第19回 アルバムについて【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

「アルバム」と聞いて“音楽”か“写真”どちらを思い浮かべますか? どちらも、ですかね。でも、写真のアルバムって、恐らくもう現在進行形で使っている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。スマホの写真アプリには「アルバム」というタグがありますけど、これは単なるフォルダです。名前を残すのは悪いことではないと思いますけど。
そして、音楽のアルバム。こちらももう、存在がかなり危うくなってきていますね。


歴史を振り返っておこう

 

歴史的には写真のほうがレコードよりもちょっとだけ先輩です。フランスのダゲールが最初の実用的写真撮影技法である「ダゲレオタイプ」を発明したのが1839年で、トーマス・エジソンが蓄音機=「Phonograph」を発明したのは1877年。産業としてのスタートも、ジョージ・イーストマンのコダック社の写真市場参入が1888年、最初期のレコード会社のひとつであるビクター・トーキングマシーン社の設立は1901年です。
なので「アルバム」も写真で使われるのが先。そもそも「アルバム」という言葉の語源はラテン語の「albus=白い」だそうで、そこから「白いノートブック」という意味もあるので、写真を貼るノートが「アルバム」になったとのことです。
あれ? それは順当ですが、じゃあなぜ、黒い円盤に音楽を収録したものが「アルバム」になるんでしょう?

実は私も、LPレコードには曲がたくさん入っているから、写真を並べてまとめた「アルバム」に例えてそう呼ぶようになったのだろう、なんていい加減に考えていたのですが、それは間違いでした。収録時間が片面5分くらいだったSP時代には、クラシックなどの長い曲は何枚にも分けて収録するしかなく、それを紙ケースに入れて束ねると写真のアルバムのようだったから、というのが本当の理由だそうです。戦後にLPが登場して、1、2枚に収まるようになってからも「アルバム」という呼称は残ったってことなんですね。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

アルバムの価値

 

で、片面およそ22分まで収録できるLPには、ポップソングなら両面で10曲前後入れることができますが、60年代中頃までのポップミュージックの歌手/バンドは、まずシングルで何作か発表したあとヒット曲を中心にシングルにならなかった言わばボツ曲やカヴァーものなどを集めて、アルバムとしてリリースするというのが常識でした。曲数で考えればシングルよりアルバムのほうがお得なのでリスナーはそちらを買ったでしょう。ファンなら両方買ったか。レコード会社にとって単価の高いアルバムは大きな収入源だったのですが、やはりシングルのヒット具合がアルバムの売上に直結するわけで主戦場はあくまでシングルなのでした。

ところが、ビートルズの登場以降ポップミュージックの進化とともに、アルバムは単なる曲の寄せ集めではなく、その容量を活かしたひとつの長尺の作品という性格を持つようになっていきました。シングルとは別にアルバムが独り歩きし始めたのです。
私は1954年(昭和29年)生まれですが、その10年前から10年後にかけて20年くらいの間に生まれた人ならおそらく誰でも「最初に自分で買ったアルバム」を瞬時に言えるはずです。しかも、その時の思いとともに。私の場合はビートルズの『Help!』でした。たしか高校1年かな。遅かったです。家にステレオがなくて、まず自分で一応ステレオのポータブル・プレーヤーを買ったのが中3ですから。で、いよいよアルバムを買ってみようと。ビートルズにしようとは決めていたのですが、どのアルバムがいいのかまったく分からない。相談する友達はいなかったのか、と今から思うと不思議ですが、とにかくエイヤ!と買ったのが『Help!』でした。聴いてみると好きな曲ばかり。他を知らないので「いちばんいいアルバムにあたった!」とひとり悦に入って、全曲の歌詞を憶えるほど聴きまくりましたね。
60年代後半〜80年代のポップミュージックとそれを享受した若者たちにとって、アルバムというものには特別な価値がありました。それにはジャケット(英語ではsleeve)の存在も大きかったですね。30cm四方というちょっと大きめなビジュアルが、音楽の印象をさらに深めてくれました。あの頃、私たちはアルバム単位で音楽を聴いていました。

 

アルバム価値の崩壊

 

しかし、80年代中頃CDがLPに代わって音楽メディアの中心になると、様相が変化していきました……いや、そこはマイナーチェンジでしょ、と思いますか?
たしかに、円形のパッケージ・メディアということでは同じなので、それまでのアルバムもそのまま入れることができるしビジュアルも使えます。ジャケットは4分の1になってしまったけど、収録時間は2倍近くになったし、AB面をひっくり返さなくてもいいし、ノイズはないし、問題ないじゃないと私も思っていました。そしてCDは爆発的に普及し、売上もどんどん伸びて音楽業界を大いに潤しました。
だけど、LP時代のアルバムの価値だったものはやはり消えてしまったのです。たとえば、時間にしても片面22分という長さが4、5曲の繋がりと流れの起伏が音楽にぐっと集中するのにちょうどよかったのです。もちろんつくり手は曲順というものに細心の注意を払っていました。CDになってからは、特に海外アーティストは15、6曲も入れるのがふつうになりました。以前ならお蔵にしていたものも入れるようになったからでしょうか。一度に聴けないのです。そうすると途中で止めるか“ながら”になってしまう。アルバムとしての流れとかストーリーはもうありません。つくり手ももはやそんなことは考えてないでしょうね。

それでも、ひとつのタイトルとビジュアルの下に一枚のメディアに入っていたから、やはりそれはアルバムと呼ばれていました。
しかし、その後の配信時代。パッケージという容れ物なしに音楽が販売されるようになってしまいました。配信サイトでは、これまでの習慣に従ってアルバム単位でジャケットも掲載して並べられていますが、実際は曲ごとにバラバラなデジタル・データです。ダウンロードしても“所有感”というものはありませんでした。
現在は、ストリーミング/サブスクリプションが主流になりました。どうせ所有感がないならこれで充分です。今後は、これとパッケージが並行しつつとは言え、シングルはもう配信のみという形が当面は続くのだろうなと思っています。パッケージは高音質音源用として、またリスナーのコレクション(所有感)用として必要でしょう。そして、パッケージがある以上アルバム単位という考え方もすぐにはなくならないでしょうが、これはもはやLP時代に生まれた本来の意味での「アルバム」ではなくて「1年に1作アルバムをつくってツアーをする」みたいな、つくり手側のアーティスト活動をする上での区切り程度の意味でしかなくなりつつあるでしょう。
リスナーにとっても、ストリーミング・サイトでは、アルバム単位で聴くというよりは、いろんな曲を一定のテーマで集めた「プレイリスト」で聴くことが多くなっているんじゃないでしょうか。「アルバム」という言葉に「白い」という意味があったこと、SP時代に音楽でも使うようになったことをほとんどの人が知らないように「アルバム」がLP時代に持っていた特別な感覚もいつしか忘れ去られていくのでしょうね。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

未来に向けて

 

昔はよかった、と言いたいのではありません。昨今、アナログ・レコードが復権していると言われますが、そこにはやはりノスタルジー気分が支配的だと思うしそんなにアナログの売上が伸びるとは思えません。人々のいろいろな思いはあるにせよ、基本的に世の中の経済活動が生み出す需要と供給のバランスによって音楽の流通の仕方が変遷してきたということで、これは後戻りすることはありません。
私自身は、ここ10年で改めてアナログ・レコードの良さに気づいて以前よりよく聴いているし、扱いは面倒くさいけど音の質が音楽にいちばん合っているなぁ、などとしみじみ感じていますがこのアナログのちょいブームには特に興味ありませんし、アナログ全盛時代が再来することは決してないと思っています。

音楽のつくり手たちはどう考えているのでしょうか? 眺めるかぎりは、これまで通りアルバム単位で音楽をつくり、その中の推し曲をシングルということでアピールするというルーティンに特に疑問を持っていないようですが、それを今後も続けていくのでしょうか?
先ほど「区切り程度の意味」と言いましたが、やはりつくること自体になんらかのメリハリは必要でしょう。なんとなく曲ができて、できたらその都度配信していく、みたいなのは「自由」に見えて実は「無軌道」であり却って難しいんじゃないでしょうか。やはりアルバムを想定してテーマを考え、その中で曲を考える。なんならLP時代のように、AB面を分けて流れを考えてもいい。そんなふうに自らメリハリをつけて、まとめていくしかないでしょうね。
だけど、同時にそれをリスナーは1曲ずつバラバラに聴く、ということも意識しなければなりません。つくり手の提示した「アルバム」を頭から最後まで忠実に聴いてくれるファンもいないことはないでしょうが、そうじゃないリスナーのほうが圧倒的に多いことを想定すべきです。

LPは片面22分のウラ・オモテという「形」で、音楽を制御しました。それはつくり手にとってもリスナーにとっても従うしかない形でしたが、ポップミュージックにとって4、5曲の繋がり✕2というその形がとても心地よくフィットしたことにより「アルバム」の概念が確立しました。その形がない以上、ホントはもう「アルバム」には居場所がないのです。

過去へのノスタルジーにひたっているだけの文化はもはや死に体です。ポップミュージックがヴィヴィッドであり続けるには「アルバム」に代わる新しいDX時代ならではの「形」が必要だと思います。

それはやはり「プレイリスト」かなと、私は思っています。それも年代とか既成のジャンルなどによる無味乾燥なものではなく、何か音楽の雰囲気をイメージさせるようなテーマによるもの。ただそれは音楽のつくり手が意図するものではありません。基本、リスナーがつくっていくものです。当然いい加減なものも多いでしょうが、そういうものは淘汰され、やがてセンス抜群の選曲家たちがどんどん現れて魅力的な「プレイリスト」をつくっていくでしょう。
また一方、配信サイトなどがなんらかのテーマを設けて、それに向けてアーティストたちが曲をつくり投入していく、などというのもいいかもしれません。既成曲ではなく、複数アーティストの新曲によるコンピレーションです。それをパッケージにして発売するのもいいじゃありませんか。

そろそろ、つくり手とリスナーがともに音楽を育めるような、新しいしくみが必要だと思います。
 

 

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