【スージー鈴木の球岩石】Vol.1:2010年のナゴヤドームと佐野元春「君をさがしている(朝が来るまで)」


スージー鈴木が野球旅を綴る新連載「球岩石」(たまがんせき)。記念すべき初回は、2010年11月6日、千葉ロッテ対中日の日本シリーズ第6戦、佐野元春「君をさがしている(朝が来るまで)」を聴きながらナゴヤドームへ向かった思い出です。

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2010年日本シリーズ第1戦の試合前セレモニー

 

「球」は野球で「岩石」はロック

 

今回、「mysoundマガジン」で連載を始めさせていただくスージー鈴木と申します。最近では、音楽評論家として、ちょっとは名が知られてきたかなぁと勝手に思っているのですが、音楽評論家は、実は世を忍ぶ仮の姿でして、真の姿は別にあります。

――「野球文化評論家」。

これ今、適当に名乗ったのではありません。この肩書きを掲げて、こちらも由緒ある「週刊ベースボール」誌で連載を持っているのです。それも21年も続く――。

本音を言えば、ここだけの話、音楽より野球のほうが好きなんです。少なくとも、スタジアムコンサートか、スタジアム観戦かと聞かれたら、絶対に後者。特に最近は、音楽が仕事になってきたんで、野球への渇望が相対的に高まっています。

そこで、この連載も、ヤマハ「mysoundマガジン」にもかかわらず、野球について書かせていただきます。連載タイトルは「球岩石」。「たまがんせき」と読んでください。「球」はもちろん野球、そして「岩石」はロック、つまりロックンロール。そしてもちろん、あの「猿岩石」へのオマージュです。

『進め!電波少年』の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の猿岩石のように、野球と音楽を巡って、あっち行ったり・こっち行ったりしてきた、これまでの私の人生における「野球音楽紀行」を書いていきたいと思います。

記念すべき第1回は名古屋に行きましょう。2010年11月6日、日本シリーズ第6戦を観に、ナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)に向かったときのお話です。

 

マリーンズファンにとっての2010年11月6日とは

 

ここで自己紹介に戻りますと、私は千葉ロッテマリーンズのファンなのです――と言うと、ほぼ100%「何で、マリーンズのファンなんですか?」と返される。やはり、未だにパ・リーグ、特にマリーンズ好きというと、ちょっと変わった人間に見られるのでしょうか。あと、私が大阪出身なので、「どうしてタイガースじゃないんだよ?」という疑問も、背景にはあるのでしょう。

「なぜマリーンズなのか」という疑問に対して、丁重にお返しすれば――「そんなん理由なんかあらへんでぇ!」

それでも、ファンになったのはそれほど古くなく、1995年、第一次バレンタイン政権のときから。1995年といえば、阪神淡路大震災で「がんばろう神戸」のオリックス・ブルーウェーブがリーグ優勝した年なのですが、私は、その年2位、ちょっとスマートなセンスを感じたマリーンズに惹かれたのです。

さて、2010年といえば、プロ野球ファンならご存じ、マリーンズが「下剋上日本一」に輝いた年です。リーグ3位から、クライマックスシリーズ(CS)を勝ち上がり日本シリーズへ。そのシリーズも第5戦を終えて3勝2敗。つまり2010年11月6日の土曜日、この日は、マリーンズが日本一に輝くかもしれない日だったのです。

実は第5戦までは、すべて生観戦しました。スタジアムコンサートより、スタジアム観戦。とは言え、ゲームの内容はあまり憶えていないのですが、第3戦から第5戦を開催したマリンスタジアムが。とにかく寒かったことだけは、よく憶えています。

チケットをおさえていたのは第5戦まで。しかし、あろうことか5戦で3勝してしまった。大変だ! ということで、第6戦のチケットを知人から譲り受け、11月6日の朝に名古屋に向かうことを決定、その日の夜のホテルもおさえて、いそいそと新幹線で名古屋に向かいました。

ちなみに第7戦のチケットは取れず、加えてホテルも、名古屋では取れず、しょうがなく、しぶしぶ三河安城のホテルとなりました。ナゴヤドームで第6戦を観て、できれば日本一の喜びを抱えて、新幹線でひと駅の三河安城で泊まって、翌日ゆうゆうと関東に帰ろうという目論見だったのですが。

 

大曽根行きの市営バスで聴いた佐野元春

 

さて、運命の11月6日。試合はナイターにもかかわらず、勢い余った私は、確か15時くらいに名古屋に着いてしまいました。日本一への思いが、時間感覚を狂わせたのでしょう。名古屋で3時間、何をして過ごそうか。突然の手持ちぶさた時間。これはまぁ、「旅あるある」。

そして私は思いました――「ナゴヤドームまでバスで行ってみよう」。

バスターミナルに足を運ぶと、名古屋駅から、ナゴヤドームにほど近い大曽根まで向かうバスを発見しました。なぜか偶然、都合のいいバスに出くわす。これも「旅あるある」の1つ。

検索してみたら、この路線、名古屋市営バスで、今でも運行しているようですね。「愛知県図書館」や「市政資料館南」など、おごそかな名前のバス停を経由する、おごそかな路線、なのかしら。知らんけど。

旅をするときの移動に路線バスはいいものです。鉄道、それも特急や新幹線では感じられない、街と人が織りなす生の空気が感じられる。ご老人、買い物帰りの女性、通学する少年少女たち――ああ、名古屋にやってきた!

後方、でも最後方ではない席の窓際という、いつものポジションを占めた私は、車窓を通り過ぎていく、見慣れぬ名古屋の街を眺めながら、mp3プレーヤーを起動しました(驚くべきことに、今や空気のように使っているサブスクは、当時まだなかったのです。さらに私はまだガラケーを使っていました)。

聴こえてきたのは、佐野元春のセカンドアルバム『Heart Beat』(81年)収録の「君をさがしている(朝が来るまで)」。元々、好きな曲だったのですが、この曲のこのパートが流れてきた瞬間、なぜか不意に涙がこぼれてきたのです。

――♪夜の天使たちが スターダムにのし上がる 一歩踏み出せば 誰もがヒーローさ

実はマリーンズ、その5年前の05年にも、日本一になっていました。ただ前年の09年には5位に沈み、また応援団とのトラブルなどもあり(西岡剛が、ヒーローインタビューの中で、応援団に向けてメッセージを発した試合も生で観ていました)、第二次政権となっていたバレンタイン監督もいなくなり、鬱々とした気分で10年のシーズンを迎えていたのです。

そんなマリーンズの天使たちが、今晩、いよいよスターダムにのし上がる、かも。一歩踏み出して、いよいよヒーローになる、かも――などと妄想していると涙か溢れてきた。困ったことに、名古屋市営バスの車中で。44歳(当時)のオッサンが。

そんなこんなで、感極まっているうちに大曽根に着きました。そこからちょっと歩いたところにあるナゴヤドームへ。

ドームへの入口近くに喫煙所がありました。その喫煙所を見て、私はちょっとした達成感を抱いたのです。

というのは、ちょっと余談をすれば、ナゴヤドームでの第1戦の直前、私は禁煙をしたのです。実はそれまでも何度かチャレンジしたのですが、願掛けとしては絶好のタイミングと思ったので、その喫煙所で最後の一本という思いを込めて、肺の奥まで吸い込んだのです。

そして第6戦、禁煙はまだ続いている!

 

ナゴヤドームでの第6戦、まさかの結末

 

――「ナゴヤドームは日本一巨大で、日本一笑える出囃子ディスコだ!」

2004年当時のナゴヤドームについて、『週刊ベースボール』誌の連載で、私は音楽の視点から、こう表現しました。併せてその象徴として、ピッチャー・朝倉健太の選手登場曲(出囃子)についてのエピソードを取り上げています。

――朝倉は、地元番組の投票で出囃子が東邦高校校歌に決まったが、本人が拒否(当たり前だ)。結果、「朝倉と言えば浅倉南」という訳の分からない論理でアニメ『タッチ』主題歌になったという。なんともはや。

しかし、奇妙な出囃子の選手と言えば、04年からの落合ドラゴンズ黄金時代を支えた、井端弘和をおいて他にはありません。09年から10年にかけて、ビートルズの『While My Guitar Gently Weeps』(68年)という、あまりにも物哀しい、つまり、あまりにも出囃子に似つかわしくない歌を選曲していた彼を揶揄(やゆ)して、同じく『週刊ベースボール』誌にこう記しました。

――調べると、井端の出囃子は「One Night Carnival」から、同系統のDj Ozma「アゲ♂アゲ♂Every☆騎士」を経て、突如暗い「While……」になっている。「アゲアゲ」から「サゲサゲ」へ。その変化はあまりに唐突で衝撃的である。

など、どうでもいい話を思い出している間に試合がスタート。試合開始は18時11分、マリーンズ先発はエース・成瀬、ドラゴンズはチェン。くだんの井端弘和は2番セカンド。

この試合がどんな試合だったかは、スコアボードを見ていただくのがいちばんです。

 

スージー鈴木の球岩石_02

 

ある程度の野球好きなら、この数列を見て、こう言うでしょう――「あぁ、お疲れさん」。コロナ禍から見れば、「延長15回」という事実が、とても懐かしい。これは熱戦か、接戦か、凡戦か。たぶん凡戦だったと思う。延長15回、引き分け。日本一の決定は明日以降に持ち越し。

生観戦しているのに「たぶん凡戦」とはどういうことか。白状すれば、売店で売っている日本酒の燗酒を飲みすぎて、後半、特に10回から15回まで「0」並びとなった延長戦の記憶がおぼろげなのです。すいません。野球の神様に怒られますね。

公式記録によれば、試合時間は何と「5時間43分」。ということは23時54分終了。何と、三河安城への新幹線終電がなくなった!

(たぶん)ごった返すタクシー乗り場で、(たぶん)かなり待たされた挙げ句、タクシーに乗って、三河安城までいくらかかるのかを不安に思いながら、夜の名古屋を走り出した。

「(たぶん)」が付いているのは、酔っぱらっていたから。でも「三河安城までいくらかかるのかを不安に思った」ことは、酔いが冷めたのか、酔い以上に財布が気になったのか、リアルに憶えています。

そういえば、先の佐野元春「君をさがしている(朝が来るまで)」に、こんな歌詞がありました。

――♪連中の話じゃ こんなはずじゃなかった 誰かに運命を 綾まれているような気がする

「綾まれている」という表現が独特なのですが、「綾なす」に「あやつる」という意味があることから(通常「操なす」と表記)、「あやつられている」という意味で、私は解釈しています。

野球の神様に運命をあやつられているのか。もしかしたら燗酒で酔っぱらってしまったことが、野球の神様を怒らせてしまったのか――東名高速の闇をくぐり抜けながら、私はそんなことを考えていました。

 

日本一そして、運命を綾まれて今

 

スージー鈴木の球岩石_03

 

翌11月7日、テレビ観戦した第7戦に勝利して、マリーンズは日本一に輝きました。その試合12回表、岡田幸文の決勝三塁打のシーンは、録画して編集して、何度も見ています。その画面右上には「アナログ」の文字。そう、まだ地上デジタル化の前だったんですね。サブスクもなく、スマホもなく、地上デジタルのテレビもなく。12年前の私は、まだ全然アナログだったのです。

――♪誰かに運命を 綾まれているような気がする

この歌詞の感覚は、それから何度も、私の意識に舞い降りてきました。

私が日本一を観られなかったのも「誰かに運命を綾まれている」から? それからのマリーンズが、日本一どころか、日本シリーズにすら進出していないのも「誰かに運命を綾まれている」から?

もしかしたら、私が会社員をやめて、音楽やら野球やらを書くことを本業にしたのも「誰かに運命を綾まれている」から?

真相は分かりません。ただ1つだけ確かなことは、あれから12年、私の禁煙はまだ続いているということだけ、なのです。

 

<今回の紹介楽曲>

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佐野元春アルバム『HeartBeat』より「君をさがしている(朝が来るまで)」

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Text:スージー鈴木