【レコにまつわるエトセトラ】マトリクス・シンドローム ~ やめられないとまらない、初回探しの無限地獄(後編)【第20回】

 

近年また盛り上がりを見せつつある、レコード/アナログ盤。リアルタイムで再生メディアとしてレコードと接してきた世代だけではなく、CDやカセットすらも知らないくらいの若い世代の人たちからも“新鮮”なものとして受け入れられているようです。

そうした流れの中でこの世界の魅力をよりディープにお伝えするべく始まったのが、本連載【レコにまつわるエトセトラ】。ディスクユニオン新宿ロックレコードストア店長の山中明氏を水先案内人に、入り口から底知れぬ深淵に至るまでを旅しましょう。

第20回のテーマは、“マトリクス・シンドローム ~ やめられないとまらない、初回探しの無限地獄(後編)”。2回にわたってお届けする「マトリクス」特集の後編では、あくまで“入口”レベルだった前回から一線を踏み越えた“向こう側”の世界をご案内していきます。

「マトリクス」が持つ意味は前回をご参照いただくとして、今回は“なぜそこにこだわるのか?”という理由に迫る内容です。番号が異なるだけで、プライスは5倍にも10倍にも…。その差を生み出し、コレクターを血迷わせる原因はどこにあるのか。さらに深奥に棲む魔物「マザー」「スタンパー」に至るまで、一度知ってしまえばもう戻れないかも…。

音質だけではなく、内容すら違うものも…

 

レコにまつわるエトセトラ20_01

ロック・ファンの憧れ、ビートルズ『Please Please Me』のGOLD STEREO。
元々プレス枚数極小ですが、1stスタンパーを表す「G」が刻印されています。

 

初の2部構成でお送りしている今回のハナシですが、十分ややこしかった前編もあくまで初心者講習。さらにややこしさマシマシでお送りする今回の後編こそが本チャンなんです。

「どうせそんな違うワケじゃないんだし、そこまでマニアックなことなんて気にしませんよー」

「そんな立派なオーディオを持ってるワケじゃないし、違いなんて私にはわかりませんよ…」

うんうん、なるほどなるほど。気持ちはわかります。
ただ、マトリクスだけじゃなくて、テスト・プレスやアセテートにも通ずる話なんですが、どんな試聴環境であっても聴感上あまり違いがわからないものもあれば、別のアルバムかっていうぐらい激しく違うものもあるんです。

特にこの後者、これこそが危険な蜜の味。
番号ひとつ違うだけで費やすこと数万、数十万円。何十枚、何百枚も同じレコをめくり続けて、果てなき初回探し。
金銭的にも労力的にも、もはやコストバリューが見合ってるかどうかなんてお構いなし。
樹液に群がるカブトムシよろしく、一度その味を知ってしまえばただただ貪り尽くすだけです…。

いや、別にバカにしてるワケじゃありませんよ? だってホントにスゴイ違うんですもん…そりゃ抗えっていうほうが無理あります。
これを読みながら「そりゃ言い過ぎでしょ?」なんて言ってるうちが花。そう、そこにあるのはこの味を知ってるか知らないかの差のみ。

ということで今回は、もう頭のてっぺんから爪先の先の先まで、そのキケンな蜜の味「マトリクス・シンドローム」に侵された私が、みんなでハッピーになる合法的トビ方ノススメを披露しましょう。

さぁ、そのラインを一歩踏み越えて、こっち側へウェルカム!

 

レコにまつわるエトセトラ20_02

定番人気マト、ビートルズ『With The Beatles』、英MONOのマト「1N/1N」。

 

散々聴き倒したあの名盤、果たして本当の姿をご存知でしょうか?
ありのままの姿、つまり当時レコーディング・スタジオで鳴っていたあのサウンドに近づいた時、「今まで聴いてたヤツと全然違うじゃん!?」と、その作品への評価自体が一変することも少なくありません。
そして、その境地への最初のガイド役がマトリクスの存在なんです。

前回もお話しした通り、マトリクスが若ければ若いほど最もフレッシュなマスター・テープに近づくことを可能にし、より良いサウンドが期待できるという基本原則がありますが、その中でもパッキリと違いのわかるものは市場価格も上がりやすい傾向にあります。

ビートルズを例にすると、『Rubber Soul』の英初版MONOのマト「1/1」は、通称「ラウド・カット」と呼ばれる音圧高めの迫力ミックスとなっており人気です。
また、『Revolver』の英初版MONOのマト「2/1」も高値安定な一枚です。というのも、最終曲「Tomorrow Never Knows」に誤って通常とは異なるミックスが収録されてしまっているからです。
冒頭からタンバリンが入っていなかったりと、何かと違うヴァージョンなんですが、もちろん制作ミスなので今現在に至るまでオフィシャル・リリースはされていません。

音質というよりも、そもそも内容自体が違うものはやはり人気ですね!

 

マトリクスが若いほど、“良い音”なわけでもない?

 

レコにまつわるエトセトラ20_03

こんなパターンもあります。上記『Rubber Soul』の人気マト「1/1」が、ニュージーランド盤にも転用されています。

 

また、サウンドの違いとはまた別の軸で、シンプルにそのマトリクスの希少度で人気を集めるものもあります。

その最たる例はキング・クリムゾン『In the Court of the Crimson King(以降、宮殿)』でしょう。
『宮殿』はマトリクスのバリエーションも多いのですが、大名盤ということもあって研究も進んでいます。そしてそれが故に、そのマトによって極端過ぎるほど価格が上下する、そんな危ないレコードの最右翼でもあります。

では論より証拠ということで、あくまでポイント部分だけですが、その価格の変遷を見てみましょう。
全て英初版、「PINK-iラベル」です。

(1)「A▽2 B//4」→3万円級
(2)「A▽2 B//2」→10万円級
(3)「A//1 B//1」→100万円級

うーん、これぞ若返りの恐怖。
もちろんいずれも状態によって大きく変動しますが、ここ日本でのプライス感としては大体こんな感じです。

(1)は英初版の中でも最も数が多く、10枚見れば7、8枚はこのマトです。
(2)は(3)があるのに変な話なんですが、(通常の)初回マトと認知されているヴァージョン。抜群の人気を誇ります。

そして段違いの希少性を誇る(3)は、ホントの真相はまだ未解明ながら、一般市場に出回らずに埋もれたとされる禁断の一枚。現存数はどんなに多く見積もっても50枚以下、下手すれば10枚台でしょう。

この手のイレギュラーな存在や、テスト・プレスにしか存在していないようなマトは、いわゆる一般流通盤のマトとは切り離して語られるのが普通です。
ややこしいですけど。

 

レコにまつわるエトセトラ20_04

前回もこの写真は掲載しましたが、こいつこそがマトリクス界のゴッドファーザー。

 

『宮殿』はご覧の通り番号ひとつの値段、いわば「マト単価」がエゲツない一枚ですが、では気になる肝心のサウンドはどうでしょうか?

やはり(1)よりも(2)のほうが優れており、特にマトリクス自体が異なるB面はその傾向が顕著です。
ただ、これで話が終われば平和だったのですが、問題は(3)の存在です。

希少性もプライスもブッチ切っているので、さぞスンゴイ音が飛び出してくるんだろうな、と胸を躍らせることでしょうが、これがなんとも微妙な抜けの悪いサウンドなのです…。
私はかつて複数枚の(3)を聴いてきましたし、様々な方からの情報も総合するに、やはり個体差でもなく動かし難い事実なんだと思います。

これは必ずしもサウンドとプライスが比例しない、マトリクスの希少性そのものがそのプライスを生んだ最たる例とも言えますが、これこそがコレクター心理なのです。
例え音がイマイチなんていう情報をキャッチしようとも、現存する最も早いマトリクスを自分の耳で確かめたい、そして所有したいというのがコレクターの夢にして性…。

ただ、そもそもサウンドの良し悪し自体が十人十色、そこにあるのはもっと純粋な気持ちではないでしょうか?
アーティストがあの時コントロールルームで聴いていたサウンドに近づきたい、さらにはアーティストに一歩でも近づき、彼らの意思や意図を直接共有したい、という強烈なファン心理の裏返しなのです。

やはりその鍵となる「マトリクス」の存在に気付き、そして一度魅入られてしまえば、もう抗うことはできないのです。
ただ、一歩踏み込んだその先には、さらなる地獄が大口開けて待っているとも知らずに…。

 

そのレコードは何枚目にプレスされたもの?

 

レコにまつわるエトセトラ20_05

ホント色んなパターンがある『宮殿』。これは「A//3 B//3」。

 

ここまででマトリクスの魔力の一部を感じていただけたかと思いますが、さらにその奥にはもっとエゲツない魔物が潜んでいるんです。

その魔物の名は「マザー」、そして「スタンパー」。
マトリクスがラッカーの製造順、つまりカッティング順を表していることは前述した通りですが、レコードとは実に罪づくりなヤツで、その一枚のラッカーから複製されて作られる「マザー」、そしてマザーを複製して作る「スタンパー」の製造順すらも判別できてしまう「暗号」が刻まれていることもあるんです。

それでは、ここでクエスチョンです。

仮にアナタが10万枚プレスされたアルバムを買ったとします。ではそのレコードは、果たして10万枚中何枚目にプレスされたものでしょうか?

マスターテープに近づけば近づくほど、つまりプレスが早ければ早いほど、音質面のアドバンテージがあることはご説明した通りですが、このマザー/スタンパーの暗号を読み解くことによって、マトリクスでの判別以上にさらにマスターに近づくことを可能とするのです。

では、上記アルバムが2枚のラッカーから5万枚ずつプレスされたものとします。
まずマトリクスはどっちのラッカーが使用されたものか、つまりどっちの5万枚かを判別することを可能にします。
そしてそれぞれのラッカーから4枚ずつのマザーが作られたとすれば、マザーの暗号を読み解くことによってどの12,500枚かがわかり、さらにそれぞれのマザーから5枚ずつのスタンパーが作られたとすると、どの2,500枚かがわかるという塩梅です。
つまりこのケースであれば、10万枚の中から最大で1~2,500番目までにプレスされたものまでは追跡が可能となるワケです。

とここまで来ればお察しかもしれませんが、ホンキでこだわり出してしまえば、数種存在するマトの中から初回探しをするだけでも大変なのですが、さらにねずみ算式に膨れ上がって数十~数百種存在するマザー/スタンパーの中からも、血眼になって初回探しをすることになるのです。
しかもその多くは暗号化されており、考古学者ライクな読解力も必要ときますので、一筋縄ではいくはずもないのです。

ね? 地獄でしょ?

 

レコにまつわるエトセトラ20_06

英Parlophoneレーベルでは、マザーをシンプルに数字で表現。

 

マトリクス以上に体感し難いマザー/スタンパーの音質差ですが、確かな違いがあることもまた事実。
決してオカルトなんかじゃなく、アナログ時代ならではの科学的根拠に基づいています。

ただ何度も言いますが、どんなに早くプレスされたレコードといえども、あくまでも良音への期待値が上がるということに過ぎません。
個体差もあれば、一番肝心なコンディションとの兼ね合いもあります。

さらにさっきの例で言うと、1stスタンパーでプレスされたレコードであれば初めの2500枚の内の一枚かも知れませんが、それ以上の詳細まではわかりません。
当然スタンパーも複数回のプレスにより、凸部のエッジが僅かになまってくることからも、(めちゃくちゃ)厳密に言うと1番目と2500番目では音質差が出るはずです。
さらに言ってしまえば、1番目ではエッジが効き過ぎているので、一番美味しいところは良い感じにエージング済みの50~300番目ぐらいのプレスかもしれません。

もうこの辺まで来るとただの妄想に過ぎませんが、確かな科学と怪しげなオカルトが同居するこの音楽の世界。
なんならもし波形かなんかで測定して、「音質は全く一緒です!」なんていう感じに断定されたものだとしても、マザー/スタンパーが早いものを聴いている、そんな前提知識が良音へと脳内変換させていることもあるかもしれません。

でもそれって否定されるべきことじゃないと思いますけど。
聴いているのは機械ではなく人間。目から入る情報は耳にも影響しますし、マインドセットって大事だし…っておかしくなってますかね?

 

初回マトだけが全てではない…適度な距離感も大事。

 

レコにまつわるエトセトラ20_07

これも初回マト「1E/1E」はグッとプライス・アップする、デヴィッド・ボウイ『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』の英初版。

 

ということで、またしても長くなってしまいましたので、今回はここまで。
暗号化されたマザー/スタンパーの読み解き方の実技講習や、これらの問題を一挙解決するテスト・プレスの存在もお伝えしたかったのですが、それはまた次の機会に。

ちなみに最後に言っておきたいんですが、欲しいレコードを「マトリクスが邪魔して買えない病」には注意が必要です。
こだわりが過ぎると、ちょっとこれ聴いてみたいなーなんていう軽い気持ちで買えなくなる、つまり初回マト(もっと言えば初回スタンパー)じゃないと買えない、そんなドツボにハマってしまうことがあるんです。

本当に好きなアーティストだけマトまでこだわろう! とか、そんな適度な距離感が必要なんですよ。
だって最初っからカンペキを目指して買っていくって、楽しみ方が制限されちゃう感じしません? ゲームで言ったら、先に攻略本見ちゃうタイプの人です。
あ、これ書きながら自分にも言い聞かせてるんですけどね!

あと、朗報もあります。
確かにマトは価格高騰を生みますが、その逆もしかり。
初回マトだけ異常に跳ね上がって、それ以外はググッとプライスが落ちていく、そんなタイトルも少なくないのです。
強いて一枚挙げるとすれば、Paul McCartney And Wingsの『Band On The Run』でしょうか。

そう、こんな隙を突いてお得にオリジナル盤を楽しんでいく、実はそんなスタイルもオススメなんです。
それもまた今度お話ししますね! では!

 

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Text&Photo:山中明(ディスクユニオン)
Edit:大浦実千

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