【その歌の理由 by ふくおかとも彦】 第19回 10cc「I’m Not in Love」①

「I’m Not in Love」は「音響」が魅力

 

“10cc”の「I’m Not in Love」。1975年5月、シングル発売。このバンドの代表曲であり、数多くのアーティストがカバーをしてきた“名曲”ですから、もちろん以前から聴き知ってはいましたが、その真価を教えてくれたのは2015年、友人が主催したあるイベントでした。アナログレコードを、レーザー式のプレーヤーを使って、高音質・大音量で聴くというイベントで、まず体験したことのないほどの爆音でしたが、いい音だから疲れない。身体全体が音に包まれるような感覚で音楽を楽しませてもらいましたが、なかでも最も感動的だったのが「I’m Not in Love」でした。「アー」というボイスを何重にも重ねた分厚いコーラスがこの曲のサウンドの要[かなめ]ですが、それがなんというか、増水した河の奔流のように、スピーカーから溢れ出して、空間を埋め尽くさんばかりの迫力で押し寄せてくるようで、まさに圧倒されました。あのレコードの細い溝の中に、こんなにも膨大な音の情報が刻み込まれているのか。いい音に満たされる至福感に浸りつつ、この音楽家たちが音づくりに没頭しているレコーディング・スタジオの様子が見えるような気もしました。

歌詞、メロディ、アレンジ、歌唱、演奏と、さまざまな要素が絡み合って、一つの音楽作品が出来上がっているわけですが、その聴こえ方=「音響」というものも非常に重要で、とくにこの「I’m Not in Love」のような曲は、そこを外しては語れないと思います。だけど、デジタル的に圧縮された音源をストリーミングで聴くのがデフォルトになったような現代では「I’m Not in Love」の音響的なすごさを知る人は、たぶん多くはないでしょう。そもそも「音響」に興味のある人すら、もうほとんどいないんじゃないかという気がして、とても寂しいです。

 

その歌の理由_01

 

マンチェスターの4人

 

“10cc”というバンドは、グレアム・グールドマン(Graham Gouldman)、ケヴィン・ゴドレイ(Kevin Godley)、ロル・クレーム(Lol Crème)、エリック・スチュワート(Eric Stewart)という英国マンチェスターの4人のミュージシャンによって、1972年に結成されました。4人とも大のビートルズ好き。すでに解散してはいましたが、ビートルズは一般のリスナーにとってももちろんですが、音楽を生業にしようと考えるミュージシャンたちにとってはそれ以上に、極めて重要なアーティストでした。なぜなら彼らは、ポップセンスだけでもすごいのに、常に実験的マインド全開で、ポップミュージックに革命を起こしながら、なおかつ商業的にも大成功を収めるという、まさにミュージシャンの憧れ、理想の形を体現していたのですから。ただ、このマンチェスターの4人は“リヴァプールの4人”のようなバンドを目指して、集まったのではありませんでした。

十代から作曲家としての頭角を現し“The Yardbirds”の「For Your Love」、“The Hollies”の「Bus Stop」、“Herman's Hermits”の「No Milk Today」などのヒット作を生み出したグレアム・グールドマン。独創的かつキャッチーなアイデアを、音楽活動のみならず、(10cc以後にはなりますが)ミュージック・ビデオの世界でも大きく開花させたケヴィン・ゴドレイとロル・クレーム。この3人が幼馴染だったという奇遇さには感慨を覚えますが、お互いに影響を及ぼし合った結果でしょう。人間関係の大切さを改めて思ったりします。

60年代の中頃、ケヴィンとロルは“The Sabres”というバンドで活動し、グレアムはケヴィンを誘って“The Mockingbirds”を結成しますが、他人に提供する曲はヒットしても自分たちはうまくいかず、やがて解散。その後67年に、グレアムが「Schoolgirl」というシングル曲を作曲&プロデュースしたバンド“The Mindbenders”のボーカル&ギターを担当していたのがエリック・スチュワートでした。Mindbendersは、ウェイン・フォンタナ(Wayne Fontana)というシンガーを中心としてスタートしたのですが、65年に彼が辞め、代わりにエリックが歌っていたのです。エリック時代もいくつかのシングルヒットはあったし、エリックが曲も書いていましたが、しだいに人気は低迷し、68年には解散してしまいました。

そのままアーティストとしての道を歩むと思いきや、エリックはレコーディング・エンジニアの仕事に興味がありました。それでMindbenders時代の収入や印税をもとに知り合いのスタジオ事業に参加し、マンチェスターの郊外、ストックポートの古いビルを改造して、レコーディング・スタジオをつくりました。名称は、敬愛するビートルズの曲名から「Strawberry Studios」としました。

この、自分たちのスタジオを持つということが、10ccの活動にとって非常に重要な要素となります。スタジオ代とエンジニア料が要らないのですから、商業的実績とは関係なく、気が済むまで時間をかけて、綿密なレコーディングができる環境が、最初から彼らにはあったのです。

エリックの誘いで、グレアムもスタジオに投資しました。作曲の仕事が多かった彼は、デモテープ制作などに気軽に使えるスタジオが欲しかったのです。そして、ケヴィンとロルにもスタジオ付きのミュージシャンとして来てもらいました。いよいよこの4人が集まって、共同作業が始まったのですが、それは“バンド”ではなく、Strawberryスタジオを拠点とした“制作請負チーム”だったのです。

4人とも、楽器演奏、歌、ソングライティング、アレンジとなんでもこなす、優秀なミュージシャンだった上に、スタジオもエンジニアも込みですから、仕事はどんどん来ました。多かったのがいわゆる「バブルガム・ポップ」。キャッチーで売れ線な曲調、ヒット性が最優先のジャンルです。ボーカルまで4人で全部やって、適当な名前でリリースするというような仕事もありました。たとえば“Ohio Express”という米国のバブルガム・ポップ・バンドの「Sausalito」(1969)という曲は、実はリード・ボーカルがグレアムで、演奏も4人。バンドのメンバーは一人も参加していないそうです。

また、ある時、グレアムはいなかったのですが、新しい機材でのドラム録音の具合を調整するために、ケヴィンが延々とドラムを叩き続けねばならないことがありまして、その単調さから気を紛らわしてもらおうと、ロルが、ドラムに合わせてアコースティックギターを弾きながら、即興で歌を唄っているうちに、一つの曲になったんですね。それを知り合いのレコード会社スタッフに聴かせると、大いに気に入り“Hotlegs”というアーティスト名「Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)」というタイトルで、1970年7月にシングルを発売すると、全英2位、各国チャートでも上位にランクし、200万枚以上を売り上げるという大ヒットとなりました。

それでも、まだ彼らにはバンド活動をメインにするつもりはなかったようです。ヒットに乗じてHotlegs名義のアルバムをつくり“The Moody Blues”の前座で短いツアーに出たりもしましたが、そこまででした。

 

その歌の理由_02

 

“10cc”の誕生、そしてあの曲

 

その後もしばらくは制作チームとしての仕事を続けますが、1972年6月、ニール・セダカ(Neil Sedaka)のアルバム『Solitaire』を制作してから、考えが変わりました。セダカは63年以降、ヒットから遠ざかっていて、何か復活のきっかけはないかと悩んでいました。それで、英国マンチェスターの若いミュージシャンたちから刺激をもらおうということになりました。当初は2、3曲、いっしょにやってみる程度のつもりでしたが、思いの外相性がよく、アルバム制作にまで至ります。そして、シングル「That's When the Music Takes Me」が10年ぶりのヒットとなるなど、セダカの見事なカムバックにつながっていきます。

プロデュース・クレジットはニール・セダカとなっていますが、音についてアイデアを出し、アレンジを決め、演奏し、録音し、ミックスダウンしたのは、すべて彼ら4人でした。セダカは4人の才能を称賛し「絶対自分たちのレコードをつくったほうがいい」と力説しました。そのセダカの言葉が彼らを目覚めさせたようです。中華料理店で食事をしながら話し合い、4人は遂に、バンドとしてやっていくことを決意しました。

さっそくつくったのは、ビートルズの「Oh! Darling」のパロディをフランク・ザッパ(Frank Zappa)風にやってみた、という感じの「Donna」という曲。ケヴィンとロルが詞曲を書きました。エリックの友人で元歌手、72年にUK Recordsというレーベルを立ち上げたばかりのジョナサン・キング(Jonathan King)が「こりゃあヒット間違いなし!」と飛びつき、UKとの契約が決まりました。“10cc”というユニークな名前はジョナサンの夢に出てきたそうです。実はジョナサン、1967年に“Genesis”を発掘し、命名した人でもあるそうです。

1972年9月23日、10ccがシングル「Donna」でデビュー。ジョナサンの予測は的中して、全英2位のヒットとなりました。そして、2ndシングル「Johnny Don't Do It」は不発だったものの、3rd「Rubber Bullets」(1973年6月)は全英1位、4th「The Dean and I」(73年8月)も全英10位と、順調にヒットを飛ばし、2ndアルバム『Sheet Music』(74年5月)はトップ10(全英9位)にランクし、音楽ジャーナリズムからも高い評価を受けました。

順風満帆、前途洋々と思われましたが、うまくいったらいったで欲が出てくるのが人間の常です。「これだけ売れているのに、それに見合う収入がまったくないのはなぜだ?」。UK Recordsとの契約は最低ランクの条件でした。メンバーはジョナサンと交渉しましたが「契約書に書いてある通りだ」と取り合ってくれません。ならば、とレーベルの移籍を考えます。ある程度の実績もあり、期待値も高いバンドですから、受け入れ先を探すのに苦労は要らず、最終的にPhonogram(Mercury)がUKとの契約を買い上げることになりました。

その間も、彼らは3rdアルバムの制作を進めていましたが、バンド内の人間関係も少しずつ変化していました。4人ともビートルズの信奉者であると述べましたが、その信奉のしかたにやや違いがあって、エリックとグレアムはビートルズのポップセンスを目指し、ケヴィンとロルはビートルズの実験精神を崇拝していました。もちろん、この2つのベクトルが合わさることで、10ccはビートルズのように「ポップかつ斬新」という最強の音楽性を持ち得たわけですが、初めのうちは4人がいろんな組み合わせで曲をつくっていたのが、しだいにエリックとグレアム、ケヴィンとロルの2人ずつのチームに分かれて、一方のチームがつくった曲にもう一方がアイデアや修正を加えるというフローが増えていきました。

そんなある時、エリックが「I’m not in love」という言葉で始まる歌詞を思いつき、一応のメロディをつけてグレアムに聴かせました。グレアムがいくつか違うコードを提案し、2人は2、3日かけてデモテープをつくりました。ボサノバ調のギターでバッキングをしたものでした。ところが、それをケヴィンとロルに聴かせると、反応がよくありません。「メロディは悪くないけど、ただそれだけだ」。とくにボサノバ調のサウンドが不評でした。彼らには「4人全員がOKを出さない曲は採用しない」という暗黙の了解があり、エリックとグレアムも残念だが仕方ない、と曲を取り下げました。

そう、このまま何も起こらなければ「I’m Not in Love」という曲はこの世に存在していなかったはずなのです。

…つづく

 

<紹介楽曲>

その歌の理由_03


10cc「I’m Not in Love」 

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参考文献

・雑誌『レコード・コレクターズ 1991年8月号』

株式会社ミュージック・マガジン(1991年8月1日発行)

 

 

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