第26回 バンドの不思議な力②【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

気の合った何人かのミュージシャンの共同体に過ぎない「バンド」というものが、全員でひとつの「アーティスト」となる。そのアーティスト性は、バンドを構成するメンバー個々ではつくり出せないものだけど、同時に、メンバーの誰一人が欠けても変わってしまうものでもある……というようなお話をしています。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

ザ・ローリング・ストーンズ

 

チャーリー・ワッツより上手いドラマーはいくらでもいるでしょうし、実は彼がローリング・ストーンズに入ったのも、ミック・ジャガーやキース・リチャーズたちとブルースロック・バンドをやりたかったわけじゃなく、熱心に誘われて断れなかったのと、どうせ半年くらいで解散するだろうと考えてのことだったそうです。予想は大きくはずれて、半年が約60年へとなってしまうのですが、すぐに彼のドラミングは、ストーンズのサウンドに欠かせない要素となりました。ストーンズの音楽はやはり、詞曲や、ミックのボーカルあるいはキースのリフの他に、あの独特のグルーヴあってのものですね。

ストーンズ60年の歴史の中には、やはり解散の危機もありました。80年代半ば、アルバムで言うと『Dirty Work』(1986)の頃が最悪の状態だったようで、ミックとキースはそれぞれソロアルバムをリリースしました。知名度抜群の二人ですから、もちろんある程度の結果は出しましたが、どうしてもストーンズとの比較がつきまとい“なんだか物足りない感”は否めませんでした。二人もそれを悟ったのか、90年代からは再び、ストーンズとして力強く歩み始め、最重鎮ロックバンドの座を守り続けます。
キースは自身のドキュメンタリー映画『Keith Richards: Under the Influence』(2015)の中で、こんなふうに語っていました。「ソロで活動してみて俺の居場所はストーンズだと気づいたよ。ストーンズはもはやファンのものであり、俺達はその期待を裏切れない」。自分たちがつくったバンドが、いつのまにか自分たちを超える存在になっていたというわけですね。

それはサウンドのことだけではないでしょう。さらに繊細な、曲づくりという場面でも、バンドは「不思議な力」を発揮します。ストーンズの曲は主にミックとキースが共同でつくりますが、他のメンバーの意見、反応なども当然あると思います。複数の人間がいっしょにモノをつくっていく過程には、いいか悪いかは別として、一人だけでは生まれないようないろんな「力」が発生するはずです。それが個人の限界を超えるモノをつくり出す可能性を持っていると思うのです。

 

ビートルズとスティーリー・ダン

 

ビートルズでもそうです。私は無宗教ですが、ビートルズの音楽には神がかっているとしか思えないものがあると、ずっと感じていますし、多くの人もそれに同意してくれるでしょう。対して、ジョン・レノンもポール・マッカートニーもジョージ・ハリスンも、解散後それぞれにいくつもの秀作・ヒット曲を生み出しましたが、それらには「神性」までは感じません。もちろん、いずれも卓越したソングライターであることは言うまでもありませんが。

なぜか? 「そりゃ、レノン=マッカートニーは二人分の才能が合体してたんだから、いい曲ができて当然だろう」とか「解散時、ジョンが30歳、ポールは28、もう作曲才能のピークが過ぎたんだろう」など、いろんな見解はあるでしょう。
だけど、レノン=マッカートニーと言いながら、初期を除けばそれぞれ一人でつくっていますし、その作風の違いははっきりしていて、解散後もそのテイスト自体は変わりません。なのに、ほとんどまったくバラバラにレコーディングしていたらしい『ホワイトアルバム』さえも、各メンバーのソロ作品の寄せ集めには留まらず、しっかりビートルズだし、やっぱり神がかっていると感じるのです。ビートルズという環境、人間関係の中で生きること自体が「不思議な力」を彼らに与えていたとしか、私には思えません。

スティーリー・ダンはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーが二人で詞曲を書き、サウンドをつくっていました。1980年のアルバム『Gaucho』を最後に解散、2年後にはフェイゲンがソロで『The Nightfly』を発表しました。『The Nightfly』はスティーリー・ダン時代に負けない、というかほぼそのまんま踏襲したような傑作で、実はベッカーは大した役割を果たしていなかったんじゃないか、なんていう憶測が飛んだりもしました。
しかし、私はここでも、やはりスティーリー・ダン時代の作品のほうに軍配を挙げたいのです。その理由を言葉にするのは難しいのですが、どこかしら“肌触り”が少し暖かいような、そんな感じがするのです。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

10ccの場合

 

そして、よりよいものが生まれるのは、メンバー同士、意気投合し、いい刺激を与え合うから、ということだけではありません。さすがに最初から嫌いな人とは組まないでしょうが、長く活動するうちに、人間ですから仲違いもします。いっしょにモノをつくるという、センシティヴこの上ないことをやっているのですから、ぶつかり合う場合も、並の人間関係よりも激しいと思います。それが昂じると、解散ということになってしまうのですが、その手前の緊張関係が思わぬよい結果を招くこともあるのです。

“10cc”という、これも奇才ばかり四人が集まった英国のバンドの話です。彼らの最大のヒットにして名作「I’m Not in Love」(1975)の誕生には、バンド内の不和が大きく関係していました。
エリック・スチュワート、グレアム・グールドマン、ケヴィン・ゴドレイ、ロル・クレームの四人は、いずれも曲をつくり、歌も歌える。ただし、四人全員が「いいね」となった曲だけを採用する、というバンド内ルールがありました。ところが、前二人と後ろ二人の間に溝があり、どうも反りが合わなかったのです。
ある時、スチュワートが自作の「I’m Not in Love」のデモ音源を披露すると、聴き終わるなり、ゴドレイとクレームの二人がダメを出しました。従ってルールにより、この曲はボツとなりましたが、後日、デモをいっしょに聴いていたスタジオのスタッフがそのメロディを無意識に口ずさんでいるのに気づいたスチュワートは、やはりこの曲には可能性があるんじゃないかと、改めてゴドレイとクレームを口説きます。彼らは譲歩して、ともかくデモのアレンジはつまらないから「誰もやったことのないようなサウンドにするならいい」と言い、うまくいくか確信はないままに「たとえばコーラスで埋め尽くすとか」と提案したのです。

「サンプラー」もない時代に、その作業はとてつもなくたいへんなものでしたが、結果は誰もが驚くような画期的かつ魅力的なサウンドとなって「I’m Not in Love」は歴史に残る名作となりました。もしも、彼らの仲が悪くなかったら、このサウンドが生まれなかったどころか、この曲自体、日の目を見なかったかもしれません。
残念ながら、その後も反りの合わなさは改善せず、翌年には2つに分裂、スチュワートとグールドマンが10ccを継続しつつ、ゴドレイとクレームは“Godley & Creme”として独立してしまうことになるのですが。

 

AIに負けないバンドの力

 

音楽を志し、成功を夢見て仲間とバンドを組む。無上の喜び、刺激、充実感を味わう一方で、考えの相違、反感、憎悪に苛まれることもあります。他人同士が、たぶん肉親よりも近い関係性で、活動することによって生じる、正負双方向のエネルギーが、「バンドの不思議な力」の源なんだと思います。

デジタル機器の発達で、音楽も一人でいろんなことができるようになりました。昔、電気楽器のおかげで、少人数のバンドが成立できたのですが、現代ではデジタル機器によって、バンドである必要性がなくなっています。
才能に恵まれた人にとっては、他人の手を借りることによってある程度変形せざるを得なかった自分の意図を、100%発揮できるようになったわけで、歓迎すべきことかもしれません。だけど、どんな人も自分一人で自分の限界を超えることはできません。バンドであれば、それができるかもしれない。音楽をつくるのにバンドが必要ないからといって「バンドの不思議な力」まで失うのは、もしかしたら大きな誤りじゃないでしょうか。

AIが発達して、いろんな仕事で人間が不要になっていくだろうなんて言われています。音楽は創造力が重要なんだから、AIが人間に敵うわけないと思うかもしれませんが、どうでしょうか? 過去の音源をすべて集めて、様々な角度から解析し、今ヒットするメロディライン・歌詞・サウンドはこれだ!なんて、AIには簡単にはじき出せそうな気がします。そのへんのプロデューサーの経験や勘などよりよほど確実なんじゃないでしょうか。AIがつくった曲に、文字通り「踊らされる」なんてぞっとしませんか。

だけど「バンドの不思議な力」はAIには理解できないはずです。それは人間同士の深い関係からしか生まれてきませんから。
若き音楽家のみなさん、将来AIに仕事を奪われたくなかったら、一人でやってないで、バンドを組んだほうがいいかもしれませんよ。

 

←前の話へ          次の話へ→