くには大きく分けて、「ライブ」と「レコード」の2つがあります(ここでは「レコード」は広く「録音物」の意味で「アナログレコード」には限らないこととします)。演奏家が演奏したものを、そのまま聴くのがライブ、一旦溜めて加工して聴くのがレコード、ということなのですが、その2つの間には、様々な物語が生まれては消えていきました。改めて、ライブとレコードについてあれこれ考察してみます。

音楽はライブから始まった

 

そもそも音楽はライブから始まりました。と言うか、レコードというものが出現するまで、音楽は“固定”することができませんでした。言うまでもありませんが、音楽は音が出ている間だけ存在し、すぐに消えて無くなってしまうので、レコードに記録して“固定”しないと、二度と再現できないのです。

そして、レコードなんて、エジソンの蓄音機の発明から数えてもたかだか150年の歴史しかありません。長い間、音楽はライブだけ。再現性のない、儚いものでした。

「儚い」なんて言うと、憐れんでいるように聞こえるかもしれませんが、いやむしろ、レコードのない時代にもたくさんの素晴しい音楽が創られて、それらが今に至るまで生き続けていることに、音楽の強さを感じてしまいます。

モーツァルトを主人公とした「アマデウス」という映画がありましたね。時代は18世紀。もちろんまだレコードはありません。今は「クラシック」と呼ばれている音楽が、その頃はコンテンポラリーであり、ポップミュージックでした。

人々はどんな気持ちで音楽を聴いていたのでしょう。そもそも普段は音楽など、自分たちの鼻歌くらいしかないような生活。演奏会(ライブ)は非常に貴重な時間だったはず。居眠りなどもっての外、ちょっと注意を逸らせただけでも、その間に流れた音楽を聴きそびれてしまいます。全身を耳にして、余韻の最後の一片まで聴きつくすような真剣さで聴いたのではないでしょうか。いや、真剣になどと意識しなくても、乾いた喉に注ぐ水のように、音楽はさらさらと身体の中へ染みわたっていったかもしれませんね。

ミュージシャンたちにとっても演奏会は自分の力を発揮する唯一の場所。聴衆の期待に応えるべく、日々鍛錬してきた演奏力のすべてを出し切る思いで臨んだことでしょう。

その頃の人々にとって音楽とは、たまの演奏会でしか出会えない、持ち帰りもできない、やっかいで面倒な、でもそれだけに、今よりもずっとずっと貴重でありがたいものだったんじゃないかなと思います。

 

レコードという大発明

 

19世紀の終わり頃、レコードが発明されました。最初トーマス・エジソンが創ったのはやがて廃れる円筒形。その10年後に、エミール・ベルリナーが今につながる円盤型を開発します。形のない、儚いものだった音を、記録して保存できるという画期的な発明に、人々は驚き、喜びましたが、とは言え20世紀中頃までは、単にライブ音楽を記録するだけ、しかも音質はあまりよくなかったですから、ライブの価値の優位性にそれほど変化はありませんでした。
しかし、レコードの重要性は、1960年代に入って「ステレオ」と「マルチトラック・レコーディング」が登場すると、格段にステップアップします。

ステレオとは音を左と右に分けて出すこと。それまでは「モノラル」という、1点から音が出てくるものでした。1点から左右の2点に増えたのですが、これは点が2倍というような単純な話ではなく、左右のスピーカーの間のどの点にも音を配置できる、つまり「1から無限へ」という怒涛の進化なのです。

マルチトラック・レコーディングとは、音楽をパーツ(各楽器や歌)ごとに別のトラックに分けて録音するということ。これによってたとえば歌だけ、しかも部分的に録り直したり、楽器ごとに音質や音量を細かく調整したりといったことができるようになり、表現の自由度が大きく広がりました。

こうして、60年代からはレコードが、ライブとは違う、独立した音楽創造のプラットフォームとなっていきます。ライブではできないようなこともレコードの中では可能になり、実験精神にあふれるビートルズのようなアーティストは、やがてレコードでの音楽表現に専心し、ライブは捨ててしまいます。

ビートルズは1967年に早くも『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』によって、「コンセプトアルバム」という概念を打ち出しましたが、それ以来、片面20分×2というLPのサイズが、音楽表現のひとつの単位となっていきます。

以降もレコーディング機材と技術は加速度的に進化し、それに伴って、サイケデリック・ロック、ハードロック、プログレッシブ・ロック、フュージョンなど、ポップミュージックの多様化が進みます。70年代末からのシンセサイザーとコンピューターの発達はさらにレコーディングの可能性を広げていきました。

かくして、新しい音楽スタイルを持った新しいアーティストが次から次へと現れるし、既存のアーティストも競うように斬新な新作を出してくる。60年代後半からの20年間くらいは、音楽好きにとっては楽しくてたまらない、だけど小遣いが足らない、悩ましくも幸せな時代でした。

 

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レコード文化の発展により、それまでライブでしか体験できなかった人々と音楽の関係は大きく変化することとなった。

 

ライブとレコードの相関関係

 

ただ、「レコード文化」が発展する一方、相対的に「ライブ文化」の価値は下がっていきました。もちろん、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、オールマン・ブラザーズ・バンドやグレイトフル・デッドのように、ライブ主体の人たちもいましたが、ビートルズや、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン、スティーリー・ダンなどはライブを放棄しましたし、多くのアーティストにとって、ライブはツアーとなって、レコードのリリースに合わせ、それを売るための宣伝活動と化していきます。ライブ単体での採算が難しい日本では、レコード会社がアーティストのツアーの金銭的支援をするのが常識化していきましたが、まさに「ライブはレコードを売るため」と考えていたからですね。

そしてツアーの実態と言えば、各地を訪れてもホテルと会場の往復だけ、来る日も来る日も同じメニューをこなし、長期間家族にも会えない。そのような状況では、ベストなパフォーマンスは望めないだろうし、ツアーに疲弊してバンド内の人間関係が悪化し、解散に至ったという話も多いですね。

観客のほうも、目の前にいる、動いているアーティスト本人を観ることがライブの主目的になり、音楽のほうは「まあノレればいいや」程度の軽いスタンスとなっていきます。

レコード文化が元気なうちはそれでもよかったのです。だけど、テクノがきて、ヒップホップがきたあと、新たなジャンルが出てこなくなってしまうと、しだいに停滞感がはびこってきます。もちろんまだまだ、新しい、面白い音楽はチラホラ出てくるのですが、やはり新ジャンルが生まれ育っていく時のようなワクワク感には敵いません。90年代以降も1998年までCDセールスは伸び続けますが、購買層の裾野が広がっただけと考えられます。

音楽制作現場でも、デジタル化、IT化が進み、さらにできることは増えますが、それは、これまでやってきたことをより簡単に、効率的に、正確にできるようにこそしたものの、新しい音楽の可能性を拡げることにはあまり役立たなかったようです。

やがて、レコード文化が始まって以来、基本的にはずっと右肩上がりで伸びてきたレコード(CD)売上が、減少方向に転じる時がやっていきました。

1999年に「ナップスター」という、タダで音楽がダウンロードできるサービスが登場し、これがCDの売上減の原因となったと言われておりますが、私は、前述のような“停滞感”、音楽自体が以前のような輝きを失ってきていたことが根底にあって、そこにナップスターによる“価格破壊”が劇薬となって、“病状”の悪化を早めた、と考えています。

さて、レコード文化によってライブ文化の価値が下がり、「ライブはレコードのためにある」というような状況だったところへ、今度はそのレコードが売れなくなるという事態が発生しました。「貧すれば鈍する」と言いますが、売上が落ちるとそれにばかり目が行くようになります。売上が第一で、「文化」なんて二の次になる。貧すれば文化も色褪せていくのです。

相対的にライブの重要度は上がっていきますが、一度下がってしまった文化レベルが簡単に持ち治せるとも思えません。レコード会社からの支援金もなくなり、マーチャンダイズのグッズでなんとか凌ぐ状態です。

こうして、2000年代に入ると、音楽市場は曇り空のようなどんよりとした空気に覆われ始め、それから20年経っても、いっこうに青空が見えてきません。

どうしたらもう一度青空を取り戻せるのか、それとももう返ってこないのか。次回もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

…つづく

 

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