「眠りながら聴く、8時間以上の生演奏」に密着した音楽ドキュメンタリー ~マックス・リヒター本人に聴く、前代未聞の問題作《スリープ》とは何なのか?


 2021年3月21日、NHK総合のドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「庵野秀明スペシャル」が放送され、大きな反響を呼んだ。実は番組中、エヴァンゲリオンの劇中音楽のほか、印象的に使われていたのが作曲家マックス・リヒターによる音楽だった。

 例えば『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』公開後、「4年の歳月を経て、庵野さんは再びエヴァンゲリオンに取りかかった。」と語られる場面では、《リコンポーズド・バイ・マックス・リヒター:ヴィヴァルディ ― 四季》から〈スプリング1〉が流れはじめ、胸に迫る感動的なシーンとして演出されていた。

 なぜ、マックス・リヒターの音楽は“人の心を打つ”のか? そのヒントは、彼の代表曲〈オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト〉をテーマ曲とした映画『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)や、先ごろのグラミー賞にサウンドトラックがノミネートされていた映画『アド・アストラ』(ブラッド・ピット主演)を観たり、聴いたりすると糸口が掴める。彼の音楽は映像とあわさると、まるで画面に映る人物の内面から自然と音楽が溢れ出てくるように感じられるのだ。

 あるいは、映像なしに彼の音楽だけを聴く場合、長い時間にわたって音に浸かっていくほどに楽曲は徐々に後景へと退き、自分という存在に意識がむかってゆく。そして気づけば、自然と自分の内面に対峙することとなる……。こうしたマックス・リヒターの特質が、最も顕著にあらわれている作品――それが2015年に初演された《スリープ》なのである。

真夜中から明け方までベッドに横たわり聴く 8時間以上に及ぶ演奏
映画館で体感する“眠り”と“目覚め” かつてない音楽ドキュメンタリー


……といった触れ込みで、映画館の予告編を通じて映画ファンの間でにわかに話題になっているドキュメンタリー映画がある。それが『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』だ。

 

映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』(2)

 

 前代未聞の大作《スリープ》が世界各地で演奏される模様を軸にして、この作品がどのように生まれ、聴衆たちにどう受け取られたのか、その多様な感想が語られていく。もちろん、それだけでも興味深いドキュメンタリーなのだが、実際に映画を観てみると、予告編からは予想しなかった側面に、もっと激しく心揺さぶられてしまった……。それは作曲者マックス・リヒターと、その家族を巡る物語という側面である。

 

子どもに充分に愛情を注ぎながら、充実したアーティスト活動は可能か?

 

 マックス・リヒターの妻ユリア・マールは、映像作家・映画製作者として英国アカデミー賞などを受賞しているアーティスト。夫マックスの作品のミュージックビデオを製作したりと、夫婦のコラボレーションでも多数の実績を残している。今回のドキュメンタリー映画を観て、まず驚かされたのは《スリープ》というのは本来、音楽だけを指す作品なのではなく、夫婦である2人のアーティストの共同作品であるという点だ。一体どういうことか。

 

映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』(2)映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』(3)

 

 ピアニストとしてのマックス率いる7人の演奏家たちが8時間半にわたって生演奏を繰り広げるあいだ、観客たちは基本的に客席代わりのベッドに寝転んでいる。実は、その状況も含めて作品なのだと彼らはいう。予告編でも流れているマックス自身の発言「Those people sleeping are the story.(字幕では「寝ている人たちが主題なんだ」と訳されている)」とは、こういう意味なのであった。

 映像作家である妻ユリアは当然のように、《スリープ》のライヴ演奏を映像作品として残そうと、撮影素材を撮りためていくも、映画化のための製作資金が調達できず、短編ドキュメンタリーの製作に留まってしまう。その後、改めてドキュメンタリー映画化するチャンスがやってきたのだが、当時のユリアの健康状態では自分自身で撮り続けることは断念せざるを得なかった。夫マックスはこう語る。

 

「ユリアの体調ですが、正直なところ、2021年も現在進行形なんです。いつからというのもはっきりしていなくて、慢性的・長期的なストレスの影響で、病気になりやすい状態になってしまいました……。アーティストとしてのキャリアと家庭生活のバランスをとることは非常に重要です。これは真の難題で、間違いなく大きな打撃をうけました」

 

 ユリアとマックスの間には3人の子どもがいるのだが、マックスが演奏ツアーで長期間にわたり家をあけることも多く、その分の負担がユリアにのしかかったようだ。

 

「アーティストにとって、クリエイティブな仕事と家庭の間でエネルギーと時間のバランスを取ることは、最も難しいことです。アーティストが家族を持つかどうかということは、大きな決断を要します。アーティストは、それまで通りの仕事をやめませんから、間違いなく。そうだね……、それは面白いパズルを解くようなものかもしれない。自分のやり方を見つけなければならないんです」

 

 ここで「アーティスト」とマックスが語っているのは、自分自身のことだけでなく、もちろんユリアも含んでのことだ。しかし同時に、全世界のなかで誰よりも、マックスの創作活動を最も応援し、高い評価を受けることを誰よりも望んでいるのはユリアなのであろう……。ドキュメンタリーの冒頭の方で、ユリアはこのように語っている。

 

「私たちが若かった頃は、子どもたちも小さく、お金もありませんでした。だから、マックスがコンサート出演で留守にしているときも、私が付き添うことは絶対に出来なくて、家に残っていました。だから、コンサートのストリーミング配信が始まったのは、本当に嬉しかった!突然私も聴けるようになったわけですから」

 

 ユリアは、配信時間がどんなに真夜中であっても聴くことを楽しみにしているのだという。たとえ疲れ切っていて、途中で寝てしまうとしても……。そして、夢か現か幻か分からないまま、配信を聴いていたユリアの体験がきっかけとなって、製作されたのが《スリープ》という作品なのであった。どんな時にもクリエイティブな発想をやめないアーティストであることが、このエピソードからも伝わるだろう。マックスの側からは、ユリアとの関係をこう語ってくれた。

 

「完璧なんだ!(It's perfect!) つまりユリアと私は、あらゆる観点でパートナーなんです。私たちのコラボレーションや創造的な共同作業は、一緒に生活しているからこそ生まれるものであって、この2つを切り離すことはできません。今回のドキュメンタリー映画にも彼女が長年撮影してきたあらゆるフィルムが組み込まれています。この作品は、世界におけるクリエイティビティの役割についてのビジョンを共有し、その時に作るべき作品だと私たち夫婦が感じたことから生まれたものなのです。このように、私生活とクリエイティブなコラボレーションを切り離すことはできません」

 

アーティストとその家族をめぐる、お金と健康の問題

 

 もうひとつ、このドキュメンタリーを観ていて、信じられないほど驚いたことがある。マックス・リヒターは今年で55歳、ユリア・マールは今年52歳……四半世紀以上にわたってパートナーシップを結んできた2人ではあるが、ほとんど常にお金には困ってきたという。

 

「音楽ビジネスは不安定で、複雑なビジネスなのです。アルバム《メモリーハウス》(2002)に始まる私の初期の録音は、批評家のあいだで話題になり、他のミュージシャンたちにも影響を与えたりしました。しかし商業的に成功することは出来ませんでした。それとこれとは別の問題なのです。多くの人が現在このことについてコメントしていますが、特にここ数年の音楽ストリーミングを中心とした経済状況を考えると、ミュージシャンが生計を立てるのがより一層困難な時代になっているように思います。残念ながらこれは私たちに限った話ではありません」

 

 マックスは自分が音楽家でなければ、こんなに家族を苦しめなかったのではないかと思い悩む。一方、ユリアは夫を責めることなく、自分の身体が発したSOSを無視して、気丈に振る舞い続けた。その結果、ユリアは栄養失調で病気になってしまい、前述したように今も健康を取り戻せていない。

 アーティストとしての活動によって、自分自身が家族の問題と対峙してこなかったことを痛感したマックスは、それまでの生活を見直すも、音楽以外に自分にやれることがあるのかとまた悩み込んでしまう……。ドキュメンタリーのなかでは、アルバム《ザ・ブルー・ノートブック》(2004)が注目を集めたことで、家計の状況が改善されたと説明されるが、それはこのアルバムが発売されてすぐのことではなかった。

 

「先ほども言ったようにミュージシャンの間ではすぐに話題となり、影響力を持つようになったようですが、とにかく商業的に成功するまでにかなりの時間がかかりました。(ユニバーサルミュージック傘下の)ドイツ・グラモフォンから《リコンポーズド・バイ・マックス・リヒター:ヴィヴァルディ ― 四季》(2012)がリリースされた後、他の録音も知られるようになり、少しずつですが商業的にも成功するようになりました……この10年弱くらいのことですね」

 

 ドキュメンタリーのなかでは、2012年頃でもインタビューを受ける取材先に行くための交通費がなく、40~60分かけてマックスが歩いたエピソードも紹介されていたり、2015年に初演された《スリープ》を製作するにあたっても、まず喫緊の問題となったのは、8時間を超える作品を書き上げるまでの2年間、どうやって生活費を工面するかであった。

 

「これはとても長いプロジェクトであり、多くの献身と情熱を必要としました。作曲を終えたあとも、《スリープ》を演奏することはとても非経済的で、やればやるほど演奏者や関係者も含めて、全員が経済的には損をしていきます。でも私たちにとっては、それでもやる価値があるプロジェクトなのです。なぜなら、唯一無二の経験をすることができますし、その一部となれるのは意義のあることなんです」

 

結局のところ、マックス・リヒターとは何者なのか?《スリープ》とは何なのか?

映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』(4)

 

 マックス・リヒターの音楽はシンプルで耳心地がよいからこそ、現代音楽という枠におさまることなく愛され、クラシック音楽に興味がない人々にも聴かれている。でも、それゆえに「芸術的には攻めていない、守りに入った安易な音楽」であると酷評され、芸術として扱う価値はないとみなされることも珍しくないのが実情だ。

 ところが今回のドキュメンタリーなどを通じて、マックス・リヒターの考えや目指すところを知れば知るほど、西洋的な音楽の概念を根源から問い直したジョン・ケージ並みにラディカルな思想をもった人物であることが見えてくる。作曲家としてのスタンスを、マックス自身はこう語る。

 

「意外に思われるかもしれませんが、私はケージの音楽が大好きで、強い関心をもっているんですよ。私自身の自分の作品はすべて“実験”で、“問いかけ”なのだと考えていますし、そのような性格を持っているんです。新しいプロジェクトごとに、これまで訪れたことのない空間性を探索し、新しいものを見つけることに最大の興味があります。これが間違いなく私の根源にあるもので、だから自分のことを実験的な作曲家だと思っているんです」

 

 そして実験的という観点から《スリープ》を捉えれば、“作者および作品”と“オーディエンス”の関係をフラットにしようと考える、マックス・リヒターの思想が端的にあらわれた作品といえるのだ。

 

「この作品におけるテーマのひとつは、“共同体 community”です。それこそが作品世界における中心であり、音楽はコミュニティが眠りにつくための風景のようなものなのです。伝統的なヒエラルキーでは、アーティストは自分の楽譜に込めた思いをパフォーマンスに投影しようとしますが、《スリープ》では決してそのようなことをしません。むしろ、それを意図的に覆そうとした作品で、あなた自身を包み込むものなのです」

 

 こうしたコンセプトを実現するためにマックス・リヒターは、どのような音楽を描き下ろしたのか? それ以前の彼の音楽とは何が違っているのだろう?

 

「私の作品は、記譜されている音楽――つまりクラシック音楽ということですね――と、スタジオにおける電子音楽のあいだに、いつも位置しています。一方、私の音楽言語の一面に焦点を当て、前へと押し出した《スリープ》の場合は、エレクトロニクス(電子音響)の使用を最も推し進めた作品になりました。それ以前はマルチトラックレコーダーを使って電子音響を録音していたのですが、この時にはPro Toolsを使いました。電子音のなかでも〔打ち込みの標準規格である〕MIDIはすべて書き記されるものなので、依然としてクラシック音楽的な器楽曲といえます。しかし《スリープ》で前面に出ているのは、そういったものではないのです」

 

 つまり《スリープ》の音楽部分で核となるのは、楽譜でもMIDIとしても記録できないハイレゾで録音された20トラックほどの電子音響であって、ライヴで演奏される生音はエレクトロニクスの延長として鳴り響く。そういう作品は、マックス・リヒターにとって初めてのものだった。

 もうひとつ《スリープ》を理解する上でヒントになりそうなのが、新しいアルバム《ヴォイシズ》(2020)と《ヴォイシズ2》(2021)である。「世界人権宣言」をテーマにしたこれらの作品と《スリープ》はどのような関係にあるのか。

 

「この素晴らしい“世界人権宣言”のテキストが、私たちにとってどのような意味を持つのかを探求したり、考えるための場所となるのが《ヴォイシズ》なのです。だから《ヴォイシズ》は、はっきりと目覚めているのです。そういう意味でも《スリープ》と《ヴォイシズ》は補完的な作品になっているといえます」

 

 

 

 敢えて最後にもう一度、「庵野秀明スペシャル」へと話を戻そう。あのドキュメンタリーを観たことで、視聴者の多くが改めて痛感したのが庵野監督の妻である漫画家・安野モヨコの存在だ。夫婦ともにアーティストであることが庵野監督を救い、『シン・エヴァンゲリオン劇場版 :||』においてエヴァンゲリオンの物語は完結することが出来た。

 その構図はマックス・リヒターとユリア・マールによる《スリープ》にも近しいところがありつつ、マックスとユリアの関係は、宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎(声優:庵野秀明)とその妻・里見菜穂子の関係とも重なってしまう……。

 アーティストに素晴らしい作品を残してもらいたいと願いながらも、アーティスト本人やその家族の人生にのしかかる負担とどう向き合うべきなのか? 『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』は、そんなことを考えるきっかけにもなるドキュメンタリー映画だ。ライヴで演奏される《スリープ》の臨場感を味わう意味でも、映画館での鑑賞を強くお薦めしたい。

 

映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』(5)

 


 

【Information】
映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』
https://max-sleep.com/

監督:ナタリー・ジョンズ /製作:ステファン・デメトリウ、ジュリー・ヤコベク、ウアリド・ムアネス、ユリア・マール/撮影:エリーシャ・クリスチャン 出演:マックス・リヒター、ユリア・マール、(ソプラノ)グレース・デイヴィッドソン、(チェロ)エミリー・ブラウサ、クラリス・ジェンセン、(ヴィオラ)イザベル・ヘイゲン、(ヴァイオリン)ベン・ラッセル、アンドリュー・トール/2019年/イギリス/英語/99分/シネスコサイズ/原題:Max Richter’s Sleep/映倫:G
配給:アット エンタテインメント 

2021年3月26日(金)
新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

 


 

Text:小室敬幸

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