新しいレパートリーを広め“現代”の作曲家を支援する出版社ブージー&ホークス【演奏しない人のための楽譜入門#06】


前回の連載で世界最大の楽譜出版社について取り上げましたが、クラシック音楽に特化した出版社のなかで最大の規模を誇るのがブージー&ホークス。1760年代に起源をさかのぼりますが、現在の社名になったのは1930年のことです。そこから100年も経たないうちに、現在のポジションを築くに至った経緯に今回は迫ってみましょう。キーワードになるのは「現代の作曲家」です。

ブージーとホークス、2つの出版社が合併するまで

 

起源は1760年代にジョン・ブージーがロンドンで立ち上げた貸本屋にあります。1792年にジョンの孫であるトーマスがビジネスを拡大。廉価版の楽譜を充実させることで事業が成長し、19世紀になりビクトリア朝時代に入ると当時人気を博していたロッシーニなどのイタリアオペラの楽譜をイギリスで出版して成功を収めます。ところが1854年に諸外国と英国間における著作権に関して条約が結ばれ、それにより外国の人気楽曲が出版出来なくなってしまうのです。

この窮地を救ったのが、まずは1851年から新規参入していた管楽器の製造。そして1876年から始まった「ブージー・バラッド・コンサーツ」(ロンドン・バラッド・コンサーツと題された場合も……)が大きな役割を果たしました。これは当時流行していたプロムナード・コンサート(いわゆる名曲コンサートのようなビギナーでも楽しみやすい演奏会)の亜種ともいえるものです。

ウェールズ、スコットランド、北アイルランドを含むイギリスの作曲家が書いた親しみやすい歌――例えば民謡、賛美歌、アーサー・サリヴァン(1842~1900)が作曲したオペレッタの人気曲など――の楽譜を売るために、そうした楽曲を有名歌手が歌うコンサートシリーズを開催しました。この目論見は大成功を収め、1933年まで続いていきます。また、エドワード・エルガー(1857~1934)やフレデリック・ディーリアス(1862~1934)やレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)といった20世紀初頭のイギリスで人気を博した作曲家とも契約を結び、バラッド・コンサーツの演目に加えたりしつつ、また彼らのオーケストラ作品なども出版するようになりました。

一方、軍楽隊を引退した優秀なトランペット奏者ウィリアム・ホークスが1865年に設立したホークス社は、軍楽隊の楽譜や楽器などを主に取り扱う会社として始まりました。吹奏楽や管弦楽のスコアの出版を手掛けているという意味ではブージー社と長らく競合関係にありましたが、1930年に両社は合併することになります。きっかけとなったのは、当時両社の責任者だったレスリー・ブージーとラルフ・ホークスが、演奏権利協会(Performing Right Society/現:PRS for Music ※イギリスにおけるJASRAC的な存在)の理事会メンバーとして出会ったことでした。こうして現在知られるブージー&ホークスという社名が生まれます。

 

社の方針はどのように生まれたのか?

 

時代が前後してしまいますが、ブージー社は合併前の1892年にニューヨークオフィスを構えていました。こうした国際路線が1930年の合併後、一気に進むことになったのは時代背景も絡んでいます。1938年にナチス・ドイツによってオーストリアが併合されたため、ウィーンの出版社ウニヴェルザール(英語読みだとユニヴァーサル)で働いていた優秀なユダヤ人編集者がロンドンに逃れ、ブージー&ホークスに務めることになったのです。そしてウニヴェルザールで取り扱っていたグスタフ・マーラー(1860~1911)、ベーラ・バルトーク(1881~1945)、ゾルターン・コダーイ(1882~1967)といった作曲家の代理店となったり、新しく契約を結んだりしました。1943年にはリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)とも契約をし、主に晩年の作品を出版しています。

 

楽譜コラム6(1)

▲リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)

 

そして1947年には指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー(1874~1951)が立ち上げたロシア出版社(Éditions Russes de Musique)などのカタログが加わることになり、セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)、セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)の有名な傑作を手掛けるようになります。この中にはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ストラヴィンスキーのバレエ《ペトルーシュカ》《春の祭典》、プロコフィエフの交響曲第1番《古典》、ラヴェル編曲のムソルグスキー《展覧会の絵》といった今もオーケストラの中核レパートリーとなっている人気楽曲が含まれているのですから、いかに大きな出来事だったのかお分かりいただけるでしょう。

 

楽譜コラム6(2)

▲イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)

 

こうして、20世紀に活躍する作曲家たちが出版リストの核を担うようになり、ブージー&ホークスという出版社の方向性が決まっていくのです。他にも1935年、当時まだ22歳の若手だった自国イギリスのベンジャミン・ブリテン(1913~1976)を青田買い。そして戦時中には、アーロン・コープランド(1900~1990)がアメリカ人として初の契約に至ります。第二次世界大戦後になると、ここにレナード・バーンスタイン(1918~1990)、エリオット・カーター(1908~2012)、スティーヴ・ライヒ(1936~ )、ジョン・アダムズ(1947~ )といったアメリカを代表する作曲家が加わるのです。

 

楽譜コラム6(3)

▲ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)

 

 

21世紀の音楽出版社は、いかにあるべきか?

 

20世紀末から現在に至るまで、様々な出版社を買収していくため、過去の作曲家の出版リストも増えていったのですが、同時にブージー&ホークスは21世紀でも存命中かつ第一線で活躍する作曲家と積極的に契約を結んでいます。

しかも、単に楽譜を出版するだけでなく、売出しにも積極的。ヤマハのような楽譜を販売する店舗に新刊の案内を出すだけでなく、サンプルCDやカタログ等といったプロモーションツールをオーケストラやジャーナリストに送付したりもしています。更にはWEBサイト上では通常のプロフィールよりも長い経歴とともにサンプル音源を載せたり、10分程度のプロモーションビデオを作成したりと、前のめりに売り込みをしているのです。

ですから所属する作曲家にとって、ブージー&ホークスは単に楽譜を販売したり、レンタルしたりするだけの企業ではなく、自分の作品を演奏してくれる可能性がある団体へ自分に代わってアピールをし続けてくれる貴重な存在といえます。これは当たり前のようでいて、実際にはなかなか難しく、企業として体力がないと出来ないことなのです。

皆様が足を運ばれるオーケストラのコンサートのなかで、存命中の作曲家による作品が取り上げられている際、実は出版社の売り込みがきっかけとなってプログラミングされたものもあるかもしれませんよ。

 

←前の話へ          次の話へ→

 


 

Text:小室敬幸