~スタンダード曲から知る日本の音楽文化史~ ニューミュージックに挑戦した人たち【第一部 第15章⑤】


➀レコーディングに立ち会った村井邦彦 「朝まで待てない」ザ・モップス
②サイケデリックという言葉からの発想 「ブラインド・バード」ザ・モップス
③R&Bに光が当たり始めた1969年 「どしゃぶりの雨の中で」和田アキ子
④現代音楽とモップスとの邂逅 「アップ・トゥ・デイト・アプローズ」
⑤和洋折衷ロックの快作が誕生! 「御意見無用(Iijanaika)」ザ・モップス


 日本のポピュラー音楽史をたどりながら新しい音楽、すなわち “ニューミュージック” を追究してきた作・編曲家や作詞家たちの飽くなき挑戦の歴史を紐解く。執筆はノンフィクション作家としても活躍中の佐藤剛氏です。

 今回は第15章『未知の才能が集まったモップス人脈』より、⑤和洋折衷ロックの快作が誕生!、をお届けします。

 1969年にホリプロに入社した川瀬泰雄は、ザ・モップスとの出会いを端緒に音楽プロデューサーとして才覚を発揮し始めます。1970年前後から顕著になった日本語によるロック・ミュージックへの模索。そしてモップスが、その先陣を切ることになります。当時の音楽家やプロデューサーたちは何を考え、新しい音楽に挑戦していったのでしょうか。

第一部 第15章 未知の才能が集まったモップス人脈

 

⑤和洋折衷ロックの快作が誕生!
「御意見無用(Iijanaika)」

 

 モップスに関心を持ってくれたレコード会社複数と話をしてみて、川瀬泰雄は感触が良かった東芝レコードのリバティ・レーベルと契約することにした。そして1970年5月5日、移籍第1弾のシングル「ジェニ・ジェニ’70/パーティシペイション(参加)」が発売になった。

 これはリトル・リチャードのヒット曲をカヴァーしたA面と、英語詞によるオリジナル曲がB面という組み合わせだった。続いて8月25日に出た「朝日のあたる家/ボディー・アンド・ソウル」(1970年)も、やはりA面はアニマルズのヒット曲を英語でカヴァーしたものだった。

 そしてB面には英語詞のオリジナルを収録していたが、ここで特筆すべきだったのが、モップスらしからぬピアノとストリングスを取り入れていたことだ。

 バンドのメンバーに鍵盤を弾く人間がいないのに、あえてそうしたアレンジにしたのは、なにか特別な目的か将来への布石があったからだろう。ぼくはこの原稿を書くために初めて、21世紀になって復刻されたCDで音源を聴いてみた。そして間奏にリード楽器として尺八が登場し、弦楽四重奏によるストリングスがカウンターメロディーを奏でていたことに、かなり驚かされた。

 そこにはあらゆる音楽を受け入れながら、日本のロックを創造していきたいという、バンド側の強い意志が表れているように思えた。2年前に武満徹と一柳慧(いちやなぎ とし)の企画した「オルケストラ・スペース」で、和楽器の琵琶と尺八がオーケストラと合体した「ノヴェンバー・ステップス」を聴いたことの影響があったかもしれない。

 しかしどう唄えば日本語でヘヴィーなブルース・ロックが成り立たせられるのか、というテーマについてはまだ問題が解決されることはなかった。

 タウン誌の先駆けとなったミニコミの『新宿プレイマップ』8月号には、音楽ファンの一部で注目された座談会が掲載された。それをきっかけにして、「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」を争点にした論争が、翌年から音楽誌『ニューミュージック・マガジン』で展開していく。

 日本の音楽史におけるターニング・ポイントとなった最初の座談会に出席したのは、現役のバンドマンだったモップスの鈴木ヒロミツと、 “はっぴいえんど” の大瀧詠一、そしてロカビリー出身の歌手からプロデューサーに移行しつつあった内田裕也である。

 そこで司会を務めながら進行役を引き受けたのは、気鋭のジャズ評論家として知られていた相倉久人である。当時はジャズにとどまらず、ロックや歌謡曲にまで批評のフィールドを広げていたところだった。

 ロックをめざしている者ならば、この座談会のテーマは誰もが一度は通らなければならない最初の関門になった。鈴木ヒロミツは自らの経験を踏まえて、日頃から思っていることを発言して口火が切られた。

 

 そりゃ日本語でやれれば日本語の方がいいさ、でも現実に日本語じゃ波にのらないね。日本語って母音が多いんだよな、だから “オレはオマエが好きなんだ” なんて叫んでも “何言ってる” なんてシラケちゃう(笑) もっと演歌みたいに歌えば感じるんだろうけどロックで日本語を怒鳴っても “アイツバカじゃねぇか” っていわれるのがオチだしね。
 (『新宿プレイパップ』1970年10月号)

 

 3人の音楽家のなかで最も若く、したがって経験も浅かったのが大瀧詠一であった。ちょうどこの時期にファースト・アルバム『はっぴいえんど』を完成させたばかりで、座談会が終わった直後の8月5日にアルバムが発売された。そして大胆な日本語への挑戦が注目を集めて、今ではロック史に残る実験的な作品として評価されている。

 しかし座談会の時点では、彼らが日本語によってどんなロックをやろうとしているのか、まだ他の出席者にはわかっていなかった。しかもこの時点での大瀧詠一は考え方において、先輩たちとの間で大きな相違があったわけではない。

 

 ボクはついこの間までGSみたいな事をやってたけど、去年の夏くらいから日本のロックについて考えているんです。つまり日本の中に外国のロックを持ち込んでも何となく馴染めないという原因は、言葉の問題が一つにはあると思うわけです。そこで日本語でロックをやってみたわけです。
 (『新宿プレイパップ』1970年10月号)

 

 大瀧詠一はロックをやるにあたって、最初に「日本という国は向いていない」と述べている。そのうえで自分の立場や見解を説明し、日本の聴衆を相手にするならば日本語から逃げてはいられないと、静かに決意を語っていた。

 

 ボクだって、ロックをやるのに日本という国は向いていないと思う。だから、ロックを全世界的にしようという事で始めるんだったらアメリカでもどこでも、ロックが日常生活の中に入り込んでいる所へ行けばいい。全世界的にやるんならその方が早いんじゃないですか。でも、日本でやるというのなら、日本の聴衆を相手にしなくちゃならないわけで、そこに日本語という問題が出てくるんです。
 (『新宿プレイパップ』1970年10月号)

 

 この座談会の後に制作されたモップスのシングルは、1971年1月25日に発売された「御意見無用(Iijanaika)」(作詞:鈴木ヒロミツ 作曲:星勝)である。歌詞はいつものように英語だったが、そこには「いいじゃないか」という日本語が、お囃子言葉として何度も唄われていた。つまり見事な和洋折衷になっていたのだ。

 しかも江戸時代の末期に各地で発生した、自然発生的な民衆運動の「ええじゃないか」を受け継いで、世直しを訴えるメッセージが込められていた。サウンドは土着的な阿波踊りのリズムを、ヘヴィーなハードロックで表現したものだった。つまり日本語で唄うことへのアプローチが、如実に感じられるものになっていたのである。

 そこには日本語とロックの問題に直面したことの影響が、多少なりともあったと考えるのが自然だろう。

  御意見無用 Iijanaika
  英語詞:鈴木ヒロミツ 作曲:星 勝

  I don't wanna go school
  I don't wanna go to work
  I don't wanna go higher
  I don't wanna go war
  IIJANAIKA IIJANAIKA…

  Bring you what you want
  Bring you what you say
  Bring you what you need
  But also I don't have
  IIJANAIKA IIJANAIKA…

  One man his gotta money
  One man his gotta status
  One man his gotta Bentz
  One man his gotta sex
  IIJANAIKA IIJANAIKA…

 ぼくが観客もまばらな映画館で、何の情報もないままモップスの「御意見無用 Iijanaika」に出くわしたのは、大学に入って1年目の冬が終わるころだった。藤田敏八監督による日活映画『野良猫ロック 暴走集団'71』は、1971年1月の末に日活の封切館で公開された。それから少し遅れて、明大前にあった『昭和館』という二番館でこれを観ていたのだ。

 モップスは映画の中で突然、トラックで田舎町の路上に乗りつけて歌うのだが、そこに和太鼓から始まる「御意見無用 Iijanaika」のイントロが流れてきた。その瞬間、これは日本のロックにおける革命的なアプローチだと感じた。「天啓かもしれない!」と思ったくらい、最初の印象は強烈なものだった。

 当時の西新宿は時代から置き去りにされたような一帯で、狭い道と2階建てのアパートや小さなマンションが密集していた。まだ何ひとつ高層ビルが建っていなかった新宿西口の駅前にあった、旧・淀橋浄水場跡の敷地にポッカリ出現したのは、再開発を前にしていた広大な空き地だった。

 雑草が生え放題の空き地に打ち捨てられたバスがあり、そこに住み着いて気ままに暮らす男女のヒッピーたちが、この映画の主人公らしかった。彼らはグループから離脱してしまった仲間を探して、5人乗りの自転車で静岡県らしき彼の故郷まで、ピクニック代わりのようにのんびり出かける。

 そこから牧歌的なロードムービー風に映画は動き出したが、地方の町を牛耳っている権力者たちと、都会からきた得体のしれないヒッピーたちの間で、当然のように軋轢が生じてくる。それが次第にのっぴきならない事態になり、とくに目的もないヒッピーたちがなぜか、町の権力者たちを相手に無謀な戦いをしかけていく。

 彼らはそのことで自爆せざるを得なくなり、幼い子どもだけが生き残るという苦い結末が訪れる。1960年代に盛りあがった学生運動が手詰まりになった状況下で、何もかもが悪い方に傾き始めた1970年の屈折が、なんとも戯画的にとらえられていたのである。

 日活の『野良猫ロック』シリーズが一貫して描こうとしていたテーマは、根無し草の若者による抵抗と反逆だった。それが行き場のないシラけた空気のなかで、鬱屈したエネルギーの暴走にまで突き進んでいく。

 映画の全体に漂っていたのは、やけっぱちとも思えるアナーキーな気分だった。それは斜陽産業となってしまった映画製作の現場で、実際にどうしようもないほどの閉塞感に抗いながら、現実と対峙していた役者やスタッフたちの生き方とも、見事なまでにシンクロしていたように思う。【注】

 なお1971年に映画『野良猫ロック 暴走集団 ’71』が公開された段階で、モップスはGS出身のバンドとしては最後の砦になっていた。意欲作として書き下ろした「御意見無用 Iijanaika」について、川瀬は原盤制作ディレクターとしての立場から、こんな発言を残している。

 

「御意見無用」と書いて「Iijanaika(いいじゃないか)」と読ませるこの曲は、日本独自のロックを作っていこうという意識のもとにハードロックのサウンドに阿波踊りのリズムを取り入れたユニークな作品で、モップス独自の世界が出来上がっていた。「御意見無用(Iijanaika)」は英語詞と日本語と両方でレコーディングされた。日本語でも外国に通用するだろうとの意識だった。
 (「本日、3月14日はモップス・鈴木ヒロミツの9回目の命日となる」大人のミュージックカレンダー 2016年3月14日)

http://music-calendar.jp/2016031401

 

 江戸時代に民衆が蜂起した「ええじゃないか」を彷彿させる、八方破れでアナーキーな雰囲気に、ぼくは「朝まで待てない」を聴いて以来の興味を覚えた。しらけたムードと閉塞感の中で、そうした現状を日本土着のサウンドによるロックで、なんとか打ち破りたいとするモップスのことを、ぼくは強く支持したいという気持ちになった。

 「でも……」と躊躇したのは、いわゆるヒット曲とは対極にある楽曲だったからである。いかに斬新なサウンドが生まれてきても、そのことに気づくリスナーが、当時はほとんどいなかったのだ。映画の中で使用されたといっても、実際の効果はなかっただろう。当時の日活映画の上映館には、ほんとうに観客が入っていなかったのである。

 モップスだって孤立無援のままでいたのでは、固定ファン以外の支持者を増やすことはできない。それでも “やむにやまれぬ思い” を抑えきれず、鈴木ヒロミツは懸命に「いいじゃないか」と叫ぶしかなかった。日本でロックを続けることの難しさを、彼はスクリーンで体現しながら、もがいているように見えたのだった。

 日本のロックについての見識を持っている人は、当時からマスコミのなかでもかなり少数派であった。1969年に創刊されたロック専門誌『ニューミュージック・マガジン』と、その半年前から始まっていたフォーク雑誌は、初期の頃にはまだどことなく手探りのようなところがあった。

 その原因はおそらく、それまでの芸能マスコミがスターの話題を追いかけるばかりで、ジャーナリズムとして機能していなかったからであろう。だからこそ、音楽評論を志していた中村とうようは『ニューミュージック・マガジン』を創刊したのである。

 どのページを読んでいても、同誌には真剣に考えさせられる記事が多かった。とくに日本のアーティストについて、そうした思いを感じたことを覚えている。

 また前の年に創刊された『新譜ジャーナル』には、ジャックスの早川義夫や、はっぴいえんどの松本隆が、力のこもった文章を寄稿していたことは、今でも強い印象として残っている。

【注】このシリーズの第1作、和田アキ子主演の『女番長 野良猫ロック』(長谷部安春監督)に登場したモップスは、オリジナル曲の「パーティシペイション」を演奏したほか、主演した和田アキ子のバックも務めている。そこにはホリプロ所属のGSだったオリーブとオックス、前年の9月にデビューしたばかりのアンドレ・カンドレ(井上陽水)も出演していた。いわゆる “口パク(リップシンク)” ではあったが、歌を披露するシーンは貴重な映像となった。

 

スタンダード曲から知る日本の音楽文化史(1)

御意見無用 Iijanaika / モップス (EP盤 1971)

 

※ 次回の更新は4月1日予定! 第16章『最後まで持ち続けたロックへのこだわり』から前編をお届けします。お楽しみに!

 

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Text:佐藤 剛
Edit:菅 義夫
写真協力:鈴木啓之