「とにかく音楽をやるだけさ」ブラック・ミュージック界の生きる伝説、ロイ・エアーズの“Aマイナーグルーヴ”

1960年代から活躍するビブラフォン奏者であり、プロデューサーのロイ・エアーズ。名曲「Everybody Loves Sunshine」を筆頭に、彼が作り出した音楽はさまざまなダンス・ミュージックのアーティストたちにサンプリングされ続けるだけでなく、78歳の現在も第一線で自身のバンド、ロイ・エアーズ・ユビキティの活動を続けている。ここでは先日(2019年3月7日〜9日)ブルーノート東京での公演に来日したエアーズをキャッチし、インタビューを敢行。おもに音楽キャリアの黄金期について、話を聞いた。また、彼のキャリアとその音楽が世代を超え愛される理由を考察し、ロイ・エアーズの魅力を紐解いてみたい。
「全員が集まってセッションして、それがすべて上手くいっていた」
—5歳のとき、あなたが両親に連れて行ってもらった、ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)のライブで“マレット(ばち)”をもらったのは有名な話です。あなたの家庭でハンプトンの音楽が人気だったそうですが、育った環境はつねに音楽に溢れていたのですか?
そうだね。両親は楽器は演奏しなかったけど、音楽が好きでよくライブを観に行ったり、家で音楽を聴いたりしていたよ。とても素晴らしい両親だった。
—17歳でビブラフォンを始めた時、どんな練習をしていましたか? 覚えている限りでいいので教えてください。
すごく基礎的なA、B、C……というパターンの練習だよ。私はライオネルからビブラフォンを教えてもらったんだが、ほら、彼はとてもグルーヴィーだろ? そんな感じさ。
—1966年にはジャズフルート奏者のハービー・マンのバンドへと加入しますが、彼のバンドであなたが得たことは何でしたか?
彼から学んだのは、グルーヴ感。特にAマイナーというキーで、どうやってグルーヴさせるかってことだね。一緒に演奏していたミロスラフ・ヴィトウス(Miloslav Vitous)も素晴らしいプレイヤーだったよ。
—1970年の『Ubiquity』をリリースしたのちに、あなたはアルバム名を冠したRoy Ayer's Ubiquityというバンドを結成しますが、その理由や経緯について教えてください。
バンドメンバーはすぐに決まった。バンドを結成したのは、自分が声をかけたミュージシャンたちと演奏したところ、非常にポジティブなヴァイブスがあったから。あれは実に素晴らしかったね。
—その頃はどんな音楽を目指していましたか?
目指していたのは、ジャズに紐付いたファンク。つまりは“ジャズ・ファンク”だね。
—バンドメンバーはどのようにして集めたのですか?
素晴らしいやつらだったよ。Ubiquityのバンドメンバーたちはクラブで会ったプレイヤーだね。バンドに誘ったときに大喜びしてくれたミュージシャンもいたけど、そうじゃないのもいたよ。でもみんなヤバかったよ……とても良い腕の良いミュージシャンだったから、声をかけて、すぐにバンドを結成することができたんだ。
—バンド名義となって初の作品は1972年の『He's Coming』。「We Live In Brooklyn ,Baby」はロン・カーター(Ron Carter)がベースを弾いているそうですね。
そうだよ。
—この曲はどんな風にしてできたのですか?
この頃、私はブルックリンに住んでいて、この曲はよくライブでやっていた。そうしたら、えらく評判が良くて、みんな大好きだったから、アルバムにも入れることにしたんだ。レコーディングも、ニューヨークで行った。
—クレジットを見ると、ドラムにはビリー・コブハム(Billy Cobham)が参加していますね?
そう、「We Live In Brooklyn ,Baby」はコブハムが叩いたドラムだ。すごくタイトなリズムだね。
—この作品(He's Coming)はオルガニストのハリー・ウィタカー(Harry Whitaker)がアレンジでもクレジットされていますが、彼の活躍は大きかったですか?
ああ。彼はホントに素晴らしいプレイヤーだったよ。非常に才能があり、大きな役割を果たしてくれた。何でも自分のものにして弾くことができるし、どんなフレーズでもコピーしてしまうんだ。私とハリーは、ロバータ・フラックのバンドでも一緒に演奏していたよ。
—バンドでのセッション、レコーディングは当時、どんな風に行われていたのですか。セッションをもとにレコーディングしていた? それとも、もっと決め込んでいたのですか?
とにかく全員が集まってセッションして、それがすべて上手くいっていたよ。とてもクールだったね。
—曲はあなたが書いていますよね?
そうだね、大半の楽曲は私が書いていた。
—それをもとに全員で演奏して、イメージを広げていくという感じ?
そうだよ、まさにその通り、良く分かったな(笑)! 何で分かったんだ?
—名曲「Everybody Loves the sunshine」について聞かせてください。この曲はどのようにして生まれ、どんな風にして録られたのですか?
とても自然な流れだった。自分の頭のなかで“こういう曲がいいな”と思っていて、ミュージシャンを集めてそれをやったときに、全員ですごく幸せなヴァイブスを共有できていて……本当に自然に生まれた曲だね。
—この曲もそうですが、いつもメロディから先に生まれることが多いのですか? それとも歌詞が先?
メロディが最初だね、歌詞はその次だ。
—あなたの楽曲はコード感が独特なものが多いですよね?
その通り!
—そのあたりに関して意識したり、こだわっている部分はありますか?
あるよ、とても意識している。美しい人生のことを考えながら、それに合うようなコードを選ぶのさ(笑)。
—この曲はニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオで録られたそうですが?
そうだよ、ジミ・ヘンドリクスが建てた有名な場所だ。
—この曲を録ったときのエピソードで、何か覚えていることはありますか?
そうだなぁ、ダイアナ・ロスとこのスタジオで会ったんだ。ご飯を奢ってくれたよ(笑)。「え、いいの?」って感じだったけど(笑)、彼女はとても素晴らしい女性だったね。
「ジャズ、ファンク、ブルース、ソウル……あらゆる音楽を飛び越えて、本当に好きな音楽をやるだけさ」
—あなたがプロデュースを務めたRAMPについても教えてください。1977年の『Come Into Knowledge』では、あなたの楽曲を多くカバーしていますが、どうしてそうなったのですか?
彼らが私の曲が大好きだったからさ(笑)。彼らがカバーしたバージョンはどれもアグレッシブだったし、気に入っているよ。
—この作品ではあなたはプロデューサーを務めていましたが、彼らにはどんなアドバイスをしたのですか?
“諦めるな”ってことさ。若いやつは途中でいやになってミュージシャンを止めちゃうことがあるだろ? だからとにかく継続して、諦めるなって言ったよ。
—プロデューサーとしてのあなたは、手厳しいタイプだったんですか?
アッハッハ。どうかな。
—79歳のあなたが、今、表現したい音楽はどんなものですか?
とにかく音楽をやるだけさ。ジャズ、ファンク、ブルース、ソウルと、あらゆる音楽を飛び越えて、本当に好きな音楽をやるよ。
—先日、あなたも共演したことがあるフェラ・クティのドラマー、トニー・アレンにこの場所でインタビューしたのですが、彼は今、若い頃の自分が影響を受けたアート・ブレイキーのカバーをしたりしています。あなたもライオネル・ハンプトンのカバーをやったりしないかな?と思ったのですが。
それは考えたことはなかったけど、とてもいいアイディアだね!
—楽器についても聞かせてください。あなたが叩いているマレットに、何かこだわりってありますか?
大事なのは、スタミナがあるマレットかどうか、ってことだな(笑)! ちなみに私は自分で作っているんだよ。
—え!? これも?
もちろん! スティックに自分で糸を巻き付けていくんだ。とても時間と手間がかかる作業だけど、音もいいし、鉄の部品を入れたりして作るのが、楽しいんだよね。
—いつから自作しているんですか?
大昔からだね。
—ビブラフォンは何台持っているのですか?
11台かな。うまく鳴らないものもあるけどね。
—どれが一番のお気に入りですか?
いろんなブランドがあるが……、1980年代のMUSSERが最高だね。
—Ubiquity名義の楽曲であなたが一番気に入っている曲は何ですか?
お気に入りはいっぱいあるから、それは難しい質問だなぁ。「The Third Eye」かな、あれは素晴らしい曲だよ。(ここで歌い出す)。あの曲を収めたアルバムも最高だったな!(笑)
フィーリングで突き進む直感肌のミュージシャン
取材してみて分かったのは、ロイ・エアーズはとにかくパワフルで言葉よりも先にエネルギーが飛び出してくる、そんなタイプのキャラクターの持ち主であったこと。『Everybody Loves Sunshine』をはじめとしたロイ・エアーズ・ユビキティの諸作で聴ける、クールなヴォイシングのフレーズや特徴のあるテンション系のコードなどからも、わりと理論派なのかなというイメージを持っていた。
だが、実はその真逆で、フィーリングで突き進む直感肌のミュージシャンだったのだ。今回のライブでもサポートのミュージシャンに檄を飛ばしたり、各メンバーのソロに耳を傾けたりと、ステージ上のロイは自由そのもの。御大78歳だけあり、ビブラフォンを叩くシーンこそ減ったものの、歌とその独特のグルーヴでオーディエンスを魅了した。
ロイ・エアーズのことをヒップホップやR&Bのアーティストのサンプリング・ソースとして知った人も多いはずだ。僕自身、最初に彼のことを知ったきっかけはア・トライブ・コールド・クエストが「Bonita Applebum」でサンプリングし、インタビュー中にも登場したRAMPの「Daylight」だった。
このように、ロイ・エアーズもヒップホップやR&Bのアーティストたちによるサンプリングによって、再び息を吹き返した一人だった。当時、「サンプリングされることを良しとしない」アーティストも多かったが、彼の場合は「どんなものにでもOKを出した」と、過去のインタビューでも語っている。そうして彼の名曲「Everybody Loves Sunshine」は多くのアーティストたちにサンプリングされ、そのなかでも1994年にリリースされたメアリー・J・ブライジの『マイ・ライフ』のタイトル曲は、大ヒットとなった。またメロウ系のみならず、ファンキーな「Boogie Jack」は西海岸のギャングスタ・ラップ・グループ、N.W.A.の代表曲「Fuck The Police」のネタでもあり、これらをきっかけに多くの若い世代たちにロイ・エアーズの名前が知られるようになった。
そんなロイ・エアーズはインタビュー中にもあるように、ジャズ界のビブラフォンの第一人者、ライオネル・ハンプトンに影響を受けてマレットを手にする。1966年にはフルート奏者のハービー・マンのバンドに参加。69年のヒットアルバム『Memphis Underground』では、ブルージィなサウンドのバックで変幻自在なソロ・プレイを聴かせた。彼の黄金期とも言える70年代には自身のバンド、ユビキティを結成。ビリー・コブハムのタイトなドラムも印象的な「We Live In Brooklyn ,Baby」を収録した『He's Coming』(72年)をはじめ、ブラックスプロイテーションを代表する黒人映画『コフィー』(73年)のサントラなどをリリースし、メロウ路線の傑作『Everybody Loves Sunshine』(76年)、ファンク色の強い『Fever』(79年)など、オリジナリティに溢れる力作を次々と世に放った。
また、先述したRAMPをはじめとしたプロデューサー業にも力を入れるほか、フェラ・クティとの共演作『Music Of Many Colors』(80年)を発表。本作はのちにDJたちからも高い評価を受けた。その後は先述したようにヒップホップ/R&Bのサンプリングで再認知されただけでなく、この手のミュージシャンとも積極的に交流し、ギャングスターのGuruが主宰したヒップホップ・ジャズ作『Jazzmatazz Vol1』(93年)をはじめ、エリカ・バドゥ『New Amerykah,Pt 2』などにも参加。過去音源のサンプリングのみならず、若いミュージシャンたちにもゲストとして呼ばれているのも、彼のフランクなキャラクター所以と言えるだろう。
彼が模索した“ジャズ・ファンク”のサウンドには、独特のコードプログレッションやビブラフォンのメロディ・ラインに加えて、タイトなドラムや芳醇なベースが生み出すグルーヴが常に存在していた。それがレコードの溝からグルーヴを抽出するヒップホップのプロデューサーたちの耳を惹きつけただけでなく、ジャズ~ファンクのみならず、アフロ・ビートとも接近し、彼独自の視点でブラック・ミュージックを融合していった姿は、ディアンジェロやエリカ・バドゥといったネオ・ソウル系のアーティストたちの理想像とも重なる。これらのファクターが重なることで、ロイ・エアーズと彼の音楽は他には類を見ないほどに、世代を超えて愛される存在へと成長していったのだ。
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●ロイ・エアーズ
1940年生まれ。カリフォルニア出身のビブラフォン奏者、作曲家、プロデューサー。
ジャズ界のビブラフォン第一人者、ライオネル・ハンプトンに影響を受けてマレットを手にする。1966年、フルート奏者ハービー・マンのバンドに参加。1971年に自身のバンドRoy Ayer's Ubiquityを結成。「Everybody Loves Sunshine」「Serchin」などのヒット曲を放ち、“King of Vibes”として確固たる地位を築く。80歳を目前に、未だ現役。
http://www.royayers.com/
https://mysound.jp/art/86545/
●BLUE NOTE TOKYO
http://www.bluenote.co.jp/jp/
<RECOMMEND LIVE>
●パティ・オースティン -The Love Show-
数々の名曲を残すアメリカ屈指のスターシンガーが、R&B~AORの名曲を中心に繰り広げるプレミアム・ライヴ!
2019年 6月1日(土)〜4日(火)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/patti-austin/
●ホセ・フェリシアーノ
グラミー・ホルダーでもある天才シンガー・ソングライターが魅せる、情熱的なギターサウンドと歌声のマリアージュ
2019年6月23日(日)〜25日(火)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/jose-feliciano/
Text:伊藤 大輔
Interpretation:湯山 恵子
Photo:Great The Kabukicho
Edit:仲田 舞衣