【レコにまつわるエトセトラ】マトリクス・シンドローム ~ やめられないとまらない、初回探しの無限地獄(前編)【第19回】

 

近年また盛り上がりを見せつつある、レコード/アナログ盤。リアルタイムで再生メディアとしてレコードと接してきた世代だけではなく、CDやカセットすらも知らないくらいの若い世代の人たちからも“新鮮”なものとして受け入れられているようです。

そうした流れの中でこの世界の魅力をよりディープにお伝えするべく始まったのが、本連載【レコにまつわるエトセトラ】。ディスクユニオン新宿ロックレコードストア店長の山中明氏を水先案内人に、入り口から底知れぬ深淵に至るまでを旅しましょう。

第19回のテーマは、“マトリクス・シンドローム ~ やめられないとまらない、初回探しの無限地獄(前編)”。レコード好きな人なら「マトリクス」という言葉を聞いたり、目にしたことはあるかもしれません。ですが、購入時にそれを気にして逐一チェックしている…となると、もう立派な“ジャンキー”の仲間入り。

とはいえ、「マトリクス」の世界は想像している以上に深く、緻密でありながら混沌ともしているのです…。とてもではないが、小一時間くらいでは語り尽くせないテーマというところで、前後編に分けてお届けすることに。今回はまず導入部分とも言える、前編をじっくりとお楽しみください。

天国への階段にして地獄への扉、「マトリクス」の世界へ

 

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プロモでのみ存在する、「MAS」マトリクスが眩しい米MONO仕様。地獄のレア盤。

 

レコードの世界って、知れば知るほど楽しさが広がるものなのですが、一度知ってしまったが最後、気になって気になって普通のレコード・ライフ(?)が送れなくなる人も出てくる始末。
とはいえ、それってそれだけの魅力があるということの裏返しなのですが、そういう人に限って「なんなら知らないほうが良かった」なんていう捨て台詞を吐いたりするんです。ただその口元には、薄っすら笑みが溢れているんですけど。
まぁ立派なレコード・ジャンキーってヤツですね!

ということで2021年一発目となる今回は、天国への階段にして地獄への扉、「マトリクス」の世界へとご案内しましょう。

まだこの世界に足がチャプッとしか浸かってないそこのアナタ、この記事を読むことは禁断の果実に口づけするようなことなのかもしれません。
この先を読んで、戻れなくなる覚悟はできましたか!? 待ち受けるのは、救いのない無限地獄かもしれませんよ!?

さぁ終わりなき初回探しの世界に飛び込もう!

 

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ドイツの至宝盤、CAN『Monster Movie』の初回マトは「SRS001」のみ。
同じMusic Factory盤でも、3枚目の画像と同じくLiberty盤の規格番号が追加された2ndプレスが存在します。憧れのレア盤。

 

まずは大前提となる、「マトリクス」とは何なのかを軽く解説して参りましょう。

アーティストによる録音も終わり、一通り仕上がった音源はカッティング・エンジニアの手に渡り、レコードの元となるラッカー盤が制作されます。
そしてラッカーからは何枚かのマザー、マザーからは実際にレコードをプレスする複数枚のスタンパーといった要領で、版がねずみ算式に複製されていくワケです。
話の本筋ではないので細かい部分の解説は端折りますが、ちょっとググれば色々と出てくると思いますので、ご興味がある方はぜひ。

そして今回のポイントは、このラッカー盤です。
カッティング・エンジニアがラッカーを制作する際は、その制作場所からちょっとした隠れメッセージまで、最内周部に様々な情報を刻み付けます。
その中でも最も基本となるのが、レコードの「規格番号(ないし固有の識別番号)」と、それに続きラッカーの制作順を番号または記号で表した「枝番」の組み合わせでできた、「マトリクス(略してマト)」と呼ばれるものになります。

そしてコレクター的には、後年まで長い間変わらない規格番号に対して、カッティング時期等によって適宜変更される枝番のみがチェック・ポイントとなることもあって、特に枝番部分のみをマトリクスと呼ぶのが通例です。

 

そこに刻まれたものを読み解いていくと…

 

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今回のビートルズ『Let it Be』は、初回のBOX仕様(PXS1)でのご紹介。

 

マトリクスと一口に言っても千差万別。
まずは国、次にレコード会社によって大きくスタイルが異なるものです。
たとえば、米盤で見られる「A」とか「CC」とかの英文字タイプから、「A-28」「F78」等の文字+数字タイプ、どこまで版を重ねても枝番を変えない旧ソ連Melodiya、そもそも何の表記もしないぜっていうスタイルのジャマイカ盤みたいなタイプもあります。
ということで今回は(多少)スッキリとわかりやすい、英国盤を例に取ってお話ししましょう。

やはり英国と言えば、ビートルズ。もちろんマトリクスの研究も進んでいます。
ここでは『Let it be』をモデルにして解説を進めますが、なんでこのタイトルかは特に理由はありません。ただちょうど手元にあったからです。悪しからず。

『Let it be』は彼ら自身が設立したレーベル、英Apple Recordsからリリースされたのは周知の通りだと思いますが、Appleに移行後もEMIが音源の所有権を持っていたため、Parlophone期と同様にマトリクスの表記方法は若干ですが変化球気味です。

 

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ちょっと分解して解説していきましょう。上の写真をご覧ください。

まず「YEX773」の部分ですが、通常多くのレーベルではレコードの規格番号(『Let it Be』であれば「PCS7096」)を記載するものなのですが、ParlophoneないしAppleからリリースされたビートルズ作品では、規格番号とは異なる識別番号が記載されています。ローリング・ストーンズでもお馴染み、Deccaも同じタイプとなります。

そして続く「2U」の部分が枝番ないしマトリクスですが、多くの英国カットのものと同じく、この「2」という数字がラッカーの制作順を表しています。つまりこの盤は「2」番目に制作されたラッカーを用いて、プレスされたレコードということになるワケです。ここまではわかりやすいですよね?

さぁここからさらに細かい話になりますよ。覚悟はできていますか?

 

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この上の写真はB面、マトリクスは「YEX774-2U」となっています。ということでA面は「2U」、B面も「2U」となっていますので、これを俗に「マト2/2」と呼んだりします。ただ、ここでちょっと注意が必要です。

Appleないしビートルズの諸作が持つマトリクスは比較的シンプルで、それほど多くのバリエーションは存在しませんが、アーティストによっては一枚の作品でも複数の場所(プレス工場ないしカッティング・スタジオ)でカッティングが行われたものもあります。

そして一枚のレコードがどの場所でカッティングされたかの判別は、マトリクスの表記方法を読み解くことによって可能となります。

フォントが違ったり、手書きであったり機械打ちであったり、規格番号と枝番を結ぶ記号が「-」ではなく「//」や「+」となっていたりと、カッティング場所ごとに様々なパターンがあるのですが、裏を返せば記号ひとつが違うだけで、別の場所、ないし別の系統のカッティングであると判断できるということです。

そしてここで一番大事なことは、各々の「場所ごとに」マトが1、2と進んでいくということです。
当たり前っちゃー当たり前の話なんですが、その場所ごとに各々の都合で、そして時には異なる時系列でカッティングを進めていくので、他の場所と番号なんてわざわざ合わせたりしません。
そもそも当時のエンジニアたちは、後年にこんなにも根掘り葉掘り調べられるなんて露にも思わなかったことでしょう。

 

長きにわたるコレクター諸氏の研鑽の賜物が“答え”へと導く

 

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連載第1回にも掲載しましたが、「マトリクスの王」ことキング・クリムゾン『宮殿』のマト「1/1」。鬼のレア盤。

 

もう少し具体的な話をしましょう。
「そのアルバム、マト1/1あるよ」って言われて必死に探したら、別場所でしかも後年にカッティングされた別系統のマトリクスでした、なんていうことはままあります。

たとえばですが、Genesisの2枚組ライヴ盤『Seconds Out』(1977年)を例にすると、英初版の初回マトは全面「//3」(テスト・プレスでは全面「//1」あります)だと思いますが、後発盤では「1U/1U/2U/1U」というのが存在します。
数字だけは後発のほうが若いですが、表記方法が異なるマトリクス、つまり別の場所で改めてカッティングした別系統のマトリクスとわかっていただけると思います。

つまり結局何が言いたいかというと、「マトリクスを数字だけで表現すると誤解を生む」ということです。
先ほどの『Let it be』に関しても両面「-2U」となっていますので、マト「2/2」ではなく正確にはマト「2U/2U」と呼びたいところなのです。
「2」と「2U」では数字が同じというだけで、全く意味合いが違うのです。

なお、当時EMIがカッティングを行なっていたのは、かの有名なAbbey Roadスタジオでしたが、この「U」はAbbey Road「以外」でカッティングされたということを意味しています。
そう、記載されているもの全てには意味があるのです。

とはいえこうして文章にする時はまだしも、実際の会話の中では略されることが多いもの。
ただ、『Let it be』のマトをシンプルに「2/2」と呼んでる人は、そもそも「U」付きしか存在しないという事実を折り込み済みで省略して言っている人と、事情は知らずにただ数字だけを言っている人に分かれるとは思います。
ちなみに上記のGenesisのような「//3」タイプのマトは言いにくいこともあって、普通口頭ではシンプルに「3」と言う方が大半ですが、モノホンな方は「スラスラ3」(スラ=スラッシュの略)、もしくは「Phonodiscの3」とキチンと表現します。これ大事。

 

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今回は紹介しませんが、テスト・プレスの世界はまさに地獄そのもの。これはテストでのみ存在する英盤『The Rolling Stones, Now!』。幻のレア盤。

 

あとさっきから普通に出していた「初回マト」という用語ですが、これも非常に大事な話ですのでここで軽く触れておきましょう。

確かに英盤のマトリクスは1、2、3と進んでいくのに間違いないんですが、では全ての盤にマト「1」が存在するかというと、答えはNOです。
ここが結構勘違いされやすい部分ではあるんですが、この数字はあくまでカッティング・エンジニアによるラッカー盤の制作順を示す番号であって、そのラッカーが実際にプレスに使用されたかどうかとは別問題なのです。

もうちょっと噛み砕くと、たとえば最初に「1」を付けたラッカー盤が作られたものの、音飛びがする等の不具合が発生した場合や、意図するサウンドとは異なる等アーティスト側のNGが出た場合は、「1」は使用されずに再度カッティングが行われ「2」を制作、そんな感じでこれを完全なOKが出るまで繰り返すのです。
つまり初回からして「3」とか「5」とかそんなマトも普通にあるもので、わざわざ「初回」という言葉を使って語るのにはワケがあるのです。

また、じゃあどれが初回かなんてどうやってわかるの? っていう話なんですが、これは今まで長い時を掛けて積み上げてきた、まさにコレクター諸氏の研鑽の賜物なのです。
とにかく途方もない枚数のレコードが持つマトが確認され、諸々の状況と照らし合わされた結果、「これが初回だ!」と答えが導き出されてきたのです。
感謝感激雨あられ。

やはりこうして後世に情報を遺していくには、記号等も含めたより正確な情報を記載し、また言葉にしていく必要があるのです。

なお、これはあくまで一般市場に出回った通常盤の話。通常盤にはない、つまり没ったマトリクスを持つ「テスト・プレス」、そして全ての母となるラッカーそのものである「アセテート」等、さらに罪深い存在もありますが…これはまた今度お話しします。
たとえば『Let it be』はテスト・プレスにのみ、マト「1U/1U」が存在しますしね。うーん、恐ろしい…。

 

ここはまだ地獄の一丁目…なのです

 

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これも次回紹介しますが、一番ヤバイ「マザー」と「スタンパー」。これを追い始めると立派なマトリクス・シンドローム罹患者です。ちなみにこれはピンク・フロイド『狂気』の英テスト。伝説のレア盤。

 

最後の最後でそもそも論ですが、なんでそんなにマトリクスにこだわるのかって?

これには色んな深~い理由があるもので、マトによって収録内容やミックスが違うとか、単なるレア度の張り合いバトルとかまぁ色々あるんですが、やっぱり一番の理由として挙げられるのは、アーティスト本人たちがスタジオで聴いていたあのサウンド、つまりマスター・テープに少しでも近づくための手段なのです。

厳重に保管されるマスター・テープといえども、繰り返しの使用や経年による劣化は免れられないもの。これは人類が護持すべき至宝、ビートルズのマスターとて例外ではありません。
そして劣化が招く音質の低下を回避するには、制作当時プレスされたレコード、つまりオリジナル盤を買うしか選択肢はありません。これはアナログ時代に制作された音源では絶対的な真理です。

よく「CDとレコードどっちのほうが音が良いか」なんていうメディア論争がありますが、少なくとも60~70年代の録音物を聴くのであれば、レコード、否、オリジナル盤のレコードのほうにアドバンテージがあることは動かし難い事実。
この手の話はまた別の機会にしますが、結局はソースの音質が全てなのです。

そしてさらにそのオリジナル盤の中でも、マトリクスが若ければ若いほど最もフレッシュなマスター・テープに近づくことを可能にし、更なる音質の向上が「期待できる」のです。
そう、ここもポイントでもあります。絶対的な音質を保証するワケではなく、あくまで期待値。これは特にマトリクスのさらに奥底にある「マザー」、そして「スタンパー」という悪魔のナンバーに色濃い話ですが…。

ということで、今回はここまで。一回でこの話が終わるワケもないので、この続きは次回で。
ちなみに今回の話は、まだあくまで地獄の一丁目。この先に広がるのは、最悪二度と覚めることのない「マトリクス・シンドローム」に罹患したものたちが蠢く修羅の世界。
真のコレクターたるもの、そこからが本番ですのでお覚悟を! では次回をお楽しみに!

 

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Text&Photo:山中明(ディスクユニオン)
Edit:大浦実千