【日本人初のトリプル受賞】仙台からボストンへ。作曲家・秩父英里が紡ぎ出す“航海”のような音楽人生


春の訪れとともに、世界は突如ウイルスの猛威に襲われた。東京オリンピックは延期、多くの音楽イベントも自粛をつづけている。やるせない話題ばかりのなか、晴れやかなニュースが飛び込んできた。ボストン在住の作曲家でありピアニストの秩父英里が、アメリカの権威ある「ISJAC/USF オーウェン賞(2020)」と「ASCAPハーブアルパート・ヤングジャズ作曲家賞(2019、2020)」でトリプル受賞を果たすという日本人初の快挙を成し遂げたのだ!
2020年受賞作の 「The Sea-Seven Years Voyage-」は、仙台で被災した東日本大震災の経験やバークリー音楽大学への留学などから得た思い、自然からのインスパイア、将来に対する想像力などを“航海”に例え、テーマとしている。「震災当時は、自分が音楽家になるなんて思ってもいなかった」という彼女は、音楽を通してシビアな現実を咀嚼し、希望に満ちた作品へと昇華する力強さをどのように育んだのか? どこか宿命的でユニークな音楽キャリアを聞いた。

音楽に導かれ仙台からボストンへ。震災の記憶と向き合った7年間

 

未知のウイルスに日常が奪われていく状況に、東日本大震災を思い出す人も多いだろう。秩父英里は、仙台で震災を経験し、その後ボストンにあるバークリー音楽大学に留学した。2018年にこの曲を完成させるに至った7年間で、「人生は流れていくようで、何が起きるか分からない」と強く感じたのだという。まずは、受賞作を聴いて欲しい。
 


ノネット(9人編成)の色彩豊かな音色と、波のような美しい調和が心地よいこの曲には、ドキッとするブレイクが登場する。約6分間の楽曲の折り返し地点、ピアノによって奏でられる緊急地震速報を想起させるフレーズだ。

「大学入学を控えた高校3年生のとき、震災が起きました。幸い私自身に大きな被害はありませんでしたが、大学の入学式は行われず、授業の開始も遅れました。当時の記憶は正直今でも心に残っていて、思い出します。緊急地震速報は、そんな私を含めある種のトラウマとも言える音かも知れません。ただ、仙台での大学生活から想像もしていなかったアメリカ留学を経た7年間で、私自身があの音に向き合えるようになっていったんです」

 

秩父英里インタビュー(1)

 

取材・撮影は2月上旬の一時帰国時に行われたが、その後の状況を踏まえ、オンラインでも追加インタビューを行った。


落ち着いた口ぶりながら、センシティブな記憶に気持ちが揺れているのが手に取るように伝わってくる。

「受賞はもちろん嬉しかったですし、励みになります。ただ、昨年地元でこの曲を演奏する機会を頂いた際は、もしかしたら聴いてくださる方に辛いことを思い出させてしまうかもしれない……と、心配だったのも本当です。でも、私が思っていた以上に、皆さん喜んでくださった。この曲を受け入れてくれた東北人の強さ、前を向いて進む気持ちを共有できたことが何よりも嬉しかったです」

「The Sea-Seven Years Voyage-」からは、10代の少女が自分の表現を模索し、音楽家として自立していくまでの複雑な心模様と、そこに通底する意思を感じる。どんな子供時代を過ごし、音楽へと目覚めていったのだろう。

 

教育学部に進学した大学時代、運命を変えたグランドピアノとの出会い

 

両親の仕事の都合で東京、千葉、茨城と転校を繰り返した秩父は、幼少期からヤマハ音楽教室に通い、9歳でエレクトーンを弾き始めた。「歯磨きと近い感覚だった」というほど自然に演奏を楽しんでいたのだろう。JOC(ヤマハ音楽教室の生徒による自作自演のコンサート)に出場する機会もあったが、小学生当時の秩父は「作曲の意味がわからない」と感じ、特に創作活動に夢中になることもなかったという。

「エレクトーンは、色々なパートをひとりで表現できる楽器。私の音楽的原体験であることは間違いありません。ただ、子供の頃、作曲は嫌いでしたね。中学の途中からはデータをいじったり、曲のアレンジをしたりするのが楽しいと感じるようにはなっていましたが、相変わらず作曲は好きではなく(笑)。高校入学後に軽音学部に入ってバンドを始めたりしてから、なんとなく作曲に興味がでてきました。当時、師事していたエレクトーンの先生は、発想を膨らませるように自由にやらせてくれていたので、作曲にも積極的になった気がします。また、フットペダルは子供の頃から好きで、作曲するようになってからもフットペダルを多用して弾いていた気がします。エレクトーン以外には、中学では1年ほど吹奏楽部でテナーとバリトンサックス、高校では軽音楽部に入ってドラムも始めました。バンドで演奏するのは好きだったけど、当時は将来音楽の道に進むなんて、夢にも思っていませんでした」

 

秩父英里インタビュー(2)

 

2011年、震災の影響を受けながらも東北大学教育学部に進学した秩父は、臨床心理学を専攻。スクールカウンセラーなどで知られる臨床心理士を目指し始めた。

「人間の心理的な部分がコミュニケーションにどう影響し、また、影響されるのかを知りたくて。家族療法や短期療法を専門とする研究室に所属し、早い段階から大学院進学を考えていました。当時は、“笑いがコミュニケーションにもたらす作用”の研究に熱中していました」

音楽活動は続けながらも、あくまでも趣味の範囲で楽しんでいたという大学3年生の春、人生を変える最初の出会いが訪れる。大学のジャズ研究会の部室に、白いグランドピアノを発見したのだ。

「ビジュアルにやられちゃって(笑)。衝動的に『弾いてみたい!』と、3年次ながら入部しました。最初はエレクトーンとのタッチの違いに戸惑った部分もありましたが、どんどんピアノ演奏や、人と演奏すること、またオリジナル曲を作ることが楽しくなってきてのめり込みましたね。『Kaeru』は、ジャズ研時代に先輩と組んだトリオのために作曲しました」

演奏動画はバークリー在籍時。雨音のように跳ねるリズム隊と溶け合うピアノが楽しい

 

ジャズ研での活動は、新しい知覚の扉、音楽の地平を拓くに十分だったようだ。しかし、あくまでも臨床心理学での大学院進学を目指し、見事院試も突破した秩父に、さらなる運命の出会いが訪れる。

「卒業前の12月頃、ジャズ研の部室でトランペッターでありバークリーの教授でもあるタイガー大越さんが主宰する『北海道グルーブキャンプ』が3月に開催されるっていうチラシをたまたま見つけたんです。私は院への進学が決まっていたので、学部卒の友達みたいに海外に卒業旅行!とかいう気分でもなく、でも、これだったら卒業のご褒美にいいかな?と、同じく院に進学する友達も誘って行くことにしたんです。仙台からちょうどいい距離感だったのも、大きいです(笑)。そうしたら『バークリー賞』といって、バークリーの夏季プログラムに全額奨学金を受けて参加できるチャンスを頂いたんです。嬉しいのはもちろん、とても驚きました。というのも、当時おそらく80人ぐらい?の参加者から賞に選ばれるのは、原則15〜18歳という決まりがあったんです。その時点で私はもう22歳だったので……それに『大学院どうしよう!』って」

 

「祝・入学」の紙封筒を持ったまま「休学ってどうやったらできますか!?」

秩父英里インタビュー(3)

スタッフからのポーズのリクエストに照れくさそうに応じる秩父
 

北海道から帰仙してすぐの2015年4月3日。年齢制限の枠を突破し、バークリーへの切符を手にいれた秩父は、東北大学大学院の入学式に出席。そして、その足で教務課に直行し休学の申請!と、急転直下音楽の道へ引きこまれて行く。

「自分でも信じられませんでしたが、窓口の方も、さすがにびっくりしていました。『え!? どういうこと?』って。そりゃそうですよ。『祝・入学』の紙封筒持ったまま『休学ってどうやったらできますか!?』ですから……(笑)」

紆余曲折を経ながらも、音楽の神様から強く求められ続けたとしか思えないエピソードは、まだつづく。同年7月、ボストンに飛び刺激に溢れた5週間のプログラムを受けた秩父は、音楽でのバークリー正規入学を本格的に目指すようになったが、一筋縄ではいかなかった。

「当初、休学は1年だけのつもりでした。バークリーの奨学金には受かったのですが、それだけでは留学費用が足りなかったからです。ただ、そんななかサントリーが復興支援の一環として取り組み、米国大使館と米日カウンシルジャパンが主導する『TOMODACHIサントリー音楽奨学生』に選ばれ、全額支援を受けられることになりました。正式な発表が4月下旬にあり、やっと本格的に行けることになったので、大学院にまた休学届けを出しました。振り返ってみると、なんかいつもギリギリでしたね(笑)」

翌2016年9月。ついに名門バークリー音楽大学に入学し、ジャズ作曲学科と映画音楽学科をダブルメジャーとして専攻。ゲーム音楽学科を副専攻とした。実はこのダブルメジャーは時間的にも物理的にもハードな専攻のため、同級生たちからは「両立できるの…!?」と、とても驚かれたそうだ。

 

秩父英里インタビュー(5)

クーリッジコーナー・シアター(ボストン)にて「Berklee Silent Film Orchestra 2019」で指揮を振る様子。撮影:Dai Haraguchi


「確かに、本来5年かかるプログラムを3年半で終了させるのは、体力的に大変……でした。でも、どっちかを選ぶことができなかったというのが本音なんです。子供の頃からジブリ作品や大河ドラマの音楽も好きで、そうした音楽理論を学べるのは本当に楽しかった。

それに、入学するまでバークリーはジャズの学校だと思っていましたが、とんでもなかった(笑)。もちろんいわゆるジャズプレイヤーを目指している人もいるけど、映画やゲーム、電子音楽とかアンビエント、効果音までとにかくあらゆる音楽の刺激にどっぷり漬かることができる環境なんです。どんどん興味の幅が広がって、最近は立体音響で何か面白いことができないかなぁと模索しています」
 

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2019年12月、ハードな専攻ながら優秀な成績を修め首席で卒業した秩父は、本来なら今もボストンで作曲、演奏活動を続けているはずだった。

しかし、突如始まったコロナ禍。3月下旬、感染拡大が深刻なアメリカから急遽一時帰国した秩父は、14日間の隔離・待機を経て現在の率直な思いをこう語ってくれた。

「学生さんも社会人の方も、誰の身にも『本当だったら今頃……』ということがたくさん起きていると思います。ボストンも見たことのない様子でしたが、世界的に困難なこの状況をひとりひとりが自覚して、どうすべきか考えて行動することが一番大切だと思います。まずは、ご自身と身近な方の健康、安全を第一に過ごして欲しいなと思います」

ストレスが多い日常で、どうすれば落ち着けるのか。こうした状況下でも創作に向き合えているのかを聞くと「う〜ん、たくさん寝てます!」と笑う。努力家の才媛であることは間違いないが、時折ふにゃっとした20代らしい素顔ものぞく。ただ、創作への意欲に満ち溢れていることは間違いなさそうだ。改めて、その強さはどこから来るのだろう。

「想定外の出来事……良いことも悪いことも、急に起きるということは身をもって感じてきました。でも、生きてさえいれば大抵のことはなんとか乗り越えられると信じています。だからこそ、今は命が一番大事です。バークリーでは、同級生の多くが年下でした。確かに若ければ若いほど吸収力があるというのも本当だと思います。最初は、ちょっと焦ったりもしました。でも、もし私が高校卒業後すぐに留学していたら、果たして今の自分になれただろうか?とも思うんです。研究やサークル活動を通して、自分を取り巻く世界への理解が進んでいたからこそ、ボストンでしっかり音楽と向き合えた。例えば人種についてなど、日本ではほとんど考えたこともなかったですし。心理学で学んだことが役立ったと感じたこともありました。今回の経験からも学べることはきっとあるはずです。

今の状況を震災と簡単に比べることはできませんが、やっぱり音楽をはじめとした芸術、エンタメが力になれることが必ずあると思います。私も一生懸命、活動を続けていきたい。もちろん、それが誰かの楽しみや励ましになってくれたら、それはとても嬉しいです」

4月になり国際郵送で届いた学位記。「添え状も何もなく送られてきてちょっと驚きましたが、それもアメリカらしいです」

 

『The Sea-Seven Years Voyage-』に描かれた7年間の航路は、想像以上にハードだ。だからこそ繊細な思いと強い意思を美しい旋律に乗せられたのだろう。ちなみに、学部生時代心理学の側面から笑いの研究をしていた彼女が、今一番癒されるのは「すゑひろがりず」や「かまいたち」の漫才だ。

もし震災を経験しなかったら……、ジャズ研のグランドピアノに出会わなかったら……、北海道のキャンプに参加しなかったら……いくつもの「if <もしも>」を思わずにはいられない秩父英里の航海は、まだ始まったばかり。ただ誤解を恐れずに言えば、ストレスフルな状況下でさえも、たおやかに才能を開花させる気がしてならない。感染が収束したアフターコロナの世界。ライブやフェスで、さらに進化した世界観を披露してくれるのを楽しみに待ちたい。

 


 

【PROFILE】
●秩父英里
作曲家/アレンジャー/ピアニスト/キーボーディスト/バンドリーダー

秩父英里インタビュー(4)

 

宮城県仙台市出身。東北大学卒業後、奨学金を得てバークリー音楽大学に留学。ジャズ作曲、映像音楽・ゲーム音楽等の作曲を学ぶ。自身のプロジェクトでの活動をはじめ、ビッグバンドやゲーム・映画など各メディアへの楽曲提供、アートや多領域とのコラボレーションなど、ジャンルを問わない活動を行っている。
東日本大震災、ボストン留学を経た自身の“人生の航海”をテーマに作曲した『The Sea-Seven Years Voyage-』で、国際ジャズ作編曲家協会から若手ジャズ作曲家に贈られる「ISJAC/USF オーウェン賞」(ISJAC/USF Owen Prize 2020)を日本人で初めて受賞。さらに、過去に狭間美帆らが受賞したことでも知られる「ASCAP ハーブアルパート・ヤングジャズ作曲家賞」(ASCAP Herb Alpert Young Jazz Composer Award)でも2019年、2020年に2年連続受賞という快挙を成し遂げる。ボストン在住。

 

記事中にある楽曲はこちらから配信されています。
https://erichichibu.bandcamp.com

 

https://www.erichichibu.com/
https://twitter.com/erichichibu
instagram.com/eeerichichibu/



受賞作を含む音源や演奏は、YouTubeでもチェックできる。
ぜひチャンネル登録を!
https://www.youtube.com/c/erichichibu
 

 


 

Text:仲田舞衣
Photo:Great The Kabukicho

 

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