【音楽×野球】トランペットで愛を吹く!! プロ野球「私設応援団」という生き方【第三弾】


社会人、高校と来れば、次はもちろんプロ野球。「プロ野球×音楽」と聞いて真っ先に思い浮かべるのが、トランペット&鳴り物による日本独自のあのスタイルと、それを仕切る「私設応援団」の存在だ。

反社会勢力の排除・根絶に動いたNPB(日本野球機構)によって、全球団の「私設応援団」が許可&公認制となって13年。純然たるボランティアとして、ただひたすらにチームに愛を捧げてきた、とある現役応援団員の知られざる生き様を紹介したい──。

気がつけば10年超 応援団こそ青春だった

 

「地方に遠征に行ったりすると、球場を出るタイミングがちょうど荷物の搬出をされてる用具係や職員の方たちと重なることがあるんです。そういうときに『今日も盛りあげてたね。聞こえてたよ』なんて声をかけてもらえたりすると、それだけで報われた気がするんですよね。『あー、やっててよかったな』って」

埼玉西武ライオンズ私設応援団『若獅子会』で副会長を務める柳澤直樹さん(以後、敬称略)は、取材中に何気なくした「応援団の醍醐味」についての筆者からの問いに、そんなエピソードで応えてくれた。

 

野球×音楽(西武私設応援団)1

▲メットライフドームでともに活動する『若獅子会』と『所沢同獅会』の面々。写真中央が柳澤さん。左隣が「ほぼ同期」の常岡会長

 

高校生のときに応援団入りを自ら志願して、まるっと10年あまり。多感な青春時代、20代のほぼすべてをその活動に捧げてきた彼の人生は、もはや本拠地メットライフドームのレフトスタンド抜きには語れない。

ふだんは引越し業者の一員として汗を流しているのも、「融通が利く職場だから」。彼の日常の中心にはいつも、ドカッとライオンズが鎮座する──。

「中学までは地元のクラブチームで水球をやっていて、高校でも続けるつもりでいたんですけど、ちょっと自信をなくしてしまって(苦笑)。で、僕自身は結局そこであきらめて、スポーツとは無関係の高校を受験することにしたんです。一緒にやってた同級生2人は強豪校に推薦で入って、レギュラーとして全国制覇までしたんですけどねぇ」

ちょっとした挫折から始まった高校生活は、厳しい練習から解放された喜びの反面、可もなく不可もない平凡な毎日。それまで水球一筋だった彼が「高校に入れば……」と漠然と期待していた新たな刺激も、そこにはなかった。

「そんなときに友達と西武ドームの外野席に行ってみたら、応援の楽しさにすっかりハマってしまってね。ちょうど優勝したシーズンでもあったから、純粋に『応援団ってすごいな』って思えたんです。で、傍目から見てもカッコよかった当時の会長さんのリードに憧れて、自分から『入りたいです』とお願いして。そこからはもうほぼ毎試合、球場に通ってましたね」

半年ほど早く入団していた現会長の常岡祐貴さんら、3人いた「ほぼ同期」は、奇しくも全員が同学年。ひさびさに見つかった「打ちこめるもの」に自然と胸は高鳴った。

だが、小学校の授業以外では楽器に触ったことさえなかった柳澤は、なかでもいちばんの“ド素人”。その悔しさが、元来負けず嫌いの体育会系である彼の“やる気スイッチ”をオンにした。

 

野球×音楽(西武私設応援団)2

▲学生時代の“練習場所”だった実家近くの多摩川河川敷。いまでも時間があるときにはフラッと吹きにくることもあるという

 

「通ってた高校はバイトが禁止だったんですけど、こっそりやってお金を貯めて、最初は『J.マイケル』っていうメーカーの初心者用トランペットを中古で買ってね。試合のない日は家からも近い多摩川の河川敷に必ず行って、川に向かってひたすら練習してました。ちょうど土手の裏手に運送会社か何かの社員寮があって、そこの人からは『うるさい!!』って本気で怒鳴りこまれたこともありました。近所のお年寄りのなかには、わざわざ聴きに来てくれる人もいましたけど、当時はまだロクに吹けなかったので、実際、かなりの近所迷惑だったと思います(苦笑)」

柳澤の地元である東京・国立から埼玉・所沢のメットライフドームまでは、一度立川まで出て、多摩モノレールで上北台、そこからさらに球場行きのシャトルバスという煩雑さ。年間70試合近くはあるホームゲームにほぼ毎試合通うとなれば、かかる交通費、労力だけでも並大抵ではないはずだが……。

「試合がある日は、世田谷にあった高校からダッシュで家まで戻って、前カゴにトランペットを積んで、片道1時間かけて自転車で球場まで通ってました。ナイター終わりとかだとまわりは真っ暗なんで、道に飛びでた木の枝とかでよく怪我をしたり。でも、そういうことが全然苦にならないくらい毎日が楽しかったんです。なかには神奈川の川崎から通ってるやつもいて、その彼なんかはよく『電車がない』からって、球場近くの東屋で野宿したりもしてました。まぁ、そこまで行くと、ちょっとした“応援団廃人”ですけどね(笑)」

 

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▲代々、応援団の合同練習などにも使われてきたというメットライフドーム裏手の東屋。むろん夜は真っ暗。夏場は虫の類もすごそうだ

 

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▲試合後、必ず通った多摩湖畔の遊歩道。真っ暗な山道は危険がいっぱい

 

いまでこそリーグ2連覇中のライオンズだが、柳澤がドハマりした09年以降、17年までの9年間は、優勝どころか3年連続のBクラスまで経験した“暗黒期”。それでも「辞めようと思ったことは一度もなかった」と言うのだから、愛の力は偉大である。

「もちろん、ネットなんかだと一生懸命作った応援歌をディスられたり、『チャンテ(※1)を入れるタイミングが悪い』みたいなこと書かれたりすることも多々ありますし、そういうのを見聞きしちゃったときは、正直ヘコみます。でも、観戦に来た親子連れや小学生の子たちがわざわざ僕らのところにまで来てくれて、『応援楽しかった! また来たい』なんて言ってくれた日には、イヤでも『次の試合もがんばろ』ってなりますから(笑)。僕らにとっては日常でも、初めて球場に来る人にとってはそうじゃない。彼ら彼女らに、純粋に『楽しかった』と思って帰ってほしくて、ここまで続けてきたのかもしれないですね」

※1……チャンステーマ。ここぞの場面でかかるおなじみの曲がどの球団にも複数存在する。ライオンズ応援では男女パートに分かれる「チャンステーマ4」がとくに有名

 

自分の作った応援曲で 球場がひとつになる快感

 

ところで、応援団界隈における柳澤は「ランサムの人」として、それなりに知られた人物でもある。彼が初めて作った助っ人外国人コーディ・ランサム(※2)の応援歌は、鳴かず飛ばずのままシーズン途中で解雇された当人より、よっぽど人気も存在感もあった“神曲”のひとつ。他球団ファンでも、聴けば「あぁ、あの曲ね」となる人は多いだろう。

※2……14年シーズン。オリックスへ移籍したエステバン・ヘルマンらに代わる新外国人として期待されるも、38試合で2本塁打、打率.212とパッとせず。開幕後に獲得したエルネスト・メヒアの大ブレイクもあって、7月27日に解雇された

「専門的な音楽の知識がまったくない自分の場合は、最初はだいたい鼻歌とかカラオケから。ランサムのときは、仕事中にラジオから流れてきた『ジェリコの戦い』(※3)って曲をたまたま聴いて、すぐに『Shazam』ってアプリで曲名を調べて、そこに歌詞を乗っけて、それを経験者の先輩に譜面に起こしてもらって……って感じで作りました。木村(文紀)選手、岡田(雅利)選手のものは一応オリジナルで、自分でキーボードを叩きながら作りましたけど、それ以外の外崎(修汰)選手、鬼崎(裕司/17年引退)選手あたりは、原曲が別にあるタイプ。山川(穂高)選手やメヒア選手に関しては、原曲のあるAメロに、オリジナルのBメロをくっつけてひとつの曲にしています」

※3……旧約聖書にも描かれる「エリコ(=ジェリコ)の戦い」を歌った黒人霊歌。合唱曲やジャズの定番ナンバーとして知られる。柳澤が「たまたま聴いた」のは、Bart & Bakerによるリミックスアルバム『ELECTRO SWING Ⅳ』収録の『Jericho』

 

野球×音楽(西武私設応援団)5

 

そうやって手間ヒマかけて作った曲(しかも、ノーギャラで!)も、いざ世に出た途端にファンからの好き勝手な論評にさらされてしまうのだから、端から見ていると、応援団とはなんと割に合わない“仕事”だろう、とさえ思えてくる。

だが、そこでも柳澤はキッパリとこう言うのだ。「自分が作った曲で球場がひとつになる瞬間は何ものにも替えがたい喜び」だと。

「たとえば、自分が入れたチャンテで球場の空気が一変するあの快感は、たぶんコールリーダーをやった人にしかわからない。主役はプレーする選手っていうのは大前提としてありますけど、『打ちそうだな』ってときに“ホームラン”コールを入れてその通りになったときは、自分もたまらなくうれしいですからね。試合中に気をつけていることですか? やっぱりそこは試合をしっかり観ること。ピッチャーの調子やボールカウントをちゃんと把握しておかないと、せっかく応援歌を流してもサビのまえに終わっちゃうこともありますし、仮にクイックモーションの上手いピッチャーだと、『オイ! オイ!』っていう“一拍子”がズレたりもする。パッと見は勢いまかせに声を張りあげてるようにしか見えないかもしれないですけど、実は前の打席内容や、相手側の守備位置まで気にしながらやってたりもするんです」
 

特殊すぎる使用環境 専門家から見た応援団とは!?

 

一方、これがヤマハの運営する「mysoundマガジン」に掲載される原稿である以上、楽器的な側面からも、応援団をもっと掘りさげたいところ。なにしろ応援団と言えば、トランペット。ヤマハと言えば、トランペットでも国内屈指のシェアを誇る総合楽器メーカーなのだ。

「そもそもトランペットは、ホールのような反響のある室内での演奏を想定して作られている管楽器。なので、強弱のついた繊細な音を出すというより、目いっぱいに吹きこむスタイルに近い応援団の方々のような使い方はある意味、特殊と言ってもいいかと思います。しかも、メッキ加工のしてある管楽器にとって、汗や雨のような水分は大敵。柳澤さんがメンテナンスに持ってこられるトランペットも、通常は分解できるようになっている各パーツが固着しちゃって容易に外れなくなっていたりしますしね(笑)」

そう語る、イシバシ楽器 SHIBUYA EAST 管楽器専門店の石堀響子さんは、応援団に入って以降、立川店(現在は閉店)に足繁く通うようになった柳澤をかねてケアしてきた管楽器のスペシャリスト。だが、そんな専門家も「プロ野球応援団のお客様は初めて」。その使用環境に、当初は閉口もしたという。

 

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▲生でのプロ野球観戦はまだ「未経験」という石堀さん。学生時代はフルート奏者だった

 

「私自身、プロ野球にはあまり馴染みがなかったので、さすがに最初は『どういう使い方をしたらこうなるんだろう』って、ビックリはしました。ただ、学校の部活なんかで使われている共用の楽器のなかには、管のなかがドロドロに詰まっちゃっているようなものも少なくない。そういうものと比べれば、柳澤さんのトランペットからは『大切に使われているんだな』というのはすごく伝わってきますし、クラシックやジャズとはまた違った楽器の楽しみ方としても、全然アリだと思ってます」

屋根を上から被せただけのメットライフドームは、尋常じゃない夏の蒸し暑さとまだ肌寒い春先のスキマ風で知られる“半屋外”の特殊な球場。とくに夏場は、2リットルのペットボトルをまるごと2本飲みきっても「まだ足りない」ほど汗だくになるというから、その過酷さはハンパじゃない。当の柳澤も言う。

「使っているうちにどうしてもいろんなパーツが固まってきちゃいますし、ピストンバルブの戻りも悪くなる。過去に使っていたものだと、汗のせいで劣化したトリガーが吹いてる途中で折れたこともあるんです(笑)。一応、屋外球場で雨が降りだしたときなんかは、早めに仕舞ったりもするんですけど、それでも傷んではきちゃうんですよね」

 

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▲柳澤さん愛用のヤマハ『YTR-4335GSⅡ』。長いシーズンをともに戦い続け、現状は他の楽器とのチューニングに欠かせない「抜き差し管」が外せない状態

 

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▲エリック・ミヤシロ氏のシグネチャーモデル ヤマハ『YTR-8340EM』を試し吹きする柳澤さん。ベルの大きさ、バルブの操作性、軽さの3拍子がそろう逸品に「これはスゴい!!」と惚れぼれ

 

柳澤の愛用するトランペットは、バイト代で初めて買った入門機も含めて現在5代目。使いこむほどに手に馴染んでくる感覚のあるヤマハ『YTR-4335GSⅡ』は、とりわけ気に入っているモデルだという。

「ウチの応援はテンポの速い曲が多いので、ピストンバルブの戻りもスムーズな4000番台はすごく使いやすい。たまに別のものを使うと、『あ、全然違うな』とわかるんです。まぁ、欲を言えば、ヤマハさんのほうで“吹きこむ”ことに特化した耐水・耐汗仕様の応援団モデルを開発してくれたらうれしいんですけどね。最近だと、侍ジャパンの試合なんかで12球団の応援団が一堂に会することも多いですし、なんなら自分が話をしますんで(笑)」

 

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▲数年ぶりに再会したという熟練のリペアマン・金井さん(写真左)。彼がライオンズファンだという事実は、この日初めて知ったとか

 

ちなみに、この日の取材では一足先に立川店を離れていたリペアマンの金井真喜弘さんとも数年ぶりに再会。彼の口からは、柳澤も知らなかった驚きの事実が明かされた。

「実は私、学生時代にペンキ屋さんでアルバイトをしていたことがありましてね。当時建設中だった西武球場の放送室の内装を仕上げたのは、他ならぬ私なんです(笑)。そのときにオーロラビジョンなんかも生まれて初めて見て、すごい球場だなって感動してね。だから私も、それ以来のライオンズファンなんです。最近はもっぱらテレビ観戦だし、店でもほとんどバックヤードにいますから、そのことを彼に直接伝える機会がこれまではなかったんですけどね」

 

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▲レフトスタンドから望むメットライフドーム。写真正面奥が金井さんの手がけた放送室だ

 

前身の西武球場を「作った」リペアマンと、その西武球場に「魅せられた」応援団員。期せずして交わった2人と、「まだ生で観たことがない」石堀さんが来春の「球場での再会」を約束しあったところで、この日の取材は終了した。

ライオンズが惜しくも日本シリーズ進出を逃したことで、柳澤には“予定”より早いオフが訪れた。行く気満々で準備をしていた「2019 世界野球WBSCプレミア12」(※4)も諸般の事情で行けなくなり、愛用のトランペットも「近々金井さんに預けたい」。この冬はもっぱら来季に向けた応援曲のストック作りなどに邁進するつもりでいるという。


※4……15年から『世界野球ソフトボール連盟(WBSC)』主催で開かれている4年に一度の世界大会。第2回の今回は、11月2日よりメキシコ、台湾、韓国の3ヵ所でオープニングラウンドが開幕。各グループ上位2チームが、日本を舞台にスーパーラウンドを戦う

「個人的には応援団のみんなで旅行に行ったりもしたいんですけどね。でも、シーズンが終わった瞬間からが、自分たちにとっては稼ぎどき。開幕すると毎月10万円近くは軽く出ていってしまうので、オフのあいだはみんな遠征費を稼ぐのに必死なんです。まぁ、自分も含めて、それを苦労だとは全然思ってないんですから、みんな心底“野球バカ”なんでしょうね。残念ながらプレミアには行けなくなってしまったので、自分もこれから必死で働きますよ(笑)」

団員たちの野球への愛と情熱のみによって下支えされてきた、日本プロ野球独自の応援文化。トランペットに込められたその純粋すぎる想いが、球場をひとつに、そして熱くする──。

 


 

【PROFILE】
柳澤直樹◎やなぎさわなおき
1993年、東京都生まれ。高校2年から埼玉西武ライオンズ私設応援団『若獅子会』の一員に。現在は副会長として、名古屋以東の各球場を飛びまわる日々。仙台遠征の際は、中日・西武・楽天などで活躍したヤマハ野球部OB・岡本真也氏経営の『うどん・もつ鍋也 真』に顔を出すのが恒例行事。次代を担う【中学生以上】【楽器経験不問】の新規団員も随時募集中。問合せ▶member_recruit@wakajishi-seibulions.com

 


 

【取材協力】
埼玉西武ライオンズ
http://www.seibulions.jp/

イシバシ楽器 SHIBUYA EAST 管楽器専門店
https://www.ishibashi.co.jp/store/shibuya-east.html


〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町31-1 Hulic&New SHIBUYA B1F
TEL▶03-5728-0251 営業時間▶11:00~20:00

 

Text&Photo:鈴木長月
球場内Photo:沼田学
 

 

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