第六回 スメタナとピルスナー・ウルケル【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

ボヘミアという言葉に、皆さんどんな思いを抱くでしょうか?

どことなく憂いを秘めた響きがするこの言葉に初めて僕が接したのは、小学生の頃。テレビで放映されていた《シャーロック・ホームズの冒険》の1エピソードでした。『ボヘミアの醜聞』(1891年)というタイトルで、ホームズは、仮面で顔を隠した依頼人から一枚の写真を取り返して欲しい、という依頼を受けます。その依頼人は近々結婚する予定のボヘミア王、そしてその写真にボヘミア王と共に写っているのはオペラ歌手のアイリーン・アドラーでした。

ホームズは馬丁や牧師に変装するなど得意の変装術で捜査を進めていきますが……果たして写真を取り戻せるのか、続きは本や映像でご覧いただくとして、ボヘミアに対して子供心にも淡い憧れのような気持ちを持ったものでした。

音楽がお好きな方だとプッチーニの《ラ・ボエーム》(1896年)を思い浮かべるかもしれません。アンリ・ミュルジェールによって書かれた『ボヘミアン生活』(1849年)あるいは『ボヘミアン生活の情景』(1851年)を元に創作されたこのオペラは、1830年代のパリを舞台に、自由で奔放な芸術家たちの生活を、ミミとロドルフォの恋愛を中心に描いています。

ボヘミアンの語源となったボヘミアは、現在のチェコの中部・西部の名称で、ボヘミア王国は神聖ローマ帝国の一部として1198年〜1806年まで存続し、その後はハプスブルク家のオーストリア帝国(1867年からはオーストリア=ハンガリー帝国)の一部として存在し続けました。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

さて、今回の主人公ベドジフ・スメタナは、そのボヘミア東部のリトミシュルで1824年に生まれた作曲家です。父フランチシェックはビール醸造業を営んでおり、ベドジフが生まれた当時はリトミシェル城のビール醸造所で働いていました。音楽好きでもあった父はヴァイオリンを演奏し、その影響でベドジフも幼少期からヴァイオリンを始めます。何度かの転居の後、1839年、プラハの学校へ進学するものの、環境に馴染めずに音楽に慰めを見出し、リストの演奏会を聴いて感激した彼は、音楽家となることを決意しました。

1840年、従兄が教師をしていたプルゼニへ転居、1843年に卒業するまで滞在。勉学だけでなく、ピアニストとして夜会やサロンでの演奏機会も多かったようで、後に妻となるカテジナとの恋愛を経験するなど青春を謳歌した幸せな時代でした。

その後は、貴族の音楽教師やピアノ学校で生計を立てる傍ら、作曲にも熱心に取り組みました。1848年から1849年にかけて「諸国民の春」と呼ばれる国民主義の革命運動がヨーロッパ各地で起こりましたが、この時、スメタナは愛国的な作品を書いています。また、1849年にはカテジナと結婚し4人の子供が生まれます。しかし、内3人は早逝するという不幸が襲いかかりました。加えて、プラハでのピアニストとしての成功がままならず、スウェーデンへと活路を見出そうとします。イェーテボリでは音楽学校を開設し、また指揮者としても活躍するなど、一定の成功をおさめましたが、妻カテジナの健康状態が悪化、1859年32歳の若さで世を去ります。

1861年、ナショナリズム運動が盛り上がる祖国へと戻り、チェコ語のオペラを次々と書いていきます。ドイツ語による教育を受けたスメタナは、このためにチェコ語を学んだのでした。チェコ語のオペラの第2作目となる《売られた花嫁》(1866年)は、日本でもよく序曲が演奏されるので、ご存知の方も多いかと思います。

 

~今月の一曲~


ベドジフ・スメタナ:交響詩《我が祖国》

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

1874年から1879年の5年がかりで作曲された連作交響詩。聴覚障害(後に失聴)そして対立する勢力からの攻撃の中書かれたこの作品は、全6曲からなり、チェコの国民音楽の記念碑的な作品となっています。スメタナの命日である5月12日に始まる「プラハの春音楽祭」オープニングの曲としても有名です。

第1曲:ヴィシェフラド
「高い城」を意味するこの曲は、かつてのボヘミア国王の居城を描いています。冒頭の吟遊詩人を思わせるハープによる導入に続き、ホルンとファゴットを加えて奏でられるテーマは、この後全曲を通して登場します。

第2曲:ヴルタヴァ
ドイツ語名の「モルダウ」と言ったほうが通りがよいかもしれません。単独でも演奏される機会の大変多い曲です。ヴルタヴァ=モルダウ川の誕生する源流から、大きな流れとなり、ついにはエルベ川へと合流していくまでを描いています。

第3曲:シャールカ
チェコに伝わる『乙女戦争』伝説に基づく一曲。シャールカ率いる女性部隊がツチラド率いる男性部隊を騙し討ちにして皆殺しにしてしまう様子をドラマチックに表現しています。

第4曲:ボヘミアの森と草原から
ボヘミアの田舎の情景が生き生きと描写された曲で、後半には農民たちが踊る様子がポルカで描かれています。

第5曲:ターボル
宗教改革の先駆者となったフス派の賛美歌『汝ら神の戦士』を根底にした一曲で、タイトルはフス派の中でも急進派だったターボル派が拠点とした南ボヘミアの街の名からとられています。

第6曲:ブラニーク
前曲から続けて演奏されるこの終曲は、チェコを守る聖ヴァーツラフが眠ると言われる山の名をタイトルとしています。「ターボル」から引き継いだ戦闘のテーマが前半分では展開され、一時の休息を挟んで、最後は『汝ら神の戦士』が高らかに奏でられ、「ヴィシェフラド」のテーマも回帰し、チェコ民族の勝利を壮大に歌い上げています。

 

 

~今月の一本~

 

ピルスナー・ウルケル

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

ビールは醸造方法によって主に二つに大別されます。ビール酵母の種類によって、常温(15~20度)で短い期間で発酵させるものがエール、低温(10度以下)で長期間発酵・熟成させたものがラガーです。前者は酵母が表面付近に浮かんでくることから「上面発酵」、後者は逆に酵母が沈んでいくことから「下面発酵」と呼ばれます。それぞれ特徴はフルーティーなエール、すっきり爽やかなラガーと言えるでしょう。

現在はラガーが主流ですが、それまで歴史的には自然発酵のビールそしてエールが多く飲まれて来ました。

ラガーの誕生は15世紀のドイツ・バイエルン地方と言われています。軟水しかも低温下でも活動する酵母を発見し、秋に仕込んで翌春に出来上がるまで「貯蔵する=lagern」ことから「ラガー=Lager」と名付けられました。そして1842年、スメタナが青春時代を過ごしていたプルゼニで、招かれた醸造家ヨーゼフ・グロルによってピルスナーと呼ばれる新たなラガーが誕生します。

ジャテツ産のホップとプルゼニの軟水によって生み出された淡い黄金色のビールは、プルゼニのドイツ語名の「ピルゼン」と「元祖=ウルケル」をつなげて「ピルスナー・ウルケル」(元祖ピルゼン)として世界に知られるようになりました。最近はクラフト・ビールのブームでエールも人気ですが、日本で作られるビールの大半がこのピルスナーです。ピルスナー・ウルケルはそういった意味で、日本のビールの元祖(源流)と言えるでしょう。

領土が海に面していないチェコでは肉料理がメイン。おすすめは、「スヴィチュコヴァー・ナ・スメタニェ」という牛肉料理です。牛フィレ肉をクリームソースで煮込んだ逸品。「スメタニェ」という響きが「スメタナ」に似ていますが、ここで言う「スメタナ」は残念ながら我らが作曲家のスメタナから名づけられたのではなく、一種のサワークリームのような乳製品のことです。

​​​​​​​そして、豚肉料理も美味で、「ヴェプショヴィー・コレノ」という膝肉のロースト、「ジーゼック」というカツレツなど、ビールとの相性も抜群ですので、ぜひお試しください。

 

 

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Text&Photo(ビール):野津如弘