第23回 音楽とテクノロジー①【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

NFTって何?

 

最近やたら耳にするのが「NFT」なるもの。「Non-Fungible Token」の略で、日本語では「非代替性トークン」……とか言われてもワケ分かりません。「トークン」って日本語じゃねーし。
ある人は「唯一無二であることの証明ができる技術」と説明していました。一応、なるほど。今まではデジタルからデジタルにコピーしたらどちらがオリジナルだか分からなかったけど「ブロックチェーン」の技術を使って、オリジナルであることを証明できるというんですね。それが実際もう使われていて「NFTアート」として、キャラクター画像なんかが高額で販売されたり、転売されたりしているみたい。音楽でも、坂本龍一氏の「Merry Christmas Mr. Lawrence」のライブ音源がNFTで販売されているのですが、それがなんと、1音ずつバラで売られています。しかもオークション形式なのか、音によって価格が違っていて、安いので約20万円。高っ!と思ってたら、なんと「222,222,222円」というのもありました。写し間違いではありません。2億です。ひとつのピアノの音に。
通常のCDや配信ならそんな価格はありえないし、音をバラで売買するなんてことも考えられませんが、世界にひとつ(あるいはいくつでも設定できるそうですが)しかないホンモノだという保証があるから、こんなことになっているらしい。
で、一部では「デジタル・コンテンツ革命だー」なんて盛り上がっているし、早くも、NFT音楽のレーベルをつくろうなんて考えている人もいるようです。

だけど、私にはどうも納得できません。
だってこれ「貴重なものを所有する」からお金を払う価値があるということなんでしょうが、音データを所有したからといって、絵画や陶芸品みたいに眺めて悦に入ることもできませんし、人に自慢しようとしても、再生してしまえばふつうの音です。「ふつう」というのは、コピーしたものと変わらないってことです。デジタルからデジタルに(同じビット数とサンプリング周波数で)コピーしたものは計算上全く同じ音ですから。
しかも、最初NFTのことを聞いた時は、デジタル・コピーができないんだろうなと思ってたら、できるんですよね。だから、たとえ世の中に全く同じものがごまんとあって、誰でも簡単に安く手に入れることができるとしても、NFT商品にはオリジナルだっていう「血統書」がついているから貴重だよー、ということなんですが、それって貴重ですか? 2億円出しますか?
おそらく、今は、新しい「発明品」にまつわるウワサに惹かれて、お金に余裕があるおっちょこちょいが騒いでいるだけだと思います。単なる能書きに大枚をはたく人が継続的に現れるとは、私にはとても思えません。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

音楽とテクノロジーの深い関係

 

NFTのことばかり長くなってしまいましたが、今回は「音楽とテクノロジーの関係」について、レポートしていこうと思っています。
音楽関連で現れた最新のテクノロジーということで、NFTを取り上げたのですが、ちょっと貶し過ぎましたかね。「分かってないなー」と思った人は、ぜひ大いに反論してください。
ひょっとしたら「新しいものにはついていけないのでハナから懐疑的になりがちな頑固じじい」だと思われているかもしれませんが、どちらかというと私は(ついていけないこともありますが)新しいもの好きで、ワープロはディスプレイが8文字!しかない時代に買いましたし、アナログ・レコードのイベントなどやってはいますが「音楽はやっぱLPで聴かないと」などと頑なに主張するつもりもありません。

そもそも、音楽とテクノロジーは切っても切り離せないくらい関係が深いですからね。
音楽自体はたぶん、人類の歴史のかなり初期から、なんらか存在していたと思いますが「レコード」が発明されるまでは「ライブ」しかなかったわけですね。で、音は、生まれてはすぐ消えていき、見えないから絵にも描けませんので、昔は、音楽家の近くにいる人しか楽しむことができなかったし、地域のコミュニティで歌い継がれたり、師匠が口伝で弟子に教えるような形でないと、後世に伝えることもできませんでした。
幸い「楽譜」というものが考案されて、クラシック音楽などは随分発展を遂げましたし、ピアノ譜を買って家庭で弾いて楽しむというようなこともできるようになりましたが、やはり、1877年のトーマス・エジソンの蓄音機「フォノグラフ」の発明によって「録音して複製して販売」できるようになり「レコード産業」が出現したことは、音楽文化にとってまさに革命でした。「録音」というテクノロジーなしの音楽文化なんて、もはや想像もできませんね。
また、テクノロジーは新しい楽器も生み出しました。まあ、職人の技もテクノロジーと考えれば、すべての楽器はテクノロジーの産物とも言えるのですが、電気を使ったテクノロジーが生んだ楽器と言えば、まずは1950年代のエレキギター、そして70年代のシンセサイザーですね。エレキギターがなければロックは生まれなかったでしょうし、シンセがなければ、テクノポップはもちろん、ヒップホップもありません。
つまり、今日私たちが楽しんでいる「音楽」の大部分は、テクノロジーによって誕生したと言ってよいと思います。

 

音楽とテクノロジーの微妙な関係

 

そして、テクノロジーは、レコードや電気楽器を生んでおしまいではなく、どんどん「進化」します。それに伴って、音楽のつくり方や売り方も縦横に変化をしてきました。
たとえば「録音方法」に関しては、ラッパに向かって演奏したアコースティック録音に始まり、マイクロフォンによる電気式録音(1924年)→マルチトラック・テープレコーディング(1960年代〜)→デジタル・テープレコーディング(1980年代〜)→ハードディスク・レコーディング(21世紀)……。
「メディア」でいえば、エジソン方式の「蠟管」(19世紀末〜1915年)と並行して「SPレコード」(1950年代まで)→LP/EP(1948年〜)→CD(1982年〜)→ダウンロード型音楽配信(2000年〜)→ストリーミング型音楽配信(2008年〜)→NFT型音楽配信?……。

ただ、テクノロジーの進化は、よい結果ばかりをもたらしているとはかぎりません。これまでにも、役に立たなかったり、魅力的でなかったために、葬られ、忘れ去られた「発明」も多々あるでしょうし、広く受け入れられたとしても、それが実際よいのかよくないのかは、一概に言えないと思っています。

葬られた「発明」で真っ先に思い浮かぶのは「4チャンネル・ステレオ」かな。通常のステレオは前方左右の2チャンネルで、音像に広がりを持たせるものですが、後ろの左右にもスピーカーを置いて「360度、音に囲まれる体験ができる」ということで、70年代前半に鳴り物入りで登場しました。雑誌やテレビなどでも大量に宣伝して、随分ハデに騒いでいたものです。ところが、笛吹けど踊らず、思うように売れなかったのでしょう、70年代末には全メーカーが撤退という結果となりました。私も、少しは興味を惹かれましたが、買ってはいません。敗因は、おなじみのメーカーによる方式の違いが「CD-4」とか「RM」とか「SQ」とかいろいろあったのと、それ用に機器を買わなければならなかったのと、対応ソフトがそれほど増えなかったのと(つくるのもたいへんだからね)、4つのスピーカーの真ん中で聴かなければならない面倒さと……。たしかにサラウンドで聴こえるのは楽しいから、その後も映画館やホームシアターには活かされてますが、ま、音楽聴く分にはふつうのステレオでいいや、ってことだったんでしょうね。

そのふつうのステレオですが、それが発明されるまでは、モノラルでしたね。そんな昔じゃありません。ビートルズも『Yellow Submarine』(1969年1月発売)まではモノラル盤もリリースされていました。だけど今じゃ、ステレオが当たり前で、モノラル再生は終わったテクノロジーのように思われています。ところが今も「モノラル専用カートリッジ」というものが何種類も売られているし、少数ながらも、熱いモノラル・ファンがいるくらい、モノラルって魅力的なんです。私も"The Ronettes"の「Be My Baby」などウチで聴いていて「曲は好きだけど、音はさすがに古いよな」などと思っていたのですが、ある時、約150万円のすごいプレーヤーとモノラル専用カートリッジで、モノラル・シングル盤「Be My Baby」を聴く機会があって、いやあ、ぶっ飛びましたね。フィル・スペクターがプロデュースしたサウンドが、なぜ「Wall of Sound=音の壁」と呼ばれ、"The Beach Boys"のブライアン・ウィルソンがカーラジオで初めてそれを聴いた時、なぜクルマから転がり出るほど衝撃を受けたのか、ようやくこの耳で理解することができました。
こんなモノラル盤の魅力を、今は簡単に味わえなくなってしまった。テクノロジーの“進化”がモノラル再生文化を淘汰してしまったのです。
それ以来私は、新しいテクノロジーというものに、少々疑いの目を向けるようになりました。それまでは、テクノロジーの進化によって、音楽の制作環境や再生環境は、基本的には右肩上がりによくなっている、と思い込んでいたのですが、どうやらそんなことはないぞ、と。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

テクノロジーと人間の奇妙な関係

 

もとより、世の中全体を観れば、テクノロジーの進化には功罪両面あることは明らかです。インターネットでどんどん便利になる反面、個人情報を盗まれたり、ウイルス攻撃があったり、SNSで情報自由度が格段に上がったけど、中傷やデマが横行するなど、結局、プラスマイナス=ゼロなんじゃないのと思うくらい。
それは、便利さの裏をかいて、悪いことをしてやれ、という人間がいるからですね。その「悪いこと」はほとんどお金でしょう。そして、テクノロジーを使って、より便利なものをつくろう、売ろうとする企業も、目当てはお金。要は、お金欲しさに、タヌキとキツネの化かし合い。その間で手玉に取られているのが、我々しがない小市民たちという構図です。
iPhoneなどを見ると、こんなものをつくっちゃうなんて、人間ってすごいなぁと素直に思います。テクノロジーそのものには何の罪もありません。罪はそれを駆使する人間にあります。つくづく人間って浅はかですね……。

ただ、音楽の世界ではもっと素朴に、テクノロジーのおかげで、音質がよくなったり、制作の自由度が上がったり、楽しみ方の選択肢が増えたり……もちろんそこに商売の論理はあるし、たまに「4チャンネル」みたいな失敗もありますが、まあプラス面が多いと思っていたのですが、いやいややはり、浅はかな人間のやることですからね。
もう少し厳しい目で、次回、観ていきましょう。

……つづく

 

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