第一回 ベートーヴェンとグリューナー・フェルトリーナー【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】


この記事が公開される3月26日は奇しくもベートーヴェンの命日です。今から194年前の同日午後5時45分、嵐の中、息を引き取りました。辞世の句は「喝采を、諸君、芝居は終わった!」だったという、56年と3ヶ月あまりの劇的な人生でした。

さて、今回からスタートするこの「名曲と美味しいお酒のマリアージュ」では、少しでも音楽を気軽に楽しんでいただけるように、毎回オススメの一曲とそれに合わせたお酒をご提案していこうと思います。

第一回 ベートーヴェンとグリューナー・フェルトリーナー

 

第一回目はベートーヴェン。皆さん、きっと学校の音楽室に飾られたモジャモジャ髪の肖像画をご覧になったことがあるでしょう。顔つきも険しく、いかにも頑固そうな芸術家! 「楽聖」と呼ばれ、数々の名作を生み出したベートーヴェンは、実は長年の飲酒がたたり、肝硬変が死因だったと言われています。しかも、最期の言葉は先に挙げたものではなく、「残念、残念……遅すぎた!」だったという説があります。出版社から届けられたワインを前に、「(飲めなくて)残念、残念……(届くのが)遅すぎた!」と。酒飲みの筆者にとって、なんとも人間味あふれ、一気にベートーヴェンが身近に感じられる言葉です。

ドイツ西部ライン川河畔の街ボンで、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年12月16日に、祖父ルートヴィヒは宮廷楽長、父ヨハンは宮廷歌手という音楽一家に生まれました。母マリア・マグダレーナの実家はトリーア選帝侯に宮廷料理人として仕えており、葡萄畑の管理も任されていました。飲んだくれの父ヨハンのみならず、すでに他界していた父方の祖母もアルコール依存症と、生まれながらにワインとは切っても切れない因縁めいたものがあったようです。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

▲ベートーヴェン?!と野津氏 ドイツでのコンサート楽屋での一コマ


ところで、僕とワインとの出会いには、この音楽の巨匠がなんと一枚噛んでいるのです。

10代の頃、夏休みの家族旅行でヨーロッパを訪れたときに、音楽大好き少年だった僕は、お願いして旅程にウィーンを組み込んでもらいました。

ウィーン市街の観光を終えて郊外のハイリゲンシュタットへと向かったのですが、とても暑い日で、もう夕方になっていたとはいえ、ヨーロッパはまだまだ陽も高く、一軒のお店の木陰のテラスに席を取ったことをおぼろげながら覚えています。大人たちは白ワイン注文する中、未成年の僕はジュースを頼み、乾ききった喉を潤そうと一口ゴクリ。しかし、それは僕が想像していた飲み物とは全くの別物でした! 日本で飲んでいた市販のジュースからはかけ離れた甘さと濃厚さで、口の中にまとわりついてきたのです。食道まで熱くなるようなエネルギーを持ったこの物体は、一体何なんだ!?

実はこれ、ワインになる前の「モスト」と呼ばれる葡萄ジュースだったと知ることになるのは、ずっと後のことです。そんな(音楽家になる前の)僕とワイン(になる前の飲み物)との出会いの場となったハイリゲンシュタットは、ベートーヴェンの「遺書」で知られています。

20代後半から耳の不調に悩まされていたベートーヴェンは、田舎に心の安らぎを見出していきます。当時のウィーンは、神聖ローマ帝国の首都としてヨーロッパの中で重要な地位を占める国際的な大都市でした。フランス革命や、その後のナポレオンの台頭でヨーロッパ情勢が不安定になる中、ウィーンも不穏な空気が流れはじめます。

医師の勧めもあり、都会の喧騒を離れて過ごしたハイリゲンシュタットで、悪化する耳の疾患への絶望、そして自殺へと駆られたことを告白する「遺書」を残しました。「僕はほとんど絶望し、もう少しのことで自殺するところだった。−ただ彼女が−芸術が−僕をひきとめてくれた」この時、ベートーヴェンはまだ32歳。「自分に課せられていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない」と、結果的には新たに生きることへの決意を述べています。難聴に苦しむ中、自分自身の心の声、そして内なる音楽との対話を可能にした環境が田舎にはあったのかもしれません。

この後もベートーヴェンは、ハイリゲンシュタットやバーデンなどウィーン郊外で夏を過ごしています。後年の日記帳には、こう記されています。「ここではわたしのみじめな聾もわたしを悩ますことはない。いなかではどの樹木も、『聖なるかな、聖なるかな』とわたしに話しかけているようだ。森の中の慌惚!(中略)森の快い静けさ!」

 

 

~今月の一曲~


ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68《田園》

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

40代を目前にした1807から08年にかけて、交響曲第5番ハ短調作品67《運命》と同時期に作曲されました。交響曲の歴史において、絶対音楽の凝縮された到達点とも言える《運命》に対して、標題音楽の先駆けとも言える《田園》は、見事な対比を示しています。ベートーヴェン自身は「絵画的描写」ではないと述べてはいますが、鳥の鳴き声や嵐の表現は極めて描写的に聴こえてきます。構成も破格の5楽章で(これまでは通常4楽章)、各楽章には次のような副題が付けられています。

第1楽章:田舎に到着したときの朗らかな感情の目覚め
第2楽章:小川のほとりの情景
第3楽章:農民の楽しい集い
第4楽章:雷雨、嵐
第5楽章:牧人の歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の感情

冒頭から、なんとも心地よい旋律に迎えられ、聴き手はまるで自分自身が田舎を散歩しているかのように曲は進んでいきます。小川を見つけては覗き込み、鳥の鳴き声が聞こえたら足を止めて聴き入り……そうこうしている内に雷雨に襲われますが、最後はそれも晴れ上がり、聴き終える頃にはまるで森林浴をしたかのごとく、身も心も浄化された気分を味わえるでしょう。

もう一つの《田園》!?
実はベートーヴェンにはもう一つ《田園》の名を持つ曲が存在します。1801年に作られたピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28で、《田園》というタイトルはベートーヴェン自身が付けたものではなく、後に出版社が付けた通称です。《月光》と《テンペスト》に挟まれた佳作で、個人的には純音楽的な印象を抱きますが、第1楽章ののどかな雰囲気や、第4楽章のざわめきが「田園」や「森」を思わせなくもありません。皆さんにはどう聴こえるでしょうか?

 

 

~今月の一本~

 

グリューナー・フェルトリーナー:オーストリアといえばこの白ワイン

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

主にオーストリア東部のニーダーエステライヒ州やブルゲンラント州などで栽培されています。品種名が舌を噛みそうなほど長く呼びづらいせいか、日本ではそれほどポピュラーとは言えないのが残念ですが、軽やかでフレッシュな飲み口は、春から初夏にかけての爽やかな青葉を連想させます。外に出て散歩をしたくなるこれからの季節、まさに《田園》にぴったりの一本といえるでしょう。

ハイリゲンシュタットもグリューナー・フェルトリーナーの産地の一つで、収穫したブドウを地産地消で味わえる「ホイリゲ」と呼ばれるワイン居酒屋が多く集まっています。新酒の季節にはシュトルムと呼ばれる発酵過程のワインを味わうことができます。シュワシュワとした口当たりが心地よく、飲み過ぎには注意!

合わせる料理はベートーヴェンも好んだという魚料理がおすすめです。海に面していないオーストリアでは淡水魚が多く食されています。ドナウ川をはじめとする川々やアルプスに囲まれた湖などで獲れたマスやカワカマスなどを塩焼きにしたり、バター焼きにしたりとシンプルな調理法でいただきます。変わりどころではナマズ! これはどちらかというとハンガリー寄りの地域で食べられることが多いようですが、グロテスクな見た目とは裏腹に、わずかにピンク味を帯びた身は淡白で上品な味わい。日本でも刺身や天ぷらで食べますが、フライにしても美味です。

 

 

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Text&Photo:野津如弘

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