第20回 熟聴ノススメ【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

ある音楽を聴いて、好きか、そうでないか、あなたはどうやって判断していますか? おそらく1回聴いて、それも最後まで聴くのはいいほうで、1コーラスくらい聴いたら「これ好きだな」 or 「嫌いだな」 or 「よう分からんな」などと感じるので、それで判断して好きだと思ったもの以外は、おそらくよほどのことがないかぎり二度と聴くことはないんじゃないでしょうか? まあ私もだいたいはそうなんですが、ひょっとしたらそれは人生にとって大事なことを見落としてしまっているのかもしれない、というお話をします。


不思議な体験談

 

まずは私の体験談です。もうかなり昔、大学に入学してしばらくの頃なんですが、軽音楽部に入った私は同タイミングで入部した人たちとロックバンドを組みました。私にはそれまで何の楽器経験もなかったので、コードやスケールなどを気にしなくてよいドラムを選び、それなりに一生懸命練習に励んだのです。
レパートリーは専ら洋楽ロックのコピーです。オリジナルをつくることはおろか、アレンジを変えてみるなんて発想もなく、ひたすら元の通り忠実に真似して演奏することだけを考えていました。先輩たちもみなそうでしたから、あたりまえにそうしていました。真似するためには当然ちゃんと聴かないといけないし、どういうフレーズをやっているかだけでなく、リズムのノリまで把握するのは簡単ではありません。オリジナリティを養うにはこれだけではダメでしょうが、楽器の練習には最善の方法だと思います。あ、もちろん楽譜は使いません。昨今の学生バンドは、曲をコピーするのにまず楽譜を買ってそれを見ながら演奏するのがふつうみたいですが、私たちの頃はみんな「耳コピー」です。「耳コピー」するためには真剣に何度も聴く、そのこと自体も練習でした。そもそもよほど有名な曲じゃないと楽譜なんて売ってなかったし、私たちが取り上げるのはほぼ少しマニアックな曲だったし。とは言え、ドラムは音程やコードを聴き取る必要がなかったので、私は楽していましたが。
いくつか簡単な曲をこなしてから、ちょっと難しいのに挑戦しようかということになりました。私はまったく知らなかった“Cactus”というアメリカのバンドを、メンバーのひとりが提案して何曲かコピーすることにしました。ドラムはカーマイン・アピス(Carmine Appice)という人ですが、聴いてみたらなんだか難しそうなことをやっています。しかもその音楽がガチャガチャうるさくて、それまでビートルズとかビージーズのようなポップなものしか好んで聴いてこなかった私の耳には、とても馴染みにくいものでした。
しかし、それをコピーしなければなりません。仕方なく、嫌々ながら何度も聴きました。フレーズが速すぎて聴き取れない部分もあり、そんなところは(貧乏学生の分際でなぜか持っていたのですが)オープンリールのテープレコーダーで、半分の速度で再生して確認しました。ちなみに速度が半分だと音程が1オクターブ下がるので、ドヨドヨとした低音ばかりで、それはそれで分かりにくかったのですが。
そうこうする間に、不思議なことが起こりました。最初のうちすごく取っ付きにくかったその音楽が、いつのまにか心地よくなっているではないですか。あれー?!と自分でも驚きました。そんなことは初めての経験でしたから。ブルースをベースにしたハードロックで、メロディアスじゃないし歌もダミ声なんだけど、ドラム、ベース、ギターのシンプルな構成なのにアレンジに工夫があって飽きさせないこと、何よりそれぞれのテクニックと熱量を感じるプレイが素晴らしいことに、ようやく気づいたのでした。
それ以来“Cactus”はすっかり私のお気に入りのバンドのひとつになったのですが、もしこのような否応なく聴くしかないという状況に遭遇しなければ、たぶん1、2回聴く機会があったとしても、それきりだったんじゃないかと思います。それどころか、音楽にこうした理解の仕方があるということに気づくこともないまま、人生を過ごしていたかもしれません。そう考えると、ちょっと感慨を覚えます。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

熟聴ノススメ

 

「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。「初めは難しくて解らない本でも、何度も読んでいるうちにいつのまにか理解できるようになる」ということですが、音楽でもそういうことが起きたという実体験の話をしました。
そんな経験ないという方、できれば、何か真剣に聴いてみる「熟聴」してみることをお薦めします。さすがに、ハッキリ嫌いと言えるものについては、それが逆転する可能性は少ないと思いますが「分からないけどちょっと気になる」とか「分からないけど歴史的には名盤とされている」というようなものは、徹底的に聴くことによって何かを発見したり、すごく好きになったり、ということが起きると思います。それはきっと自分に対しての発見でもあるはずです。

ただ「今人気がある」、「最近、よいと言われている」けれど、聴いてもよく分からなかったというものなら、別に放置しておいてよいと思います。なぜなら、それをよいと言っている人自身がおそらくほとんど聴き込んでいないと思うからです。
よいと言うことを仕事にしている人たちは、たくさんの音楽を聴かなきゃならないから、1曲を何度も聴くことなどまず時間的にできないでしょう。よく音楽評に「今、これに夢中になっている」などと言って称賛していることがありますが、まず「夢中」というほどは聴いてないと思います。
そしてそういう人たちの発言が、様々な音楽に対して一定の評価を形成していってしまうということも往々にしてありますので、音楽リスナーは、あくまでも自分の耳と心で判断していってほしいなと思います。で、分からない場合は、何度も、何かが解るまで熟聴する。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

熟聴しない人の言葉は浅い

 

そんな面倒なことしたくない、音楽くらい好きに聴かせてよ、とおっしゃる方も多いでしょう。大多数の人たちが実際そうしていると思います。だけど、音楽は文学や美術や映画などと並んで、人生を豊かにするアートでありエンタテインメントでもあります。そういうものにちゃんと向き合わない人生などペラペラだと思いますがいかがでしょう? せっかく生まれてきたのに、もったいないことこの上ない。

一方「音楽をたくさん知っていることがエラい、すごい」という価値観がなんとなく一般的にありますよね。ペラペラな人生を送っている人ほど、そんなふうに思いがちです。だけど、たくさん知るためにはたくさんの曲を聴かねばなりません。たくさん聴かねばならないとしたら、どうしても1曲あたりの聴く回数は少なくなります。「たくさん知っている」ことを自慢にしている人たちは、そのほとんどの曲はおそらく1、2回しか聴いてないに違いありません。それで「知っている」と言えるのでしょうか? またその人たちは、何回も聴かないと解らない音楽を「知っている」のでしょうか?

レコード会社なんかに「たくさん売れる音楽がいい音楽だ」などと嘯く人たちがけっこういます。これも上記と似たようなペラペラな価値観です。「聴いてすぐいいと感じる音楽」がヒットする音楽の条件だと思いますが、そういう音楽にも2種類あります。「やがて色褪せる音楽」と「ずっと残る音楽」です。「たくさん売れる音楽がいい音楽だ」と言う人は「やがて色褪せる音楽」もいい音楽、「聴いてすぐにはよさが分からない音楽」はよくない音楽、と言っているのです。浅はかです。

『松本隆のことばの力』という本(インターナショナル新書 085)の中で、松本さんが「真実は時の娘」というヨーロッパの古いことわざに言及しています。「時を経て残るものが本物」ということです。「はっぴいえんどは、売れなくてもいいから残るものを作ろうという気概で始めたバンドだった」。
私個人はたまたま、はっぴいえんどの「風をあつめて」を聴いてすぐいいと感じましたが、世の中全体としては「すぐにはよさが分からない音楽」だったのです。世の中総計で何度も聴くことで、よさを発見していったと言えるんじゃないでしょうか。

などなどと語りながら、私も大学時代は前述の経験もあって、しかも金はないけど時間はたっぷりあったので、専ら同じ音楽を何度も聴く「熟聴生活」を送っていたのですが、卒業して音楽業界の会社に入ると、音楽を広く知る必要がどうしても出てきて、すっかり熟聴する時間や習慣はなくなってしまいました。
今は今で、この歳になっても聴いたことのない音楽がいっぱいあって、できればなるべく多く聴きたいという思いも強く、やはり熟聴の機会はないままです。これを書きながら、反省しているところです。

 

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