Vol.6 お笑い芸人ダウンタウンの短冊シングル【8cmシングル時代のJ-POP ~短冊CDが起こしたムーブメント~】


ミリオンセラーといわれる、売上枚数が100万枚を超えたCDが連発していた1990年代、シングルCDのほぼすべてが「8cmシングル」としてリリースされていました。今回スタートするこの連載では、今も8cmシングルを約4,500枚所有し、フジテレビ系列で放送されたクイズ番組『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』のジャンル「90年代J-POP」でグランドスラムを達成した、イントロマエストロの藤田太郎が当時の時代背景や曲について、イントロなど様々な切り口で紹介していきます。
第6回目は、お笑い芸人ダウンタウンがリリースした8cmシングル。90年代、一気にスターダムにのし上がったレジェンドの2人がリリースしたCDを紹介していきます!

お笑いと、テレビ番組と、音楽の融合

 

ダウンタウンがリリースした8㎝シングルの歴史は、テレビ番組と大物ミュージシャンとの融合と言っても過言ではないかもしれません。
80年代後半に大阪でブレイクを果たし、90年代に東京進出、ゴールデンタイムのバラエティ番組のMCをいくつも担当する中で誕生した曲は、J-POPの歴史でもあり新しいお笑いを作り続けたダウンタウンの挑戦ストーリーでもあります。令和の時代になってもダウンタウンの2人が、今もテレビ番組のMCとして出演し続けていることの凄さがわかるラインナップを発売された順番に紹介してきます!まずはこちらから!

 

8cmシングル時代のJ-POP(1)

 

「夕陽家族」(発売日:1989年10月8日 イントロ秒数:5秒)

「生きろ・ベンジャミン / いとしのゴルゴ(松本ヴァージョン)」(発売日:1991年2月21日 イントロ秒数:17秒)

「生きろ・ベンジャミン / えっ!さよなら(浜田ヴァージョン)」(発売日:1991年2月21日 イントロ秒数:17秒

 

1987年4月、吉本興業が運営していた心斎橋筋2丁目劇場で活躍していた若手芸人たちが出演する、大阪毎日放送のバラエティ番組『4時ですよーだ』が放送開始。平日夕方4時台の番組としては、驚異的な最高視聴率16%を記録。この番組でMCを務めていた、ダウンタウンの人気が一気に爆発します。女子高生を中心にファンが公開放送に詰め掛けるなど、それまで全くの無名だったダウンタウンは関西で一気にアイドル的な人気を獲得。
9月には、大阪厚生年金会館でコンサート「DOWNTOWN SCANDALS」を開催しています。
「夕陽家族」も「生きろ・ベンジャミン」もアイドル的な人気の流れでリリースされたシングル。「生きろ・ベンジャミン」では松本人志、浜田雅功それぞれがボーカルを務めたバージョンがリリースされたが“人気タレントが関わる商品を販売すれば儲かる商法”だと、松本人志がラジオで「売れへんし、買わんでええ」と発言したこともあり、今ではあまり語られない楽曲となっています。しかし「生きろ・ベンジャミン」の松本バージョン、浜田バージョンの2曲とも作詞を担当したのは島武実、作・編曲は佐久間正英と伝説のテクノポップ・バンド“プラスチックス”のメンバーが手がけていたことは、その後、大物ミュージシャンからの楽曲提供が続くダウンタウンの音楽活動スタートとして、興味深い縁だったのではないかと思います。その後、大阪で売れたダウンタウンは東京を拠点に活動の場を大きく広げていきます。

 

8cmシングル時代のJ-POP(2)

 

GEISHA GIRLS「Grandma Is Still Alive」(発売日:1994年7月21日 イントロ秒数:8秒)

GEISHA GIRLS「少年」(発売日:1995年5月19日 イントロ秒数:10秒)

 

1988年、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らと共演したバラエティ番組『夢で逢えたら』も関東ローカルでスタートし、翌年の1989年4月から『森田一義アワー 笑っていいとも!』の月曜レギュラーとなり、9月に『4時ですよーだ』が最終回を迎えました。
10月から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の放送が開始され、本格的な東京進出を果たしたダウンタウンの実力は、東京を拠点とするタレントやミュージシャンにも浸透しはじめ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のフリートークの観覧に、多くの役者やミュージシャンが参加するようになっていきます。
1993年放送の番組フリートーク観覧に、坂本龍一が来ていたことを知った松本人志は、その次の収録で「いっちょやな、世界の坂本に曲書いてもらって全米デビューするんですよ、ユニット名は“GEISHA GIRLS”」と、ボケのトークを披露。スタッフが冗談半分で、坂本龍一本人に連絡をしたところ「ダウンタウンの二人がニューヨークまで来てくれるならOK」と連絡が入り1994年に渡米。着いたその日にそのままレコーディング、翌日ライブという強行スケジュールで本当に全米デビューを果たします。その時に収録し、8㎝シングルとしてリリースされたのは、エレクトロサウンドにダウンタウンの漫才「誘拐」と「心霊写真」をラップのように乗せて披露する「Grandma Is Still Alive」。2022年に聴いても「攻めたことをしていたんだなあ」と感じる、実験的な音楽にチャレンジしている曲です。
ボケとして発言した一言から、しっかりとお笑いの要素をキープしたまま全米デビュー。東京進出を果たしたダウンタウンは、音楽のフィールドで一気に世界へ羽ばたいたのでした。

セカンドシングルとしてリリースした「少年」は「Grandma Is Still Alive」とは打って変わって、素朴でどこか懐かしさを感じるメロディの曲。作詞を担当したのは、中森明菜の「少女A」や、チェッカーズ初期のシングルでヒットを生み出してきた売野雅勇。締切が一日しかないという、タイトなスケジュールの中“都会の片隅の小さな挫折の物語”と“帰れない夏”というイメージを作り上げて完成させました。この歌詞を見た坂本龍一は大絶賛。この曲がきっかけで売野雅勇は、1995年リリースの坂本龍一のアルバム『スムーチー』の1曲目「美貌の青空」や、坂本龍一がプロデュースを担当した中谷美紀の楽曲でも多くの作詞を担当することになります。ダウンタウンのブレイクは、80年代にヒット曲を多く手掛けた作詞家にとっても、新しい出会いとステップを生み出す結果となりました。

 

8cmシングル時代のJ-POP(3)

 

H Jungle With t「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」(発売日:1995年3月15日 イントロ秒数:13秒)

H Jungle With t「GOING GOING HOME」(発売日:1995年7月19日 イントロ秒数:22秒)

H Jungle With t「FRIENDSHIP」(発売日:1996年4月24日 イントロ秒数:22秒)


ダウンタウンの東京進出は大成功し、その勢いは衰えることなくさらに加速していきます。
1991年12月にはバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1997年に終了)が始まり、1993年10月からは、現在も続いている『ダウンタウンDX』が放送開始。そして1994年10月に音楽バラエティ番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』がスタート。この番組に篠原涼子のプロデューサーとして出演していた小室哲哉に、浜田雅功が「僕にも曲を作ってくださいよ」と依頼したことから誕生したのが、H Jungle With t。ファーストシングル「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」に関しては、以前「横ジャケ8cmシングル売上TOP10」で第3位にランクイン!と一度紹介したので、今回はその後にリリースされた2枚を紹介。「GOING GOING HOME」は、ダブルミリオンを記録した「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」から4ヶ月後にリリースしたシングル。ドラムのフレーズをサンプラーに取り込み、分解し並べ替えたブレイクビーツを倍速のピッチで再生する、高速リズムが特徴の「ジャングル」というジャンルは、クラブやパーティーミュージックとして分類されることが多く「GOING GOING HOME」は、歌詞もサウンドもまさにその雰囲気を感じるナンバー。「おまえの胸でもう1度甘えてみたいよ」と、大事な人のことを想うフレーズをテクノ系レゲエサウンドに合わせて歌う、この曲のPVはサイパン島の近くのマニャガハ島で撮影されました。
3枚目のシングル「FRIENDSHIP」は、浜田雅功が坂本龍馬を演じたドラマ『竜馬におまかせ!』の主題歌に起用。歌詞のテーマは、普遍的な友情で「逢える時が来る こんな時代を生き抜いていたけら 報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」というサビの歌詞は、令和の時代でも通じる勇気と力強さを感じます。QUEENの「We Will Rock You」を彷彿とされるイントロからも、そのパワーを感じられる曲です。

 

8cmシングル時代のJ-POP(4)

 

エキセントリック少年ボウイオールスターズ「「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ」(発売日:1997年9月25日 イントロ秒数:6秒)

日影の忍者勝彦オールスターズ「日陰の忍者勝彦」(発売日:1998年5月25日 イントロ秒数:11秒)

 

「「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ」は『ダウンタウンのごっつええ感じ』から誕生したパロディユニット。2曲とも、作詞を担当したのは松本人志。(たぶん)地球の平和を守るために、沼津市ナンバーの超高速マシーン・エキセントリック号を操る未来のヒーロー少年ボウイが腐れ縁の仲間と共に活躍する、という設定のエキセントリック少年ボウイは、カラオケで歌うと熱くなれるヒーローアニメ王道の高揚感のあるサウンド。
カップリングの「あぁエキセントリック少年ボウイ」も、アニメのエンディングに流れることを想定して制作されたバラード曲。昭和の哀愁を感じられるワードに、お笑い要素をしっかりと加わったこの曲は、奥田民生が弾き語りライブでカバーしたこともあり泣けて笑える名曲です。
「日影の忍者勝彦」は『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送終了後に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で結成が発表されました。日影の里立大学卒、自称インテリ忍者の勝彦とその仲間たちのストーリーという設定のパロディユニット第二弾。イントロからダンサブルなホーンが響く厚みがあるサウンドは「「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ」よりも楽曲の完成度が高いのですが、CD売上枚数は激減。松本人志は、この完成度の高さが逆に一般人はついてこられなかったのでは!?と分析しています。「イカこども」が一体何だったのか、ヒットしていれば先のストーリーで分かっていたかもと考えると残念でなりません。



8cmシングル時代のJ-POP(5)

 

浜田雅功「春はまだか」(発売日:1997年12月12日 イントロ秒数:9秒)

浜田雅功「幸せであれ」(発売日:1999年6月16日 イントロ秒数:18秒)
 

「春はまだか」は、JR東日本『JR Ski Ski』のキャンペーンソングに起用されたシングル。プロデュースを担当したのは奥田民生。浜田雅功と奥田民生は、1997年10月から放送開始したバラエティ番組『人気者でいこう!』で共演し、急接近した二人が制作した「春はまだか」は、イントロ一音目から「これぞ民生節!」とグッとくる、シンプルで骨太なロックナンバー。「宇宙の地球の小さな国のどこかで 一人の男が はるかな何かを作るのでしょう」という歌詞は、90年代のエンタメ業界を駆け上がり頂点まで昇り詰めた、ダウンタウンへのリスペクトと賛辞の気持ちが込められていると思います。
「幸せであれ」は『人気者でいこう!』でレギュラー出演していた、袴田吉彦、内藤剛志、浜田雅功の3人が連帯責任CDデビューし、3人それぞれのシングルがシングルチャートで合わせて50位以内に入らなければ丸坊主、という企画から誕生したシングル。3人とも、みごと50位以内にランクインし目標達成。当時、Tシャツとスカジャン、ビーンテージもののジーパンというアメカジファッションを着こなし、それをマネする人たちは「ハマダ―」と呼ばれるほど、お笑いだけでなく、ファッションもトレンドリーダーとして活躍していた浜田雅功のそのままのスタイルをジャケに採用。
山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」を彷彿する、肩の力の抜けたフォーク調アレンジで90年代の最後にリリースされたこの曲は、芸人、ダウンタウンに「ここまでお疲れ様」という言葉をかけているような、優しさを感じられる曲です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。今回は、お笑い芸人、ダウンタウンがリリースした8㎝シングルを紹介しました。ダウンタウンという90年代に誕生したスターの音楽は、今も愛され続けるバラエティ番組と、多くの大物ミュージシャンとのコラボの歴史でした。次回もお笑い芸人の8㎝シングルを紹介する予定です。これからも「8cmシングルって音楽メディアがあったことを忘れないで」という気持ちではなく「8cmシングルって音楽メディアでこんな素敵な曲があったこと、知っていた方が面白いよ!」を伝えていきますので、次回以降もよろしくお願いします!

 

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Text&Photo:藤田太郎
※画像は全て著者私物