第三回 シューマンとラインガウのリースリング【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

第三回 シューマンとラインガウのリースリング

 

五月雨を集めて早し最上川 芭蕉

1689年旧暦6月3日山形県新庄を発った芭蕉と曾良は、本合海(もとあいかい)八向楯(やむきだて)で舟に乗り、最上川を羽黒方面へと下って行きました。その時に詠まれたのがこの有名な冒頭の句です。

実は、芭蕉は5月29日大石田の句会で「五月雨を集めて涼し最上川」という句を詠んでいます。しかし、数日後に実際に舟に乗って、梅雨で増水した川の急な流れを肌で感じたのでしょう。「涼し」を「早し」と変えました。それによって川面がぐっと近づき、船べりにぶつかって飛び散る水しぶきまでも感じられるような気がします。「碁点・隼などと云うおそろしき難所有……水みなぎつて舟あやうし」と『おくのほそ道』には記されています。

古くから八向楯のあたりは、川が大きく蛇行し渦を巻いている難所として知られていました。浸食され険しく切り立った崖の中腹には八向大明神が祀られ、人々は航行の無事を祈ったとされています。

一般に日本の川は急流で、ヨーロッパの川はゆったり流れるとは言われますが、ヨーロッパの川にも難所と呼ばれるところは存在します。

スイスに源を発し、中流域では主にドイツを流れるライン川にも、難所ローレライがあります。ローレライとはライン川にそびえ立つ岩山の名称であり、そこに宿る精霊の名前でもあります。ここも八向楯のように川が大きく蛇行し狭くなった箇所で、流れが急で暗礁もあることから事故が絶えず、「ローレライが美しい歌声で船頭を誘惑して、船を川底へ引きずり込む」という言い伝えが生まれ、その物語は多くの文学・音楽作品の題材となってきました。

中でも知られているのは、ハイネの詩にジルヒャーが作曲した《ローレライ》でしょう。日本でも近藤朔風の訳詞で100年以上親しまれており、歌ったことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、ブレンターノの詩を下敷きにアポリネールが書いた《ローレライ》はショスタコーヴィチの交響曲第14番《死者の歌》第3楽章で歌われていますし、岩の下にはニーベルングの黄金が埋まっているという伝説もあり、これはワーグナーの《ラインの黄金》へと繋がっていきます。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

そして今回の主人公ロベルト・シューマン(1810-1856)もそんなライン川に魅せられた作曲家の一人です。1829年5月、19歳のシューマンはライプツィヒ大学からハイデルベルク大学に移籍する際にライン川を旅し、母ヨハンナ宛の手紙の中でライン川の光景を褒め称える文章をこう記しています。

「ライン川は僕の前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、それとともに、山や谷の全てがブドウの楽園である、花が咲き緑なすラインガウの素晴らしい全景が広がっていたのです」

リューデスハイムでラインガウ産のワインを飲み、ビンゲンで贅沢な昼食をとり、カペレンではライン川に映える月の美しさに見とれ、蒸気船でコブレンツへ向かいます。ローレライを途中右手に見て、コブレンツへ着くと今度は地元のモーゼル産ワインを飲んでいます。この後の人生における浪費癖をうかがわせる旅行をした後、ハイデルベルクへは一文無しの状態でたどり着いたのでした。

裕福な家庭に育ったシューマンは経済観念には乏しく、ハイデルベルク時代もたびたび母親そして後見人に送金を依頼する手紙を送っています。夏の終わりにはスイス・イタリアへ旅行、またもや金を使い果たし送金を依頼。しかし、ハイデルベルクへ戻ると毎晩のように舞踏会や夜会に出かけるという放蕩三昧の生活を送ります。酒浸りの日々の中で、「硬直と不快−退屈のために酔う・・・ライン川への投身願望」という将来を予感させる、なんとも不吉なメモを日記に残しています。

ハイデルベルク時代は翌年には早々と終わりを迎え、シューマンはライプツィヒへと戻ります。師ヴィークの家に寄宿してピアニストへの道を目指すものの、指の故障で断念。ヴィークの娘クララと恋愛関係になるものの、師からのひどい妨害に遭います。ヴィークとは法廷闘争にまで発展しますが、なんとかクララとの結婚を勝ち取ります。1840年に晴れて結婚すると「歌曲の年」(1840年)、「交響曲の年」(1841年)、「室内楽の年」(1842年)と呼ばれる実りある三年間を過ごしたのでした。

その後、ドレスデン時代を経て1850年にデュッセルドルフへ居を移します。音楽監督としてうまく行っていたのも最初だけで、若い頃からくすぶっていた神経症が急速に悪化していきます。1854年2月、錯乱状態となりライン川に身投げするも辛うじて一命を取り留めますが、精神病院に入院。二年の闘病生活の後に亡くなりました。

 

 

~今月の一曲~


ロベルト・シューマン 交響曲第3番変ホ長調作品97《ライン》

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1850年9月頭に、シューマンは音楽監督を引き受けライン川沿いの街デュッセルドルフへと引っ越します。9月下旬には妻クララと共にケルンへと観光に訪れ、大聖堂に感銘を受けたシューマンは、チェロ協奏曲を仕上げると、11月には新作交響曲に取り掛かり、ひと月ほどで完成。翌年2月に作曲家自身の指揮、デュッセルドルフ音楽協会の演奏で初演されました。《ライン》という副題はシューマンがつけたものではありませんが、全体を通してライン川の自然や河畔の街の様子を詩的に描いた作品と言えるでしょう。

第1楽章「生き生きと」は序奏なしに突如ヘミオラで始まるテーマが非常に躍動的で、まるでラインの急な流れを感じさせるかのよう。ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》を意識したのか、同じ変ホ長調、同じ4分の3拍子という点にも注目です。

第2楽章は穏やかなスケルツォ。当初は「ライン川の朝」という副題が付けられていました。川面をたゆたうようなゆったりとした雰囲気です。シューマンは《ある画家の本より6つの詩》作品36(1840年)の一曲目「ラインのほとりの日曜日」でも、ライン川の朝の情景を描いています。

続く第3楽章も穏やかな曲調。ほぼ弦楽器と木管楽器のみで奏でられ、親密さを感じさせる楽章です。

第4楽章「荘厳に」はケルン大聖堂での枢機卿任命式典にインスピレーションを得たと言われています。この楽章からトロンボーンが登場し、ホルンと共にコラールを奏でますが、「厳かな式典の伴奏のような性格で」と当初書かれていたように、あくまで節度を保って演奏されます。第5楽章は、一転、生き生きとしたフィナーレ。終盤、第4楽章のテーマが高らかに再現され、高揚した気分で曲を終えます。

 

 

~今月の一本~

 

ラインガウ地方のリースリング

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ドイツ西部ラインガウ地方はライン川に北接する丘陵地で、「ガウ」とはフランク王国時代に制定された小国のことです。フランクフルトから50~60kmほど西に行ったあたりに位置しており、栽培されているのはほぼリースリングという白ワイン用のブドウ品種です。リースリングは豊かな香りとキリッとした酸を持ち、甘口から辛口まで味わいの幅が広いワインが作られるのも特色です。

今月ご紹介するのは辛口のすっきりとした一本で、この時期、ぜひ天ぷらに合わせて味わいたいもの。

なぜこの時期に天ぷらかというと、それは「梅雨穴子」とも言われるように、天ぷらの花形である穴子が、旬を迎えるからです。汽水域に生息する穴子は、梅雨で増水した川から栄養分をたっぷりと含んだ水が海へと流れ込むと共に旨味を増してきます。実際、穴子はビタミン類が豊富で夏バテ防止にぴったり。江戸前の「めそっこ」と呼ばれる小型のものが天ぷら向きとされています。

そして、稚鮎も旬。苦味のあるはらわたは稚鮎ならでは。また、幻の魚と言われる「ぎんぽう」を見つけたらぜひ注文したいところです。穴子を短くして、よりグロテスクにした見た目ですが、食べるとほんのり甘く、ふわりとした食感が上品な白身魚です。

 


 

Text&Photo(ワイン):野津如弘