ナイス♪ホーン・セクション 10選【百歌繚乱・五里夢中 第20回】
実はこれを書き始めるまで、「ホーン・セクション」とは基本的に木管楽器のチームで、「ブラス・セクション」が金管楽器のチームだと思っていました。実際にはサックスとトランペットとか、木管もいれば金管もいることが多いので、どちらで呼んでも間違いではないのだろうと。
ところがちょっと検索してみると、”トランペット+トロンボーンセクションのことを「ブラス・セクション」と呼び、ブラスセクションにサックスを加えると「ホーン・セクション」と呼びます”などという説明を見つけました。これが正しいかどうか確証はありませんが、考えてみれば「ホーン=horn」には「木管」の意味はありません。「角=つの」のことだし、金管楽器の「ホルン」の意味もあります。一方「ブラス=brass」は「真鍮」の意味で、まさに「金管楽器」のことです。では「木管楽器」はどう言うかといいますと、「woodwind」。「木の風」。いい感じの言葉です。
で、ややこしいことにサックスは真鍮でできてますが木管で、法螺貝は貝でできていますが金管楽器に分類されるそうです。現在の定義では、唇の振動で発音する管楽器が「金管」、唇の振動によらない管楽器が「木管」だそうです。ちとむずかしい。
ともかく、ここでは管楽器アンサンブルはすべて「ホーン・セクション」と呼ぶことにします。
ポップミュージックとホーン・セクション
管楽器は基本単音楽器ですから、和音を表現するにはアンサンブル、つまりセクションとして複数の奏者が必要になります。なので小編成のバンドには、レコード以外ではそれを取り入れることはむずかしかったのですが、60年代の終盤から70年代にかけては、”Blood, Sweat & Tears”や”Chicago”など、中にホーン・セクションを抱えたバンドが人気を博したこともありました。それらはホーンではなく、「ブラス・ロック」と呼ばれていたのですが。
ポップミュージックは、ノリのいいリズムと心地よいメロディを基幹としつつ、その時点で適度に斬新なサウンド・スタイルを身に纏っては、大衆の耳目を集めて生成発展していく文化です。ブラス・ロックはロック・サウンドにホーン・セクションを加えたことが新鮮だったわけですが、ホーン・セクションが入ると、とにかく華やかになりますし、ストリングスなどと違って切れのあるリズムが出せ、ビートのある曲をさらに引き立てることができますので、とても重宝です。
多くのポップミュージックがその恩恵にあずかっていますが、今回はそんな中から特にお薦めしたいものを10曲に絞り込んで、ご紹介したいと思います。
ナイス♪ホーン・セクションな10曲
①Blood, Sweat & Tears「You've Made Me So Very Happy」(シングル:1969年発売/from 2nd アルバム『Blood, Sweat & Tears』:1968年12月11日発売)
1967年、”BS&T”こと”ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ”の結成を主導したアル・クーパー(Al Kooper)という人は、ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」などでもオルガンを弾いているミュージシャンですが、妙に企画力のある人で、他にも、ブルース・ギタリスト、マイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield)をフィーチャーしたアルバム『Super Session』を企画して、スタジオ・セッション・ライブというものをちょっとしたはやりにしたり、サザンロックの”レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)”を発掘したりしています。ただ飽きっぽいのか、ひとところに長居はしません(できません)。
“Chicago”とともに「ブラス・ロック」ブームを牽引した”BS&T”でも、グラミー賞の最優秀アルバムを獲得したこの2nd アルバムの頃には、プロデューサーでもミュージシャンでもなく、一アレンジャーとして関わるのみとなっています。
代わりに中心となってゆくドラマーのボビー・コロンビー(Bobby Colomby)も、ユニークな才人で、後にプロデューサーとして活躍する以外に、テレビ番組のホストを務めたり、コロムビア・レコードの副社長職を担ったりします。
②Chicago Transit Authority「Questions 67 and 68」(1st シングル:1969年7月発売/from 1st アルバム『Chicago Transit Authority(シカゴ I - シカゴの軌跡)』:1969年4月28日発売)
“シカゴ”と言えば、アルバム名が『Chicago+ローマ数字』で何作目なのか一目瞭然!で有名ですが、最初の2作はどちらも『バンド名のみ』でした。なのに2つが違うのは、バンド名が違っていたから。初めは”Chicago Transit Authority”でしたが、これは”シカゴ交通局"という意味で、実際に(今でも)存在する組織なので、デビュー後にクレームがついて、”Chicago”にしたというわけです。ちなみに、彼らはシカゴ出身ですが、デビュー時にはロサンゼルスに拠点を移しています。
1967年に大学の仲間で結成され、成功の仕掛け人はマネージメントとプロデュースを務めたジェイムズ・ウィリアム・ガルシオ(James William Guercio)。実は前述の”BS&T”の2nd アルバムのプロデュースも彼で、”BS&T”結成に際しアル・クーパーが参考にした元祖ブラス・ロック、”The Buckinghams”もガルシオがプロデュースしていました。彼はまさに「ブラス・ロック」の産みの親であり育ての親であると言えるでしょう。
80年代以降、「同じバンドか?」と思うほどサウンドが変わってしまうことでも知られるシカゴですが、私は断然初期が好き。このデビュー・アルバムも、力強くて潔いホーン・セクションに彩られたロック・サウンドが、いつ聴いても元気をくれますが、デビューでいきなり2枚組というのがすごいですね。なんと3rd アルバムまで連続で2枚組なんですが、レコード会社は、価格が高くなって売りにくい2枚組を嫌がります。まして新人バンドには普通はありえないのですが、バンドは印税の引下げに甘んじて、要求を飲ませたそうです。
③Count Basie Orchestra「Rusty Dusty Blues」(シングル:1943年発売)
「ブラス・ロック」でも管楽器アレンジのお手本としたのはジャズのビッグバンド。同じホーン・セクションと言っても、トランペット、トロンボーン、サックスがたかだか一人ずつのブラス・ロックに比べ、ビッグバンドはそれぞれ、4、4、5人くらいとはるかに多いので、アレンジ的にも幅が広く、繊細なハーモニーから迫力満点のフォルティシモまで、その表現力は段違いです。
この曲も基本のビートはスウィングですが、ホーン・セクションは時に跳ねない(スウィングしない)スクエアな8分や16分ビートになってみたり、自由自在に七変化を見せて、聴くものを飽きさせません。
たくさんのビッグバンドがその個性と演奏力を競い合ったのは米国の禁酒法が廃止された1933年から第二次世界大戦前まで。米国では演奏家の組合が力を持っていたので、戦前は、ラジオではレコードをかけないで生演奏を放送することをルールとして認めさせていたのが、ビッグバンド隆盛の主な要因なのですが、ラジオ局のコスト削減傾向に重ねて、レコードの音質が向上し、レコード音源をオンエアするのが普通になってくると、ビッグバンド・ジャズは急速にその勢いをなくしていきました。
1935年に結成された”カウント・ベイシー・オーケストラ”も48年には解散に追い込まれます。その後再結成され、ベイシーが亡くなった84年以降もバンドは存続し、活動を続けていますが。
④J.B.'s「Wine Spot」(from 2nd アルバム『Food For Thought』:1972年発売)
それまでのバックバンドのメンバーがほぼ全員、報酬が不服で辞めてしまった1970年3月、ジェイムズ・ブラウン(James Brown)が新たに結集したのが”ジェイビーズ(J.B.’s)”です。
後にファンクのスーパースターとなるブーツィ・コリンズ(Bootsy Collins)とその兄、フェルペス(Phelps "Catfish" Collins)が在籍したことで有名なのですが、彼らはバンドの厳しい規律についてゆけず、翌年にはもう辞めています。
70年12月に、以前のバンドのメンバーだった、トロンボーンのフレッド・ウェズリー(Fred Wesley )やアルトサックスのメイシオ・パーカー(Maceo Parker)が復帰すると、ホーン・セクションが強化され、J.B.’sはブラウンのバック以外に、自分たちの音楽も作り始めます。ブラウンもプロデューサーとして、またオルガンなどの演奏で参加しています。
この「Wine Spot」はいつものジェイムズ・ブラウン・サウンドとは趣の違う歌謡曲風味が妙に新鮮。それとファンクなビートのハイブリッド加減がとてもナイスです。ウェズリーとパーカーのソロもコンパクトながら盛り上がっています。
⑤浅草ジンタ「Kappo」(from アルバム『日本テレビ系 水曜ドラマ「ダンダリン 労働基準監督官」オリジナル・サウンドトラック』:2013年11月20日発売)
前曲を好きな人ならきっとこの曲も好きじゃないかな。続けて聴くとバッチリ。DJさんにおススメ。こちらは歌謡曲風味にさらにチンドン感をまぶした感じ。ホーン・セクションと言っても、サックスとチューバの2人だけなので、その言わばチープ感がチンドンに通ずるのでしょうね。そもそも「ジンタ」はチンドン屋の規模を少し大きくしたような、明治・大正時代の町の音楽隊のことですから。
「ダンダリン 労働基準監督官」という竹内結子さん主演のテレビドラマのオープニングテーマでした。ドラマも好きだったので、毎週この曲がかかるとワクワクしていましたが、その時は”浅草ジンタ”のことは知りませんでした。テレビのゴールデンタイムでこういうバンドのこういう曲を持ってくるのはなかなかのナイス・センスだと思いますが、2013年と言えば、あの「あまちゃん」があり、こちらのオープニングもホーン・セクションをフィーチャーしたインスト曲でしたね。作曲は大友良英さん、演奏は”チャンチキトルネエド”でした。してみると、「ダンダリン」への浅草ジンタ起用は「あまちゃん」からヒントを得たのかもしれません。
⑥清水靖晃&サキソフォネッツ「Hibi no Awa」(from アルバム『PENTATONICA』:2007年発売)
アルバムタイトル『ペンタニカ』は「ペンタトニック=5音階=ヨナ抜き音階」からつけられているので、オクターブの中にファとシがない、ドレミソラ(短調の場合はミとラがフラット)という、日本人には親しみ深い音階の曲ばかりを収めているのです。
したがってこの「日々の泡」にも、前々曲、前曲と共通するメロディ感があります。ただし、サウンドは全然違います。ロックでもジャズでもない、クラシカルな佇まい。親しみやすいメロディと、格調高いサウンドの共存がいいのです。テナー・サックス3本とバリトン・サックス2本だけ、他の楽器が混じらないため、サックスという楽器の音色を丸ごと味わえるのも楽しい。ただ、冒頭の定義からすると、これは「ホーン・セクション」ではないのかもしれませんが。
“清水靖晃&サキソフォネッツ”というアーティスト名義自体は1983年のアルバム『北京の秋』からスタートしましたが、実は清水のソロ・ユニットでした。それが2006年、テナーの江川良子、林田祐和、バリトンの東涼太、鈴木広志を呼び集めて、クインテットへ再編、その形で初めて発表したアルバムが本作です。2015年にはバッハの曲をアレンジした『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』というアルバムも発表しています。
⑦東京中低域「Wish The Most Wonderful」(from マキシ・シングル『大寒東京(Awesome Tokyo)』:2011年12月7日発売)
“サキソフォネッツ”もユニークな編成ですが、こちらはなんと、バリトン・サックスのみ13人という異様なグループ。「我々はバンドではなく”域”である」と主張する水谷紹が発足を宣言した2000年1月29日には、他に矢口博康、吉田隆一(”渋さ知らズ”)の3人編成でしたが、それからどんどん人数が増えて、このマキシ・シングルを発売した頃には13人。そこにはサキソフォネッツの鈴木広志も含まれます(こちらのほうが先)。
使用楽器はバリトン・サックスと肉声のみ、と聞くとなにやら変テコな世界を想像してしまいますが、実際はとってもポップ。13人もバリサクがいれば、ビートも出るし、その迫力あるアンサンブルを聴いていると、まるで脳ミソを太い親指で直接マッサージされているような深い快感が広がっていきます(実際は痛いでしょうが)。
この曲は歌入りでボーカルは水谷自身。シンプルな佳曲なのでカバーかと思ったら、作詞・作曲も水谷氏でした。
⑧The Brecker Brothers「Some Skunk Funk」(from ライブ・アルバム『Heavy Metal Be-Bop』:1978年9月発売)
前述の”Blood, Sweat & Tears”の初期メンバーで、1st アルバム『Child Is Father to the Man(子供は人類の父である)』にのみ参加したトランペッターのランディ・ブレッカーと、弟のテナー・サックス奏者、マイケル・ブレッカーのユニット、”ブレッカー・ブラザーズ”は1975年にデビューしました。1st & 2nd アルバムまではアルト・サックスのデヴィッド・サンボーン(David Sanborn)も加えたトリオでした。
「Some Skunk Funk」は1st アルバム『The Brecker Bros.』にスタジオ版が収録されており、こちらはそのライブ・バージョンです。元のスタジオ版の、サンボーンも入った3管に対し、ライブは2管。スタジオは生でしょうが、こちらは”Electric trumpet”、”Electric tenor saxophone”というクレジットになっています。もちろんこの時代ですから、MIDIを使ったような電子管楽器ではなく、ピックアップで拾ってギターアンプに突っ込んで、いろんなエフェクターも使っている、ということですが。
スタジオ版のドラマー、ハーヴィ・メイソン(Harvey Mason)に対し、ライブはフランク・ザッパのバンドにいたテリー・ボジオ(Terry Bozzio)と、ドラマーの聴き比べも楽しいです。
スリリングな展開が肝なこの曲にとっては、ライブでの勢いも相乗効果となって、やはりこちらのバージョンに軍配が上がりますかね。
⑨Tower of Power「What Is Hip?」(第3弾シングル:1974年発売/from 3rd アルバム『Tower Of Power』:1973年5月発売)
このコラムを読んでくれている人には、私がかなりの”Tower of Power”好きであることはバレているかもしれませんが、また登場です。
だって、そのホーン・セクションが、他のアーティストのレコーディングにも引っ張りだこなのは、ここと”Earth, Wind & Fire”の”Phenix Horns”くらいで、それだけ高く評価されている彼らをはずすわけにはいきませんよね。
テナー・サックスのエミリオ・カスティーヨ (Emilio Castillo)とバリトン・サックスのドクター・クプカ(Stephen "Doc" Kupka)が中心になってバンドを結成したのは1968年。以来、メンバー・チェンジは数あれど、この2人は不動なまま、現在でも毎年来日するくらい精力的に活動を続けています。80年代前半の低迷を救ったのも、”Huey Lewis & The News”にホーン・セクションが起用されたことがきっかけでした。
「What Is Hip?」は彼らの代表曲。16ビートのシンコペーションが繰り返す激しいリズム・アレンジに、ドラム、ベース、ギター、オルガンとホーン・セクションがまさに一糸乱れず猛進していくさまは何度聴いても興奮します。
⑩Earth, Wind & Fire「Got to Get You into My Life」(シングル:1978年7月14日発売/from サウンドトラック・アルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』:1978年7月17日発売)
“EW&F”のメンバーでありながら、”Phenix Horns”と独自の名前も持ったホーン・セクション。その中心人物、サックスのドン・ミリック(Don Myrick)とトロンボーンのルイス・サターフィールド(Louis Satterfield)はシカゴのチェス・レコードのセッション・ミュージシャンでした。その仲間でドラムを叩いていたのが、EW&Fのリーダー、モーリス・ホワイト(Maurice White)です。彼らは1962年に”The Pharaoh”というジャズ・ファンク・バンドを結成します。その後モーリスはラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis)のバンドに入りますが、彼らの縁はEW&Fのかなり以前から始まっていたというわけです。
EW&Fならナイスなホーン・セクション・サウンドはよりどりみどりって中から、とりあえずこの曲。あの、キュゥウンと揺れながら尻上がりになる、……音楽用語を使うと、ビブラートしながらポルタメントするって言えばいいんでしょうか、そんなフレーズがしばしば登場するホーンですが、セクション全員がその揺れのニュアンスまでピッタリ合わせてくるところに感心してしまいます。
ビートルズの曲で最初にホーン・セクションが導入されたのがこの曲らしいですね。そして、”Blood, Sweat & Tears”もカバーしていますし、”Chicago”はこの曲をヒントにバンド・コンセプトを決めたと言われています。ライブでカバーもしています。「ブラス・ロック」に大きな影響を与えたのもやはりビートルズだったのですね。
以上、”ナイス♪ホーン・セクション”の10曲でした。
私自身は管楽器なんて、リコーダーとオカリナくらいしか触ったことがないのですが、ドラムをやっていまして。ドラムは他のドラムといっしょに演奏することはほとんどないですが、昔何回かそういう経験もあって、その時の、自分の音と人の音とのブレンドした聞こえ具合がとても面白かったと記憶しています。管楽器はこうやって、セクションとして、他の人とリズムを合わせたり、ハモったりすることが多いわけで、演奏している人は、そういう共同作業がきっと楽しいんだろうなーなんて想像します。そしてビシッとはまったときはきっと大快感でしょうね。そういう境地、味わってみたい。
いやぁ、それにしても、音楽ってちっとも飽きないですねー♪