第五回 ラヴェルとチャコリ【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

スペイン北東部からフランス南西部にかけて、ビスケー湾に面したバスクと呼ばれる固有の言語と文化を持った地方が広がっています。作曲家モーリス・ラヴェルはフランス領バスクの小さな港町シブールで1875年3月7日に生まれました。父ジョゼフはスイス出身のエンジニア、母マリーはバスクの出身で、ジョゼフが鉄道建設のためにスペインに滞在していた際に知り合いました。

モーリスの誕生後、すぐに一家はパリへと引っ越してしまいましたが、休暇などで幾度も生まれ故郷を訪れています。音楽愛好家の父の影響でピアノや作曲を習い始めたモーリスは、後に、マリーの歌うバスク民謡が彼の音楽の原体験だったと語っています。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

ラヴェルの生家(ボート奥の左から3番目の建物)と著者

 

スペイン領バスクはアラバ、ビスカヤ、ギプスコア、ナファロアの4県、フランス領バスクはラプルディ、ナファロア・べへレア、スベロアの3地区からなっており、合わせて「サスピアク・バット」=「7つはひとつ」のスローガンのもと、スペインでもフランスでもない独特のバスク地方を構成しています。

ラヴェルは1906年、バスクの主題に基づくピアノ協奏曲《サスピアク・バット》を構想しますが、未完に終わりました。この時期には他にも《スペインの時》(1907年)や《スペイン狂詩曲》(1907-08年)などスペインに着想を得た作品を残しています。フランス作曲界への登竜門とされるローマ大賞に5回も落選していたラヴェルですが、これらの作品によって自らのルーツを通して、作曲家としての個性を確立したのでした。

また、1909年にはロシア・バレエ団を率いるセルゲイ・ディアゲレフに《ダフニスとクロエ》の音楽を依頼されます。ディアゲレフは、ラヴェルのほかにも、当時の新進気鋭の作曲家だったイーゴリ・ストラヴィンスキーにも《火の鳥》(1910年)、《ペトルーシュカ》(1911年)そして《春の祭典》(1913年)を依頼するなど、バレエ音楽の歴史に数多くの傑作を産み出した名プロデューサーでした。

音楽はなかなか完成を見ず、《ダフニス》の初演は1912年にずれ込みます。振り付けを担当したフォーキンとの意見の食い違いや、ディアゲレフの関心が薄れたことなど様々な障壁を乗り越えたものの、聴衆の反応は芳しくありませんでした。人々の話題は、1週間前に上演された、ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》(1894年)にニジンスキーがエロティックな振り付けをした舞台に集中していたのです。

とは言え、曲の完成度は素晴らしく、現在でもバレエのみならず、組曲としてオーケストラの重要なレパートリーになっています。

その後、ラヴェルの人生に第一次世界大戦(1914-18年)、母の死(1917年)が大きく影を落とします。精神的な落ち込みは激しく、創作活動も低調となっていきました。大戦で亡くなった友人たちを偲んだ《クープランの墓》(1914-17年)が、この時期に残されたほぼ唯一の作品です。

反面、そうした落ち込みを吹き払うかのように演奏活動は盛んになっていきます。特に1928年アメリカへの演奏旅行は、ラヴェルを再び創作活動に向かわせる刺激となったようです。アメリカの聴衆に熱狂的に迎えられ、2ヶ月の予定が4ヶ月に延びたほど、このツアーは大成功を収めます。ツアー中にはジャズに触れ、その影響が後に書かれた二つのピアノ協奏曲、《左手のためのピアノ協奏曲》(1930年)と《ピアノ協奏曲ト長調》(1931年)に現れています。1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれ、特にジャズはラジオの普及と共に大流行します。ガーシュインの《ラプソディー・イン・ブルー》(1924年)もこの時期に生まれた作品です。ちなみにガーシュインは1928年、渡欧しラヴェルに教えを請うて「あなたは一流のガーシュインなのだから二流のラヴェルになるな」と言われた有名なエピソードが残されています。

 

~今月の一曲~


モーリス・ラヴェル:《ボレロ》(1928年)

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

ラヴェルがアメリカからの帰国後に残した数少ない作品の一つで、イダ・ルビンシュタインの委嘱で作曲。ロシア出身フランスで活躍した舞踏家である彼女は、《ダフニス》の振り付けをしたフォーキンに師事、バレエ・リュスで活動後、1911年から自ら公演を主催するようになり、ドビュッシーが音楽を担当した《聖セバスティアンの殉教》はスキャンダラスを巻き起こします。1928年の公演では《ボレロ》とストラヴィンスキーの音楽による《妖精の接吻》が初演されました。

曲は3/4拍子のスペイン舞曲である「ボレロ」の形式を借り、スネアドラムによって演奏されるワンパターンのリズムの上に、2種類のメロディーがリレーのように様々な楽器によって奏でられていきます。最初から最後までを貫くのは一つの大きなクレッシェンドという極めてシンプルな構成ですが、オーケストレーションの見事さで万華鏡のような色彩豊かな印象を与えます。

バレエとしては、1981年に公開された『愛と哀しみのボレロ』(クロード・ルルーシュ監督)の中のモーリス・ベジャールの振付でジョルジュ・ドンが踊るシーンを思い出す方もいらっしゃることでしょう。シンプルな音楽だからこそ表現できる力強さを感じさせられる名場面です。

よりスペインの舞曲に関心のある方におすすめしたいのが、ラヴェル最後の作品となった《ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ》(1933年)です。管弦楽伴奏を伴うバリトン独唱のための歌曲で、「ロマネスクな歌」「叙事的な歌」「乾杯の歌」の3曲からなります。

それぞれ「グアヒーラ」と呼ばれる[6/8+3/4]拍子のリズム、「ソルツィーコ」というバスク地方の5拍子(古くは[5/8+3/8=8/8]拍子)、「ホタ」と呼ばれる躍動的な3/4拍子が用いられています。
全部合わせて7分ほどですので、ぜひ聴いてみていただきたいと思います。

 

 

~今月の一本~

 

バスク地方のチャコリ

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

この地方の土着種であるオンダラビ・スリというブドウから造られるフレッシュさが持ち味の白ワイン。ごくごく僅かに発泡性で渇いた喉にシュワシュワと心地よく染みいります。

バルでピンチョスという楊枝に刺さったタパスの一種をつまみながら、まずはチャコリを一杯引っかけ、食事と共にじっくり赤ワインが飲みたくなったら、内陸に入ったアラバ県のリオハを味わいたいものです。

スペイン領バスクのサン・セバスティアンは美食の街として知られ、ミシュラン三つ星レストランが3軒もあります(アケラレ、アルサック、やや郊外のマルティン・ベラサテギ)。

また、漁港の町オンダリビアやゲタリアで新鮮な魚介類と共にチャコリを楽しむのも一興でしょう。ココチャスと呼ばれるタラ(メルルーサ)のアゴ肉(頬肉)、ロダバージョ(石鮃)の炭焼き、アンチョビなどが知られており、エルカノ、エルマンダ・デ・ペスカドーレス、カイア・カイぺなど名店が多数存在します。

食後にはパチャランをどうぞ。エンドリーナというスモモの一種をアニス酒に漬け込んだリキュールで、美味しいバスク料理を食べすぎても、きっと消化を助けてくれることでしょう。飲み過ぎにはご用心ですが!

 

 

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Text&Photo(ワイン):野津如弘

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