大志を抱く未来のクリエイターへ『海外で才能を開花させる方法』Etsuko Tajima


近年はミュージシャンに限らず、海外を拠点に活動を行う日本人のクリエイターが増えている。自分の実力を海外で試したい、より大きな視点でスキルを磨きたい。そう思うクリエイターがいる一方で、ビザなど手続き的な問題をどうすればいいのか、何から準備をすればいいのか、わからない人も多いはずだ。歌とピアノを学ぶために20歳の頃に渡米し、18年間アメリカを拠点に音楽活動を続けているジャズピアニスト/ボーカリストのEtsuko Tajimaさんに、海外留学にまつわる素朴な疑問を聞いてみた。この記事を読んで、少しでもチャンスを掴むための材料にしてもらえば幸いだ。

もともと歌はやっていたけど具体的なビジョンはなかった

 

――そもそも、Etsukoさんが海外で音楽活動をしようと思ったきっかけは?

Etsuko:高3の夏、母親が“夏休みは遊んでばかりで何もしないんだから、アメリカにでも行ってみなさい”って勝手にチケットを取られて(笑)、友達と2人で旅行に行ったんです。両親の友人がニューヨークにいたし、当時兄がインディアナ州に住んでいたから、BLUE NOTEの夜中のショーに連れて行ってもらったり、同い年くらいの子がスカバンドをやっていたりして。もともと歌はやっていたけど、具体的なビジョンは何も決めていなかったので、その光景にすごく刺激を受けたんです。

――どのくらいの期間行ったのですか?

Etsuko:3週間くらい。本当はインディアナ州に長く滞在する予定だったけど、ニューヨークがすごく楽しいから、ニューヨークに長く滞在したんですよね。BLUE NOTEとかで生の演奏を聴いて感激しました。今はもうないけれど、当時、CBGBというパンクロックの老舗的なライブハウス(アメリカンパンクとニューウェイブムーブメントの発信地となった伝説的ライブハウス)にも行って。2006年に閉館してしまったからすごく悲しいけど、そういった海外のカルチャーを肌で感じました。

でも、一緒に海外に行った友達は1週間遅れで現地に到着する予定だったから、最初の2日間は怖くて外出できなかった。何もすることがなくて、3日目に近所のデリに恐る恐る行ったら、日本人の男の子が“日本人ですか?”って声を掛けてきてくれて。ゲンちゃんっていう子だった。“僕たち、すぐそこの音楽スタジオにいるから、もし良かったら遊びにおいでよ”って電話番号を渡されて。最初は怪しいなと思ったけど、暇すぎてしょうがないから電話をして。そうしたら1ブロック先、歩いて3分くらいの場所に、スカバンドをやっている人たちが遊んでいる音楽スタジオがあったの。そこで、ゲンちゃん、フユ、タイちゃんという男の子と知り合って、帰国後も何となく連絡を取り続けたんです。

――高3のときに海外の刺激を受けて意識が変わったと。

Etsuko:はい。アメリカから戻ってきても、ずっとまたニューヨークに行きたいと思っていました。で、アメリカから帰ってきてからボイトレを始めたんだけど、それも大きかったかな。小さなライブハウスにも出させてもらって、プレイヤーとして勝負したいという夢ができたの。歌を歌っていきたいと。でも20歳になる前、ボイトレの事務所の人から“20歳を過ぎてからだともう遅いから、頑張るなら今よ”と言われて焦って。母親にそのことを話したら、“音楽は一生付き合えるものだから、歳を重ねれば重ねるだけ味が出るのよ”と言われて。そういうこともあって、またアメリカに行こうと思ったんです。

――再びアメリカに行ったのはいつですか?

Etsuko:本当はアメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)の10日後に出国予定だったのですが、結局半年延びてしまいました。

――やっぱりニューヨークが良かったんですね。

Etsuko:ニューヨークしか知らなかったので。知り合いもいたし、一度行ったことがあったから。

――住む場所はどうやって探したんですか?

Etsuko:最初の2カ月くらいはホームステイをしたの。その間に自分でアパートを探して。ニューヨークの人はだいたいシェアで住むから、そういう条件で。学生ビザで5年いたのかな。

――学生ビザの手続きは難しい?

Etsuko:学生ビザの申請はそこまで難しくないと思います。学校に入学の手続きをして、入学許可証を発行してもらって、必要書類を揃えたらアメリカ大使館でビザの申請手続きを行う。それを面接に持っていくのですが、面接も比較的簡単(https://youtu.be/yqwoy46vs7I)。私は最初の1年ぐらいを語学学校に行って、その後に音楽の専門学校『ブルックリン・クイーンズ・コンサバトリー・オブ・ミュージック』に通いました(現在は閉校)。有名校ではなかったけれど、学費がとにかく安かったので。

――どのくらいですか?

Etsuko:“セメスター”と言って、アメリカの大学は2学期制なんです。1学期で約40万円だったから年間でざっと80万円。あくまで当時の金額だけど、『バークリー音楽大学』だと1セメスター200万円以上だからかなり安かった。学生のときはバイトはしちゃダメだから(大学やカレッジのキャンパス内での仕事はOK)、日本でアルバイトをして貯めたお金と仕送りでやりくりしていました。

 

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最初は意見が言えなくて慣れるまではツラかった

 

――専門学校ではどんなことを勉強したんですか?

Etsuko:最初の3年間はボーカル専攻で、語学学校時代はゴスペルの先生について歌の勉強をしました。聖書の勉強も。でもやっぱり、その頃からピアノに戻りたいと思い始めたんです。生まれて初めて触った楽器がピアノだったし、ピアノを弾きながらする歌の練習が面白くて。理由はわからないけれど、ピアノのジャズのコードとか、ジャズのサウンドにすごく惹かれたんです。だから、もっともっと自分でコードを知りたいなと思うようになった。ニューヨークに住んでいるとジャズ色が強いし、もともとジャズとかR&Bとか黒人音楽に惹かれていたから。

――3年目にボーカルからピアノに専攻を変えたと。授業内容は?

Etsuko:パフォーマンスのクラス、セオリーのクラス、イヤートレーニング、コンポーズアレンジメント、アンサンブルのクラス、ボーカルワークショップ、あとヒストリーの授業がありました。印象に残っている授業はパフォーマンス。週1回のクラスなんだけど、ジャズのスタンダード曲を渡されて、来週までにみんなが勉強してくるんです。それぞれの楽器の人たちが、イントロとかエンディングを考えたり、インプロヴィゼーションのやり方を考えて実際に演奏するんだけど緊張しましたね。アメリカ人は、自分の意見を授業とかセミナーではっきりと伝えられるけど、日本人の私はそういう場面に慣れていないから最初は意見が言えなくて、慣れるまではツラかった。今でもそんなに得意なほうではないけれど(笑)。すごく緊張したけど、楽しかった覚えがありますね。

――学校にいるのは外国人ばかりですよね?

Etsuko:外国人ばかりだけど、『ブルックリン・クイーンズ・コンサバトリー・オブ・ミュージック』は日本人や韓国人も多かったです。全生徒が40人くらいしかいなかったから、そこでできた友達もたくさんいます。

――まず海外で音楽の勉強をしたいとか活動をしたいと思っている人は、学生ビザで行くのがセオリーなんですね。

Etsuko:観光ビザでも3カ月は滞在できるけど、ビザはあったほうがいいと思います。

――資金と時間さえあれば誰でもチャレンジしやすいと。

Etsuko:そうですね。向こうで仕事をしちゃいけないから、期間に応じた蓄えがないと厳しいですが。

――卒業後は?

Etsuko:卒業をすると、専攻した分野と関連のある職種で企業研修が行えるOPT(Optical Training Visa)ができます。私の場合はジャズピアノを卒業したから、“それに関連する仕事であれば仕事ができますよ”というビザで最長1年間滞在できるんです。私はその1年間で、ピアノの先生をしたりライブハウスでプレイをしたり音楽活動を始めました。その1年の間に、次のビザや進路について考えます。結局は、ビザがないと働けないし滞在もできないので。その1年の間に働く人もいるし、帰国する人もいるし、また大学に行く人もいるし、アーティストビザを申請する人もいる。それで私はアーティストビザ(Oビザ)を申請しました。

――卒業後の1年間は働いて、それが切れるタイミングでアーティストビザを申請したんですね。アーティストビザに必要な条件は?

Etsuko:基本的にアーティストビザは科学、芸術、教育、ビジネス、スポーツ、テレビ、映画などの分野でずば抜けた能力を持っていたり、業績を残した人に発給されるビザです。その中でも芸術分野はO-1Bビザで、アカデミー賞やグラミー賞などの権威ある賞の受賞経験がない人は、一定の条件を満たす必要があります(詳細はhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/index.htmlにて)。私の場合だったら、ジャズのフィールドで活躍する著名人からの推薦状とか、今までの活動の経歴とか、雑誌で取り上げられてレビューをもらったとか、何か賞を受賞したとか。私はアーティストビザだけど、もちろん他にもH-1という就労ビザがあれば、アメリカで仕事をしながら音楽活動をすることができます。

――アーティストビザは活動の中での実績が必要なんですね。

Etsuko:はい。要はアメリカにはたくさんのアーティストがいて、別にアメリカ人でなくてもいいわけでしょう? 日本人であるEtsuko Tajimaというアーティストがいることによって、アメリカの文化に貢献できることを証明しないといけない。しかもOビザは個人申請ができないから、スポンサーとなる会社や団体が必要なんです。

――今のスポンサーは?

Etsuko:今のスポンサーは、アフリカンダンスカンパニーの振り付け師です。彼女の会社のイベントでキーボードを弾いています。基本的には彼女が私に仕事を振ってくれるんだけど、契約上は彼女以外の人とも仕事をしていいことになっています。

 

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ジャムセッションでひたすら自分という存在を知ってもらう

 

――20歳からということは、海外生活はもう20年近くになりますね。最初は不便なことやツラいこともたくさんあったのでは?

Etsuko:やっぱり言語ですね。言葉がなかなか通じないし、日本みたいにいろいろと親切ではないんですよね。例えば公共施設とかカスタマーサービス。ひとつひとつにすごく時間がかかります。個人はみんなフレンドリーだし親切なんだけど、例えば何か商品が故障して問い合わせをすると4〜5回くらいたらい回しにされることもあって。

――生活に支障が出ないくらい会話できるようになったのはいつ頃ですか?

Etsuko:渡米して4〜5年はかかりました。ニューヨークには日本人が多いから、結局は日本語をしゃべる機会も多くて。だから人によると思います。田舎のほうで日本人が少ない環境にいたら1〜2年で話せるようになると思うけど、私の場合は時間がかかってしまいました。

――カルチャーショックじゃないけど、苦労や大変だった部分はありますか?

Etsuko:最近できたけど電車の時刻表がないとか、乗り継ぎを待ってくれなかったり。カルチャーショックはないかな。私が鈍感だから気づいていないだけかも(笑)。

――音楽活動をする上での苦労は?

Etsuko:スキルが日本のレベルとは圧倒的に違うこと。プロ並みのスキルを持ったアーティストばかりだから、自分のことを知ってもらうためにはいわゆるジャムセッションに参加する必要があって。そこで自分のスキルを見せつけるんだけど、最初は怖かった。女性だし、アジア人だから入りづらい雰囲気があって。どちらかと言うと当時、ジャズは男性の世界という風潮があったから。最初は怖かったからあまり演奏には参加できなかったけど、一応顔は出していました。たまに演奏はするけど、人と話したり交流することがメインで。そこで連絡先を交換して、今度は“気の合う人たちで自宅でセッションしない?”とか。ジャズクラブでのジャスセッションは怖いから、自宅でセッションをするようになって、そうしたら人脈も友達の輪も広がって、急に知らない人からライブのお仕事の電話がかかってきたりして、そういう風にして仕事が増えていきました。

――ミュージシャン仲間の人脈を広げるのは必須?

Etsuko:そうですね、やっぱりジャムセッションの存在は大きいと思います。それでひたすら自分という存在を知ってもらう。もちろん音楽ジャンルにもよりますが、特にジャズだと。基本的に、ジャムセッションで仕事探しをしていたのはOPTの期間。アーティストビザを取得したら、スポンサーからの仕事がメインになるので。もちろん、それ以外の演奏の仕事もあるけど。

 

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▲Resistance Revival chorusというグループのレコーディングに参加。2019年11月、ブルックリンのelectric garden recording studioにて。

 

LGBTQの人たちを応援するコンサートも開催

 

――今はどんなバンドで演奏しているんですか?

Etsuko:最近はCumbia River Bandというコロンビアンバンドとか、Brown Rice Family、Friluchaという女子バンドで演奏しています。コロンビアンバンドはアコーディオンとクラリネットとハンドドラムという編成で、コロンビアの伝統的なリズムを使ったラテン色の強い音楽。FriluchaはLGBTQをテーマにしたバンド。私はノーマルだけど、そのメッセージ性に共感して加入しました。

 

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▲コロンビアンバンドのCumbia River Band。2019年10月、ペンシルバニア州でのフェスティバルにて。

 

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▲Brown Rice Family。2019年12月、Citi Fieldsで行われたホリデーイベントにて。

 

――Friluchaではどんな活動をしているんですか?

Etsuko:基本的にはライブ活動がメインですが、LGBTQや女性を応援するメッセージ性のあるオリジナルソングを歌ったり、LGBTQで傷ついた人たちがカウンセリングに通うための資金を集めるコンサートもたまに開催しています。2017年にフロリダ州で起きた『オーランド銃乱射事件』の際は、追悼の気持ちを込めてボーカルの子とトリビュートソングを作りました。

 

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▲LGBTQや女性をテーマにしたバンド“Frilucha”の初ライブ。2016年6月、ブルックリンのC'mon Everybodyにて。

 

――アメリカに留学したい、挑戦したいと思っても、銃社会であることに不安を感じている人も少なからずいると思います。ニューヨークに20年近く住んでみて、治安についてどう感じますか?

Etsuko:私がアメリカに来た2000年代初頭は、住んでいた家の正面の建物で2回くらい銃撃事件があって、それはギャング同士の抗争でしたが、今は本当に治安が良くなった印象があります(1990年代以降、ニューヨークの犯罪件数は減少傾向。2019年の犯罪件数は過去最少に)。ブルックリン区やブロンクス区では治安があまり良くないエリアもまだあるけれど、マンハッタンの治安はだいぶ良くなりました。それでも置き引きやスリの被害は日本よりも多いけど。“ジェントリフィケーション”といって、居住者の階層が上がったことも治安改善の要因のひとつと言われていますね。グラフィティやアートの街だったブルックリンが、どんどん綺麗になって、土臭いアートが消えていくのは寂しくもあります。

――今回いろいろと話を聞いて、海外での挑戦はある程度の蓄えと時間があれば比較的トライしやすいことがわかりました。

Etsuko:少しでも挑戦したい気持ちがあるのなら、絶対にトライしたほうがいいと思います。失うことがあったとしても、行かないで後悔することの喪失のほうが絶対に大きいから。

 

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▲自身の名義“Etsuko Tajima Quartet”によるライブ。2016年10月、ブルックリンにて開催された『BRIC jazz festival』にて。

 


 

【プロフィール】
たじまえつこ/1981年、東京都出身。母親がピアニスト、父親がサックス奏者という音楽一家に育ち、4歳よりピアノとバイオリンをスタート。20歳で渡米。現在はボーカリスト、ピアニスト、アレンジャー、作曲家として数多くのプロジェクトで活動。2016年7月に1stアルバム『Infinite Possibilities』をリリース。
https://www.etsukotajima.com

 


 

Text&Photo:溝口元海