第四回 マーラーのアダージェットとベリーニ【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

第四回 マーラーのアダージェットとベリーニ

 

1971年に公開されたルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』は耽美的な映像のみならず、背後に流れるマーラーの音楽がとても印象的な作品です。ドイツの小説家トーマス・マンの原作を映画化したこの作品は、20世紀初頭の疫病が流行するヴェネツィアを舞台に、ひとりの初老の作曲家が美少年に魅入られ、死に至るまでの夏の日々を描いています。

主人公の名はグスタフ・フォン・アッシェンバッハ。1912年に発表された原作では、トーマス・マン自身が1911年にヴェネツィアを訪れた体験が投影され、アッシェンバッハは作家ということになっていますが、ファーストネームのグスタフは1911年に亡くなったマーラーから取ったそうです。マーラーと面識のあったマンは、小説を構想中に彼の訃報に接し、主人公をグスタフと名付け、また容貌もマーラーに似せて描写しました。

そんな経緯を踏まえてか、ヴィスコンティは映画化するにあたり、主人公を作家から作曲家という設定に変え、さらにはマーラーの音楽をテーマ音楽としました。

そもそもマーラーの楽曲はその長さや編成の大きさ、そして難解さ故に頻繁に演奏されていたわけではありません。しかし、1960年の生誕100周年記念の演奏会、1967年のウィーン芸術週間でのマーラー特集をきっかけに世界中のオーケストラで演奏されるようになります。さらにヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』はクラシック・ファン以外にもマーラーの音楽をそれと知らずに浸透させたと言えるでしょう。

 

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僕がヴェネツィアを訪れたのは、もう30年ほど前の夏になりますが、じりじりと日差しが強く、湿度も高くてまとわりつくような不快な暑さだったのを今でも覚えています。おまけにゴンドラで船酔いになってしまい、余計にマイナスイメージが強く残っているのかもしれません。この街で17世紀後半から18世紀前半に活躍した作曲家ヴィヴァルディも《四季》の中で、「夏」をト短調で重苦しく憂鬱なものとして描いています。前半は暑さで人も動物も植物までもぐったりした様子、そして曲の後半では轟く雷鳴、そして雹が降り、嵐が襲ってくる様子が表現されています。

中世には東方貿易や十字軍で栄えたヴェネツィア共和国でしたが、オスマン帝国の進出やポルトガルのインド航路の開拓などで徐々に陰りを見せ始め、1797年、ナポレオン軍の侵略で終焉を迎えました。その後はフランスやオーストリア帝国による支配を経て、1866年にイタリア王国に併合されます。

映画『ベニスに死す』の舞台となっているリド島はヴェネツィア本島の南東に位置する細長い島で、1857年に海水浴場が開設されると、大規模なホテルや別荘地の開発、インフラ整備と観光地としての体裁を整えていきました。主人公たちが滞在しているホテル・デ・バンも1900年に開業しています。現在は、残念ながら廃業し、宿泊することはできませんが、2018年のヴェネツィア映画祭では、映画祭の75年の歴史を振り返る回顧展がホテル・デ・バンで開催されたようです。

ヴェネツィアには他にもガラス製品で知られるムラーノ島、レース製品で有名なブラーノ島など多くの島々があります。本島の対岸に位置するジュデッカ島にはレデントーレ教会が建っています。レデントーレとは救世主イエス・キリストのことで、1575年から猛威をふるったペストの終息祈願のために建立されました。この時にヴェネツィアでは人口のおよそ4分の1にあたる5万人余りが亡くなったと言われています。

7月の第3週の日曜日にはレデントーレのお祭りを迎えます。本島から仮設の浮き橋が架けられ、かつてはヴェネツィア総督が、今でも多くの人々が橋を渡ってミサに訪れます。昨年は中止されたようですが、今年はコロナ終息への祈りが捧げられるのでしょうか。

 

~今月の一曲~


グスタフ・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

第1楽章「葬送行進曲」
第2楽章 嵐のように荒々しく動いて、最大の激しさで
第3楽章「スケルツォ」
第4楽章「アダージェット」
第5楽章「ロンド・フィナーレ」

20世紀が幕開けた1901年から1902年にかけて作曲、1905年ケルンにてマーラー自身の指揮で初演された、全5楽章からなる交響曲です。マーラーの交響曲は声楽付きと声楽なしの純器楽ものに分けることができます。この第5番は「なし」。他は、第1番「なし」、第2番から第4番「あり」、第6番と第7番は「なし」、第8番は「あり」、第9番そして未完の第10番は「なし」という具合です。

ウィーン宮廷歌劇場の監督そしてウィーン・フィルの指揮者として忙しく活躍していたマーラーは、主に夏の休暇中、別荘で作曲をしていました。この曲も例にもれず、1901年の夏、ヴェルター湖畔のマイヤーニッヒで作曲が開始されました。そして、その秋、マーラーはひとりの女性と運命的な出逢いを果たします。その名はアルマ。画家エーミル・ヤコブ・シンドラーの娘でツェムリンスキーに作曲を学んでいた21歳の才女に、41歳のマーラーは恋に落ちたのでした。

11月初旬に出逢い、なんと翌日にはオッフェンバッハの歌劇《ホフマン物語》(第4幕の舞台はヴェネツィア。「ホフマンの舟唄」で有名)に招待、翌月には密かに婚約するほど、急速に二人の仲は進展し、翌年3月に結婚します。

そのような中で書かれた第4楽章「アダージェット」はアルマへの愛の告白であると言われています。弦楽合奏にハープを加えただけの簡素なオーケストレーション、そして甘く切ないメロディーは、確かに、親密さを感じさせ、まるでマーラーがそっと甘くささやき、時には情熱的に語りかけてくるかのような心地を覚えるものです。

ぜひこの楽章をきっかけに全曲を通して聴いていただきたいと思いますが、なかなか80分もあるような交響曲は……と敬遠される方には、マーラーの歌曲をお薦めします。同じ時期に作曲された《リュッケルトの詩による5つの歌》や《亡き子をしのぶ歌》などはいかがでしょうか。この「アダージェット」とも関連あるモティーフが前者の第3曲「私はこの世に忘れられ」、そして後者の第2曲「いま私にはよくわかる、なぜそんなに暗い炎を」に登場します。

 

 

~今月の一杯~

 

桃のカクテル「ベリーニ」

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

ヴェネツィアにある老舗「ハリーズ・バー」のジュゼッペ・チプリアーニが1948年に考案した桃とプロセッコを使ったカクテルです。

プロセッコとは、ヴェネツィアを州都とするヴェネト州で、主にグレーラ種のブドウから作られるスプマンテ(スパークリング・ワイン)のこと。フレッシュな香りにほどよく甘みを感じる味わいは、もちろんそのまま飲んでも美味しいのですが、これに同じくヴェネト州はモリアーノ産の桃を合わせることで、イタリアを代表するカクテルとなりました。桃の生産量でイタリアは、原産地の中国そしてスペインに次いで世界第3位を誇ります。

日本でこのベリーニを味わうなら、銀座の名店「スタア・バー」。毎年、夏になると旬の時期だけ本当に短い間、期間限定で登場するので、心待ちにしている一杯です。現代の名工にも選ばれた岸久氏の作るベリーニは福島産の桃「あかつき」になんとロゼ・シャンパーニュを合わせるという変則技で、味に深みが加わり、また色合いも妖艶さを増しています。

 

 

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Text:野津如弘
写真協力(ベリーニ):STAR BAR(https://www.starbar.jp/