【音楽×野球】イチローの心も揺さぶった“魔曲”「ジョックロック」を奏でる智辯和歌山の応援力【第二弾】


前回お届けした「第90回 都市対抗野球大会」における、ヤマハ硬式野球部×ヤマハ吹奏楽団の戦いぶりに続く、【音楽×野球】シリーズの第2弾は、この夏の熱戦も記憶に新しい高校野球。球児たちの激闘を盛りあげるアルプススタンドの応援合戦は、聖地・甲子園に欠かせない“華”だといっても過言ではないだろう。

そこで今回は、そんなアルプスを彩る「C」の人文字と、幾多の逆転劇を生んできた応援曲「ジョックロック」でおなじみの智辯学園和歌山高校(以下、智辯和歌山)をフィーチャー。同校の教頭を務める吉本英治先生にお話をうかがいつつ、“魔曲”の呼び声高い名曲誕生の経緯と、人を惹きつけてやまないその応援の秘密に迫ってみた──。
 

苦肉の策から偶然手にした デモ楽曲が起こしたミラクル

 

そもそもなぜ、この『mysoundマガジン』で、智辯和歌山を取りあげることになったかと言えば──。この「ジョックロック」の原曲が、94年にヤマハが発表した新しいMIDI(DTM用音源)の規格「XGフォーマット」のデモ楽曲として制作されたものだから。

当時を知るヤマハ株式会社電子楽器開発部の担当者によれば、

 

「多数の専門誌が創刊されるなどDTMが全盛期を迎えていた時代。社内には『先行する競合に追いつけ追い越せ!』という雰囲気があったと思います。XGフォーマット普及のため、海外を含む3拠点ほどで何千曲というデモ楽曲が生まれ、『ジョックロック』もそのうちの1曲として制作されました。こうした楽曲は、専用Webサイトからフリーダウンロードできたり、楽器に同梱のCD-ROMやFDDに収録されたりして大量に配布されたのですが、これほど注目された例は他になく、われわれにも驚きの現象なんです」


それが同校吹奏楽部の顧問だった吉本先生の耳に偶然止まり、応援曲としての「ジョックロック」へとアレンジされた──。高校野球ファンなら誰もが知っている“魔曲”の原点にも、奇しくもライバルに「追いつけ追い越せ!」という気運があったとなれば、これはもう運命を感じずにはいられまい。
 

▲コチラが本家本元、ヤマハが所有する「ジョックロック」の原曲だ!! 作曲は米国在住のRob Rowberry氏。当時制作に使用されていたというXG音源モジュール「MU50」で再生した本当の意味でのオリジナルバージョン。
(C) YAMAHA CORPORATION. All rights reserved.

 

「いや、あの曲を使うことになったのは、なんて言うか、苦肉の策でね。『野球部が甲子園に出場するたびに新曲を1曲ずつ入れよう」というのを応援団との約束事として続けていたら、あれよとあれよと毎年のように出るようになって、こっちがネタ切れになってしまったんです(笑)。で、グラウンドの雰囲気をイメージしながら、いい曲はないかと探していたときに、なんの気なしに『XGworks』(音楽制作ソフト)のデモ音源を聴いたら、あの曲が入ってて。すぐに『コレや!』と思いましたね。もっとテンポを速くして、名前を連呼するコールを入れたら、否が応でも選手は奮い立つんやないかなって」

 

JOCK ROCK(1)

▲吉本英治教頭。かの名曲「アフリカン・シンフォニー」を応援曲に取り入れた“元祖”でもある


とはいえ、吉本先生自身が曲を完成させた時点ではあくまで、数ある応援曲のうちの1曲。使いどころも基本的には応援団任せで、現在のような「ここぞの場面で」といった“お約束”もまだなかったという。

「優勝した2000年のイメージが強いせいか、過去の取材では『使いはじめたのはあの年の夏から』なんて答えてたこともあったんですけど、ウチの卒業生でもある若い教員に聞いたら、『その前からやってましたよ』って言われてね。なので、最近は『00年頃から』という言い方をしています(笑)。ただでも、こうやって注目していただけるようになったのは、やっぱり00年があったから。準々決勝の柳川さんとのあの一戦がなかったら、こういう取りあげられ方もされてなかったんやないかと思いますしね」

00年の第82回大会と言えば、武内晋一(早大→05年ヤクルト希望枠/18年引退)らを擁した智辯和歌山が、歴代最高の通算打率.412(※1)、1試合4本を含む11本塁打、100安打という圧倒的な破壊力で、2度目の夏制覇を成し遂げた20世紀最後の大会。

※1……その後、第86回大会(2004)で「.448」の駒大苫小牧が記録更新

当時、“史上最強”ともうたわれたそんな智辯打線をもっとも苦しめたのが、同校に敗れた春の雪辱を期すエース香月良太(東芝→03年近鉄自由枠/オリックス・巨人→16年引退)の率いた柳川との一戦だ。

8回裏に4点差を追いつき、延長11回裏にまで及んだ死闘のすえに、ついにもぎとった劇的すぎるサヨナラ勝利──。このシビれる展開が続いた終盤のアルプスで、ノンストップでかけられていたのが、他ならぬ「ジョックロック」だったのだ。

「それまでは他の曲と同じように回のアタマから演奏したりしてたのが、あの試合を境に“チャンステーマ”のような扱いになっていった。応援する生徒たちのほうも、あの試合や06年夏の帝京さんとの一戦(※2)のような“逆転の智辯”の再現をイメージしながらやってるからこそ、どんどん声も大きくなって、ヒートアップしていくんやと思うんですよね」

※2……第88回大会準々決勝。4点リードの8対4で迎えた9回表に大量8失点で逆転を許すも、その裏に5点を奪いかえしてサヨナラ勝利。主催する朝日新聞の紙面には「魔物は二度笑った」の見出しが躍った

 

JOCK ROCK(2)

 

ちなみに、「ジョックロック」誕生のきっかけとなった吉本先生の「出場するたびに新曲」の決めごとは、野球部が押しも押されもしない「常連校」となっていくにつれて、いったん休止。

先生自身が、吹奏楽部に直接タッチしなくなった現在は、生徒らが自ら作・編曲を手がけた「シロクマ」や「ミラクルショット」、この春、初めてお披露目された「YAMATO」といった楽曲が、数年おきのペースで適宜発表されている。

「アルプスで一緒に応援してくださる保護者やOBの方々から『増えすぎてコールや振付が覚えられへん』っていう声が多く寄せられるようになってね。『それもそうやな』ということで止めたんです。もちろん、最初にお話した『ネタ切れ』っていうのも大きな理由のひとつではありますけどね(笑)」

事実、智辯和歌山は、96年から12年までの18年間に夏の甲子園だけで8年連続を含む16回。その間には、春センバツにも8回の出場を誇った“絶対王者"。

計24回もの出場で「そのたびに新曲」には、携わる人々の物理的な限界もあったし、野球応援のためだけにそこまで時間を割けないという、県下屈指の進学校としての教育的な側面もあった。

「もっとも、一般の生徒に関しては県大会の初戦がぶっつけ本番。新曲を入れるときはさすがに甲子園直前のタイミングで全体練習もしますけど、それ以外にこちらで時間を設けることはいっさいないんです。にもかかわらず彼らは、応援団がコール用に掲げるボードの指示だけで、かけ声や振付もすぐに覚えてしまう。入学したばかりの中学1年生のなかにはルールさえ知らないような子も当然いますけど、みんなで応援して、勝利する――っていう感動を一度でも共有できると、次もまたその次も、という流れに自然となるんやないですかね」

 

唯一無二の全校応援が宿す 魂の力が“魔物”を呼びさます

JOCK ROCK(3)

 

そうなのだ。智辯和歌山の応援がこれほどまでに人々を魅了するのは、野球部の伝統ともいえる超攻撃的なプレースタイルとも絶妙にマッチする、この一糸乱れぬ“全校応援”があればこそ。

ファールゾーンのもともと狭い紀三井寺球場(※3)のスタンドを埋める1500人もの大歓声が、県大会の1回戦から当然のように襲いくる。相手チームにとって、それがどれほどの威圧感かは、たとえ選手としてその場に立ったことがなくとも想像に難くない。

※3……紀三井寺公園野球場。和歌山における高校野球のメイン球場として知られる。夏の猛暑が顕著化する以前は、学校から球場まで道のりを全校生徒が徒歩で移動していたとか

実際、破竹の8年連続Vを果たす直前である04年の県大会を制した市立和歌山商(現・市立和歌山)出身のヤクルト・川端慎吾(05年高校生ドラフト3巡目)も、かつての取材で「あれは本当に嫌でしたね」と遠い目をして語っていたほどだから、そこには言葉以上のただならぬ迫力があったはずなのだ。

「実は15年に開催された『紀の国わかやま国体』の初戦で花咲徳栄さんと当たったときに、校長の発案で全校の半分を応援団が来られない相手側に回したことがあったんです。私自身、反対側で聴くのはそのときが初めてやったから、もうビックリしましてね。それまでも他校の監督さんから『勝ち負けに関係なく、智辯とやるのは嫌や』という声はよく耳にしてましたけど、そこでようやく実感したんです。半分でこの音量やったら全校なら大変なことやろな、と」

得点が入るたび、勝利するたびにヒートアップしていく全校生徒と、それに呼応してボルテージを上げる吹奏楽部と応援団+チア。そんな彼らが一体となって、勝負どころで奏でるからこそ、「ジョックロック」は単なる応援曲にはない“魔力”をまとったと言っていい。

 

JOCK ROCK(4)

▲人気のチアは定員制で、抽選にもれた女子生徒が泣きじゃくる光景が毎年のように見られるという

 

「当初は(BPM)180ぐらいで演奏していたはずなんですけど、盛りあがると声援が先に走りだして、それに合わせて太鼓も走ってしまうから、どんどんスピードアップするんです。去年の4月に大阪のフェスティバルホールで開かれた『ブラバン!甲子園ライブ 関西編』というイベントに出させてもらったときなんかは、指揮者の方に『テンポどうしますか?』って聞かれて、『200で』って答えましたけど、もしかしたら最近の甲子園ではそれより速いかもわかりませんね」

むろん、くだんの『ブラバン!甲子園ライブ』にともに出場した大阪桐蔭や天理、龍谷大平安、沖縄代表への“友情応援”でおなじみの市立尼崎などは、野球だけでなく吹奏楽部も全国レベル。

吹奏楽部の実力を誰より熟知する吉本先生自身も、オファーが届いた際は「そんな力のある学校と一緒に出るなんてとんでもないと、当初はお断りするつもりでいた」という。

「ウチの吹奏楽部は、野球応援が人前で演奏を披露する唯一の舞台で、5、6年前まではコンクールにさえ出ていなかった部活なんでね。進学校なので、練習するにしてもなかなかまとまった時間が取れませんし、日曜日もしっかり休む。中学生も合同だから、日程が合わないことも多いんです。なので、出場する顔ぶれを知った理事長からも大反対されまして(苦笑)。私のほうで説得をして、応援団やチアも一緒に出る奈良の智辯との対抗戦なら、ということで出させてもらうことにしたんです」

確かに、「芸術コース」を備える大阪桐蔭のような“音楽留学”をも積極的に受け入れる強豪校と比較すれば、技術的な差は明白。仮に彼らが「ジョックロック」を演奏すれば、智辯のそれより格段にクオリティの高い“音”は出すだろう。だが――。

「うまくは説明できないんですけど、ウチの生徒たちの応援には、“魂”が宿ってるって言うのかな。人前で大声を張りあげるなんて恥ずかしいはずの年頃の子らが、そんなことお構いなしに心の底から本気で声を出す。たとえボロボロのバリバリのガタガタでも、技術云々とは違う気持ちで楽器を演奏する。ウチの応援に“他にはない何か”があるとすれば、そういうところやと思うんです。だから、自分で言うのもなんですけど、20年近く『ジョックロック』をやってきて、いまにしてようやく“ひとつの形”ができあがったんちゃうかな、っていう気はしてますよ。もちろん、他の学校の演奏を聴いて、『ウチもこんなふうにしたらよかったな』って思うことも多々ありますけどね(笑)」

 

JOCK ROCK(5)

 

とある試合の応援が結んだ 大スター・イチローとの“縁”

 

ところで筆者は、現在の智辯和歌山野球部を率いる中谷仁監督(97年阪神1位/楽天・巨人→12年引退)と同学年。「中谷仁&川口知哉(※4)世代」(「松坂世代の1コ上」とも言う)の一員として、好きだと常々公言してきた“智辯野球”の魅力を人から尋ねられたときは、同じく“世代”の国民的マンガ『スラムダンク』を例に挙げて「山王工業戦の湘北みたいな戦い方をするところ」とよく答える。

※4……「完全試合やります!」などのビッグマウスで名を馳せた平安(現:龍谷大平安)のエースにして97年夏のヒーロー。決勝戦で中谷主将の率いる智辯和歌山に敗れ、惜しくも準優勝に終わった97年のドラフト1位でオリックスに入団←04年引退

そんな中谷監督率いる智辯和歌山が、春夏連覇をなし遂げた“王者”大阪桐蔭をついに倒した昨年秋の近畿大会の準々決勝などは、まさに湘北vs山王戦さながら。続く準決勝の明石商戦に0-12(5回コールド)と大敗したあたりも、王者に勝って愛和学院にボロ負けした湘北そのものの燃え尽き方だった。

だが、話はそこで終わらない。

そのマンガみたいな負けっぷりを、シーズンオフで帰国中だったかのスーパースター・イチロー氏が、会場のほっともっとフィールド神戸で生観戦して、応援に感動。それが先日報道された草野球チーム『KOBE CHIBEN』結成(※5)に至る、同校との交流のきっかけになっていたというのだから、事実はマンガより奇なりである。

※5……「イチロー氏、今オフ草野球デビューへ! エース兼監督兼オーナー、神戸で伝説第2章」(9月18日付・スポニチ電子版)

「ウチとは反対側の1塁側で観てらしたみたいでね。そこでいたく感激をされて、後日、『応援曲の音源はないか』という問い合わせが監督のほうに来たんです。で、せっかくイチローさんからいただいた話やし、全曲イチローコールで録音してお渡しして、そのあと動画もお送りしたら、『お礼に』ということでウチにまでサプライズで来校してくださることになりまして。ちょうど練習禁止の試験期間中やったところを、『録りなおししてほしいって言うてはる』ってみんなを言いくるめて、そこにご本人が登場して……。NHKのドキュメンタリーで流れたシーンは、そのときに『今度はぜひ神戸で』と誘っていただいて実現したものでもあったんです」

今年4月7日に放送されたNHKスペシャル『イチロー 最後の闘い』では、“出会い”のきっかけとなったほっともっとフィールド神戸で自主トレ中のイチロー氏を、智辯和歌山の生徒たちが激励に訪れる場面が描かれた。

あの光景を観て、愛工大名電出身の彼と、神戸とは直接のゆかりがないはずの智辯和歌山にどういった接点があったのかと、首を傾げた方もきっと少なくなかったことだろう。

「引退を表明されたあとにもこちらからビデオレターをお送りしたら、それも喜んでくださって。トヨタの社長さんとの対談(※6)や、雑誌『ナンバー』のインタビューなんかでも、ウチとの交流に触れてくださっていて、本当にありがたいなと思ってます」

※6……トヨタが運営するオウンドメディア『トヨタイムズ』で今年の正月に配信された「イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018  ここだけの話」で、「応援団が最高で。ものすごい突き刺さった」などと言及

引退に際したイチロー氏の率直な想いが綴られた雑誌『ナンバー』(19年4月25日号/文藝春秋社)のスポーツジャーナリスト・石田雄太氏によるインタビューは、本人によるこんな言葉で締めくくられている。

「ある朝、届いた動画を見て、泣きました。東京ドームのあの光景を見てもガマンできたのに、これはガマンできなかった。だって応援団とチアとブラスバンドの子たちがイチローバージョンのオリジナルの応援をしてくれているんですよ。『イチロー、イチロー』って声を合わせて応援してくれて、ラストが『かっ飛ばせーっ』ですからね。もう、かっ飛ばせないのに……泣けるでしょう」

かのイチロー氏をして「次は草野球を自分なりに頑張って、決勝戦で智辯和歌山のみんなに応援してもらうことが夢になりました」とまで言わしめた、智辯和歌山の“応援力"。

時として“魔物”をも呼び起こす「魂の宿った」彼らのまっすぐな大声援は、どんなときでも人々の心を動かし、魅了する──。

 

JOCK ROCK(6)

▲智辯和歌山の応援は、この夏も明徳義塾戦での1イニング3本塁打や、続く星稜戦での延長14回タイブレークの死闘など、球史に残る劇的なドラマを演出した

 


 

【PROFILE】
吉本英治◎よしもとえいじ
1954年、奈良県下市町生まれ。畝傍高、奈良教育大を経て、77年に数学教諭として奈良・智辯学園に赴任後、79年より前年に開校した智辯和歌山へと転任。同校野球部が初の甲子園出場を果たした85年の春以降、吹奏楽部の顧問として応援曲の作・編曲を手がけ、「アフリカンシンフォニー」や「ジョックロック」といった数多のド定番曲を生みだした。12年に顧問を退任。現在は同校で教頭を務めている。

 


 

Text:鈴木長月
写真提供:智辯学園和歌山高校

 

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