楽器演奏大好き芸人・西村ヒロチョと行く大人の音楽科見学《ヤマハ イノベーションロード後編》


大人の社会科見学ならぬ“音楽科見学”をしたい!というわけで、前編に引き続き後編では、ヤマハ本社構内に併設された企業ミュージアム『イノベーションロード』にお邪魔しています! 歴史的に貴重な展示品を見ながら、ヤマハの過去、現在、そして未来への飽くなき“挑戦”が体験できる場とあって、生粋の楽器好きである西村ヒロチョ(とスタッフも)は終始テンションが上がりっぱなし! 楽器、音響機器、半導体、発動機など、あらゆる分野で世界トップシェアを誇るブランドがどのような道のりを歩み、どのような発展を遂げてきたのか。予約制だが非常に濃密な展示内容となっているので、ぜひ一度足を運んでみてほしい! 後編ではイノベーションロードマップ/ヒストリーウォーク/イノベーション・ラボ/音響展示エリア/バーチャルステージの模様をお届けします!
(こちらは2020年1月に取材しました)

 

>前編はコチラ 

■AREA:イノベーションロードマップ

イノベーションロード後編(1)

▲創業から現在までの事業展開を、4つの路線図で示したイノベーションロードマップ。

 

4つの路線図があるが、緑が楽器事業、紫がエレクトロニクスやオーディオ事業、オレンジが素材や生産技術に関する事業、黄色がヤマハ音楽教室に代表されるサービス事業を示している。ヤマハにとっての大きなターニングポイントは第二次世界大戦後、電子オルガンの製造を決意したこと。当時、電子オルガンは真空管が主流だったが、ヤマハはトランジスタを使ったエレクトーンの第一号機を1959年に発表。最初は汎用性の高いトランジスタを採用したところ満足のいく音色が得られず、楽器専用に設計したトランジスタ、半導体を導入するために1971年に半導体工場を立ち上げることに。実は当時の資本金に匹敵するほどの投資(約20億円!)が必要だったが、その勇断こそ現在でもヤマハが電子楽器やオーディオにおいて世界のトップブランドに君臨する大きな理由。

松本さん「前編でヤマハはLSIを自社で製造しているとお話ししましたが、電子オルガンの音をより良くしたいという思いから工場を立ち上げました」

ヒロチョ「全部つながっているんですね。エレクトーンはヤマハが作った」

松本さん「そうです。エレクトロニックとトーンで“エレクトーン”ですね。だからヤマハの1960~70年代の歴史は、エレクトーンを中心に回っていた部分があります。もちろんピアノも大きな要素でしたが、エレクトーンの音をどう改良していくかという課題から、シンセサイザーや電子楽器のビジネスにも発展していったと言えるでしょう。ですから、エレクトーンは非常に重要なテーマだったんですね」

ヤマハと言えば“ヤマハ音楽教室”もビジネスの大きな柱だ。その事業誕生には、第4代社長である川上源一氏が感じた、欧米と日本での“音楽との距離感”が関係している。

松本さん「1954年、当時の川上社長が欧米にビジネスの視察旅行に行ったとき、欧米人が心から音楽を楽しんでいる光景に衝撃を受けたそうです。例えばピクニックに行くときにはギターを抱えて持って行ってみんなで歌を歌う、家庭ではホームパーティでピアノを中心にみんなで合唱して音楽を楽しむ。日本はどうかというと、確かにピアノやオルガンは売れていましたが、家庭からそういった音は聴こえてこない。日本人にとって音楽は演奏家を育てるための教育になってしまっているため、“これはいけない”ということで視察旅行から帰って来てすぐに始めたのがオルガン教室事業でした。今の銀座店がある場所でオルガンの実験教室をスタートさせ、それがやがてヤマハ音楽教室になり、すでに500万人以上の生徒が卒業しています」

 

■AREA:ヒストリーウォーク

 

創業当時のオルガンやピアノから、現在に至るまでの歴代の革新的製品など、200点を超えるアイテムを壁面やフロアに一堂に展示する“ヒストリーウォーク”。時代的に早すぎた(?)野心的な製品も多く、“攻めの姿勢”を端々から感じ取ることができる。

 

イノベーションロード後編(2)

 

ここでヤマハの創業にまつわるあらすじを。創業者である山葉寅(とら)楠(くす)は1851年(嘉永4年)、和歌山県の武士の家系に生まれる。父親は歴を作ったり土木工事の設計をしたり測量をしたりする役職で、武士の家系でありながらエンジニアの素養を持った家庭で育つ。明治時代に入り、武士では食べていけないという思いから時計作りや、医療器具のエンジニアを経て、浜松の小学校にあったアメリカ製の輸入オルガンの修理をきっかけに、ヤマハの前身である日本楽器製造を創業する。

松本さん「オルガンはとても高価なものでした。。修理を経て、これなら自分でも作れると考えた寅楠さんは、安くオルガンを作れれば日本中の学校にオルガンを普及させることができて日本の音楽教育が進むのでは?と考えて自作を決意します。2カ月ほどで試作品が完成し、事業パートナーである河合喜三郎という人物と2人でプロトタイプを評価してもらいに上京します。それが今の東京藝術大学の前身である東京音楽取調掛です。しかし当時は東海道線の鉄道がまだ繋がっていなかったため、箱根の山を2人でオルガンを担いで歩いて越えたといわれています。これがヤマハの創業物語のひとつの大きなエピソードになっています」

 

イノベーションロード後編(3)

1887年の創業当時に作られたと言われる、1号型と呼ばれるベーシックなリードオルガン。おそらく現存するヤマハオルガンでもっとも古いもののひとつ。

イノベーションロード後編(4)

▲このレリーフは、昭和4年に会社構内に建てられた創業者・山葉寅楠の銅像の台座に嵌め込まれていたもの。箱根越えのエピソードが描かれている。銅像自体は第二次世界大戦中に国に没収されたが、レリーフだけはかろうじて残すことができた。

 

オルガンを作るようになり、13年ほど経ってからピアノの製造も開始。木工技術を培ってからは家具も作るようになり、その高い木工技術が認められて大正時代には陸軍省から軍用航空機のプロペラ製造を依頼された。

 

イノベーションロード後編(5)

▲実は日本で初めてプロペラを製造した会社がヤマハ。しかも木製ということで、いかにヤマハが高い木工技術を持っていたかがわかる。

 

イノベーションロード後編(6)

▲ヤマハが初めてグランドピアノを製造したのが1902年。これはその翌年(明治36年)に作られたもので、大阪・天王寺で開かれた『第5回内国勧業博覧会』に出品して最高褒賞を受賞。明治天皇、皇后両陛下がお買い上げになられたと言われている。貴重な財産のひとつとして経済産業省が認定する“近代化産業遺産”でもある。

 

第二次世界大戦になると木製ではなく金属製のプロペラや燃料タンクを作るよう国から命じられる。そして終戦後、使い道がなくなった金属加工用の工作機械で何を作ろうかと試行錯誤して作り始めたのがオートバイ。そこからヤマハ発動機が分離独立したというストーリーがある。

 

イノベーションロード後編(7)

▲ヤマハが初めて作ったオートバイ。今見てもクールなデザインで、独特の風合いのカラーから“赤とんぼ”という愛称で親しまれた。

 

イノベーションロード後編(8)

1959年に発売された、初代機種のエレクトーンD-1。真空管の回路が主流の時代に、国産電子オルガンとして初めてトランジスタを採用した。281個のトランジスタを使っており、価格は35万円。当時の大卒初任給が1万円、普通の世帯収入が30,00035,000円だったため、いかに高額だったかがわかる。

 

1960年、高度経済成長期には鍵盤楽器としてだけではなく“総合楽器メーカー”へと発展。それと同時に軽音楽用の楽器やオーディオの事業が始まる。当時の社長が欧米への視察旅行中に見つけたFRPという強化プラスチック素材を応用して作ったのがアーチェリー。アーチェリーの次にはスキーやボートを作ったが、季節感のある商品は一年中売れないということから考えて発売されたのがバスタブ。

松本さん「ボートとバスタブは、水が容器の内にあるか外にあるかの違いだから簡単だろうと」

ヒロチョ「その発想がすごい(笑)」

バスタブがきっかけでホーム用品事業にも参入。1970年代に入ると半導体工場で作った半導体を使ってオーティオ製品を続々と発表。高い評価を得て世界中にヤマハのオーディオ製品が置かれるようになる。スピーカー事業も絶好調で、NS-1000Mはスウェーデンの放送局に1000台、フィンランドの放送局に200台など大量に置かれた。20数年間という超ロングセラーとなった。

 

イノベーションロード後編(9)

▲スタジオモニタースピーカーNS-10Mは約30万台を売り上げた超ヒット製品。ヤマハが2007年、グラミー賞の技術部門であるテクニカルグラミー賞を受賞する理由のひとつとなった。

 

イノベーションロード後編(10)

▲エレクトーンを作り始めてから16年、自社の半導体工場のおかげもあり、GX-1のような最高機種も登場(スティーヴィー・ワンダー使用モデル)。エレクトーンは1970年代から家庭に普及しはじめるが、GX-1は夢の楽器だった。ちなみに価格は700万円。

 

ヒロチョ「コックピットみたいですね」

 

イノベーションロード後編(11)

 

1980年代に入ると圧倒的に電子楽器の世界に突入。MIDIという規格が登場し、メーカーを飛び越えて電子楽器がつながるようになる。その中でも重要なモデルがDX7。フルデジタルのシンセサイザーで、全世界で15万台も販売された。

松本さん「1975年に、アメリカのスタンフォード大学で開発された“FM音源”という音源システムのライセンス契約を結びます。しかし当時は半導体の技術が進んでいなかったため、楽器の中に収めきれませんでした。しかし1980年代にはチップに入るようになったので、携帯できるサイズまでコンパクトになりました」

ポータブルキーボードもアイディアとしては1970年代からあったが、多くの電池が必要のため小型化できなかった。しかし、半導体の技術が進んだことで1980年、10年かけてようやくコンパクト化に成功。1982年には半導体の技術を使ってホームコンピュータも発売している。

ヒロチョ「この時代の進化がすごい」

 

イノベーションロード後編(12)

▲右が1982年に発売されたポータサウンドMP-1。印刷機能を内蔵し、作成したメロディーやコードを楽譜として紙に印刷するというアイディア商品! 左は1983年に発売されたポータサウンドPC-50。磁気テープ付きのプレイカードに記録された曲を“聴く、弾く、歌う”ことが楽しめる。発想が斜め上すぎる。

 

イノベーションロード後編(13)

1970年代から家庭でのピアノの音が社会問題化し、それに対する答えのひとつとして1980年代から1990年代にかけて電子ピアノやサイレントピアノを発表。サイレントピアノは生の楽器のタッチで練習したいという人のために作られた。これはヤマハで最初のサイレント楽器。ヘッドホンを使って夜に練習することができた。

 

イノベーションロード後編(14)

2000年代も一風変わった楽器が存在。左は電子トランペットのEZ-TP。歌声を楽器音に変換してくれる。右はサイレント大正琴のSH-30。左手で音程を取り、右手の弓を使って演奏を楽しめる。

 

イノベーションロード後編(15)

▲日本では発売されていないが海外で高い人気を誇るキーボードのGenos。海外ではバーなどで演奏するシングルキーボードプレイヤーと言われるプロがたくさんおり、そういう人からのニーズが高いんだとか。

 

■AREA:イノベーション・ラボ

イノベーションロード後編(16)

 

“イノベーション・ラボ”では、デザイン研究部署がこれまでどのように歩み、どんな試みにトライしてきたのかを展示する特別展を開催していた(現在は終了)。実際に製品化されたものはないが、ここから出たアイディアが他の製品作りに活かされている。

 

イノベーションロード後編(17)

▲“ブラックヤマハ”をテーマにした革張りのギター。

 

イノベーションロード後編(18)

▲ギターを弾きながら自分の姿に酔える鏡(笑)。

 

イノベーションロード後編(19)

▲ヤマハ発動機と楽器のデザイナーが交換して、ヤマハのデザイナーがバイクを作ったらどうなるか、ヤマハ発動機のデザイナーが楽器をデザインしたらどうなるかというコンセプトで製作。こちらのバイクは“馬の背中に乗る”がコンセプトなんだとか。

 

松本さん「伝統楽器を究めるだけでなく、いろんな音楽の楽しみ方のひとつに形など新しいデザインがあります」

ヒロチョ「製品化されなくても、そこから生まれるアイディアを共有しているんですね」

 

■AREA:バーチャルステージ

イノベーションロード後編(20)

 

バーチャル映像と連動した楽器の自動演奏により、コンサート会場さながらのライブ演奏が楽しめるのが“バーチャルステージ”。一切スピーカーを使っておらず、先ほど紹介したトランスアコースティックの技術が使われている。

 

イノベーションロード後編(21)

イノベーションロード後編(22)

イノベーションロード後編(23)

▲ピアノトリオ“H ZETTRIO”の映像が!

松本さん「オーディオ信号を振動に変えて楽器本体を共鳴させています。ピアノの響板を振動させて電子音源を鳴らしていたのと同じ原理です。ここのピアノは演奏したときのデータをもとに自動演奏させていますが、ベースとドラムに関してはオーディオ信号をトランスデューサーで振動に変えて、スピーカーの代わりに楽器本体を鳴らしています。楽器本体が鳴っているため、臨場感のある演奏が楽しめます。コンサートのチケットが取れないとか、場所が遠くていけない場合など、パブリックビューイング形式でリアルタイムでコンサートを聴いたり、録音したものをあとでライヴハウスで再現することも可能です」

ヒロチョ「未来の音楽の楽しみ方として定着する日が来るかもしれないですよね。本人が亡くなってしまった場合、解散した場合もそのときの演奏を再現することができる。パブリックコンサートができる日もそう遠くない!?

 

■AREA:音響展示エリア

イノベーションロード後編(24)

 

さまざまな音響機器を集めた展示エリア。1969年に初めてのボーカルミキサーが誕生し、90年台になるとPM4000という大型の定番ミキサーが登場。アナログミキサーは瞬時にツマミを変えられるので使いやすいが、ボタンひとつで多くのチャンネルの設定を瞬時に変えられないため現在はデジタルミキサーが主流。まさに1980年代からの音楽制作機器の歴史が詰まったフロアだ。

 

イノベーションロード後編(25)

▲1990年代に発売された定番のミキサーPM4000。

 

イノベーションロード後編(26)

▲1980年代からの歴代シーケンサー/リズムマシン/レコーダーを展示! 圧巻です。

 

気がつけば入館から2時間。時が経つのも忘れて、歴史を彩ってきた名機たちに触れ、その時代背景に思いを馳せる感覚は新鮮かつ発見の連続だ。

ヒロチョ「もう頭いっぱいですよ(笑)。気づいたら2時間経っていましたね。いやぁ、本当にすごい! 過去と現在と未来があって、現在にも広がりがあって、未来にも広がりがあって、今使っている楽器がまたそこから進化して一見関係ないような分野と結びつくかもしれない」

松本さん「ここにある製品はすべてヒットした商品ではなくて、大失敗している商品もあるんです。もともとこの施設は、失敗は単なる失敗ではなくて、いろいろな製品やビジネスに発展するかもしれない。だからチャレンジを恐れてはいけない、ということを社員に見せるのが当初の主目的でした。でも途中から世の中の人にも見てもらいたいということで公開することにしました。実は1980年代初頭に作ったコンピュータも大失敗しているんです。単に楽器の自動演奏だけではなく、セキュリティ、キッチンやバスタブをコントロールするホームコンピュータだったのですが、値段が高かったのと不慣れな分野だったので全然売れなかった。しかしこのときに培った技術を、半導体や産業機器の形で外販することになり、それが現在の電子デバイス事業に発展してきました。だから、失敗は必ずしも失敗ではない。どこで新しい成功につながるかわからないので、どんどんチャレンジしましょう!というのがイノベーションロードの意図なんです」

ヒロチョ「芸人でも、ボツネタから生まれた一言を別のネタに入れみたりとか、実際にそういうことってありますからね」

松本さん「守ったら衰退していくだけなので。だからこそ100年以上の歴史が続いてきたということなんでしょうね」

ヒロチョ「攻めてこそ守る。ヤマハさんは少し“お固いイメージ”がありましたが、全然そんなことはない。攻めに攻めてる! 何もしないよりか、トライして失敗したほうが価値がある。勉強になりました」

 

イノベーションロード後編(27)

▲イノベーションロードを案内してくれた松本館長と。(2020年1月)

 

イノベーションロードは、一般の方もご見学いただけます。予約制となりますので、ホームページのご利用案内をご覧ください。

ヤマハ イノベーションロード
https://www.yamaha.com/ja/about/innovation/

 


 

INNOVATION ROAD(企業ミュージアム)】

所在地:〒430-8650 静岡県浜松市中区中沢町101号 ヤマハ株式会社本社事業所21号館内(最寄り駅:遠州鉄道「八幡」駅)
開館時間: 9:3017:00(受付は16:00まで)
休館日: 日・月・祝日(年末年始・夏季・GWなどの会社休業日、メンテナンス実施日等)
入館料: 無料

<見学方法> 全て予約制となりますので、事前にご予約をお願いいたします。
ご見学は自由見学となりますが、団体のお客様などはご希望に応じてスタッフが館内をご案内いたします。ご予約時にご確認ください。また、こちらの施設はヤマハ本社事業所構内にございます。ご来場の際には必ず守衛所にて入門受付をお願いいたします。

<ご予約に関して> インターネットよりご予約いただけます。
希望日の90日前より、ご予約いただけます。学校行事でのご見学に限り、150日前よりご相談に応じております。

詳しくは、ヤマハINNOVATION ROAD HPにてご確認ください。
https://www.yamaha.com/ja/about/innovation/

 


 

TextPhoto:溝口元海

 

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