Californian Grave Digger ~極私的ロックドキュメンタリー映画(番外編) "アンチ・モニュメント"ワッツタワーとカルフォルニア・ミュージックの共生進化~

 

ポップカルチャーの世界は常にファッションやアート、そして映画と有機的にリンクし、温故知新を繰り返しながら変化し続ける。そして、その変化と進化が最も顕著に表現される大衆娯楽=ポップカルチャーから見えてくる新たな価値観とは何かを探るべく、日本とアメリカ西海岸、時に東南アジアやヨーロッパも交えつつ、太平洋を挟んだEAST MEETS WESTの視点から広く深く考察する大人向けカルチャー分析コラム! 橋のない河に橋をかける行為こそ、文化のクロスオーバーなのである!

LAワッツ地区のド真ん中にそびえ立つ"ワッツ・タワー"

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前回の「ソウル&ファンク編」の原稿にて、大トリの作品として紹介したブラック・ミュージックの祭典ドキュメンタリー映画『WATTSTAX』(1973年)のオープニングには、奇妙な建造物が登場する。THE DRAMATICSの名曲「Whatcha See Is Whatcha Get」と共に映し出されるその建物は、ロスの南東部郊外に位置するエリア、ワッツ地区のド真ん中にそびえ立つ"ワッツ・タワー"と呼ばれる巨大建造物である。それは、1920年に北米大陸へ渡って来た1人の貧しいイタリア人タイル職人の男が35年の年月をかけて建造した空想建築物であり、ロスを舞台とした映画作品に、しばしば登場する象徴的なモニュメントだ。今回は、極私的ロック・ドキュメンタリー映画シリーズの番外編として、このワッツ・タワーを作り上げた男、サイモン・ローディアの人生と、ワッツ地区を巡る歴史と連動したカルフォルニア音楽シーンとの共生関係について、ワッツタワーが登場する様々な映画作品を通して考察を試みたい。まずは導入として、ワッツ地区の歴史について解説しよう。

今でこそ、観光地としてカルト的に有名になった感のあるワッツ・タワー並びにワッツ地区だが、2000年代半ば頃までは、旅行者が気軽に立ち寄れるようなエリアではなかった。第二次世界大戦の終戦後に急速に成長したカルフォルニア州では、華やかさ弾けるハリウッドと経済の中心となるダウンタウンの影で移民やアフロアメリカンを中心とした労働者階級と富裕層との貧富の差が拡大。同時にそれは人種差別問題を孕んだアメリカ合衆国の暗部そのものでもあった。その当時からワッツ地区には貧しいメキシコ人労働者やアフロアメリカンが住み着いていたが、1950年代の急速な経済発展後には人口約30万人という西海岸最大のアフロアメリカンたちのゲットーへと変貌する。折しも時代は公民権運動真っ盛り。それがピークに達した1965年には、鎮圧まで6日間を要した歴史的暴動事件、通称"第一次ワッツ暴動"が発生する。

 

ワッツ地区を覆う悲劇の歴史

1965年8月11日。ワッツ地区の道路上で飲酒運転をしていたアフロアメリカン青年が、白人の警察官たちに同乗していた家族もろとも逮捕された事件をキッカケに、日頃から人種差別に怒りを覚えていた地元民たちの怒りが爆発(当時のワッツの住民は99%がアフロアメリカンだったのにも関わらず、所轄の警察官は全員白人だった)。ワッツ地区のメインストリートであるアヴァロン通りに数千とも数万ともいわれるアフロアメリカンたちが集結し、白人の通行人や車、商店を襲撃して略奪と暴行を繰り返し、鎮圧に出動した警官隊にも怯むことなく激しく衝突。暴動は焼き討ちに発展し、暴動発生から3日目にはワッツ地区を飛び越えてロス南東部全域にまで騒乱が拡大した。事態は州兵の出動により発生6日目にしてようやく沈静化するも、暴徒の総数約3万人、死者34人、重軽傷者1072人、逮捕者は約4000人、被害総額3500万ドルという巨大暴動として近代アメリカ史に深く刻まれることとなる。
この暴動事件は、その後の公民権運動に多大なる影響を与え、ブラックパワー・ムーブメントの過激化、先鋭化の契機となったと云われる。また、ポップミュージックの方向性やメッセージにおいても度々取り上げられ、奇人アーティストとして名高いフランク・ザッパは「Trouble Every Day」でワッツ暴動について歌っているのを筆頭に、前述のTHE DRAMATICS(メンバーはワッツ地区出身)などブラックミュージックのアーティストたちの活動にも深く関わる事件となったのだ。また、映画『WATTSTAX』における主題となったSTAXレーベル主催コンサートも、ワッツ暴動7周年が開催の名目だった。公民権運動自体はその後、ベトナム戦争の終結と好景気の到来により縮小の一途を辿るものの、1992年に発生した「ロドニー・キング事件」より再びワッツ地区は火の手に包まれ、歴史は繰り返されることとなる…。

 

アウトサイダーによるアンチ・モニュメント・アートの誕生

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ここまでワッツ地区の歴史を振り返ってみたが、本題となるのはワッツ・タワーである。タワーの詳細は掲載した写真を参照してほしいが、見れば見るほどに奇妙な構造であることが理解できるだろう。タワーは3本の象徴的な鉄塔を中心に、複数の基礎部分で構成されている。鉄塔は輪となった鉄筋とコンクリートで組み上げられ、基礎部分には様々なガラス片や貝殻、食器、タイルが表面に埋め込まれている。全体としては殺風景に見えるタワーだが、近づけば実にカラフルな色彩感覚を味わうことができるだろう。しかも、この十数メートルにも及ぶ鉄筋タワーには溶接技術が一切使われておらず、ボルトもネジも使用されていないのだ(事実、ワッツ・タワーは溶接未使用の鉄筋構造物としては世界最大のものとされている)。

 

 

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このタワーを建造したのが、貧しきイタリア人移民サイモン・ローディアである。1878年にイタリアのアベリーノ州にあるセレナという村で生まれ、洗礼名サバティーノ・ローディアと名付けられた男児は、13歳の頃にアメリカ合衆国へと移民として入国。以降しばらくは雑役夫として建設現場に従事していたが1910年頃にロスに移住し、ワッツ地区に居住を始める。ここまでの彼の経歴を見れば一目瞭然だが、サイモンは高等教育を全く受けたことがないどころか、建築学も学んだことがなく、英会話も生涯つたなかったという。ワッツ地区のローカル住民であるメキシコ人やアフロアメリカンたちは、真面目で実直なタイル職人として働く彼を、親しみを込めて"サム"と呼んでいたとか。なので、ここからは筆者もリスペクトを込めてサムと呼称を統一したい。職人として地道に働いていたサムは、資金を貯めてワッツ地区の一角にある三角形の土地を購入。そして~その動機は不明だが~唐突に巨大建造物の建立に着手するのだった。
サムのような、全くその筋の教育を受けていない人間が、突如としてアート作品を作り出す行為を"アウトサイダー・アート"と呼ぶ。その延長線上には、自分の所有する土地や庭園に一種異様な建造物を作る"ヤード・アート"と呼ばれる奇怪なジャンルが存在する。ヤード・アート+アウトサイダー・アートの先駆者には、フランスの郵便配達員シュヴァルが(一部で)有名だ。1879年から34年の月日をかけて、シュヴァルは配達中に拾い集めた奇岩や貝殻を使い、自宅を神殿に変貌させた。もちろんシュヴァルは貧しい小作人の出自であり、いかなる専門技術も持ち合わせていない。シュヴァルの理想宮殿に関しては、妖怪漫画家・水木しげる先生の『東西奇ッ怪紳士録』(1997年/小学館文庫)において、そのエピソードが漫画化されているので、興味のある方は読破をオススメしておきたい。閑話休題。

 

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ワッツ・タワーの建設は、サム1人の手で開始された。1日8時間のタイル職人の仕事を終えると、残りの時間を全てタワー建築に充てていたという。タワーを構成している大部分の材料は廃材であり、ゴミだった。つまりワッツ・タワーはギネス級のハンドメイド巨大建造物であると同時に、超が付く壮大なジャンク・アートでもある。モニュメントとしての建造の理由が不明なのも重要だ。もしかするとサムは、故郷イタリアに伝わる空中宮殿の伝説を、イタリアから遠く離れたカルフォルニアで再現しようと試みたのかもしれない。しかしサムは、タワー建設開始から35年後、市当局から違法建造物として安全性の警告を受けた時、未完成だったタワーを隣人のメキシコ人に土地ごと二束三文の価格で譲り、ワッツ地区から姿を消してしまう。
その後のサムは、1965年にカルフォルニア州マーティネスの下宿で静かに息を引き取った。皮肉にもワッツ暴動が発生して、かつての理想郷が燃え上がった年であり、ロスの当局がタワーの安全性をチェックして基準を満たす強度を維持していることが分かり、建築基準法による認可を得た直後でもあった。
現在、ワッツ・タワーは史跡として認定され、観光地として密かな人気を呼んでいる。

ちなみにサムは、かのザ・ビートルズの名アルバム「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」のアルバムジャケットに、そうそうたるメンツとともに登場していることでも知られている。どこにいるか、探してみるのも一興だ。

 

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Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Deluxe Anniversary Edition)
The Beatles

 

ポップカルチャーと共生するワッツ・タワー

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デニス・ホッパー監督作品として1988年に公開された映画『カラーズ 天使の消えた街』は、90年代の不良文化に大きな影響を与えた作品としても有名だ。映画自体は架空のストーリーだが、その内容は限りなく実録風味であり、カラー・ギャングと呼ばれるロサンゼルスの二大ギャング組織「青のCRIPS」と「赤のBLOODS」の対立抗争が主軸となっている。主題歌を担当したのは、ギャングスタ・ラップミュージックの始祖として名高いICE -Tその人。また、バンダナにネルシャツというカラー・ギャングたちの出で立ちは、SUICIDAL TENDENCIESに代表される西海岸ハードコア/スラッシュメタルのスタイルを全世界的に知らしめる契機となった。

 

Colors
Ice-T

 

その『カラーズ』のワンシーンで、逃走する麻薬の売人であるギャングが、主人公であるショーン・ペンとロバート・デュバルが演じるロス市警組織暴力犯罪科CRASHとのカーチェイスの果てに、ワッツ・タワー近くに衝突して爆発炎上するシークエンスがある。ワッツ・タワーが、いかに地元で有名なモニュメントであるかを象徴するシーンではないか。

 

 

前述の『WATTSTAX』は、音楽ドキュメンタリー作品であり、ブラック・ムービーでもあった。1970年代初めから大量生産されたアフロアメリカンが主人公の映画ムーブメント、所謂BLACKS PLOITEATION FILMS(黒人搾取映画という造語)の流れの中で、思いっきりワッツ・タワーがフィーチャーされているカルト系ホラー映画が存在することを忘れてはならない。『Dr.BLACK, Mr.HYDE』(1976年/日本未公開)である。

 

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そのタイトル通り『ジキル博士とハイド氏』の粗悪なパロディだが、主人公の医者が変身し、大暴れの挙句にキングコングよろしくよじ登るのが、なんとワッツ・タワーなのだからビックリだ。周辺では激しい銃撃戦が展開し、タワーの周囲にはヘリコプターが飛び回る光景はローカルかつ壮大。日本語版DVDすらリリースされていない作品だが、ワッツ・タワーの周辺文化を探る上では外せないので取り上げた次第。興味のある読者諸兄には、輸入版DVDの取り寄せをレコメンドしておきたい。

 

 

近年でもワッツ・タワーが象徴的に登場する映画がある。ギャングスタ・ラップの礎を語る上で重要なグループ、N.W.A (Nigger With Attude)の活動の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『STRAIGHT OUTTA COMPTON』(2015年)である。EAZY-E、Dr.DRE、ICE CUBEが在籍していた伝説のグループもまた、ワッツ地区を中心としたコンプトンエリア出身であった。そして後に創設され、スヌープドッグを筆頭とするGーFUNKアーティストを送り出したレーベル「V.I.Pレコード」は、ワッツタワー近くのコンプトン通りとマーチン・ルーサー・キングjr通りの交差点に店舗とオフィスを構えていた。ワッツ地区の歴史とワッツ・タワーの存在は、多くのアーティストたちのアイデンティティとして受け継がれているのだ。

 

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Straight Outta Compton
N.W.A.

 

 

1992年にロドニー・キング事件を機に大暴動へと発展した"第二次ワッツ暴動"では、音楽シーンの成熟も相まってミュージシャンたちがこぞって暴動にインスパイアされた楽曲を発表。ポリティカルなメッセージと共に、ワッツを取り巻く差別と暴力の終わりなき連鎖を、全米のみならず全世界に発信した。有名どころだけでも、RAGE AGAINST THE MACHINEの「Battle of Los Angeles」、SUBLIMEの「April 29, 1992」、ICE-T率いるBODY COUNTの「Cop Killer」などが挙げられ、さらにはロス暴動をテーマに取り入れた映画やドラマ、コミック、そしてビデオゲームが数多く登場した。この連載の第1回目にて紹介した『グランド・セフト・オート』においても、シリーズ最大のヒット作にして問題作『GTA: SAN ANDREAS』(2004年)のゲーム中に、ワッツ・タワーを模したモニュメントが登場。ゲームのクライマックスでは警官汚職事件によって大暴動が引き起こされる。

 

The Battle Of Los Angeles
Rage Against The Machine

 

April 29, 1992 (Miami)
Sublime

 

Body Count
Body Count

 

以上、駆け足気味ながらワッツ・タワーとワッツ地区にまつわる周辺文化について語ったが、最初に述べた通りワッツ地区は近年までギャング抗争が頻発していたため、安易に観光客が立ち寄れる雰囲気の場所ではなかった。しかし現在は抗争も沈静化し、ワッツ地区とワッツ・タワーにも平和な空気が訪れているので、日中であれば観光も可能。ワッツ・タワーを囲むフェンスには見物客向けの解説ボードも設置されている。場所的には相変わらず少々行きにくいものの、土地に明るいガイドがいれば容易に辿り着けるであろう。

血と涙と暴力に塗られた歴史の影に、ワッツ・タワーとサイモン・ローディアの魂は、今も静かにワッツ地区の中心に立ち、虐げられた人々の生活を見守り続けているのである。


Text:Mask de UH a.k.a TAKESHI Uechi
Photo:Mary J Drinko(ワッツタワー)
Special Thanks:DJ 2 High