早いヤツほどよく売れる?! 10選【百歌繚乱・五里夢中 第17回】


こんにちは。今回は「悪いヤツほどよく眠る」ならぬ「早いヤツほどよく売れる」。何のことだかわかりませんかね。すみません。早くできた曲のほうがヒットする……のかも?って話です。

音楽の神様のイタズラ?


ひとつの曲ができるまでの時間って、まちまちですよね。悩んで、もがいて、苦しんで、ようやくできる場合もあれば、するするっとできてしまうこともあるでしょう。ところが、かかった時間(≒苦労の量)とその曲の良し悪しは、まったく正比例しません。
それどころか、簡単にできてしまった曲が大ヒットした例はいくつもあるのです。いいですねぇ、まさに”濡れ手で粟”とはこのことですが、いったいなぜでしょう?

私には曲を作れる才能はないので具体的にはよくわかりませんが、メロディを、あるいは歌詞を思いつくときって、考えると言うよりは、ある瞬間フワッと湧いてくるような感じみたいです。”降りてくる”という言い方をする人も多いようですが、つまり、おそらく人智を超えたところで起きる、”超常現象”みたいなものなんじゃないでしょうか?言葉を変えれば”神”。音楽の神様がメロディや言葉を持ってきてくれる。

神様は気まぐれで、いつ来てくれるかはわかりません。なかなか来てくれないときも、やはり締切はあるので、人の力でなんとかせねばなりません。そういうときは苦労もするし、時間もかかる。でもタイミングがよければ、神様が持ってきてくれた曲を書き出すだけ。そして、神様が作ったものだから、いい曲に決まっています。

早くできるって、そういうことなのでは?と私は推測しています。きっと、たとえばポール・マッカートニーやジョン・レノンやバート・バカラックには、ある時期、音楽の神様が常駐していたんじゃないかな。

ただまあ、実際、早くできたかどうかは、あくまでもその作者自身にしかわからないわけですから、本人が語っているならまだしも、伝わってくるうちに話が倍になっているなんてことも往々にしてあるので、真実はというと、それこそ、”神のみぞ知る”なんですけどね。

 

早いヤツほどよく売れた10曲


①The Beatles「Here, There and Everywhere」(from 7th アルバム『Revolver』:1966年8月5日発売)

ポール・マッカートニーはこの曲を、”The Beach Boys”の『Pet Sounds』(1966)収録の「God Only Knows」に多大なインスピレーションを得て書いたと公言しています。

その『Pet Sounds』はビートルズの『Rubber Soul』(1965)に大きな影響を受けているのですが、1966年5月17日、ロンドンで開かれた『Pet Sounds』のプライベート試聴パーティに、ポールとジョンが出席しました。ポールがこの「Here, There and Everywhere」を作るのはその2週間後です。ウェイブリッジにあったジョンの家を尋ねると彼はまだ寝ていて、起きるのを待つ間に、曲が浮かぶんですね。試聴会の余韻がそれを運んできたのかもしれません。

「僕はプールサイドのイスに座ってギターでEのコードを爪弾いた。そしたらアイデアが湧いてきて、ジョンが起きてくるまでにあらかたできてしまった。その後部屋に入って、彼と一緒に仕上げたよ」とポールは語っています。

 

②The Rolling Stones「(I Can't Get No) Satisfaction」(シングル:1965年6月6日[米]、1965年8月20日[英]発売/from 4th アルバム『Out of Our Heads』[米盤]:1965年7月30日発売)
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ビートルズには負けられないってことで、ストーンズにもあります、早いヤツ。

この曲の、あまりにも有名なギターリフ、キース・リチャーズがどうやら寝ている間に作って、カセット・レコーダーに録音したらしいのです。自分ではそれを作った覚えがなかったのですが、朝起きて、カセットを聴いてみると、2分ほど、アコースティック・ギターを弾いた後、ピックが落ちる音、その後約40分の寝息が入っていたそうで。場所も、ホテルだったか、アメリカだったかイギリスだったか、いや自宅だったかと曖昧で、まさに夢のような話。

それが、バンド初の全米1位、年間でも3位という特大ヒットとなり、ストーンズを一挙に世界的スターのレベルに押し上げることになるのですから、たまりません。

ちなみに、キースはあのリフを、後でホーン・セクションが演奏する構想で、ギターはあくまでガイドのつもりだったそう。なので、出来上がりには不満、シングルにすることにも反対していたそうです。

 

③ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」(シングル:1966年10月25日発売)

黒澤明監督の息子、黒澤久雄が、成城大学の学生時代に作ったのが”ザ・ブロードサイド・フォー”というフォーク・グループ。ちなみに森山良子は黒澤久雄の大学の後輩。

この曲は、1966年にフジテレビで放送されたドラマ「若者たち」の主題歌として作られました。

演出の藤田敏雄が作詞を担当しましたが、打合せの日まで何もできず、とは言え手ぶらでは行けないので、家を出る前40分くらいで、一応3番まで作って持っていったら、作曲の佐藤勝と番組プロデューサーは「こんな詞が欲しかった」と大喜び。さらに、打合せ後佐藤は、タクシーの中でメロディが浮かび、帰宅してピアノに向かうと5分もかからずに曲ができたそうです。詞曲合わせて45分の早上がり。

”ザ・ブロードサイド・フォー”が歌うことになったのは、佐藤勝が黒澤作品の音楽も手がけていたつながりから。ただし、彼らは学生の間だけの活動と決めており、レコードが発売されたときにはもう解散していたそうです。なんと欲のないこと!

 

④南こうせつとかぐや姫「神田川」(シングル:1973年9月20日発売/from 3rd アルバム『かぐや姫さあど』:1973年7月20日発売)
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南こうせつ曰く、「僕は作曲に時間をかけない。『神田川』はその中でも最短。」だそうです。

作詞の喜多条忠が、できあがった歌詞を電話で伝えましたが、それを聞きながら紙に書き取るのと同時進行で、メロディがどんどん浮かび、電話を切ったときにはもうでき上がっていたといいますから、今回取り上げた中でも最速です(^^)。

あまりにも簡単にできてしまったので遠慮したのか、当初はアルバムの1曲で、シングルにするつもりはなかったそうですが、こうせつがパーソナリティを努めていたTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」でオンエアしたところ、リクエストが殺到、急遽シングル・カットすると見事オリコン1位。まさに”早いヤツほどよく売れる”典型となりました。

年末の「第24回NHK紅白歌合戦」から出演依頼も来たのですが、歌詞の2番に登場する”クレパス”が商品名であることから、それを”クレヨン”に変えて歌って欲しいと言われ、それを拒否、出演を辞退しました。当時は視聴率75%を誇った紅白ですが、フォークはテレビなんて出なくて当たり前、むしろ出ることがマイナスに働くこともありましたからね。

ちなみに26年後の1999年、「第50回NHK紅白歌合戦」に”初”出場、「神田川」を歌っています。”クレヨン”と変えてはないと思います。

 

⑤加藤和彦と北山修「あの素晴しい愛をもう一度」(シングル:1971年4月5日発売)
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当初、”シモンズ”のデビュー曲として依頼されて作った、というのは有名な話ですが、なぜ、自分たちで歌うことになり、シモンズは急遽「恋人もいないのに」に切り替えたのか、という理由は不明です。

私の推理ですが、その時、東芝音楽工業(当時…すごい名前だね(笑))のディレクターだった新田和長が、デモを聴いて「いい曲だ。売れる!」と思い、どこの馬の骨とも分からない新人にあげるよりは、加藤たちに歌わせ、あわよくば”フォーク・クルセダーズ”再結成!てなことに転がっていけばいいな……なんて考えたのではないでしょうか?

けれど本人たちにはその気はまったくありませんでした。ジャケットの写真でまるでカメラを無視しているのは、その気持の現れでしょうか。

それはともかく、「曲は5分で書いた」というのが伝説となっています。加藤和彦本人がそう語ったらしいのですが、北山修によれば「歯を食いしばったりしているところを見せたくない人だから」。そのメロディに対し、北山は一晩で詞を書き上げたそうです。

 

⑥大滝詠一、佐野元春、杉真理「A面で恋をして」(シングル:1981年10月21日発売/from アルバム『Niagara Triangle vol.2』:1982年3月21日発売)
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売り上げという点では長らく低迷していた大滝詠一ですが、1981年3月に『A Long Vacation』という特大逆転ホームランを放ち、俄に身辺慌ただしくなってきたところへ舞い込んだのが、資生堂の”秋のキャンペーンCMイメージソング”というタイアップ話。

並の音楽業界人ならば「ラッキー!」なんて喜んじゃうところですが、そこは大瀧さん、シングルがあまり売れると大滝詠一の”顔”みたいになっちゃうから断ろう、と思ったそうです。で、断るために打合に参加したら、「キャッチコピーだけでも聞いてください」「いいけど」「”A面で恋をして”というのです」……と聞いた瞬間、メロディができちゃった!らしい。

だけどやっぱり、売れ過ぎるのはよくないなと悩んでいると、そうだ、「ナイアガラ・トライアングル」の第2弾にすれば、大滝詠一が前面に出ないで済むと思いつき、一挙解決?

ただ、フタを開けてみると、出演タレントのスキャンダルが原因で、CMはたった1週間で打ち切り。おかげで、幸か不幸か、ビッグヒットとはなりませんでした。

 

⑦Toto「Hold the Line」(1st シングル:1978年10月2日発売/1st アルバム『TOTO』:1978年10月15日発売)
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第7回「ナイス♪ ピアノ・ロック」のときにも取り上げさせてもらった、大好きなこの曲も、”早いヤツ”なんですな。もっともこれも、デヴィッド・ペイチが語ったところによると、ですが。

「イントロ部分の3連ピアノ・リフを弾き始めたら止まらなくなって、何日も弾いてた。ある時、サビの”Hold the line, love isn't always on time”が浮かんで、歌ってみると、次々に言葉とメロディが出てきて、2時間で完成した。曲というもの、たまにこんなふうにすぐできることもあるけど、時には2年間かかることもある。」

というようなことを、英語で語っておられます。

デビュー・シングルとして発売すると、見事全米5位のヒット。スタートからバンドは軌道に乗ることができました。

 

⑧Kate Bush「Wuthering Heights(嵐が丘)」(1st シングル:1978年1月20日発売/from 1st アルバム『The Kick Inside(天使と小悪魔)』:1978年2月17日発売)
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これもデビュー・シングルです。発売年もTOTOといっしょの1978年。

この時、ケイト・ブッシュは19歳ですが、この曲を作ったのは18歳。エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」を元にBBCが1967年に制作したテレビ・ドラマを観て、そのラスト10分間にインスパイアされ、深夜2、3時間で書き上げたそうです。

そして見事、デビューいきなりの英チャート1位。

ただ、当初このシングルの発売日は1977年11月4日だったそうで、もしその通り発売していたら、同年11月11日発売で200万枚超ヒットの、Wings「Mull of Kintyre」があったので、1位にはなれなかったはずです。

発売日を翌年1月20日に延期したのは、実はケイトがシングルのジャケットの写真が気に入らず、差し替えを要求したため。さすが、19歳とは思えない大物ぶりです。

 

⑨The Police「Every Breath You Take(見つめていたい)」(シングル:1983年5月20日発売/from 5th アルバム『Synchronicity』:1983年6月17日発売)
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1984年第26回グラミー賞にて、”Song of the Year”を獲得した名曲にして、83年年間全米1位というポリス最大のヒット曲も、時間はかかりませんでした。

1982年、スティングは妻で女優のフランシス・トメルティ(Frances Tomelty)と別れ、トゥルーディ・スタイラー(Trudie Styler)と交際を始めますが、なんと彼女たちは親友で、何年も隣に住んでいたということから、大きなゴシップになりました。衆目から逃れるため、彼はカリブの島に逃げましたが、そこでこの曲ができたのです。

「深夜ふとアイデアが浮かんで目が覚めた。ピアノに向かって30分ほどで完成させた。メロディはよくある循環コードだけど、詞は面白いと思った。甘いラヴソングのように見えるが、実は”Big Brother”のような監視管理社会のことを考えていた。」とスティングは語っています。

ただ、スティングが作ったデモは、シンセでコードを弾き伸ばしているだけでした。もしもアンディ・サマーズのあのギター・リフがなければ、ここまでの成功と評価はなかったかもしれないことは、本コラムの第5回「ナイス・リフ/ギター編」でも書いた通りです。

 

⑩The Beatles「Yesterday」(シングル:1965年9月13日[米]/from 5th アルバム『Help!』[英盤]:1965年8月6日発売)

​​​​​​​最後にもう一度ビートルズに登場願いますが、これはもうほんとによく知られた、ウソみたいなマコトの……夢にこの曲が現れたというお話。

当時、ポールはジェイン・アッシャー(Jane Asher)という女性とつきあっていまして、彼女のウチに寝泊まりもしていたんですね。ちなみに、ジェインにはピーターというお兄さんがいまして、これが”Peter and Gordon”で活躍し、後にジェイムズ・テイラーやリンダ・ロンシュタットをプロデュースするピーター・アッシャーです。

で、夢を見たのはこのジェインの家でのある夜のこと。夢の中でこの曲の全体が流れたのです。ポールは、目覚めるとすぐピアノで音を確認し、書き留めましたが、自分で作った自覚はありません。ひょっとして無意識に誰かの曲が出てきたのかもしれないと思い、1ヶ月くらいは周りにいる音楽関係者たちに、この曲を聴いたことがあるかと尋ね回りましたが、全員否定したので、ようやく自分のものだと納得したそうです。

それにしてもこの、”世界で最も多くカヴァーされた曲”としてギネス認定されている曲が、英国ではシングル発売されていない(76年になって発売)のと、日本では「Act Naturally」のB面だった(やはり76年にA面で再発)ことには驚きです。

 


以上、”早いヤツほどよく売れた”10曲でした。
私は特に、”神の存在”は意識しておりませんし、それより自分の”髪の存在”のほうが気になっていますが、やはり、特に最後の「Yesterday」の話なんて、音楽の神様がいるとしか考えられないですよね。
まぁ、もしくは人間の脳には、まだまだ解明されていない、すごい力が隠れているということか。でもだったら誰にだって、何かのスイッチが入れば、曲が作れたり、詞を書けたり、絵を描けたり……してもいいですよね。
ところが、そうはいかないんだよなー。

いやぁ、それにしても、音楽ってちっとも飽きないですねー♪