【まつりの作り方】鉄工所で始まる新たな祭り~鉄工島フェス(東京都大田区京浜島)


羽田空港のほど近く大田区の湾岸エリアに浮かぶ人工の島、京浜島—。
東京ドーム22個分にあたる103ヘクタールの土地に数多くの鉄工所がひしめき合うこの島は、長きに渡って日本のものづくりの土台を担ってきた鉄工所の島でもあります。時代の変化とともに姿形を変えつつあるこの島で、2017年、「鉄工島フェス」というフェスが産声を上げました。

会場となるのは現役の鉄工所。これまでに石野卓球、七尾旅人、PBC、yahyel、VIDEOTAPEMUSIC、TRI4THなどが出演したほか、漫画家の根本敬による巨大絵画のお披露目が行われたり、SIDE COREとコムアイ(水曜日のカンパネラ)の展示プロジェクトが発表されたりと、他のフェスにはないプログラムが話題を集めてきました。いわば都市型のアート・フェス/音楽フェスとしてスタートしたこの鉄工島フェスは、京浜島で働く人々との関わりを強め、島の歴史に潜り込んでいくなかで、徐々に「新しい祭り」という意味合いを強めるようになりました。

最先端のアートスポットであり、新たな祭りを創造する場所へと生まれ変わりつつある京浜島。この島ではいま、いったい何が起きているのでしょうか? 鉄工島フェス実行委員会の事務局長である伊藤悠さんの話を軸に、島の今と昔を探ってみました。

「人工の島からクリエイトできるものがあるはず」

「廃棄物の島からクリエイトできるものがあるはず」(1)

 

前回の東京オリンピックが開催された1964年前後、東京の工業は大きく発展しました。湾岸エリアもその恩恵を受け、なかでも京浜島からも近い蒲田周辺は多くの町工場で賑わったといいます。そんな蒲田も時代の変化とともに、工業地帯から住宅地へ。騒音や公害の問題などから、残された工場も退去を迫られるようになります。そうした工場を集めるべく開発が進められたのが、京浜島など湾岸エリアに新しく作られた島々でした。

京浜島という名前が付けられたのは1970年代半ば。現在に比べればまだまだ中小の工場が元気だったとはいえ、当時は高度経済成長がひと段落し、オイルショックの真っ只中。そんななか、大小さまざまな鉄工場が京浜島で操業を開始しました。鉄工島フェスの舞台となるのは、京浜島で最初の鉄工場となる須田鉄工所のほか、酒井ステンレスや北嶋絞製作所など、いずれもこの島で古くから操業を続ける鉄工所ばかりです。

 

「廃棄物の島からクリエイトできるものがあるはず」(2)「廃棄物の島からクリエイトできるものがあるはず」(3)「廃棄物の島からクリエイトできるものがあるはず」(3)

 

長引く不況やアジア諸国の経済発展の影響を受け、そんな京浜島の工場群も次々に閉鎖。跡地には廃棄物処理場やリサイクルセンターが建てられているといいます。ものを「作る」場所から、「処理する」場所へ。京浜島は、まさに日本の経済構造の変化をダイレクトに反映する形でその様相を変えているのです。鉄工島フェス実行委員会の事務局長である伊藤悠さんは、鉄工島フェスの目的のひとつともなっている京浜島の問題をこう指摘します。

「京浜島では島に働きにやってくる若い世代が減っているそうなんです。労働者を確保するため、工場の方々はアジアの他の国で就職説明会を開いてるんです。昔から島にいる人たちは京浜島を「ものづくり」の島だと考えていて、そのことに対してプライドも持っている。鉄工島フェスのような祭りをすることで、京浜島がものづくりの島だと知ってほしいし、たとえ人工の島だったとしても、そこからクリエイトできるものがあるはずだという考えが鉄工島フェスの根っこになってるんです」

 

京浜島に生まれつつある新たなコミュニティーと信仰

猫が逃げない良いまつり! 京浜島に生まれつつある新たなコミュニティーと信仰(1)

 

鉄工島フェスの原点となる場所が、2016年にオープンしたオープンアクセス型のアートファクトリー、BUCKLE KÔBÔ。須田鉄工所の一部だった2階建ての工場を借り受けたこのアートファクトリーの始まりについて、BUCKLE KÔBÔの発案者でもある伊藤さんはこう話します。

「上海の莫干山路や北京の798地区、ニューヨークのブルックリンみたいに、工業地帯にアーティストが住むことで地域が活性化するケースは世界各地に見られるんですが、日本ではなかなかそういう場所がない。東京はやっぱり家賃が高くて、どうしても郊外や地方になってしまうんですね。BUCKLE KÔBÔの場所は寺田倉庫(*アート関連事業にも力を入れている倉庫業者)が借りており、工場だけあって音も出せるし、火も使えて、なおかつ天井も高い。こういう場所をアートファクトリーにできたらいいんじゃないかと思って、クラウドファウンディングを企画したんです」(伊藤さん)

BUCKLE KÔBÔのオープンに向けたクラウドファウンディングは見事に目標金額を達成。無事、オープンに漕ぎ付けます。現在では「都市空間における表現の拡張」をテーマとするアート・コレクティヴ、SIDE COREがプロジェクトメンバーであるほか、約10人ほどのアーティストがBUCKLE KÔBÔで制作を行っています。

 

猫が逃げない良いまつり! 京浜島に生まれつつある新たなコミュニティーと信仰(2)

2017年3月にBUCKLE KÔBÔで行われた「鉄工島 LIVE vol.3 - 2DRUMS JAM meets Madoki Yamasaki(伊藤隆郎、井上司、山崎円城)」の模様

 

また、このBUCKLE KÔBÔではオープン当初からライヴ・イべントを開催。鉄工島フェスの発想は、そうしたライヴ・イべントの延長上に生まれました。伊藤さんは「もともと私たちが音楽好きだったということもあるけど、やっぱり鉄工所の方々が音に対して寛容だったことが大きいですね」と話します。

「京浜島では普段から工場の大きな音が鳴ってるし、空港も近いので常に頭上で飛行機の轟音が鳴ってます。居住空間じゃないということも大きいと思う。ただ、イべントのなかには重低音のものもあって、島に住む猫たちが逃げちゃったことがあるんですよ。京浜島には昔、猫の殺処分場があったらしくて、彼らはそこから逃げてきた猫の子孫なんです。京浜島では猫が一番偉いので、工場のおじさんたちは重低音のイべントが嫌いみたいで。鉄工島フェスは猫が逃げなかったから(工場の方々から)いいイべントに認定してもらえたらしいです(笑)」

余談ではありますが、近年になって新たな工業地域として開発された京浜島には、神社のような信仰の場所がありません。そのため、伊藤さんと須田鉄工所の須田さんのあいだでは、殺処分場で命を落とした猫たちの供養も兼ねて「猫神さま」を祀るというアイデアも出ているとか。たとえ戦後になって作られた人工の島であっても、京浜島にはさまざまな物語と歴史があり、「猫神さま」という形で新たなコミュニティーと信仰も生まれつつあるのです。

 

2017年初頭にBUCKLE KÔBÔで撮影されたTRI4TH & カルメラのビデオクリップ「HORNS RIOT」

 

オープンしたBUCKLE KÔBÔはアートファクトリーやイべントスペースとしてだけでなく、ビデオクリップなどの撮影スタジオとしても使用されるように。伊藤さんは「(漫画家の)根本敬さんがゲルニカ大の作品を作りたいと言ってきてくれたことも大きくて」と話します。

「半年かけて巨大な絵画を制作するというので、お披露目の機会を作りたかったんですね。それまでに関わりを持つようになったバンドやアーティストも増えたし、アートだけじゃなくて、音楽も含めたイべントをできないかという発想が生まれてきた。それが一回目の鉄工島フェスになっていったんです。私のなかではミシェル・ゴンドリーの『ブロックパーティー』(2004年)っていう映画みたいに、道の真ん中でイべントをやりたいという思いもありました」(伊藤さん)

 

祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル

 

2017年に開催された第一回目の鉄工島フェスの模様

 

第1回目の鉄工島フェスは、2017年9月30日と10月1日の2日間開催。さまざまなライブ・パフォーマンスが繰り広げられただけでなく、塚本晋也監督の『鉄男』などの映画作品も上映。改造車が公道をキャラバンするアートカー・パレードも行われるなど、数多くのプログラムが展開されました。

鉄工島フェスの重要な要素となっているのが、先述した根本敬の「新ゲルニカ」でも行われた滞在制作。それはいわば京浜島という場所に息づくものを作品化する作業ともいえるかもしれません。昨年行われた2回目の鉄工島フェスでも、2組の滞在制作が行われました。

「鉄工所とアーティストのコラボレーションにはやっぱり力を入れたいと思ってます。今回も早い段階から特殊金属のへら絞り加工を専門とする北嶋絞製作所とSIDE CORE&コムアイさん(水曜日のカンパネラ)、須田鉄工所と和田永さんによるプロジェクトを設定していました。工場の人たちからすると京浜島は『日常』なわけですけど、クリエイターからしてみると『非日常』。祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフルのなかから、思ってもいなかったものが生まれるんじゃないかと考えてたんです」(伊藤さん)

 

祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(1)

 

SIDE COREとコムアイは北嶋絞製作所に日々鳴り響いている音をレコーディング。巨大な加工製品が積み重ねられた北嶋絞製作所の隅々にスピーカーを仕掛け、編集した音を再生するというサウンド・インスレーションを制作しました。また、ブラウン管テレビや換気扇、扇風機などの電化製品を改造して電磁民族楽器化するプロジェクト「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」の発案者である和田永は、電化製品の改造楽器によるバンドを結成。須田鉄工所で日夜練習を繰り広げ、フェス当日にはニューオーダーの“Blue Monday”のカバーも披露して会場を盛り上げました。

「和田さんのプロジェクトでは、須田鉄工所にブラウン菅ドラムを乗せる台も作ってもらいました。あと、BUCKLE KÔBÔの隣のスペースで旋盤工をやってる江沢さんが使ってる扇風機を借りて、扇風機ベースを作ってもらったり(笑)」(伊藤さん)

 

祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(2)

 

なお、和田永のパフォーマンスの際には扇風機の持ち主である江沢さんも飛び入り参加。アート/音楽の最先端の表現と京浜島のコミュニティーが手を繋ぐ瞬間はまさに奇跡的なものでした。和田永やSIDE CORE&コムアイが試みたのは、古ぼけた電化製品や加工金属に擬似生命を宿らせるという、現代的かつ想像力に満ち溢れた儀式のようなものだったのかもしれません。

 

祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(3)

 

また、須田鉄工所の倉庫で石野卓球やyahyelが大音量でパフォーマンスを繰り広げ、レーザーが飛び交う光景は、まさに東京版ウェアハウス・パーティーといった趣き。徐々にかつての活力を失いつつある京浜島という工業地帯が、極めて魅力的な祝祭空間に変容しうることも再認識させられました。

 

祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(4)祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(5)祭りだからこそ実現するクリエイターとファクトリーのシャッフル(6)

 

「自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)」

「自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)」(1)

 

先述したように鉄工所やリサイクルセンターで働く人々にとって、京浜島はあくまでも労働の場であって、居住地ではありません。工業専用地域に分類されていることから、本来は住民票の受付もできないほか、コンビニのような商業施設を作ることもできないとか。伊藤さんによると、たとえそんな地域であったとしても、京浜島の方々は島に対して強い愛着を持っているといいます。

「このあいだ工場の方と話していたら、『40年間この島に通うなかで、ようやくウチの島と言えるようになった』とおっしゃっていたんです。『ウチの島をなんとかしなきゃ』という意識が芽生えつつあるんでしょうね」(伊藤さん)

 

「自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)」(2)「自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)」(3)「自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)」(4)

 

現在の京浜島では、歴史のない(とされる)新興住宅地や団地に新たなる「土着性」や「コミュニティーの物語」が芽生えるように、ある種特殊な形で「郷土愛」が生まれつつあるのです。そうした地域との関わりを深めていくなかで、鉄工島フェスもコミュニティー活動としての側面を強めています。結果、アート・プロジェクトとして始まった鉄工島フェスは、この連載で取り上げてきた新たな祭りや各地の団地祭りに近づいているともいえるでしょう。鉄工島フェスがめざすものについて、伊藤さんはこう話します。

「鉄工島フェスのときには、あらゆる人がひとりの表現者として対等になればいいなと思ってるんですよ。祭りってそういうものかもしれないけど、町で働く人もアーティストもミュージシャンもお客さんも全部平等、そんなものになったらいい。鉄工所のオジさんたちのなかには『自分たちも発信したい』と言ってくれてる人たちもいて、自分たちが予測していなかった事態が起きつつあるんです(笑)。ハレの日の一日だけ、京浜島が夢の島みたいになって、島のいろんな場所でおかしな出来事が起きたらおもしろいんじゃないかな」

2020年夏には京浜島にも近い羽田に3,000人規模のコンサート・ホール「Zepp Haneda」のオープンも予定されており、羽田空港周辺の湾岸エリアは急ピッチで再開発が進められています。鉄工島フェスやBUCKLE KÔBÔの試みはそうした時代の変化と呼応するものであると同時に、祭りや文化の力によって地域の価値を反転させていこうというクリエイティヴな試みでもあります。

「湾岸エリアって羽田に降り立った人たちが通過するだけの場所なんですよね。でも、ここで何かが起きることで、少しずつ人が立ち寄るエリアになったらいいなと思ってて。大田区に限らず、あちこちで空き工場が増えているし、工場跡地をどのようにリノベーションしていくかは大きな課題になってるんです。そこで文化の力が再認識されていると思います」

 

鉄工島フェス実行委員会事務局長/BUCKLE KOBO運営の伊藤悠さん

鉄工島フェス実行委員会事務局長/BUCKLE KÔBÔ担当の伊藤悠さん

BUCKLE KÔBÔウェブサイト
https://buckle-kobo.tokyo/ja/

 

鉄工島フェス・ウェブサイト
https://tekkojima.com/

 

Text:大石始
Photo:大石慶子