C'est bon!~クラシック名曲つまみ食い vol.4 チャイコフスキー ~愛に生きた作曲家~


稀代のメロディ・メーカーであり、多くの名曲を残したチャイコフスキー。その音楽は美しさや優しさ、あたたかさ、そして悲しさ……とあらゆる表情を見せます。これだけの魅力的な音楽を生み出した彼は、とても人間的な魅力にあふれた人であり、多くの恋もしてきました。今回は名曲の陰に潜むチャイコフスキーの激しい恋愛について見ていきたいと思います。

届かないものへの想いと幸せな時期への憧れ

最初にお届けするのは2つのピアノ小品です。「舟歌」はピアノ曲集『四季』のなかの1曲で、もっとも知られている作品です。「舟歌」は通常8分の6拍子で書かれることが多いのですが、この曲は4分の4拍子で書かれています。それにより、波を表す伴奏音型にあまり動きが感じられず、静かに、また終わりなく揺らぎ続ける波の様子が淡々と描写されています。『四季』は全曲に詩が添えられており、「舟歌」には輝く星への憧れを書いた詩がつけられているのですが、全体から漂う静かな哀しみは、届かないものへの想いが静かに描かれているようにも思えます。
「瞑想曲」は、チャイコフスキーが最晩年に書いたピアノ曲集『18の小品』のなかの1曲です。優しく語りかけるような旋律は、チャイコフスキーがもっとも充実した時期に書かれた交響曲第5番の第2楽章の旋律と似ているといわれていることもあり、幸せな時期への憧れが描かれているようです。

 

チャイコフスキー: 四季 Op. 37b - 6月 舟歌
イリヤ・ラシュコフスキー

18の小品 作品72の5: 瞑想曲
牛田智大

 

次の2曲も“憧れ”を意識した作品です。最初はヴァイオリンとピアノのための作品『なつかしい土地の思い出』からの1曲。“なつかしい土地”とは、チャイコフスキーのパトロンだったフォン・メック夫人の領土“ブライロフ”のことと言われています。曲集を完成させたのも、ふたたびこの土地を訪れてのことでした。美しくのびやかな旋律からは、幸せだった日々を懐かしみつつ、それが遠いものであるというほのかな哀しみも感じられます。
歌曲「ただ憧れを知るものだけが」は、ゲーテの長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の登場人物である薄幸の少女ミニヨンが作中で歌う「ただ憧れを知る者だけが」のロシア語翻訳(レフ・メイによる)に作曲されたものです。痛みを感じるほどの愛に苦しみながらも、どこか陶酔するかのような曲想は、どこかゲイ特有のナルチシズムも感じさせます。

 

チャイコフスキー:なつかしい土地の思い出 作品42 メロディ 変ホ長調
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン) ロシア・ナショナル管弦楽団 ヤコフ・クライツベルク(指揮)

♪​​​​​チャイコフスキー: 6つの歌 Op. 6 - 第6曲 ただ憧れを知る者だけが
リューバ・カザルノフスカヤ(ソプラノ)/リューバ・オルフェノワ(ピアノ)

 

愛の告白と葛藤

近年、チャイコフスキーの音楽は、彼の奔放ともいえる恋愛遍歴をなしには語れなくなってきました。多くの作品が彼の愛した男性たちへの想いから作曲されているのです。幻想序曲「ロミオとジュリエット」は、彼が心から愛したペテルブルク音楽院の学生であるエドワルド・ザークという青年と関係があるようで、とくに中間部は彼に対する“愛の告白”ともいわれています。
ピアノ協奏曲第1番はピアニスト・指揮者であるハンス・フォン・ビューローに献呈されましたが、一説では19歳という若さでピストル自殺をしたザークの死とも関連があるといわれています。明確に愛の告白や死を悼む箇所が出てくるわけではないので、どれほどザークへの愛や彼の死がこの作品に影響を与えたのかは定かではありませんが、曲全体を包む激しい葛藤、そして第2楽章のシャンソンを元にした旋律などを聴くと、彼への想いが見えてくるような気もしてきます。

 

チャイコフスキー:幻想序曲《ロミオとジュリエット》
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 プラハ交響楽団

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23: 第2楽章: Andantino semplice - Prestissimo - Tempo I (Live at Philharmonie, Berlin)
エフゲニー・キーシン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ヘルベルト・フォン・カラヤン

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23: 第3楽章: Allegro con fuoco (Live at Philharmonie, Berlin)
エフゲニー・キーシン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ヘルベルト・フォン・カラヤン

 

悲愴? 熱情!?

ザークについて「彼ほど強く僕が愛したものはほかにはいなかったように思う」とまで日記に書いていたチャイコフスキーでしたが、その想いはどこへ……? さらにハマってしまった恋がありました。今度のお相手はヴラディーミル・ダヴィドフという青年で、なんとチャイコフスキーの甥です。ボブと呼びかわいがり、彼が成人するまでは(!)プラトニックな関係を続けていました。52歳で完成させたこの「悲愴」には、愛する者への深く強い愛情が込められていたようです。作品は実際にボブへと捧げられました。なお、この「悲愴」、チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で“情熱的”“熱情”などを意味する“патетическая”(パテティーチェスカヤ)であり、書簡ではフランス語で“Pathétique (パテティーク)”と書いていました。こちらもやはり“熱情”という意味も含んでいるため、けっして“悲しみ”だけに支配された作品ではないといえるでしょう。

 

交響曲 第6番「悲愴」〜第1楽章(チャイコフスキー)
ウラジーミル・フェドセーエフ 指揮、モスクワ放送交響楽団

交響曲 第6番「悲愴」〜第2楽章(チャイコフスキー)
ウラジーミル・フェドセーエフ 指揮、モスクワ放送交響楽団

交響曲 第6番「悲愴」〜第3楽章(チャイコフスキー)
ウラジーミル・フェドセーエフ 指揮、モスクワ放送交響楽団

交響曲 第6番「悲愴」〜第4楽章(チャイコフスキー)
ウラジーミル・フェドセーエフ 指揮、モスクワ放送交響楽団

 

優しさと愛情の詰まった『くるみ割り人形』

こうしてみると、チャイコフスキーの恋愛は年下の男性とのものが多く、幼さやはかなさを感じるものを深く愛する人だったのだなということが浮かび上がってきます。チャイコフスキーは本当に恋多き人だったようで、数多くの男性と浮名を流し、日記や書簡にも非常に熱い想いが吐露されています。それだけを見ると若干引いてしまいますが(笑)、見方を変えれば愛情にあふれ、また愛する対象のすばらしさをじっくりと見つめ、素直に讃えることができる人物であるということでもありますね。それは美しい旋律や色彩感豊かな和声、そして交錯するリズムといったところにも表れているのではないでしょうか。夢と希望に満ちた『くるみ割り人形』は、チャイコフスキーの優しさや愛情を存分に感じることができる作品でもあるといえるでしょう。
この『くるみ割り人形』を映画化した『くるみ割り人形と秘密の王国』(ディズニー)の公開も間近ですね。予告映像などを見ると、チャイコフスキーの楽曲がアレンジされたものが使用されていますので、ぜひこちらで原曲をじっくりと予習して映画に臨んでいただければ、映画もより楽しんでいただけるはずです!

 

バレエ《くるみ割り人形》作品71 / 第1幕: 第2曲: 行進曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/セミヨン・ビシュコフ

バレエ《くるみ割り人形》作品71: d)トレパック(ロシアの踊り)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/セミヨン・ビシュコフ

バレエ《くるみ割り人形》作品71: 第13景:花のワルツ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/セミヨン・ビシュコフ

バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71より 花のワルツ
上原彩子

バレエ《くるみ割り人形》作品71: a)導入部
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/セミヨン・ビシュコフ

バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71より アンダンテ・マエストーソ
上原彩子

バレエ《くるみ割り人形》作品71: c)第2ヴァリアシオン(こんぺい糖の踊り)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/セミヨン・ビシュコフ

 

いかがでしたでしょうか? 稀代のメロディメーカーであるチャイコフスキーの作品は、多くの恋愛が背景にあるようです。恋愛は感情を大きく揺さぶられるものですから、飽きることなく恋愛を続けたチャイコフスキーの心のなかは絶えずイマジネーションにあふれていたのではないでしょうか。美しい旋律や和声の影に隠れた彼の激しい想いを想像してみると、作品から新たな一面も見えてくるかもしれませんね。

“ハイレゾで味わうクラシック”から数えれば1年と4ヵ月にわたって続いて参りましたこちらのクラシック連載ですが、今回でエンディングとなります。ご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。またどこかでお目にかかれる機会があることを願っています! どうかこれからも音楽をおいしく、楽しく味わってくださいね。