第25回 バンドの不思議な力【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

私は友人たちといわゆる「おやじバンド」をやっていて、ドラムを叩いています。6人メンバーのうち2人とは大学の軽音楽部からのつきあい。卒業後、私はやめていたのですが、また誘われて今のバンドに参加してからも、もう20年以上になります。とは言え、年に2〜3度のライブと、そのために数回リハをやるだけなので、少しずつレパートリーは増えていくものの腕前の方はいっこうに進歩しません。ただ、そんな「ゆるゆる老人バンド」でも、時折、演奏していてみんなのノリがいい感じに噛み合うことがあります。いっしょに演奏する以上、当然ながら他の人のリズムに合わせようとするわけですが、いい感じの時は合わせようという意識が消えて、なんと言うか、その場に流れるリズムに自分の演奏がひっぱってもらっているような感覚になるんです。錯覚かもしれませんが「バンド」というものが、そんな力を持っているような気がしてなりません。

素人の遊びでも垣間見れる「バンド」の不思議な力。それがプロの音楽人たちにどんな影響をもたらすのか、なんてことについての研究結果を、今回はレポートします。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

まず、改めて「バンド」とは何かということ

 

「バンド」というと、誰もがたいてい「ロックバンド」を思い浮かべますよね。「ブラスバンド」とか「ビッグバンド」というものがあるように「band」とは本来「楽団」のこと(さらにその元は「一団」「群れ」の意味)で、人数も音楽性も限定しないのですが、ここでの対象も、いわゆるロックバンドのようなバンドを想定しています。
ただ、音楽性は必ずしもロックである必要はないので、ここでいう「バンド」についてもう少し詳しく定義しておきます。
まず、人数が重要なんですが、最低3人から、まあ6人くらいまで。少数ってことですね。次に、構成メンバーが固定されていること。もちろん、何らかの事情による脱退や途中加入はしかたないです。そして、グループとしてひとつの「アーティスト」であること。

具体的に説明しますね。人数のことから。
昔は大勢のミュージシャンがいないと、いろんな音楽を演奏することはできませんでした。単独の楽器だけでも音楽には違いないけど、高音から低音までの音域や様々な音色、そしてリズムを表現しようとすると、何種類もの楽器と、それぞれのミュージシャンが必要でした。で、何をどう演奏するかは、プロデューサーやアレンジャー(編曲家)と呼ばれる人が考えて、指示し、ミュージシャンは指示通りに演奏しました。たいていのポピュラーソングのサウンドはそうしてつくられ、リスナーもアレンジャーまでは気にしても、ミュージシャンについてはよほどのビックネームでもなければ、関心も持たなかったし、クレジットもされませんでした。
しかし時代とともに、だんだん楽器が改良・開発されていきます。一人でいくつもの打楽器を演奏できるドラムスが生まれ、電気の力で音量や音色をぐっと広げたエレクトリック・ギターやエレクトリック・ベースが登場すると、たった3人でもリズムも広い音域もカバーできるようになりました。演奏しながら歌える人がいれば、最低3人でちゃんとした音楽を聴かせることが可能になったということです。ただそれは主に、エレクトリック・ギターの主張の強い音が中心となった音楽=ロックでした。だけど、ミュージシャンになりたいと思ったら、昔は楽団の一員を目指すくらいしか選択肢がなかったのに、気の合う仲間が数人いれば、自由に好きな音楽を演奏できるようになったことは画期的でした。もしかしたら人々のそういう願いが楽器を進化させたのかもしれませんね。

そしてこの、バンドの少人数化ということが、想像以上に大きな結果をもたらします。
人数が多いと、どうしてもリーダーがいないとまとまりません。音楽の現場では、それがプロデューサーです。プロデューサー、もしくはその監督下のアレンジャーが出す指示に対して、ミュージシャンたちは質問したり多少の意見を言うことはあっても、逆らうことはありません。効率を考えたら合議制なんてありえないのです。ミュージシャンには指示された演奏をこなす技量のみが求められ、それ以外の個性は必要ないし、むしろジャマです。ミュージシャンもそれを承知の上で、お仕事だと考えて、引き受けるのです。
それが少人数だと、人間関係が変わります。それでも誰かがリーダーシップをとることはあるでしょうが、必然ではありません。みんなで逐一話し合ってもそんなに時間はかからないし、顔を合わせていっしょに音を出しているうちに、お互いのことがよく分かってくるので、話し合いの必要性も少なくなっていきます。ただ、そのためには……

構成メンバーが固定されていることが前提条件です。
ジャズでは少人数のグループのことを「コンボ(combo)」と呼びます。「combo」は「組み合わせ」という意味です。モダンジャズは個人を重視しますね。それぞれに能力と個性にあふれたミュージシャンたちが、ライブやレコーディングでセッションをしますが、これは集まってひとつの音楽をつくろうというよりは、お互いの個人技を丁々発止とぶつけ合って、何が生まれるか楽しんでいる感じです。だから「組み合わせ」。コンボであってバンドではないのですね。そしてジャズでも“The Crusaders”や“Return to Forever”のようにメンバーが固定化すると、これはコンボではなくバンドで、だから音楽性もロック寄りになっていきます。

グループとして「アーティスト」であること。
いっしょに音を出し続けていると、最初はそれぞれのグルーヴ(ノリ)がバラバラであったとしても、しだいに絡み合ってきます。そしてうまくいけば、グループとしてのグルーヴが生まれ、育ちます。それは、どのメンバー個人のものでもなく、そのメンバー全員が関わることによって初めてそこに存在できるもの。メンバーのうち誰が欠けても、あるいは新たなメンバーが加わっても、変わってしまう繊細なもの。それを獲得したグループは、グループ全体としてひとつの「アーティスト」であると言えるのではないでしょうか。

まとめます。少人数の固定的なメンバーだから、一人ひとりの個性や考え方が重要になり、それが集まっていっしょに音楽を演奏していくうちに、個々人とは別の、グループならではのアーティスト性が生まれてくる。そういうグループが、ここでいう「バンド」というわけです。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

個々のメンバーとバンドの関係

 

昨年(2021年)8月にチャーリー・ワッツが亡くなりました。私は彼のドラミングを上手いと思わないし、好きでもないのですが、それでも彼がドラムを叩いているローリング・ストーンズのグルーヴは大好きです。彼なしでは確実にストーンズのサウンドは変わってしまいますから、いよいよストーンズも終わりですかね。
……と思いきや、結成60周年(!)の今年(2022年)、その記念のワールドツアーの開催をもう発表しています。そう言えば、昨年ワッツが亡くなったときもツアー途中で、中止するのかなと思ったら、即刻、代わりにスティーヴ・ジョーダン(Steve Jordan)を入れて最後まで完遂しましたから、今後もチャーリーなしで続けていくのでしょうね。だいたい既に、オリジナル・ベーシストのビル・ワイマンが脱退したあと、1993年からダリル・ジョーンズ(Darryl Jones)がずっとベースを弾いています。もうすぐワイマンよりジョーンズのほうが長くなる! ストーンズの解散はミック・ジャガーかキース・リチャーズのどちらかが亡くなる時なんでしょうかね。たしかに、ミックもキースも世界中に知らない人はいないくらい個人としても有名ですが、それでもやはりローリング・ストーンズのミックであり、キースであるほうが、輝いている感じがします。ストーンズという「バンド」はもう個人の生死すら超えたものなのかもしれません。

かと思えば、レッド・ツェッペリン(余談ですが、このバンド名をカタカナで書くのにはかなり抵抗を覚えます。「Zeppelin」は「ゼプリン」なんですから。でもそう書くと分かってもらえないし…)。1980年にドラマーのジョン・ボーナムが亡くなると、彼らはあっさり解散してしまいました。当然、再結成へのすごい要望があったでしょうが、息子のジェイソン・ボーナムが代役を務めて、何回かパフォーマンスは行ったものの、継続的な活動をすることはありませんでした(まあ、一応まだ分かりませんが…)。ジョン・ボーナムのドラムが欠けては、Zeppelinのグルーヴ、サウンドは成立しないということを、他のメンバーたちは強く感じていたんでしょうね。そして、彼のドラミングはたしかに素晴らしいのですが、それもZeppelinだったからこそ、他のメンバーがジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズだったからこそのものだとも思うんです。
彼らがストーンズと違って、継続することを選ばなかったのは、そうすればLed Zeppelinという「バンド」は伝説となって、より長く語り継がれると考えたのではないでしょうか。もちろん、それは正解でした。

さて、「バンド」というものの不思議な力についての研究レポート、ここからが本番ですが、少々長くなってきましたので、続きは次回にいたしましょう。

……つづく

 

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