【まつりの作り方】多国籍の団地から始まる祭り~いちょう団地祭り(神奈川県横浜市泉区)


ベトナムやカンボジアなど各国の屋台が立ち並び、アジア諸国の芸能や歌のほか、炭坑節での盆踊りや神輿の練り歩きもあるという国際色豊かな「いちょう団地祭り」。国際交流を目的としたそうしたイベントは都内でも盛んに開催されていますが、毎年10月第1週の週末に開催されているこの「いちょう団地祭り」は、大使館や行政主導のそうしたフェスとはひと味もふた味も違います。

舞台となるのは神奈川県横浜市の泉区と大和市にまたがる県最大の公営住宅「いちょう団地」。主催するのは横浜市側のいちょう団地連合自治会で、企画・運営を担っているのはあくまでも団地の人々。さまざまな国籍の人々が団地の一角に集い、同じ空間を楽しむその光景は、あまり他に似たもののないブロック・パーティーといった雰囲気です。

このいちょう団地は、外国人および他国にルーツを持つ人々が住民の2割から3割を占めるという多国籍団地。外国人労働者の受け入れについての議論が重ねられ、共生への道が探られている現在、いちょう団地祭りはあるべき未来像を見せてくれる新しい祭りといえるかもしれません。というわけで、われわれ取材班は横浜市側のいちょう団地にお邪魔することに。まずは2018年10月に行われた祭りのレポートから始めてみましょう。

各国の味覚と芸能を味わえる2日間

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いちょう団地祭りを訪れてまず驚かされるのが、通りを埋め尽くす国際色豊かな屋台です。ベトナム料理やカンボジア料理、中国料理に加え、いちょう団地連合自治会による焼きそばやたこ焼きなどお馴染の屋台も。我々取材班はベトナムのサンドイッチ「バインミー」やハーブがたっぷり乗った「フォー」をいただきましたが、そのお味はベトナム人相手の屋台だけあって本場そのもの。噂を嗅ぎつけたアジア料理愛好家が各地から集まっているのも納得の美味しさです。

 

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初日はカラオケ大会や御陣乗太鼓、日本人歌手による歌謡ショウが披露されるほか、団地の神輿会「銀杏睦」がお付き合いしている、県下の神輿会の皆さんによる大人神輿の練り歩きも。日が暮れるとあちこちでゲリラ的にダンスタイムが始まるのもいちょう団地祭りの特徴です。ポータブルのスピーカーでカンボジアのダンス音楽を鳴らし、気ままに踊る光景はさながらホーム・パーティーのよう。ときにはその輪に通りすがりの日本人が加わることもあるようです。年配の方々は車座になり、酒を酌み交わしたりギターを奏でたりと、こちらも実に楽しそう。

 

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「多文化共生交流会」を銘打った2日目は、アジアのさまざまの国の踊りや歌が披露されます。カンボジアの盆踊りともいわれる「ロアム・ボン」では伝統衣装を着たカンボジアの男女が優雅に身体を揺らし、中国獅子舞が賑やかにやってきたかと思えば、地元中学校の吹奏楽部が演奏を披露したりと、「多文化共生交流会」という名にふさわしい国際色豊かな内容。炭坑節をみんなで踊る盆踊りタイムも設けられていますが、ここではさまざまな人種が混ざり合って踊りの輪を作ります。ベトナム料理やカンボジア料理の屋台も前日に引き続き並びますが、どこも早めに店じまいとしてしまうので、屋台目当ての方は前日に訪れたほうがいいかも。

 

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外国人住民増加の背景にあるもの

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1960年代から70年代にかけて、横浜市や川崎市では住宅不足解消のため宅地開発がハイスピードで進められましたが、いちょう団地が建設されたのも1971年。外国人の住民が増え始めたのは1990年代以降のことだったといいます。

そのきっかけのひとつが、1980年2月に大和市定住促進センター(大和市南林間)が開設されたこと。この施設は1975年の南ベトナム共和国崩壊によって難民となったインドシナの人々(ベトナム人、ラオス人、カンボジア人)を受け入れ、定住に向けた支援を行う施設としてスタート。この施設を退所した人々の一部がいちょう団地に入居し、その親類縁者を本国から呼び寄せたことで外国人の住民が増加しました。また、1972年の日中国交正常化をきっかけとして日本に帰国した中国残留孤児とその家族の入居も多かったといいます。

いちょう団地連合自治会の副会長である小松秋人さんは「この周辺はいすゞ自動車の下請け企業があって、労働力としての受け入れの下地があったんです。『あそこに行くと同国人がいるよ』という話が広まって少しずつ増えていったということもあると思いますね」と話します。

 

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現在、いちょう団地に住む外国人の家族は中国人がもっとも多く、続いてほぼ同数のベトナム人、カンボジア人、ラオス人、ブラジル人、ペルー人と続きます。80年代から言語や生活習慣の違いによるトラブルもいくらかあったそうですが、小松さんは「ただ、それは国籍関係なくどこでも起きることではありますよね」と話し、こう続けます。

「日本語ができない方であれば、ゴミ収集所の文言を読めないこともあるわけですよね。まずはそれを読んでもらうところから始めないといけないので、それぞれの自治会が行政の援助を受けながらそれぞれの言語を表記したりと、さまざまな努力を重ねてきたんです。あと、テレビやメディアにはほとんど出てきませんけど、世話焼きおばさんのような役回りの方がいたことも大きいと思います。外国人に限らず、新しく入ってきた人に団地のルールを教えてくれる方々。そういう方のおかげもあって、ルールが浸透してきたんです」

そんないちょう団地も近年、他の団地同様に住民の高齢化が進み、働き盛りである壮年層の世帯が減少傾向にあるとか。その背景には、公営住宅法が1996年に改正され、入居者の所得制限が設定されたことにより、所得制限以下の高齢者や賃金の高くない外国人が住民の中心になったことがあります。

「そういう住民構成によって自治会を運営しないといけないわけで、コミュニティーを維持するだけでも決して楽ではないんですよ。いちょう団地だってたかだか40年ぐらいのコミュニティーですから、自治の方法についてもまだまだ未成熟です。まだ試行錯誤の段階なんですよ」(小松秋人さん)

 

「まちづくり」のプロセスの一環としての祭り

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ここでいちょう団地祭りの歩みを駆け足で振り返ってみましょう。
いちょう団地祭りの前身となる交流会が始まったのは1990年(このとき参加した外国人世帯は33)。1994年にはこの交流会とそれ以前から行われていた夏祭りおよび文化祭が統合される形でいちょう団地祭りが始まります。1999年には外国人模擬店初出店。1999年はカンボジアのご家族がバンドを組んで舞台で演奏することも。小松さんも「王室の楽団をやっていた方々だったそうで、本格的な演奏でしたね」とそのときのことを振り返ります。

現在いちょう団地祭りはいちょう団地連合自治会が主催していますが、二日目の「多文化共生交流会」は外国人住民と日常的に交流している「多文化まちづくり工房」が運営。この多文化まちづくり工房は子供たちの進学援助および日本語教育を行っている団体で、「多様な文化背景を持った人たちがそれぞれの個性を出し合い、ともに楽しく暮らせる『まち』をつくることを目的」(ウェブサイトより)としています。

いちょう団地ではこの多文化まちづくり工房を中心に、外国人住民との共存に向けたさまざまな取り組みが行われています。

いちょう団地を学区とする飯田北いちょう小学校は全校児童に占める外国籍児童の割合が約45%、外国にルーツをもつ児童を含めた割合は約56%を占めるという多国籍校(平成30年5月1日調べ)。日本にきて間もない家族の子供などは日本語がまったくできないケースもあるそうですが、そうした場合も教師がマンツーマンで日本語を教えるのだとか。小松さんは「連合自治会の『どこの国の人とも仲良く暮らしたい』、『排除の論理を持たない』基本方針のもと、ここまでに本当にいろんな人たちの働きかけがあったんですよ。そのおかげもあって、さまざまな住民が平穏に暮らすことができるコミュニティーができているということは忘れてはいけないと思います」と話します。

 

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そんな小松さんが副会長になって今年で17年。その間いちょう団地祭りに関わり続けてきた小松さんの目から見て、祭りの変化を感じることはあるのでしょうか。

「これは私個人の実感ですが、多文化共生の働きかけが行われるようになって、いちょう団地の雰囲気もだいぶ変わったと思います。かつては日本人と外国人の中学生がすれ違っただけで喧嘩になることもあったし、ささくれ立った感じだったんですよ。今は祭りも和やかな雰囲気だし、だいぶ変わったと思いますね」(小松秋人さん)

もともと祭りや盆踊りのような行事は特定のコミュニティーを作り、整理する場でもあると同時に、そのコミュニティーがどこからやってきてどこに行くのか、確認・点検する機会ともいえます。現在のいちょう団地祭りもまた、団地を出ていった若者たちが一年に一度戻ってくる場所にもなっているのだとか。そうした意味でもいちょう団地祭りとは多文化共生に向けた試みの一環であるだけでなく、「まちづくり」のプロセスの一環でもあります。小松さんはこう話します。

「みなさん祭りを楽しみにしてるんですよ。ベトナム人にせよカンボジア人にせよ、祭りの日には関東一円の同国人が集まるんです。みなさん車座になって楽しそうにしてますよね。その日にしか会えない友人もいるんだと思います。また、カンボジアの楽団の演奏や中国語のカラオケで合唱する姿を見ていると、自分たちがこのコミュニティーの一員であることを誇る機会にもなっていると思うんですよ。その姿を見て、われわれ日本人も自分たちが外国のご家族と一緒に生活しているんだということを実感するわけですしね」

 

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●いちょう団地祭り
http://tmkobo.com/pg18/

Text:大石始
Photo:大石慶子