【北野武作品論】ART-SCHOOL・木下理樹×THE NOVEMBERS・ケンゴマツモトが語る表現者の魅力

音楽ファンのみならず、映画好きも認める大の映画通である、ART-SCHOOLの木下理樹。彼がピックアップした映画をゲストとともに読み解く企画として、対談相手に選んだのは「ここまで映画を深く読み取っている人は、自分が知る限りでは他にいない」と賞賛する、THE NOVEMBERSのケンゴマツモトです。二人で海外のコアな作品のトークショーをするほど独自の審美眼を持った二人がテーマに選んだのは、目下『アウトレイジ最終章』も話題の北野武作品。世界的な名匠の魅力を二人はどう読み取っているのでしょうか。
北野武が映画から放つ色気
―お二人が一番最初にハマった北野作品は何ですか?
ケンゴマツモト:『ソナチネ』か『その男、凶暴につき』だと思うんですけど・・・。
木下理樹:僕は『3-4X10月』はリアルタイムで見たのかな。その時いわゆるお笑いの人が撮る映画ではないなというぐらい“乾いてる”印象があって。「あ、この人もしかしたらすごい映画の才能持ってるんじゃないのかな」とは思いました。
―狂気が乾いてますよね。
ケンゴ:それって彼のお笑いの方もそうだと思う。空虚さとかニヒリズム、そこはベクトルが振れてるだけで共通してるなぁと思うし。
木下:あと、色がいいよね。
ケンゴ:海の色とかいいんですよね、そこに血の色が入ってくると。あと、セリフも諦観というか淡々としてる。
木下:うん。『ソナチネ』で覚えてるのは沖縄かなんかのバーで、めんどくさそうに人撃ってて。「あーあ」みたいに。それはすごく印象的だった。でも笑える要素もあるから、ちょっと他の日本の監督とレベルが違うなと思いましたけどね、どの作品を見ても。
ケンゴ:無理に感情を扇動するような作品ばかりの中でね、ああいう抑えた作品が、北野武という著名人が作ったということで評価されているとしても、それはすごい価値があるし、意味があることですよね。彼がやるってことがすごく感動的っていうか意味があるっていうか。すーごい俯瞰だもんね。
木下:うん。自分ですらもすごく遠くから見てんだろうなっていうのは感じますね。
―自分すらも俯瞰して見る感じは自身の作品作りに影響はありますか?それとも自分もそうだから好きになったんでしょうか。
ケンゴ:あー、逆に僕は全く客観性を欠いた人間なので(笑)、よくわからない。でも多分、彼の映画って自分が神の目線になって、かつ自分を見るって変な感じがすごいするっていうか。映画の中ではたけしが出てて、たけしが監督してる、たけしがたけしを殺したりするじゃないですか?それが面白いなってすごい感じますけど。
木下:今、カンヌで賞獲れる日本人って北野さんしかいないと思うんですよ。言葉はわからないけど入ってくるものはあるわけだから、ヨーロッパで受けるっていうのはすごいわかるし。ハリウッドは派手に爆破したり、役者の動きも派手だし。北野監督はそういうのは徹底的に排除してるんじゃないですか?
―例えばヨーロッパの監督や作品だと誰が近いと感じますか?
ケンゴ:ミヒャエル・ハネケとか近いんじゃないですか?
―お二人は明快な答えのない作品の方が好きなんですかね?
ケンゴ:でも『エイリアン』とか好きですけどね。
木下:リドリー・スコットもヨーロッパ的ではあるからね。「アウトレイジ」で印象的な部分で言ったら、子分が「テメェ殺すぞバカヤロー」とかやってる中、たけしが半笑いで聞いてるところとか、すごくヨーロッパ的な部分を感じます。それがすごく知的で透明感があって、エンタテイメントになってて。で、そこに対抗できたりする力を持っている日本映画が北野映画以外に今はないってことですよね。
―なるほど。決め台詞になってる「バカヤロー、このヤロー」も怒りの表現とは思えないものだし。
ケンゴ:すごい不思議なのは、アイコンとしての北野武が役としてあれを言うわけじゃないですか。それって自己批評じゃないですけど、自分を嘲笑するようなイメージがすごくあって、「クール!」と思いますね。
―ちなみに「アウトレイジ最終章」の感想はいかがですか?
木下:僕はもう、最初からこの人、笑わすつもりで撮ってんだろうなと思いましけどね。ま、あまりネタバレするから言えないですけど、ピエール瀧さんがどんどんこじんまりしていくっていう(笑)。最初は一番威勢いいんだけど。
─ちなみに北野作品の音楽といえば久石譲さん、最近では鈴木慶一さんが手がけていますが、何か印象に残っている場面はありますか?
木下:正直、音楽の印象がないんですよね。
ケンゴ:もちろん映画に対する効果はあるんですけど、「お化粧してくれる」ものなんでしょうね、多分。
木下:客観的に後になって考えると、久石さんがやっていた頃はメロディアスというか、鈴木さんになってからは完全に効果音というか、不穏な空気を出すため、みたいになってると思います。
ケンゴ:ミニマルミュージック的なね。
木下:あ、でも「菊次郎の夏」は口ずさめるかも。
―では、お二人の音楽において映画の影響ってどういうところに出ていると思います?
木下:面白い映画は全然、いい時間だったなと思えるし、気分も高揚してるし、いくらでもこの気持ちを書けるぜ、とは思いますけど。
ケンゴ:多分いちミュージシャンというよりも、人間としてそりゃね、影響はあると思います。「こういう服を着たい」とかいうレベルの。孤独を埋めてくれたっていうものもありますけど、影響で言えば映画だけじゃなく道歩いてても影響受けるので。でもやっぱいい作品とかに触れると豊かな気持ちになりますよね(笑)。
―北野作品に限らず、知らない世界に開いた窓みたいなものですよね。
ケンゴ:すーごいですよね、映画監督って。話を考えて、カメラワーク考えて、それを2時間なり3時間なりの世界にまとめて旅してるみたいなものを作るわけだから。
―それがまさに映画ですよね。
ケンゴ:でも映画的であることって何か?って考えるとすごく難しくて。定義がない、映画的であるって。でも確実にずっと見てられるような映画ってあるじゃないですか?例えば『ママと娼婦』っていう映画があるんですけど、4時間半ぐらいあって、女の子二人と男の子一人のほぼほぼ会話で終わるんですけど、「なんでこれを見てられるんだろう?」って思うんですよ。この映画がなんだったのかとか、この映画で何が起こったのかってことが説明できない。
木下:THE NOVEMBERSの音楽も答えって別にないよね。
ケンゴ:ないですね。だけど“わからなさ”ってみんななんか言うんですよね。「わかんないから嫌だ」とか「わかんないから怖い」とか。でもわからないって俺はすごく面白くて。
―今、木下さんが「THE NOVEMBERSの音楽も答えは別にないよね。」とおっしゃいましたけど、お互いの音楽に感じるそういう部分ってありますか?
木下:恥ずかしいな、言いたくないな(笑)。けど、わからないというか定義できない、あるいはどうとでも捉えられる。ロックなのかシューゲイザーなのか、オルタネイティヴなのかポストロックなのかマスロックなのか演歌なのか。
ケンゴ:演歌?(笑)
木下:そういうバンドの人たちって、ま、戦ってる人も多いし。そういう人って話したら面白いですよ、やっぱり。自分の村で安心してるわけじゃないから。メロコアだったらメロコア村でやってますよ、みたいな、そういうのって個人的には一番退屈だと思うかな。
―ケンゴさんはART-SCHOOLの音楽の特徴に関してはどう捉えていますか?
木下:なんか似たような感じじゃない?(笑)
ケンゴ:似たような感じです。僕が出会った頃のART-SCHOOLは本当に客観性を欠いていて。僕は『シャーロットep』で出会ったんですけど。
木下:全くもって客観性を欠いてたよね。
ケンゴ:今思うと音作りも多分めちゃくちゃで、ペラッペラのガラッガラで、で、喪失感とか孤独感とか孤立感とか、そういうの歌っていて、ハマったんですね僕も。でもなんでこんなにグッとくるのかわかんないなと思ってましたね。でも多分、代弁してくれたと思ったんですよ、僕は。多分多くの人はそうだと思う、木下さんのことを好きな人は。
―自分がそれをできるのか?といえばまた違うんですけど、一つの勇気になりますね。
ケンゴ:なりますね。だし、そのロックミュージックって音楽の形態としてじゃなくて根幹的な部分でそうなんだと思います。だから多分、木下さんはそういうことにかけて天才なんだと思います。自覚してないと思うけど。
木下:(笑)。
―お二人の表現活動と北野作品を無理やり紐づけていくと、そこに現れてるものは似てるんじゃないかなと。
ケンゴ:似てますか?似てないでしょ(笑)。
―いや、表現をわかる・わからないで選別しないという意味で。
木下:あそこまで俯瞰で見れてなおかつ映画に愛されてる人で、世界で誇れる人、しかもカリスマ性もすごくある。だって僕と同じ歳ぐらいの時に北野さんはフライデーに殴り込みに行ってますからね。
ケンゴ:あれ作品だよね。
木下:一個のね。そう考えたらやっぱもう畏れ多いっていうか。70近いあの監督がグラサンかけて、なんかスーツ着て、銃持ってるだけでヤバいですから。ちゃんと絵になってる。人間味がえぐい。
ケンゴ:それが多分一番大事なんでしょうね、何にしても。サラリーマンするにも、女を口説くにも、芸術をするにも、何を考えてどうやって生きてきたかっていうのが。「これが俺だ」ってね。そこが共通してますよ。
―これから北野作品を楽しむ人にはどのあたりから入るのをお勧めしますか?
木下:分かりやすいのでいえば『HANA-BI』とか。一番わかりやすく作ってるんじゃないですか?それまでよりもうちょっと説明が多いなとは思う。そのぶんわかりやすくなってるから、個人的には「ん?」って思うシーンはたくさんあるけど。
―ケンゴさんはどの作品がオススメですか?
ケンゴ:『ソナチネ』いいと思うんですけどね。エッセンスが。
木下:色っぽいしね。
ケンゴ:そうなんですよ。最近やっぱりセクシーなことって大事だなと思ってて(笑)。結局それに尽きるんじゃないかな?って思うようになってきましたね。
木下:表現者はね。どっかに色気ないとくだらないなと思っちゃう。
―あの作品の色気ってなんでしょうね?
ケンゴ:やっぱり死が濃厚だからじゃないですか?だし、そこに対してある種の諦めがある。
木下:冒頭から「俺もう疲れちゃったよ、ヤクザ」とか言ってるからね。
ケンゴ:疲れてるヤクザの時点で色っぽい。
木下:「あんまり気が乗んねえなぁ」とか言いながら(笑)。
―そういう人を描く、そういう題材を選んでること自体、人として生きるとか死ぬとかいうことに対して感じることがあるからでしょうね。
木下:バイク事故の後のインタビューに、「生きることに興味なくなったんだよね」っていうのは、読んだことありますね。『キッズ・リターン』の頃かな。
―ほんとに死線をさまよった人にしか言えないことですね。
ケンゴ:でも思うんですけど、普通のことなんですよ、たけしさんがフライデーに殴り込みに行ったのも。失礼なことをされたんだから、やり返すのはごく当たり前のことっていう。「言ったよね?」「そりゃしょうがないよね」って、すごいわかりやすい。シンプルですよね、行動原理として。そういう男の人ってかっこいいですよね。腹が減ったから鹿を狩るみたいなことじゃないですか?
―北野作品に出てる時は役者さんも他の時とは全然違う芝居してますし、役者さんから入って全然違う芝居を楽しむというのも醍醐味ですね。
木下:ピエールさんってこんな色っぽいんだ?っていうのは思ったかな。あと、今回の作品は大森南朋さんは色っぽいと思いますよ。クッタリしてる感じでね。北野監督の映画には役者がギャラなんかいらないから出たいっていうのもわかるな。
人間の、特に男のあり方として毅然とした北野監督の人柄から自ずと立ち上がる作品性。そして明確な答えやカテゴリーに属さない表現という部分では二人の作品にも大いに共通するところがあるのではないでしょうか。また、セクシーさとは何か?を知りたい人は、彼らの表現に触れてみては。
Interview&Text:石角友香
Photo:大石隼土