中島みゆき『心音(しんおん)』を映画館の中で聴くべき理由

真の意味での「主題歌」
9月13日リリースの中島みゆきの新曲『心音(しんおん)』は、長いキャリアの中で初めて、彼女が手掛けるアニメ映画主題歌である。映画のタイトルは、岡田麿里監督『アリスとテレスのまぼろし工場』。
中島みゆきは語る――「ゲームもアニメもさっぱりわからない中島に、御注文をくださるとは、なんでなの?と謎な気持ちで、届いた台本をおそるおそる読み始め、最後まで読み終わらないうちに、どっぷり、岡田麿里様のしもべとなっておりました。岡田麿里様は、中島の絶大なる『推し』です!」
と盛り上がった結果、『心音(しんおん)』はこの映画のストーリーに完全に寄り添った、言わば「ザ・サウンドトラック」とでもいうべき作品となっている。あの中島みゆきが、映画全体をまるごと飲み込んで書いた曲。これは貴重だと思う。
対して、岡田麿里監督いわく――「『心音(しんおん)』が流れてきた瞬間、正面から、強い風がぶわっと吹いた気がしました。風にあおられて、緊張だけでなく、スタジオの景色がすべて吹っ飛んでいきました。そして、この物語の主人公である正宗と五実、睦実の姿が見えました。彼らはしんと冷たい世界の中で、腹の底から叫び、走っていました」
映像と音楽との幸福な出逢い。視覚と聴覚の幸福なキャッチボール――。
思えば最近、映画主題歌といっても、ストーリーのそれこそ「主題」(テーマ)と無関係な、単なる「タイアップ曲」が多くなっていた。映画が終わった瞬間、まったく無関係な主題が突如鳴り響いて、余韻がかき消されることも多かった。
しかし、そんな風潮からの揺り戻しだろうか、最近は映画の内容と溶け合った、言葉本来の意味での主題歌がしばしば聴こえてくる。
今年で言えば、『怪物』に寄せられた坂本龍一のピアノ曲や、『君たちはどう生きるか』のラストに響いた米津玄師の『地球儀』などは、余韻をかき消すどころか、観終わり、聴き終わった後でも、脳内の余韻を、味わい深く増幅させる音楽だった。
そして今、中島みゆき『心音(しんおん)』と映画『アリスとテレスのまぼろし工場』とが溶け合って、私の頭の中を巡っている――。
だから、できれば映画を観る前に、さらっとでもいいので、歌詞に目を通していただきたい。観終わった後の答え合わせが楽しいこと、請け合いである。
心音を確かめる美しい青春
さて突然だが、青春時代とは、つまるところ自分の「心音」を確かめる季節ではないかと思う。
心音――つまり心臓の鼓動の音。ドキドキとトキメキ。
自分の心音。まずは自分の身体の躍動による「ドキドキ」。目の前に広がる大地に向けて、どこまで走れるのか、どこまで飛べるのか、そして、どこまで行けるのかを確かめるときの心音。
自分の心音。次に心理の躍動による「トキメキ」。恋をした相手に向けて、どこまで迫れるか、どこまで触れられるか、そして、どこまで愛せるのかを確かめるときの心音。
私(56歳)自身にとっても、校内暴力に息を潜めた中学時代はともかくとして、高校時代は、自分の心音を何度も何度も確かめる、人生の中でいちばん快活で豊潤な季節だったと断言できる。
「自分はどこまでも遠くに行くことができる、自分はどこまでも人を愛することができる」と信じた季節。胸に手を当てて、心音を確かめ続けた日々――。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」というポール・ニザンの有名な言葉があるが、なぞらえて言えば――「ぼくは17歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢じゃないなんて、だれにも言わせまい」。
青い春は、永遠の春に思えた。人生に夏や秋なんて永遠に来ないと思っていた。それが今、56歳という人生の秋を迎えている。さらに晩秋へと向かう今、あのドキドキとトキメキの心音が響いた青い春、永い春が、なおのこと美しく、そしてまぶしく感じるのである。
若者を焚き付ける『心音』の歌詞
ここ数年のコロナ禍は、若者たちから心音を遠ざけた。
我が家にも高校生の息子がいるが、外出が規制され、家の中でずっと、つまらなそうにスマホをいじっている姿や、リモートの授業に、自分側の画面もマイクもOFFにして、所在なげに臨む姿などを見て、自らの心音など確かめようがないように思えた。
対して、今回の『アリスとテレスのまぼろし工場』は、青春のど真ん中をコロナ禍に奪われた世界の若者に対して、「さぁ、そろそろ心音を確かめようぜ!」と焚き付ける映画だと、私は捉えた。
映画は不穏な雰囲気の中で始まる。登場人物の若者たちが、不安げに空を見つめている。対する中島みゆき『心音(しんおん)』の歌詞。
――♪空は信じられるか 風は信じられるか
もっとも印象的なシーンは、凍てつくような空気の中で、登場人物がお互いの心音を確かめるあの瞬間だろう。そして『心音(しんおん)』の歌詞。
――♪でも 聞こえてしまったんだ 僕の中の心音(しんおん)
聞こえてしまったなら、行くしかない。ストーリーは急展開して、あの怒涛のエンディングへと向かう。そして『心音(しんおん)』は、こう寄り添う。
――♪未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行(ゆ)け
つまり『心音(しんおん)』は、この映画の登場人物を焚き付け、さらには映画を観終わった若者をも焚き付ける楽曲なのだ。
観終わった後、シネマコンプレックスのロビーに立った若者の身体の中で、「さぁ、そろそろ、僕の、私の心音とやらを確かめてやるか!」というエネルギーがみなぎればいいな。
そんな若者に私は、こう伝えてあげたい――「その姿が、ひとの一生でいちばん美しい姿じゃないなんて、だれにも言わせまい」。
次世代に向けたベテラン音楽家たちの言葉
そんな『心音(しんおん)』のメッセージは、今年3月発売の中島みゆきのアルバム『世界が違って見える日』と通じている。
「世界が違って見える日」とは何だろう。それはコロナ禍の日々か、もしくは遠くで近い国の間で戦争が始まり、そして続いている日々のことか。
中でも印象深い楽曲は、まずは『乱世(らんせ)』だ。この曲を私は、「違って見える」世界しか知らない若者たちの歌と読み取った。
――♪僕は乱世(らんせ)に生まれ 乱世(らんせ)に暮らす ずっと前からそうだった
続いて印象的な『童話』には、「違って見える」世界を手繰り寄せた、少なくとも、そんな世界が広がっていくのを静観する大人たちから見た「子供たち」が登場する。
――♪どうして 善(よ)い人が まだ泣いているの
――♪子供たちに何んと言えばいいのだろうか
そして、アルバムの冒頭で鳴り響く『倶(とも)に』では、そんな若者たち・子供たちに(も)手を差し伸べる。
――♪倶(とも)に走り出そう 倶(とも)に走り継(つ)ごう
そう、まさに「乱世」の中に閉じ込められ、正義を疑い続け、だからこそ大人たちが手をこまねいている若者たちに向けて手を差し伸べる――『世界が違って見える日』の歌詞世界は、映画の中の若者を焚き付ける『心音(しんおん)』とまったく地続きの世界となる。
そう言えば昨年、山下達郎は「♪優しい瞳の少女は どこへと連れて行かれたの?」と歌う『OPPRESSION BLUES(弾圧のブルース)』を発表した。さだまさしは「♪君は誰に向かって その銃を構えているの」と歌う『キーウから遠く離れて』を発表した。
さらに桑田佳祐は、同級生の佐野元春、世良公則、Char、野口五郎と『時代遅れのRock'n'Roll Band』をリリースし、こんな歌詞を挿し込んだ――「♪子供の命を全力で 大人が守ること それが自由という名の誇りさ」。
成功して、円熟して、それなりの立場も得たベテラン音楽家たちが、守りに入らず、腰を上げて、次世代に対してメッセージし始めている。そんな中、中島みゆきも、「世界が違って見える日」を生きる若者たち、そして『アリスとテレスのまぼろし工場』の中の若者たちを優しいまなざしで見守り、そして焚き付ける。
――♪未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行(ゆ)け
硬直化した日本、その中の硬直化した音楽シーンが、ベテランの言葉から変わっていく予感がする。
映画館で聴く『心音』と自らの心音
最後に再度、冒頭に掲げた岡田麿里監督の言葉。
――『心音(しんおん)』が流れてきた瞬間、正面から、強い風がぶわっと吹いた気がしました。
この映画の怒涛のエンディングで、正面からぶわっと吹く強い風を、体験してほしい。
なぜなら『心音』は、スマホにつないだイヤフォンを通して聴くのではなく、映画館の巨大スピーカーから空気を震わせて流れるのを聴くべき音楽だから。そして、聴いた後、自らの心音が、身体を震わせて流れるのを聴くべき音楽なのだから。
出版許諾番号:20230757P
【Information】
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』
脚本・監督:岡田麿里
副監督:平松禎史
キャラクターデザイン:石井百合子
演出チーフ:城所聖明
美術監督:東地和生
音楽:横山 克
制作:MAPPA
出演:榎木淳弥 上田麗奈 久野美咲/ 八代拓 畠中祐 小林大紀 齋藤彩夏 河瀨茉希 藤井ゆきよ 佐藤せつじ/ 林遣都 瀬戸康史
主題歌:中島みゆき 「心音」 作詞・作曲 中島みゆき 編曲 瀬尾一三
配給:ワーナー・ブラザース映画 MAPPA
2023年9月15日(金)公開
映画公式 HP:https://maboroshi.movie/
公式 X(旧 Twitter): https://twitter.com/maboroshi_2023
公式 Instagram: https://www.instagram.com/maboroshi_2023
©新見伏製鐵保存会
【リリース情報】
<主題歌シングル>


中島みゆき 「心音」
2023年9月13日 Release
YCCW-30088 1,320円(税込)
中島みゆき「心音(しんおん)」Music Video(ワンコーラス)【公式】
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/discography/1156?ima=0000
<オリジナルサウンドトラック>


横山克『アリスとテレスのまぼろし工場』
オリジナルサウンドトラック
2023年9月13日 Release
YCCW-10417 3,080円(税込)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/discography/1157?ima=0000
Text:スージー鈴木