【演奏しない人のための楽譜入門】#04 超一流のドイツ人職人が実演で“魅せる”美しい楽譜の作り方~ヘンレ社の場合~


現在の出版譜は、コンピュータ上で「Finale(フィナーレ)」に代表されるような浄書ソフトを用いて作られるのが一般的ですが、それ以前は当然、手作業で作られていました。例えば、1948年にギュンター・ヘンレ(1899-1979)が創業したHenle Verlag(ヘンレ社)では、1990年代後半までエングレービング(金属版画の彫刻凹版技法)で印刷譜を製作していたといいます。この職人技を後世へと語り継ぐため、ベテラン職人のハンス・キューナー氏による貴重なデモンストレーション映像(2007年収録)が、ヘンレ社 のYouTube公式チャンネルで公開されていますのでその映像をご紹介するとともに、かつてどのように楽譜が作られていたのか、みていきましょう! 題材となるのはフランツ・リストが作曲したピアノ曲《愛の夢第1番》です。


【①00:46~】まずは「五線 staff lines」を削っていきます。もちろん事前に、上下にどのくらいの間隔で線を引くべきかを決めた上で削っていますよ。

【②01:03~】「拍(音符)beats」を置く位置の下書きをしていきます。テロップに出ている「marking off」は、日本語で「けがき」と訳され、その後の作業の基準となる線を引くことを指し、ピンセットのような器具をクルクルと回しながら距離を測っていきます。

【③01:20~】先程下書きした音符の位置に合わせて、縦のガイドラインを引いています。後に登場しますがこのぐらいの浅く引く線は、印刷に反映されません。

【④01:30~】鉛筆で音符を下書きしていきます。もちろん版画ですので、最終的なプリント結果とは左右が入れ替わった形で書き入れています。

 

演奏しない人のための楽譜入門(1)

※この譜例はライターによって制作されたものです。
 

【⑤01:48~】「ブレース brace」と呼ばれ、大譜表をまとめる記号“{”を書き入れます。本来の意味での「活字 type」(活版印刷で枠に並べる文字)がスタンプのようになっていて、ハンマーを用いて彫っていきます。

【⑥02:06~】同様に、ト音記号などの「音部記号 clef」、その右側に調性を決定する「調号 key」、更にその右側に○分の○という形で「拍子記号 time signature」も彫っていきます。

【⑦02:22~】「符頭 noteheads」――いわゆるオタマジャクシの頭の部分を、鉛筆の下書きに合わせて彫っていきます。そして作業風景を引いた映像で映す場面では、これほど沢山の活字スタンプを使いこなしていたことがうかがえますし、彫っている映像を確認できる場面では③で弾いた縦のガイドラインに合わせながら作業していることが確認できますね。

【⑧02:46~】金属板にかかったテンションを、裏側からハンマーで叩くことで緩和しています。⑦のように彫っていくと、段々と金属板がゆがんでしまうのですね!最終的に美しい楽譜を仕上げるためには、こうした細かい配慮も必要なのです。

【⑨02:56~】今度は「休符 rests」を彫っていきます。なお、映っているのは8分休符になります。

【⑩03:09~】もう一度「五線 staff lines」を彫ります。符頭や休符と交わる五線の彫りが曖昧にならないようにしているのです。

【⑪03:20~】小節を区切る「小節線 barlines」を彫っていきます。五線や、この次に登場する符幹(オタマジャクシの尻尾)よりも少し太くして、視認性を高めています。

【⑫03:38~】「符幹 stems」を彫っていきます。定規を使わず、長さの下書きもないというのが驚きです!

【⑬04:02~】五線のなかに収まらないような高低の符頭に「加線 ledger lines」を書き入れます。低い方の加線(画面上では上下反転しているので上の方)には、印刷には反映されない下書きようの線が書かれているのも見えます。

【⑭04:23~】符幹をひとまとめにする「連桁 beams」を彫っていきます。

【⑮04:46~】鉛筆の下書きに沿って「長いスラー long slur」をフリーハンドで彫っていきます。始まりと終わりは、力の入れ方を調整して、少し細くなっているのにも注目です。

【⑯05:04~】スラーのなかでも、うねる「S字スラー S-sharped slur」は更に高度! 狭いスペースに美しい曲線を引いていく手腕は、もはや芸術的です。

【⑰05:27~】「テヌート tenutos」などのアーティキュレーション(どのように演奏するかというニュアンスをつける記号)を彫っていきます。

【⑱05:39~】「装飾音 grace note」に付ける小さいスラーはサイズが決まっているので、⑮とは異なり、活字スタンプで彫っていきます。

【⑲05:57~】テンポ表記を一文字一文字彫っていきます。見る限り、この部分に下書きはなさそうなので、目測で字間を揃えています!

【⑳06:40~】プレート全体にスクレーパーで削りをいれて、金属板を平らにしていきます。実は、彫った部分の縁が飛び出てしまっている(その部分を「まくれ」といいます)のです。

【㉑06:52~】ここまで彫ってきた細めの線(五線や符幹など)に、再び彫りを入れていきます。

【㉒07:20~】⑧のように金属板を裏返し、ハンマーで叩くのですが、今度は金属板全体を平らにすることが目的です。

【㉓07:29~】再び(!)彫った面の全体に削りを入れて、表面からも平らにしていきます。細心の注意を払いながら作業を進めていかないと駄目にしてしまうので、一からやり直すことになってしまいます!

【㉔07:52~】「もしミスが生じてしまったら!?」……と聞かれた職人ハンス・キューナーは、「I don’t make mistakes. 私、失敗しないので。」と大門未知子ばりに即答して一同大爆笑(笑)。

【㉕08:04~】……と言いながらも「ミの音をソの音に直す場合」という例を挙げて、ちゃんとミスの修復方法を教えてくれます。大きい、特殊な形をしたピンセットのような器具で表と裏から挟んだりと何工程かの作業で、彫りを平らな状態に直します。

このような手間のかかる作業工程を繰り返しながら、版面を製作。そしてインクを載せて、プレスすることで印刷したのです。もちろん、大量印刷をする際には、その版面から直接印刷するわけではないのですが、最初にも述べた通り、90年代後半までは元となる原稿をこのように製作していたのです。
ヘンレ社が、他の出版社以上に「美しい楽譜」に徹底的なこだわりをみせる理由は、創業者ギュンター・ヘンレに由来します。外交官であり、経営者でもあったヘンレですが、実は玄人はだしの実力を誇るピアニストという顔も持っていました。彼自身が演奏家だったからこそ、演奏者にとって使いやすく、信頼できる楽譜を作りたい……。だからこそ、第二次世界大戦後に誕生した後発の出版社ながらも、瞬く間に多くの有名演奏家から支持を集めることが出来たのです。

 

演奏しない人のための楽譜入門(2)演奏しない人のための楽譜入門(3)

 

幾つか例を挙げてみましょう。20世紀を代表するピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインは「so beautifully printed とても美しく印刷された」と称し、鍵盤の獅子王と讃えられたヴィルヘルム・バックハウスは「the music printing is a joy and relaxing on the eyes. 楽譜の印刷は歓びの種で、目にも優しい。」と述べて、楽譜の美しさを強調しています。
現在ではヘンレ社も、コンピュータ上のソフトウェアを使用して楽譜を製作していますが、その基本となるレイアウトやデザインの方針は、この手作業による時代のものを受け継いでいるのです。これまで職人たちが築き上げた経験値は、今も活かされ続けているのです。

 


 

Text:小室敬幸