「まつりの作り方」アップデートされる盆踊り~中洲ブロックパーティ(東京都中央区)


2016年7月、東京都中央区日本橋のあやめ公園でとある盆踊り大会が開催されました。それが「中洲ブロックパーティ」。クラフトワークの74年作「Autobahn」のオマージュでもある告知フライヤーにピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、「大江戸まつり盆踊り 中洲納涼会」の前日祭として開かれたこの中洲ブロックパーティ、通常の盆踊りとは一味も二味も違う極めてユニークなもの。そのため1回目にして大きな話題を集め、さまざまなメディアでも取り上げられることになりました。

フライヤー

今回は盆踊りの新たなスタイルを実現した中洲ブロックパーティの運営を手伝っている岸野雄一さんにインタビュー。中洲ブロックパーティ以降もさまざまな形で盆踊りの可能性を提示してきた彼に、地元で盆踊りを始めるうえでのノウハウを伺ってきました。

「盆踊りもアップデートされていいと思ったんです」

「盆踊りもアップデートされていいと思ったんです」(1)


まず、岸野さんの経歴をご紹介しましょう。
80年代より複数の音楽グループで活動してきた岸野さんは、現在もヒゲの未亡人やワッツタワーズといった音楽ユニットで活動。その一方でさまざまなジャンルの評論活動を行い、東京芸術大学大学院や映画美学校で教鞭も執られてきました。さらには海外からのアーティスト招聘や国内ツアーのオーガナイズ、イベント企画を行うほか、プロデュース・脚本・主演を務めた音楽劇「正しい数の数え方」が文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門の大賞を受賞されるなど、多岐にわたる活動を展開しています。

そんな岸野さんのお生まれは東京都墨田区の押上。浅草など東京の下町を地元として育ったといいます。

「墨田区は戦災で焼けたあと、カッチリ町づくりをやったんです。碁盤の目になってるエリアが多くて、夏休みの終わりになると、一斉に盆踊りをやる。あらゆる辻で盆踊りをやっていて、隣の櫓の音が聞こえてくるぐらい。僕も子供のころは自転車でグルグル回りながらあちこちの櫓に足を運んでましたね。スピーカーの違いで盆踊りの熱量が違うのを見比べたり、かかってる曲が会場によって違うのをメモったりしてました(笑)」

岸野さんは以前からそんな地元の盆踊りで大滝詠一作の音頭や森山加代子「じんじろげ」(1961年)など、自身の好きな盆踊り歌がかかる光景を夢見てきました。

「自分の地域の盆踊りでかかる曲がアップデートされてしかるべきだと考えてたんですよ。それが自然なことだと思ってたんですね。もちろん伝統継承とのすり合わせは必要ですけど、世界各国で伝統文化がアップデートされているように、盆踊りもアップデートされていいと思ったんです」

長い間、地元の盆踊りにアプローチをかけていたものの、地域コミュニティーのハードルの高さからなかなか実現できずにいたといいます。
突破口のひとつとなったのが、東京某所のコンビニ店との出会い。店内にレコードをディスプレイしていることで地元では話題になっていたこの店の店主と「いろいろ話していくうちに『音楽で地域を盛り上げていきたいね』と意気投合」した結果、コンビニの店内に機材を持ち込み、DJイベントを始めてしまいます。結果、このイベントは地元の音楽好きのあいだで評判を集め、コンビニを中心とするユニークな音楽ネットワークが形成されることになります。

「あの地域には老舗の若旦那のような人から、新しくできたマンションに越してきた住民までがいて、両者の断絶が問題になっていたそうなんですよ。でも、コンビニでのイベントをきっかけに、『地域で何かをやることっておもしろいね』と交流が始まっていった。そのことによって、中洲の町内会の青年部からお声がかかったんですね。中洲は毎年7月中頃の日曜日に盆踊りをやってたんですけど、土曜日の段階から櫓が組んであるので、土曜から何かをできないかという話になって。それで青年部の部長さんの発案で『コンビニでドンチャカやってる連中に声をかけてみよう』ということになったんですね」

岸野さんにとっては子供のころから夢見ていた「盆踊りのアップデート」がついに実現する日がやってきたのです。
 

「そのとき歴史が動いたという感じがしましたね」

「そのとき歴史が動いたという感じがしましたね」(1)「そのとき歴史が動いたという感じがしましたね」(2)

©Keiko K. Oishi


そうして2016年に始まったのが、冒頭で触れた中洲ブロックパーティでした(主催は中洲町内会)。
この盆踊りの特徴は、MOODMAN、珍盤亭娯楽師匠、俚謡山脈といったDJたちによるDJタイムがメインとなっていたこと。DJブースは櫓の上。MOODMANのハウス、珍盤亭娯楽師匠の歌謡音頭、俚謡山脈による民謡が鳴り響くなかで老若男女が踊る光景には、どこか「未来の盆踊り」といった雰囲気がありました。そして、それはまさに岸野さんが長年実現を夢見ていた風景でもあったのです。

「とにかく気をつけたのは、通常の盆踊りのレパートリーもやろうということ。盆踊りのレクチャーの時間も設けて、中央区の盆踊りの定番曲である『日本橋美人音頭』の振り付けを覚えてもらう時間を作りました。それと、青年部長の発案で子供たちのためのダブルダッチの時間を設けたんですよ。ダブルダッチはダンス・ミュージックをかけながら縄跳びをやるというもので、中洲の小学校はダブルダッチの大会で優勝してたりするんで、子供たちの晴れ舞台にもなる。どんな世代にも見せ場があることは大事です」

大切なのは、自分たちのやりたいことを押し通すのではなく、さまざまな世代の見せ場を作りながら、より開かれた祭りの場を用意すること。地元の人たちを自然な形で巻き込んでいくこと。岸野さんも「やっぱり地域のルールというものがありますから。そこは他の地域でも新しく物事を始めるときは必ずブツかる問題だと思いますね」と話します。

「一番感動したのは、MOODMANがかけるハウスで盆踊りの輪ができたこと。その前にレクチャーしていた『日本橋美人音頭』の振り付けをみんな覚えているものだから、MOODMANのDJに合わせてその振り付けでみんな踊り出したんです。しかも誰かが声をかけて始まったものじゃなくて、自然発生的に始まった。僕も見ていてウルウルきちゃいましたよ。そのとき歴史が動いたという感じがしましたね」
 

「対話の機会を設けないと社会は成立しない」

フライヤー(2)
 

「対話の機会を設けないと社会は成立しない」(1)「対話の機会を設けないと社会は成立しない」(2)

©Dan Szpara


同年、岸野さんは高円寺大和町八幡神社(東京都中野区)での盆踊りにも参加。1回目はテニスコーツや珍盤亭娯楽師匠が出演し、中洲ブロックパーティに続いて新たな盆踊り空間が実現することになります。

「中洲に八幡神社の方が見にきてくれて、『こういうことをウチでもやってもらえませんか?』と言ってくれたんです。あそこは神社が近所の信頼も得ているし、町内会との関係も深い。だから、ものすごく話が早かった。例年の4倍ぐらいのお客さんが来たようで、大成功でしたね」

中洲ブロックパーティ同様、こちらでも通常の盆踊りタイムを設定。岸野さんも「いつもよりお客さんが多くて、櫓の上のおばちゃんたちも喜んでいたようですね」と話します。2年目となる2017年度は当時ライブ活動をほぼ行っていなかった坂本慎太郎がサプライズ出演。さらなる成功を収めますが、その一方で、来場者の増加が新たな課題となりつつあります。

「会場に対するキャパシティーの問題がありますからね。あと、セキュリティーに関しても話し合っていて、僕もAEDの講習を受けにいきました。終了時間になったら音を止めることは徹底するようにしてますし、近隣に人が溜まらないようにナビゲートするようにもしています」

昨年8月には「札幌国際芸術祭」(北海道札幌市)の一環として、札幌の夏の風物詩である「さっぽろ夏まつり」とコラボレート。DJ盆踊りを開催して各メディアで取り上げられました(珍盤亭娯楽師匠らが出演)。

「対話の機会を設けないと社会は成立しない」(3)

「対話の機会を設けないと社会は成立しない」(4)「対話の機会を設けないと社会は成立しない」(5)


それぞれの地域の理解者との出会い、彼らとの関係性の構築と対話。そこもまたひとつのキーになるようです。

「盆踊りを通じて地域に積極的に関わることで、いろんな人たちの意識が変わっていくんじゃないかという思いからやってるんですね。大勢の人たちと意見をすり合わせて、何かを形にしていくのは苦労が多いことです。対話の機会を設けて、落とし所を探っていかないといけない。そうしないと社会って成立しないと思う。『完全ではないけれど、より良き社会をその都度、更新していく』。盆踊りはその練習のつもりでやってるんです」

最後に、これから祭りを始めようとしているかもしれない読者にメッセージを。

「とにかく焦らないこと、それと信頼を積み重ねていくこと。あとは仲間集めかな。おもしろがってくれる人が周りにいて、手を貸してくれることも大きいと思います。いずれにせよ熱意だけで成功するものじゃないんで、実現のためには折れなくちゃいけない部分も出てくる。折れ方にしても人間性を磨く勉強になると思いますよ(笑)」

2018年の高円寺大和町八幡神社盆踊り大会は7月21日(土)、22日(日)に開催、中洲ブロックパーティも同じ月の初旬に開催される予定だそう。ぜひ踊りの輪のなかでお会いしましょう!
 


岸野雄一さんの祭り情報はこちらでチェック
https://twitter.com/kishinoyuichi


Text:大石始
写真:ケイコ・K・オオイシ、Dan Szpara