「@JAM」総合プロデューサー・橋元恵一のクリエイティブ×ライブ 【Behind the scenes】


無数に存在するアイドルイベントの中でも、トップブランドのひとつとして君臨する「@JAM(アットジャム)」。その総合プロデューサーを務めるのが、株式会社Zeppライブの橋元恵一さんだ。2010年に前身イベントが行われ、2011年に「@JAM」と銘打ち本格的にプロジェクトはスタート。「@JAM」というとアイドルイベントという認識が強いが、そもそもは、アイドルやアニソンなど、日本のポップカルチャーを紹介していくというのがプロジェクトのテーマとして根底にある。「@JAM」を掲げたイベントがいくつかあるが、本家のイベント「@JAM」が、アイドルとアニソンを2日間に分けて紹介しているのはそのため。完全にアイドルに寄せたイベントとしては「@JAM the Field」、「@JAM PARTY」などがあるが、その中でもビッグマッチと言えるのが毎年夏に大会場で行われる「@JAM EXPO」だ。

「@JAM」総合プロデューサー・橋元恵一のクリエイティブ×ライブ(1)

Zeppライブ 制作本部 企画部 チーフプロデューサー 橋元恵一。’67年生まれ。東京都出身。ソニー・ミュージックコミュニケーションズ、ソニー・ミュージックエンタテインメントを経てZeppライブ所属。

大きく変化を遂げる2010年以降のアイドルシーンの中心地

今年で4回目となった「@JAM EXPO」は、8月26・27日に横浜アリーナで開催された。私立恵比寿中学、SUPER☆GiRLS、Negiccoなど全191組のアイドルが出演。総合司会は、でんぱ組.incの古川未鈴が担当した。イベントの独自性として、「@JAM EXPO」でしか見られないコラボなどが行われている。
 


毎年、「@JAM」のテーマ曲「夢の砂~a theme of @JAM~」(楽曲を手掛けたのは、ヒャダインこと前山田健一)を、人気グループから選抜されたスペシャルユニット@JAM ALLSTARS 2017が歌うのだが、今年は神崎風花(sora tob sakana)、小山ひな(神宿)、佐保明梨(アップアップガールズ(仮))、上西星来(東京パフォーマンスドール)、廣川奈々聖(わーすた)の5人が歌唱した。そして今年の目玉と言っていいのが、解散したグループやメンバーの卒業でオリジナルの編成が見られなくなったグループが1日限りの復活を果たしたExpo Dream Stage。3組中最も注目を集めたのがDorothy Little Happyである。Dorothy Little Happyは、2010年から仙台を拠点に活動を続けるグループ。まだ地方在住で活動する、いわゆるロコドル、ご当地アイドルが少なかった頃から、その先駆け的な存在のひとつとして人気を集めてきた。彼女たちの活動の背景には、実はあの2011年3月11日の東日本大震災の件も大きく影響している。彼女たちの代表曲「デモサヨナラ」は震災以前より存在していたものだが、被災した地元の東北に自分たちの力で元気を与えたいというメッセージが込められた曲へと変化していったのだ。その後は、楽曲そのもののよさで、2010年以降のアイドルシーンを代表する曲のひとつに刻まれるようになっていった。

大きく変化を遂げる2010年以降のアイドルシーンの中心地(1)

大きく変化を遂げる2010年以降のアイドルシーンの中心地(2)

「@JAM EXPO」の舞台裏で各アイドルたちに次々と指示を出す橋元氏。


順風満帆のように見えたDorothy Little Happyだったが、2015年7月に当初の5人のメンバーから3人が卒業。Dorothy Little Happyは2人で、卒業した3人はユニットcallmeとして活動していくこととなった。さらにDorothy Little Happyは、今年7月に1人が芸能界引退のため卒業し、現在は髙橋麻里のソロユニットとして活動。以前とは、それぞれの環境が大きく違うため、5人のDorothy Little Happyはもう見られない状態であった。だが今回、橋元さんの尽力もあり、奇跡的な1日限定の復活が実現したのだ。

当日のライブは、バラバラになった5人がかつてのように一致団結し素晴らしいステージを繰り広げ全観客が感動するものとなった。ラストに歌われたのは、彼女たちの代表曲「デモサヨナラ」。現在のアイドルシーンで定番となっている“好きよ!”の歌詞に観客が“オレモ!”で応える、“オレモ!”コールのオリジナルが炸裂。横浜アリーナが大“オレモ!”コールに包まれ、まさに大団円で彼女たちのステージはフィニッシュとなったのだ。

大きく変化を遂げる2010年以降のアイドルシーンの中心地(3)

Dorothy Little Happyと共に涙を浮かべ、グランドフィナーレを見守る橋元氏。


このように、ひとつのグループを挙げてみても劇的な変遷があるように、2010年以降のアイドルシーンも年数を重ねシーン全体も大きく変化している。「@JAM」は、以前から国内だけでなく海外でイベントも行なっていたりとグローバルな展開を見せており、また最近ではインバウンド的な動きも行なっている。では、橋元さんの経歴、アイドルを中心とした日本のポップカルチャーを紹介する「@JAM」のこれまでと今後の展望について話を聞いていこう。

 

「もう転職ですよ」クリエイティブ畑からライブ事業へ 40歳で業務内容が激変!

─橋元さんご自身のキャリアのスタートは、ソニー・ミュージックコミュニーケションズへの入社なのでしょうか?

厳密に言うと、社会人としてはキャノンの代理店に入社したのがスタートです。当時は、アップルの代理店が日本になく、キャノンが代理店になっていたんです。いわゆるデザイナーがMacを使い出した走りの時代で、そのタイミングでMacのインストラクターやセールスをしていました。丁度、ソニー・ミュージックのデザイナー全員にMacが渡るというタイミングがあって、そこで縁があり、翌年、26歳の夏にソニー・ミュージックコミュニケーションズに入りました。

─音楽畑というよりは、デザイン畑の出身なんですね。

そうなんです。アップルの仕事をしている時は、音楽業界に勤める気なんてサラサラありませんでした(笑)。1990年から93年の間ぐらいですね。たまたまMacの販路が圧倒的にデザイナーで、当時『B-PASS』を作っていたデザイン会社さんだとか、いわゆる写真を撮って製版する時代からMacに切り替わるタイミングで。僕が入社して最初に担当したのは、ZARDの『揺れる想い』でした。そこから、B’z、大黒摩季らビーイング系のジャケ写周りを一緒に作りました。しばらくジャケット周りや販促のお手伝いをして、6年ぐらいかな。ビーイングの後はトイズファクトリーの担当となり、結構やっていましたね。トイズで初めてやったのはマイラバ(My Little Lover)のデビューやSPEEDのデビューですね。当時は、GショックやBABY-Gが流行っていて、カシオと一緒にノベルティを作ったりとか、Mr.Childrenの店頭展開がどうだとか、そういう販促宣伝系のサポートをさせて頂いていたのですが、そんなことがきっかけで、2000年ぐらいからアーティストのビジュアルプロデューサーとして、ジャケットを作ったり、ミュージックビデオを作ったり、スタイリストに衣装を発注したり、作品のテイストによってメイクはこういう人に発注しようとか……そういう仕事をするようになりました。この時、一番最初に機会を頂いたのはSOPHIAでした。そこからケツメイシやRAG FAIR、あとは絢香、山崎まさよし、森山直太朗、九州男などを手がけました。当時僕の持っていた部門で年間200本ぐらい作っていましたね。ずっとクリエイティブ畑で、ソニー・ミュージックに入ってから、ライブ事業に来るまでの17年間はほぼデザイン関係の仕事をやっていたんです。

それで、2010年2月。いわゆる「360度ビジネス」だと言われる中、CDのセールスも下がって、各所でこれからはライブ事業だと。ある日「行ってこい!」と辞令を頂きました(笑)。当時はソニー・ミュージックエンターテインメントのライブ事業部という名前でしたが、そこに在籍して、今のZeppライブに変遷していくという感じですかね。

─デザイン畑から急にライブ事業への転身。随分、業務内容が変わったのではないですか?

もう転職ですよ。例えばケツメイシのダンサーさんの衣装がどうだとか、メンバーの衣装がどうだとか、表周りのことをやってはいても、裏でどういう演出がなされ、どうやってツアーが進んでいくかは、僕らは蚊帳の外と言うか……。中身のことは全く分かっていなかったですから。これが40歳過ぎのタイミングだったんですが、いちからコンサートとはどういうことか? と、勉強を始めました。いまだに分かっていない部分もありますが……とにかく大きな転機でしたね。

会社の中でどんどん出世をしていく年齢と、現場とは比例していないじゃないですか。役職が上がっていって、人をマネージしていく立場になればなるほど、現場からは離れていかざるを得ない流れの中で、41歳ぐらいのタイミングまでは部下が100~200人いるような地位で全体をマネージする立場だったんですね。それが、ライブ事業に移って来たら、チーム自体5人しかいませんでした。雑誌の編集長をしていた人だったり、色んな部門から経験上ライブのことをよく分かっている人材が集められてきていたんですけど、その中でライブのことを全く分かっていないのは僕しかいなかったんです。

─40歳を超えて、新しいことにチャレンジしなければならない……。組織人としての宿命とはいえ、かなり大変なことですよね。

やっぱり1、2年は半分腐ってましたよね(笑)。でも、腐ってばかりもいられないので、いわゆる人様のコンサートをお受けするものよりは、ゼロベースから立ち上げられる新しいコンテンツを生み出していこうと、初年度に実施した案件が「@JAM」の前身になる「オタジャム」でした。ポップカルチャー、オタクカルチャー、アニメ、アイドル、ボーカロイド、メイド、コスプレ……いわゆるコミケのライブ版みたいな。「秋葉原を立体化したイベントを作ろう」という試みで、2010年の11月に行いました。ただ、僕を含めスタッフのほとんどが、イベントのことを分からず作っていたので、ハチャメチャなイベントでした。やりたい意志は伝わるけれど、何だか良く分からないというか、散らかったイベントになっちゃった(笑)。それを整えて、もう一回やろうと始まったのが「@JAM」なんです。それが翌年の2011年のことで、場所も新木場スタジオコーストに変えました。

「もう転職ですよ」クリエイティブ畑からライブ事業へ 40歳で業務内容が激変!(1)

@JAM 2011


─「多会場、同時多発イベント」というと今ではよく見る形態ですが、当時はとても画期的でしたよね?

スタジオコーストでそういうことをやったのは、ウチが最初なんです。メインステージもあるけど、バーカウンターの横でライブをやっていたり、外でもライブをやっていたり。今の「アイドル横丁」や、「アイドル甲子園」の前身じゃないかとは思います。

─そもそもアイドルやアニソンに対する興味はあったのですか?

僕はサーフィンが趣味で、休みは全然ありませんが、出社前に海に行って波の音を聴くことが何よりのリラックスタイム。そういう人間なので、正直……まったく興味がなかった。アイドルのイベントというか、そもそも自分がリスクを負ってやるイベントも初めてですし、アイドルやアニソンの案件に携わるのも初めてでした。そういう意味で、2010年以前と以降の僕は人が変ったように思われていますよね(笑)。ただ、最近はアイドルのプロデュースワークをやっていく中で、クリエイティブ部署にいた頃に知り合ったミュージシャンに曲を書いてもらったり、あのカメラマンに写真を撮ってもらおうとか、あのスタイリストに衣装を作ってもらおうとか、当時培った人脈やスキルが活きている感じをようやく実感しています。

─アイドルに詳しくない橋元さんが、アイドル戦国時代と言われていた時代にシーンに参戦し、「@JAM」を広げていく、続けていく難しさは相当だったのではないですか?

そうですね。ただ、幸運なことにオタジャムの時からエビ中やでんぱ組が出てくれていて、色んな事情があっても「@JAM」を大切に思ってくれていることにはとても助けられています。もともと年1回のイベントだったんですけど、年に1回のお付き合いだと、出演者、スタッフとも本当に希薄になってしまうので、定期的にお付き合いしていく土壌が欲しくて「@JAM the Field」をシリーズ化しました。「@JAM」という母体は色んなカルチャーを紹介するけれど、その中でアイドルに特化したという意味での「the Field」。@JAM外伝みたいな意味合いで始まったのがきっかけなんです。それを半年に1回やることで、「@JAM」と合わせて年に3回できることになった。ここでトライアングルが作れるようになったので、作っていく上で、もっと下部組織というか、出たいと言ってくれる人を支える「@JAM PARTY」という月に1回のイベントを作ろうとか、海外のニーズがある中、僕らが海外に発信していき、一緒に日本のカルチャーを海外に紹介していこうという海外シリーズが年に2回始まったり……。そうやって広がっていく中、2014年から夏フェスシーズンに「@JAM EXPO」という大きな祭りをやりはじめました。今回で4回目で動員数も増え、規模を広げてきましたけど、もう色々考えなくてはいけないタイミングではありますね。いつまでも盛り上がって、広げられる状況ではないと一方では思っています。

─タイミング的に、アイドル側の世代交代が著しい時期に突入している?

そうですね。2010年にライブ事業部に移ってきたタイミングは、たまたまアイドルシーンに火が付き始めていて、2010~12年ぐらいにデビューした人たちが、すごく注目を浴びるタイミングだったと思うんです。あれから7年経って、学校でいうと卒業のタイミングなんですよね。ただ、そのアイドルに憧れていた子供たちが、今中高生になってアイドルシーンを作っているという側面もあるので、そういう人たちをサポートしてあげるイベントであり続けなきゃならないという思いは強いです。

単純にイベント収支、興業収支だけで語れないところも実はあって。会社員なので利益を出さないものは淘汰されていくのは当たり前だと思うのですが、ここ数年はイベント規模を大きくしていくために投資をさせてもらっていた時期だったんですが、ここからいかに回収できるのか? というのが検証されなければいけない時期になってきています。おそらく今後大々的に回収できるのかと言えば、正直な話、難しいと思うんです。だから逆に言うと、シーンを盛り上げる役割をどう担いながら、回収出来る規模なのか、数なのか、僕らも精査しなければならない過渡期なのかなと思いますね。それはコンサート全般に言われることだと思います。2010年頃は「ライブが儲かる」と耳にした人も多いと思うのですが、コンサート全部が儲かるということはないので。もちろん一部のアーティストは儲かっていると思うんですけど、やっぱり勝ち負けなので、コンサート自体が右肩上がりでただただ儲かっているという訳ではない。

「もう転職ですよ」クリエイティブ畑からライブ事業へ 40歳で業務内容が激変!(2)

「INNOVATION WORLD FESTA 2017」(https://www.j-wave.co.jp/iwf2017/)にて、アイドルビジネスについてのトークセッションに登壇中の橋元氏。


360度ビジネス、体感型、コンサート……過渡期を迎える音楽業界の今

─とはいえ、巷では「これからは、モノより体験だ!」というビジネスモデルは未だにあらゆる業界でよく聞く話ですが……。

いやぁ、本当に儲からないんですよ(笑)。コンサートは難しいビジネスで、自分が準備をしてこういう規模でやろうとプランを立てて進めていく中、1年間努力をしても集客によって報われたり報われなかったりがあるというか、同じコンテンツを作っても、1000万円儲かることもあれば、1000万円負けることもある。僕の頭が古いのかもしれないけど、やっぱり「努力をした分は報われる」というイメージがあるじゃないですか。コツコツ仕事をしてきて、結果良かったねとなるのが商売だと思うんですけど、そうならないもどかしさだったりとか、あとは作っていく途中で集客のゴールがこっちは1万人を見込んでいるけど、結果7000人しか集客しそうにないとなった時点で、コンサートの準備をしながら下方修正していく必要がある。ここにあった美術をなくそうとか、裏方のお弁当を1000円から700円に削っていこうとか。そういうことを詰めていって、赤字幅をいかに消していくかという作業をしなくてはいけないんです。動員数が減っても、削れるものと削れないものがあるじゃないですか。単純に言うと、マイクの本数を半分には減らせないし、ステージの幅を半分にするわけにもいかないので、本当に削れないものばかりなんですけど、削れるものを少しでも削って、昨対と同じようにしなくてはいけないという裏の難しさはありますね。

─ちなみに、今年はマイクを何本用意していたんですか?

今回はAKB48グループの16人選抜が来ていたので、ミニマムで16本。7ステージあったので、プラス予備を含めて90、100波といったワイヤレスが飛び交っている状況でした(笑)。それだけで音周り全体で4桁万円かかってしまう……。そういう調整を当日ギリギリまでやって、終わったら終わったで、本来は安堵感があっていいんですけど、一気に精算に入って。怒られますよ。毎年怒られていますが、今年も怒られますよ(笑)。

─そんな苦労の中、面白さや、満たされる瞬間というのはどんな時なのでしょうか?

特に僕の仕事の場合は、企画を考えてゼロから作るものなので、基本的に僕にとっては関わって頂ける人すべてがお客さんです。そんな中、出演者もお客さんだし、来て頂ける来場者もお客さんなわけで……包括して同じような満足度を全ての方に得られるものにするのがすごく難しいんです。どこまでお客さんの意見を聞くのか? どこまで自分の哲学でやっていくのか? というのでいつも葛藤しています。答えがないじゃないですか。

でも、そんな中でもお客さんと出演者が満足してもらえるものが作れた時はすごく嬉しいですよね。例えば、今回の「@JAM EXPO」だと、一夜限りの復活だと言って、3組のグループを復活させました。復活って簡単に言いますけど、同窓会ではなくて、本当にその1日を「これまで以上のものにしよう!」という思いで3組とも臨んでもらって、おそらくもういずれも実現しないと思うんです。色んな事務所の関わりだったり、引退した人を引っ張り出してきたり、色んな事をして集めたので、誰でも出来ることではないと思うし、僕が3組とも関わったことがあったからできたことだと思うんです。よそで解散された知らないグループだったら、僕がどれだけ頑張っても実現できないと思うので。そういう意味では、今回参加してくれた3組には本当に感謝なんですけど、復活させると言った時に正直すごく賛否があったんです。「墓場から死人を掘り起こしてどうするんだ!」という意見だったり、「今さらやってどうするんだ」とか「見たくない」とか……。「ありがとう」と言ってくれる人もたくさんいたんですけど、ものすごく叩かれもしました。でも結果、終わってみたら、みんな納得してくれたんです。それは僕がというより、演者がめちゃめちゃ頑張って、最高のパフォーマンスを見せるぞとしっかり準備をしてきて、それをお客さんにぶつけて、お客さんもそれに答えるという状況があって初めて一体感が生まれるというか。グランドフィナーレに向かって会場全体が本当に多幸感に包まれて、あの瞬間は本当に嬉しかったし、プロデューサー冥利に尽きるというか。そういう一瞬ですよね。収支が取れて儲かったから嬉しいとかじゃないんですよね。

360度ビジネス、体感型、コンサート……過渡期を迎える音楽業界の今(1)


─終わったばかりではありますが、今後の展望はもう考えていますか?

来年のEXPOをどうするかは白紙です。だって終わったばかりですから(笑)。他の決まっているシリーズイベントはやっていきますが、本当に横浜アリーナで良いのか、2日間で良いのか、幕張メッセに戻った方が良いのか、新木場コーストで3日間やった方が良いんじゃないか、色んな事を精査する時期だなと思っているので、来年も横浜アリーナで2日間同様にやります! といったことは、今は決まっていません。
とは言っても、「@JAM」シリーズを全部なくして、「や―めた!」という訳にも当然いかないので、どういう風にやっていくか考えないといけないということですかね。

他方、僕は今6つのアイドルグループのプロデューサーをやらせてもらっているので、そのグループをどうやって活性化していくか。自分のイベントと、フジテレビがやっているTOKYO IDOL FESTIVALとか他イベントとの連動も含めてプロモーションプランを考えていかなくてはいけないので、それを詰めていく作業がひとつと、別途インバウンドのビジネスを積極的にやっていこうと、今はトライアルをしているところです。この間も「MEET THE IDOL」と称したプレ公演を、アップアップガールズ(仮)と僕がみている転校少女歌撃団のふたつのグループへ出演してもらい、外国のお客さんをご招待して見に来て頂いて。

英語が話せるMCに公演の説明をしてもらい、あとはオタ芸で一緒に盛り上がったりとか、そういう公演をやりながら、マーケットデータを取っています。2020年に向けて、こういったイベントを発展させて、できればロボットレストランみたいに毎日ショーが行われていて、そこに外国の方がたくさん訪れ、ガイドブックに載り……、みたいなことで日本のアイドルやポップカルチャーを紹介できるイベントを作っていきたいなという目標を持ってやっているところです。
最初はまったく興味のなかったアイドルシーンでしたが、7、8年やってきて本当に勉強になりますし、今はとても面白いシーンだなって思いますね。歌い手がアイドルというだけで、メタルやハードロックもあるし、ポストロック、ヒップホップ……あらゆるジャンルを内包し成立している。もちろんアイドルたちも面白いし、アイドル業界を取り巻いている人も大手の芸能事務所じゃない人たちが多いから、しがらみに捕われることなく、自由度が高いんですね。この日本オリジナルなポップカルチャーの火を、まだまだ灯し続けたいですね。


橋元恵一 Twitter
https://twitter.com/zepplive_atjamp

「@JAM」
http://www.at-jam.jp/series/expo2017


Photo:Great The Kabukicho(橋元氏)、土屋 恵介(@JAM EXPO)
Text:土屋 恵介
Edit:仲田 舞衣

 

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