日本吹奏楽発祥の地、横浜『本牧山妙香寺』を訪ねて

 

かつて“吹奏楽の甲子園”と呼ばれていた「普門館」を紹介したこのシリーズ。
今回は、日本の吹奏楽が誕生しただけでなく、国歌君が代の発祥の地でもある神奈川県横浜市にある「本牧山妙香寺」を訪れた。そこには、寺院特有の静寂の中にも音楽を感じさせる時間が流れていた。

「日本吹奏楽発祥の地」、横浜の本牧山妙香寺をご存じだろうか? 数年前、このお寺に記念碑が立っていると吹奏楽好きの友人から聞き、行ったことがある。中学校で吹奏楽部に入り、中高部活漬けの青春時代を送った筆者は、記念碑を見た瞬間、「ここが発祥の地なんだ……」と、しみじみと感じ入るものがあった。

「横浜が吹奏楽発祥の地」ということは聞いたことがあったけれど、それにしてもなぜお寺に記念碑があるのだろうか? 記念碑を建てた、日本吹奏楽指導者協会(JBA)副会長の井上学氏に、経緯を聞いた。

 

本牧山妙香寺(1)

日本吹奏楽指導者協会によって建立された「吹奏楽発祥の地」記念碑

 

「この記念碑は、平成元年に日本吹奏楽指導者協会が中心となって建立したものですが、ちょうど昭和60年頃から日本の吹奏楽がすごいスピードで発展し、もう一方で吹奏楽発祥のルーツを研究するという方々が出てきました。それをたどると、横浜の妙香寺で薩摩藩の若者たち30人が、イギリス人から指導を受けたということが判明。それを顕彰しようということで、全国の吹奏楽連盟やマーチング連盟などの関係者に呼び掛けて寄付金を募り、平成元年に記念碑を建立した、というのがことの経緯です。ちなみに当時若輩者の私は3千円だけ寄付しました。記念碑の裏側には金額順に名前が記載されており、私は最後列で、虫眼鏡で見ないとわからない(笑)。以前私の勤務していた高校の生徒たちを連れて行った時に、『見えない!』と笑われました」(公益社団法人日本吹奏楽指導者協会副会長・千修吹奏楽団常任指揮者/井上学氏)

井上氏の名前を探してみたくて、秋晴れの11月にあらためて妙香寺を訪ね、さっそく裏側を凝視。

あったー!
たしかに小さいけれど、虫眼鏡がなくても見える!!(笑)。

井上氏以外にも、中学時代からコンクールのパンフレットや、吹奏楽雑誌で見てきた名前がいっぱいで、思わず胸が熱くなる。

「あー! 岩井直溥先生! 吹奏楽ポップスの父!」

「藤田玄播先生! ファリャの『恋は魔術師』、中学の時コンクールでやりました!」

「林紀人先生! 中央大学! 高校時代、『ガイーヌ』でお世話になりました!」

「秋山紀夫先生! NHKの『ブラスのひびき』、いつも聴いてました!」

「丸谷先生は淀川工科高校、新妻寛先生は元習志野高校吹奏楽部顧問、稲垣信哉先生は、元東邦高校吹奏楽部顧問ですね!」

などと、興奮しながら叫んでいたら、案内してくださった寺務の池田昌和氏から、「こんなに裏面に食いつく人は、なかなかいないですよ(笑)」と笑われてしまった。

学校の先生以外にも、各地の吹奏楽連盟や自衛隊の音楽隊、ヤマハやビュッフェ・クランポンなどの楽器メーカー、吹奏楽コンクールで記念撮影を手がけるエーコーフィルムやフォトライフなど、知っている団体や企業名がたくさんあって、「若かりし頃の先生方や、吹奏楽界を支えてきたたくさんの方々の協力で、この記念碑が建てられたのだなあ……」と、心底胸が熱くなった。

 

本牧山妙香寺(2)

記念碑の裏面には、寄付金をおさめた方々の名前が刻まれている
 

 

“日本吹奏楽の父”、ジョン・ウイリアム・フェントンとは?

 

妙香寺に記念碑が建てられた理由は、1869年にさかのぼる。この地で30人あまりの薩摩藩の武士たちに吹奏楽を指導したのが、イギリス陸軍軍楽隊長のジョン・ウイリアム・フェントンだ。彼の指導を受けた薩摩バンドが、我が国の軍楽隊へと発展。伝習生の中には、のちの海軍軍楽隊長や陸軍軍楽隊長になるものもいたという。

これらの音楽はやがて世間に広がり、のちに学校や企業などの民間バンド創設へと波及して、現在の吹奏楽の基盤となったことから、フェントンは“日本吹奏楽の父”ともいわれている。

 

本牧山妙香寺(3)

ラッパを携え、妙香寺の境内に整列する薩摩の若者たち。フェントンの指導による日本初の吹奏楽団だ

 

それにしても、なぜ妙香寺が練習場所に選ばれたのだろうか。寺務の池田氏はこう語る。

「当時イギリス軍の駐屯地が山手に、薩摩藩の貿易出張所が横浜スタジアムそばの薩摩町にあり、『どこで練習しようか?』となった時に、お互いの場所に近く、敷地が広くて合宿ができる場所も十分にあったことからも、妙香寺が選ばれたのではないでしょうか。本堂の看板には、『妙香寺』ではなく『妙香精舎』と書かれているのですが、精舎とは修行の場所という意味です。先代のご住職がそのように掲げられたと伺っております。お寺と西洋の音楽というと、一見つながりがないような気がしますが、これもご縁だったのでしょうね」(池田氏)

現在は薩摩町という地名は使われておらず、「薩摩町中区役所前」というバス停に、その名残が残っている。

実際に、吹奏楽部の生徒たちは妙香寺を訪れているのだろうか。

「ここ数年、吹奏楽の大会シーズンなど、毎年吹奏楽部の顧問の先生の引率で、大勢の生徒さんたちがいらっしゃいます。先日も、三重から何十人も。どの学校も、まず素晴らしいのはあいさつです。お声がけすると、『おはようございます!』『こんにちは!』と、スパーンと大きな声で返してくれます。これは、ほんとうに吹奏楽部の子たちがピカイチだと思いますね。普段、どれだけ規律を正して練習しているのだろうと思います。先生方も、生徒たちに日本の吹奏楽のルーツを知って学んでほしいという気持ちと、本番前に願を懸けるという目的で来られているようです。音楽って楽しいことだけれど、決して楽なことではない。仏教用語では、『楽』には『願う』という意味もあるそうです。我が寺に願を懸けるというのは、ただおみくじを引きに来るような感覚ではなく、『自分の実力が全力で発揮できるように』という、せつなる願いが込められていると思います。10代ならではの、まっすぐな思い。これからも、子どもたちの真剣な気持ちを応援してあげられる場所でありたいですね」(池田氏)

 

「君が代」発祥の地でもある、妙香寺

 

妙香寺は、「吹奏楽発祥の地」であるとともに、「君が代発祥の地」としても知られている。明治3年に作られた「君が代」だが、現在歌われているのは実は二代目で、初代は、“日本吹奏楽の父”、ジョン・ウイリアム・フェントンが作曲したということは、あまり知られていないのではないだろうか。フェントンの作ったメロディは讃美歌調で、日本人の感性に合わなかったことから、明治13年に林広守による作曲で新たに作られたのが、現在の「君が代」だ。

このことから、フェントンが薩摩藩士に吹奏楽を指導した妙香寺は「君が代発祥の地」でもあり、毎年10月のスポーツの日(旧・体育の日)に、本堂にて行われる「吹奏楽発祥の地記念演奏会」では、自衛隊や警察などの音楽隊によって、フェントン作曲の初代「君が代」が演奏される。

 

本牧山妙香寺(4)

「吹奏楽発祥の地」の隣に建つ「君が代発祥の地」記念碑

 

筆者も、動画サイトで初代の「君が代」を聴いてみたことがあるが、現在のとはまったく違う雰囲気で、完全に別物。ぜひとも妙香寺の演奏会で、本物の音色と歌声を聴いてみたいと思った。

 

本牧山妙香寺(5)

814年創立の本牧妙香寺本堂。関東大震災や空襲などで三度全焼し、現在の本堂は1981年に完成した

 

全国的に新型コロナウイルスの流行も落ち着き、秋のお出かけシーズンが到来。学生時代の部活動に想いを馳せながら、“吹奏楽発祥の地”を散策してみてはいかがだろうか。

 


 

【Information】
 

本牧山妙香寺 http://myokohji.jp/index.shtml
 

<参考資料>

・『吹奏楽の歴史』(著:秋山紀夫/ミュージックエイト社)

・海上自衛隊東京音楽隊公式サイト内「国歌『君が代』について」

https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/gallery/download/kimigayo.html

 

 


 

Text&Photo:梅津有希子