アフロビートを生みだしたレジェンド・ドラマー! トニー・アレンが語る“進化するオリジナリティ”

フェラ・クティが率いたバンド「アフリカ70」の一員として、アフロビートの創成を担ったドラマー、トニー・アレン。近年はクラブ・ミュージック系のアーティストとのコラボレーションが多いが、彼名義の作品としては2017年にブルーノートよりリリースされた『A Tribute To Art Blakey and the Jazz Messengers』にあるように、自身が影響を受けたジャズへの傾倒を見せている。
この作品のツアーでブルーノート東京に来日したアレン本人に、アフロビート創成の話を中心にインタビューを行った。また、アレンの公演を見た上々颱風のドラマー・渡野辺マントによる、ドラム目線のライブ・レポートとともに、“誰にも似ていない”本物の個性を確立したアレンの素顔をお届けしたい。
人と比べない。重要なのは、同じ「音楽」というくくりの中で違いをつけること
ーあなたのお父さんはギターを弾いていたようですが、ドラムに興味を持ったのはどうしてですか?
単純に楽器としてドラムが好きになったし、音楽というものをドラムで扱いたいと思ったから。親父はギターを趣味で弾いていたけど、音楽という血を親父から引き継いだことによって、私のミュージシャンとしてのキャリアが存在すると思っている。そこから、単純に“ドラムでプロフェッショナルになろう”という決断をしただけだよ。
ードラムを始めた頃、アート・ブレイキーやマックス・ローチの演奏からハイ・ハットの使い方を学んだようですが、そのことについて教えてください。
ドラムを始めた頃は本当にたくさんのドラマーたちの演奏を聞いていたよ。ジーン・クルーパを知って、そこからブルーノートのいわゆるレジェンドたちに耳を傾けるようになった。例えばアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズとかね。
彼の演奏を初めて耳にした時は、「一体何人のパーカッションがバンドにいるんだ!?」と感じ、本当に彼がひとりで叩いているのかと疑ったぐらいさ。そして彼は私が思う ”ドラムがあるべき姿”を実現していた。私が一番“聴きたいと思える”演奏だったんだ。ブレイキーのようにアフリカン・ルーツのスタイルに影響されたアメリカ人ドラマーの演奏表現を聞いて、“この人みたいに叩きたい”と強く思ったよ。でも、私はアフリカ人だからジャズというルーツを持っていないし、もともとはハイライフ(注:英語圏のアフリカで広がったポピュラー音楽のこと)で育った人間だ。だからこの2つのスタイルを融合させて、他にはない何かになりたかった。
ーハイライフの音楽で、影響を受けたドラマーはいますか?
影響を受けたというか、気づいたことがあったのかな。いろんなクラブに毎晩行って生バンドの演奏、特にドラムに焦点を当ててを聴くようになって……みんな同じように叩いていると思ったよ。いろんな音楽があるけど、ドラムに関してはそのすべてが同じような叩き方だった。それが、私自身がドラムを叩きはじめた時に「何かが間違ってる」と気づかせてくれるポイントだったんだ。あくまでも私の考えだけどね。間違っているというか、“そうじゃないでしょ”っていうか……それに対して自分の中の「答え」を導き出したいと思っていた。
ーフェラ・クティはジェームス・ブラウンから影響を受けていましたが、あなたは彼のバンドのドラマーから影響を受けたことはありますか?
いや、受けていない。ジェームス・ブラウンが私をバンドに誘ってくれたらなと思うことはあったがね。でも、彼には彼がやっていることがあったから仕方がないし、私は自身の演奏というものを創造した。もし、他の誰かと同じようなドラムを叩いていたら、自分のことをミュージシャンとも呼んでいないだろうし、途中でやめていると思う。人と同じことをしていても仕方がないからね。「この人の方があの人よりすごい」って、何を持って言えると思うかね? 重要なのは同じ「音楽」というくくりの中で、違いをつけることだ。
これはドラマーだけじゃなく、作曲家にも言えることだが、作曲によってドラマーが生きてくるというのもひとつだね。私はそれまでしていた仕事を辞めて、ドラマーとしてやっていこうと思った時に決心したことがあったんだ。それは、“One of the best(ベストの中のひとり)”になること。たくさんいるベストたちの中の “ひとり” でいいんだ。
Busy(忙しい)音楽からシンプルな音楽に……それが、アフロビートだ!
ーあなたはフェラ・クティとともにアフロビートと呼ばれる音楽のスタイルを確立しました。あのような独自の音楽を生みだした経緯について教えてください。
確かに私たちが生みだした音楽は“アフロビート”と呼ばれているが、一緒にやり始めた時は“ハイライフ・ジャズ”と呼ばれていた。その頃の私たちがやっていた音楽は忙しくて、情報量の多いものだったから、多くの人に理解されないこともあった。
当時、ツアーでアフリカ各地を回っていた時に、ガーナでのプロモーターがフェラに「君たちがやっている音楽のムードはなんて言うんだ?」って聞いたんだ。その時は「ハイライフ・ジャズ」と答えたけど、私たちの音楽には似合わないワードだったみたいで、「それだとしっくりこない」と言われた。それなら何かしっくりくる呼び方はないのかって、そのプロモーターに尋ねたら「アフロ・ファンクのように、いろんな“アフロ”があるから“アフロなんとか” にすればいい。”アフロビート”がいいんじゃないか」って答えたんだ。フェラと私はその言葉にビックリしたよ。“ぴったりだ”ってね。
アメリカに行ったときは、フェラにこう問いかけた人がいた。「金持ちになりたいのなら、“K.I.S.”を心がければいいよ」ってね。フェラはこう答えた「キス? 誰かにKISSすれば金になるっていうことか?」その人はこう返した「違う。”Keep It Simple”ってことだ」
当時の私たちの曲は、3曲ぶんくらいの要素を無理やり1曲に詰め込んだような、トゥーマッチな感じだった。だから、そのアメリカ人はもっと簡略化してシンプルなサウンドを保つことが成功するやり方だと教えてくれた。そういうアドバイスをフェラは学び、自分の音楽をシンプル化することで、よりグルーヴィーな音楽へと進化した。“グルーヴはグルーヴのためにある”ってことだよね。それを知ってからのフェラは本当に“Fucking Good” な作曲家になったよ。彼のように簡単にいい音楽を書ける人はいまだに見たことがない。天才だよ。Busy(忙しい)音楽からシンプルな音楽に……それがアフロビートだ。
ーでは、フェラと演奏する時のあなたも、シンプルにグルーヴしようと心がけていたということですか?
そうだ。ドラムというものは“自制心”だからね。単にバックで叩き散らかしたいわけではないし、私はドラムを叩きながら音楽の中にいたいと思っている。それはつまり、音楽の中のビートになりたいということ。だから、曲作りにおいてもフェラが先に曲のすべてを書き下ろし、最後に私がドラムを叩く。他のメンバーは私よりも先にそれに沿った演奏をして、最後に私がドラムセットに座ると、そこからいろんな試行錯誤がはじまる。彼が書いた曲に対して、たくさんのパターンを叩いて見せて「これがいいんじゃないか」っていうところにたどり着くんだ。フェラとの音楽制作は毎回そんな感じで、私は最後に登場するんだよ。
変化した私を聞いて欲しい。どんな音楽にだって、私はビートを叩くことができる
ー1990年代後半になると『Black Voices』をはじめ、デーモン・アルバーンらとも共演した『Home Cooking』といった作品をリリースしたのを機に、近年ではジミ・テナーやモーリッツ・フォン・オズワルド、ジェフ・ミルズなど、ダンス・ミュージック系のアーティストとのコラボレーションも増えました。フェラと活動した時代とは変わり、あなたのドラム・サウンドがもっと前面に出たものが多いようにも感じました。こういった作品を作るにあたって、あなたにとって新たなインスピレーションはありましたか?
多くの人に、私が「アフロビートを忘れてしまった」と言われた時期もあったよ。みんな“フェラ・クティのドラム” のほうに聞き覚えがあるからね。でも、そんなことはなかった。なぜなら、私のドラムはあくまで“ビート”なんだ。どう叩くかは結局私次第であって、“こう叩こう”と思えばそういうビートになる。『Home Cooking』はそんな風にして作った作品だ。フェラの次に私が“乗っかれる”新しいトレンドを求めてね。
フェラと離れてから彼とともに録音した楽曲を演奏したことは一切ない。「あの曲をやって」と観客に言われても、「ノー」と答えていた。なぜなら今はもう“フェラのドラマー”じゃないし、私自身“変化”を求めて、それをキープしている。フェラの音楽を聞ききたければ音源を聞けばいい。私の音楽を聞きたいなら、変化した私の作品を聞いてほしいよ。
ーそうやって、いろんなジャンルのミュージシャンと演奏するあなたの演奏を聞くと、あなたのドラムからは音楽のジャンルを超越した普遍性すら感じられます。
それは、私は自分のためにドラムを叩いているわけではなく、いろんなグループのため、彼らの音楽に沿って演奏しているからだろうね。その場で彼らが提示するものに対して、自分が適応するアウトプットで応えるんだ。曲が私を動かしてくれる。だから“普遍性” と言うよりも、それぞれの音楽に沿って”進化している” というほうが正しいんじゃないかな。
食べ物と同じだよ。誰もが毎日同じものを食べているわけではなく、いろんな食べ物を味見するだろう。それと同じで何にでもトライすることが、人生で一番楽しいことだと思う。
どんな音楽にだって、私はビートを叩くことができる。わかるかな?
【LIVE REPORT】
トニー・アレン初のブルーノート東京公演を、ドラマー渡野辺マント(上々颱風)がリポート!
トニー・アレン・セクステット
"A Tribute To Art Blakey & The Jazz Messengers"
※この公演は、2019年 1月23日(水)・24日(木)に行われました。
「もやは“トニー・アレン”というジャンル。既成概念を飛び越える名演奏!」
渡野辺マント
90年代独特なサウンドで注目されたバンド上々颱風のドラム。音楽監督として「平成狸合戦ぽんぽこ」「ギブリーズ・エピソード2」短編アニメ「ちゅー相撲」などスタジオジブリ作品を手がける。作曲家・アレンジャーとして演劇・CMなどの音楽制作も行う。ドラムスクール「ワールドビーツ」主宰。上級クラスでは、トニー・アレンのリズム・パターンをレッスンのカリキュラムに採用。
トニー・アレンのジャズセットを見ていると、素晴らしい盆栽を見ているような気持ちになりました。ダイナミックで、繊細で……生命力を感じる小宇宙がそこにある感じです。アレンのドラムには定型のリズム・パターンがない。そして、リズムのバリエーションがとにかく多い。こうしたパターンかな?って分析しながら聞いているんだけど、どんどんパターンが変わっていく(笑)。とにかく自由。
基本的にはループしているから、キックから始まっているようにも錯覚しますが、いわゆる西洋音楽、ロックでいう“ドン、パン”のドンから入らない。普通ならキックから入るところでも、手からいったりしますね。そういった意味で、ドラムの既成概念を壊してくれます。聞いていると“あ、これ逆だ!”って。粘る感じやプッシュするニュアンスも……超〜いいです(笑)。
トニー・アレンをはじめとしたアフリカの音楽の面白さには、国や地域によってさまざまなパーカッションのパターンが存在する点があります。パーカッション以外の楽器を演奏している人たちも、音楽的なベースにパーカッションのリズムがあり、それを西洋楽器で置き換えたように弾く感覚があるんですね。もちろん生まれ持ったリズム感の違いも大いにあるでしょうが、音楽への入り方がそもそも違うように感じます。
トニー・アレンもその中のひとりではあるんだけど、もっともオリジナリティがあって、もやは“トニー・アレン”というジャンルだと思います。今回のライブはアート・ブレイキーのジャズメッセンジャーへのトリビュートがコンセプトでしたが、いわゆるジャズドラマーのアプローチとはまったく違う。でも、ジャズよりジャズだと感じさせる。
それくらいに自由で、本来はこれこそがジャズなんだと感じました。
(談:1月23日1stステージ後、Bar BACKYARDにて)
<PPRFILE>
●トニー・アレン
1940年生まれ。ナイジェリア出身のドラマー、作曲家。
60年代よりフェラ・クティと共にアフロビートを確立し、フェラ&アフリカ70のドラマーとして活躍。80年以降は自身のユニットをはじめ、デーモン・アルバーン、ジェフ・ミルズ、セオ・パリシュ、ヴラディスラフ・ディレイ等、ジャンルを超えた共演でも注目される。
●トニー・アレン&ジェフ・ミルズ公式Instagram
https://www.instagram.com/tonyallenjeffmills/
『A Tribute To Art Blakey and the Jazz Messengers』
♪mysoundで試聴
●BLUE NOTE TOKYO
http://www.bluenote.co.jp/jp/
<Recommend Live>
●エディ・パルミエリ・サルサ・オルケスタ
ニューヨーク・ラテン界の巨匠が最強のサルサ・オルケスタを率いて繰り広げる白熱のライブ!
2019年4月9日(火)〜4月12日(金)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/eddie-palmieri/
(※ビッグ・バンドのライブを満喫できるスペシャルプランあり)
●スナーキー・パピー“World Tour 2019”
多彩なサウンドと圧巻のグルーヴで世界を席巻。時代の先端を行くジャズ・コレクティヴが最新作を携え来日!
2019年4月11日(木)
@梅田クラブクアトロ
2019年4月12日(金)
@クラブチッタ
http://www.bluenote.co.jp/jp/event/snarkypuppy_testlayout02190204/index20190204.html
Text:伊藤 大輔
Interpretation:Yushi Yanagi
Photo:Great The Kabukicho
Edit:仲田 舞衣