第1回 「音がいい」って何?【音楽あれば苦なし♪~福岡智彦のいい音研究レポート~】


「いい音研究所」所長の福岡智彦です。1954年、大阪生まれ。1978年より渡辺音楽出版、ソニー・ミュージック、スペースシャワーと、長いこと音楽仕事に従事してきました。これまで「百歌繚乱・五里夢中」と題して、古今東西の名曲・名盤をテーマ別にレコメンドするコラムを書いてきましたが、今月からは趣を変えて、私が日々遭遇する音楽にまつわる様々な事件、どうでもいいことからちょっといい話まで、観察&考察してみた結果を研究レポートにまとめまして、みなさんに提出していきます。どうぞご査収願いますね。

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その「音のよさ」はどれくらい?

 

若い頃から初老の今まで一貫して、私が好きなことの一番は「いい音楽」を「いい音」で聴いている時間です。むろんそこに理屈はなく、好きだから好きなのですが、「なんでそんなふうに感じてしまうんだろう」と自問自答してしまう自分もいます。今回は「音がいい」ってどういうことなんだろう?ということについて考えてみたいと思います。

まず、「いい音楽」と「いい音」って言いましたが、この2つの「いい」は意味が違うようです。「いい音楽」とは私にとっての「いい音楽」で、つまり「好きな音楽」と置き換えてもいい。でも「いい音」は「好きな音」ということではありません。

音楽ってよく料理に例えられます。メロディや歌詞という素材を、アレンジャーのレシピに従って、歌手やミュージシャンが調理する。素材、レシピ、調理の腕、どれもがよくないと“美味しい”音楽はできない、などと。たしかに「美味しさ」というものも、「音のよさ」と似ている感じはします。捉えどころのないものを味覚あるいは聴覚という感覚で判断することにおいて。

だけど、料理は「好き嫌い」と「美味しさ」が、比例とは言わないまでも、かなり寄り添っているんじゃないかな。美味しいけど嫌いなんてことはあまりないよね。音楽は、音がいいけど好きじゃないということもその逆もふつうにあります。水に冷水から熱湯まであるように、音には、人の好き嫌いとは独立して、「悪い音」から「いい音」までの段階があると思っています。

ただ、水は温度計があれば、数字ではっきり「熱さ」を測れますが、「音のよさ」を測れる「音度計」など、世の中には存在しません。私たちはよく「音がいい」あるいは「よくない」と感じたり口にしたりしますが、その判断基準は実はものすごく曖昧でええかげんなものであることを、たぶんあなたも気づいてますよね。

いや、「周波数特性」や「S/N比」など「音のよさ」を表す数値はあるじゃないか、ですと?あなた、なかなかオーディオ通ですね。「周波数特性」は低音から高音まで万遍なく再生できるかどうか、「S/N比」は余計なノイズがどれほど少ないかという物理特性で、オーディオ機器のカタログには必ず載っています。たしかにそれはその機器の性能を数値で表したものなんですが、さて、実際の「音のよさ」とどれほどリンクしているんでしょうか。たとえば真空管のアンプ。周波数特性もS/N比も、トランジスターやICのアンプに比べると間違いなく劣りますが、(安物でないかぎり)とてもいい音を鳴らしてくれます。しかも、真空管というと「まろやかで温かい」みたいなイメージがありますが、そんな単純なものじゃない。ちゃんとシャキッとした歯切れのよさもあります。こんなデジタル時代になっても人気が衰えないことが、その「音のよさ」を証明しています。でもそれは同時に、「音のよさ」は数値では表せないことの証拠でもあるのです。

 

音楽あれば苦なし(1)

真空管アンプ(福岡氏私物)

 

そもそも、低音から高音まできれいに聴こえたとしても、それは「音のよさ」のほんの一面。たとえば、きめ細かさとか、瑞々しさとか、勢いとか、抽象的な表現しかできませんが、そういったものの総体によって、「いい音だなー」と感じるのではないでしょうか。ああ、つくづくええかげん。

私も、「いい音研究所所長」なんて名乗って、日々いろんな音楽を聴いたり、音楽イベントをやったりしてはおりますが、「いい音」についての感度が人より優れているという自信はまったくありません。毎月同じ会場同じ機材でLPやらCDを聴くイベントでも、仕込みの時はいつも、「音、こんな感じかなぁ?」とイマイチ確信が持てません。
オーディオ評論家とかレコーディング・エンジニアとかには、高精度な“物差し”を持つ人もいるかもしれませんが、たぶん人類の99%はええかげんだと思います。

ただ、ホントにいい音は誰が聴いても分かる、とも思っています。本能的に分かると言うか。ホントにいい音を聴くと、反射的に脳の中に幸福感がじゅわ〜っと満ちてくる、そんな感じしないですか?まだそういう音を聴いたことがない人にはピンとこないでしょうが、実際体験してみると、きっと分かると思います。私も「これがホントにいい音というものか!」という体験をしたのは25歳くらいの頃です。仕事で訪れたある作曲家のお宅のステレオを聴かせてもらって。JBLの4343とか4344だったかのレコーディング・スタジオにあるような大きなスピーカーと、たしかマッキントッシュのアンプ、プレイヤーは何だか忘れたけど、何を聴いたかも忘れたけど、その時の音の感じはなんとなくまだ記憶に残っています。ベースがまさにそこで弾いているような、太い蛇がグニグニと這い回っているような、存在感のある音だった。

ホントにいい音は、本能で分かる。そこはいいとして、しかしそれ以下の、まあまあな音からホントにいい音への距離感が分からない。どうしたらホントにいい音になるかという道筋も分からない。困ったものです。

別に困ることはないでしょ、それでも音楽は充分楽しめるよ、ですって?たしかに音楽を聴くだけなら、そこまで神経質になることはない。私もオーディオには興味こそあれ、マニアではありません。クルマが買えるほどのお金をスピーカーやアンプにつぎ込みたくはないし(でもクルマとオーディオ機器の好きな方をあげると言われたらオーディオをとりますけど…)、何種類ものケーブルをとっかえひっかえすることに時間を投下したくもないです。だけど、もし自分が音楽を生産する立場だったらどうでしょう。

 

「ホントにいい音」を作る方法

 

オーディオにどれだけお金や神経を使おうと、モト、つまりCDやレコードになっている音源そのものが「いい音」でなければ、何の意味もありません。オーディオ環境というものは「原音忠実再生」が基本です。モトが悪くてもよくしてくれる機能なんてありませんし、必要ない。だから音楽の生産者は「いい音」の音源を作らねばなりませんし、そのためには「音のよさ」を判断しなければならないのです。ところが先ほどからお話ししているように、「音のよさ」の判断はむずかしく、現実には、「いい音」とは言えない音源も無数に出回っています。昔、特に50年代以前は録音機材の機能の限界でどうしようもないところがありましたが、それ以降はやはり制作に携わった人によって、かなりの差があると思います。

音楽イベントをやっていると言いましたが、実は私、若い頃は音楽制作ディレクターという職業に従事しておりました。80〜90年代のことです。イベントの音にも気は使っておりますが、まあその場限りのものなんでまだ気楽、当時はなかなかにたいへんでした。ディレクターという仕事は直接音創りをするわけじゃないので、楽器ができなくても機械が分からなくてもかまわないのですが、できた作品の責任は彼にあります。なのでその判断には的確さが求められます。もちろん「音のよさ」だけじゃなく、作品全体のよし悪しに対して、ぶっちゃけて言うと「売れる作品なのか」ってことなんですが。中には売れることだけ気にして、「音のよさなんか売上げに関係ねーよ」と嘯く人たちもいますが、たいていのディレクターは、それなりに、「音のよさ」にもこだわっていると思います(思いたい)。

当然、毎日のようにレコーディング・スタジオに入り、延々と音を聴き続ける生活でした。そんな中、「音のよさ」というものにいちばん神経を使ったのは、何と言っても「ミックスダウン」と「マスタリング」という行程でした。「ミックスダウン」は、別々のトラック(チャンネル)に録音された歌や楽器、それぞれの音質を調整しつつ、音量や定位などのバランスを決めて、ひとつの音源にまとめること、で分かります?マルチトラックからステレオの2トラックに落とし込むので「ミックスダウン」と呼ぶわけです。で、「マスタリング」はミックスダウンした音源からCDやLPをプレスするための「マスター」を作ること。LPなどアナログの場合は溝を刻むので「カッティング」と言いますけどね。「マスタリング」でも全体的な聴こえ方は多少調整できますが、どちらかと言うとよくするというより悪くしない、「ミックスダウン」した音をなるべくそのままにCDやLPに持っていくことに重点が置かれます。そして「マスタリング」が音楽制作の最終行程、ここで決めた音質・音像が世の中に出ていくことになりますから、神経を使うのは当然ですね。

とは言え、実際音をいじるのはエンジニアという専門家の仕事。私の役割はエンジニアに対して希望を言ったり、ダメを出したり、褒めて盛り上げたり。少しでもいい音楽になるように現場を進めることです。もちろんなるべく段取りよく。コストは抑えねばなりません。

さて、人並みの“物差し”しか持たない私が、どうやってそんな音楽制作の現場監督を務められたのか、あなたも不安でしょうが、続きは次回に。

 

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