第十六回 ルーマニアの民族音楽とワイン【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

民謡ほど国境と関係ない音楽はないでしょう。

ヨーロッパの南東部に位置するルーマニアは、南側から時計回りにブルガリア、セルビア、ハンガリー、ウクライナ、モルドヴァと国境を接しています。

歴史を遡ると古代にはゲタイ人が居住していましたが、その後、トラヤヌス帝が侵攻しローマ帝国の属州ダキアとなりました。「Romania(ルーマニア)」という国名はその頃に由来し、ローマ人の国(土地)という意味です。ローマ帝国が衰退すると、フン族などの遊牧民族、ゴート族、スラヴ族などの侵略を受け、中世にはワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニアの3公国が成立します。しかし、これらの国々は完全な独立国家ではなく、ワラキアとモルダヴィアはオスマン・トルコの支配下に、トランシルヴァニアはハンガリーの支配下にありました。

1861年、ワラキアとモルドヴィア両公国が統一してルーマニア公国が成立。1918年には第一次世界大戦を経て、トリアノン条約によりトランシルヴァニアが併合されます。ところが、1940年にソヴィエト連邦がベッサラビア地方を占領し、現在はモルドヴァ、ウクライナの一部となっています。

このように、様々な民族が入り乱れ、複雑な歴史をたどってきたルーマニアですが、今回はその音楽を二人の作曲家を通して見ていこうと思います。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

 

~二人の作曲家~

 

一人めはジョルジュ・エネスク(1881-1955)です。彼は、ルーマニア北東部のボトシャニ県リヴェニ村に生まれました。両親とも声楽をよくし、父親はヴァイオリンを母親はギターを弾いていたようです。それを受け継いだのか幼少の頃から音楽の才能を発揮し、7歳でウィーン音楽院に進学します。その2年後にはヘルメスベルガー2世のクラスに進学。ヘルメスベルガー家に寄宿し、ヴァイオリンの教授のみならず帝国歌劇場の指揮者としても活躍していた彼の元で、エネスクは実りの多い学びの時期を過ごしました(ヘルメスベルガーは後にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、指揮者も務めました)。

1895年にエネスクはパリ音楽院へと進みます。そこでは、ヴァイオリンの研鑽を積むだけでなく、マスネやフォーレに作曲を学びました。1901-02年にかけて《ルーマニア狂詩曲》第1番・第2番を作曲。幼い頃から祖国を離れて生活していたエネスクでしたが、その分、ルーマニアに対する想いは強かったようです。ヴァイオリン・ソナタ第3番《ルーマニア民謡風》(1926年)、管弦楽組曲第3番《村人たち》(1937-38年)など、生涯にわたってルーマニアの民族音楽に影響を受けた作品を作り続けました。

もう一人は、バルトーク・ベーラ(1881-1945)です。彼はオーストリア=ハンガリー帝国時代のバーンシャーグ地方ナジセントミクローシュ(現在は、ルーマニア領スンニコラウ・マレ)に生まれました。バナトと呼ばれるこの地域はルーマニア、セルビア、ハンガリーにまたがっており、複雑な歴史をたどってきた地域でもあります。

7歳の時に父親を亡くした彼は、ピアノ教師の母のもとでナージセレーシュ(現在のウクライナ領ヴィノフラージウ)やポジョニ(現在のスロヴァキア首都ブラチスラヴァ)など、各地を転々としながら育ちました。1899年、ハンガリー王立音楽院に進学、作曲とピアノを学びます。作曲の教授はハンス・ケスラーというマックス・レーガーの従兄にあたるドイツ人で、彼は後にバルトークが民謡収集をするきっかけを作ったコダーイ・ゾルターンの師でもありました。

1906年頃からコダーイらと共にハンガリー各地の民謡収集を始めます。1907年からバルトークはハンガリー王立音楽院ピアノ科教授、コダーイは同作曲科教授を務め、休暇は専ら民謡採集に充てられ、コダーイは主にハンガリー北西部、バルトークは南東部に向かいました。1909年にトランシルヴァニア地方で採集された民謡をもとに《ルーマニア民族舞曲》(1915年)を作曲。1915年には、他にも《ソナチネ》(1931年に管弦楽版《トランシルヴァニア舞曲》として編曲)や《ルーマニアのクリスマスの子どもの歌》なども作曲されました。

しかし、前述のトリアノン条約によって北部ハンガリーはチェコスロバキアに、トランシルヴァニアとバナトの大半はルーマニアに、南西部はユーゴスラビアに割譲され、バルトークが民謡の宝庫と謳ったトランシルヴァニアへの採集旅行は困難なものとなってしまったのです。
 

 

~おすすめの曲~

 

ジョルジュ・エネスク《ルーマニア狂詩曲》第1番・第2番

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

ルーマニアの風景が浮かんでくるような色彩感あふれる作品で、20歳そこそこで書かれ、初演は1903年ブカレストで作曲家自身の指揮で行われました。その時の曲順は第2番→第1番だったようです。第1番の冒頭、クラリネットとオーボエのソロの掛け合いに始まる楽しいメロディーは「1レウあったら飲みに行こう」という民謡から採られていますが、ルーマニアの紙幣(5レイ札)にはエネスクが描かれています。曲を通して、様々な楽器が活躍する中で、とりわけヴァイオリンの技巧が冴えわたる旋律が多く、ヴァイオリニストとしても傑出していたエネスクならではと言えるでしょう。激しく華やかな第1番に対して、しっとりと、しかし時に雄大に歌いあげる第2番もとても魅力的です。第1番が演奏される機会が圧倒的に多いですが、ぜひ第2番も聴いてみてください。

 

バルトーク・ベーラ《ルーマニア民族舞曲》

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

ピアノ版がまず1915年に書かれ、1917年に作曲家自身による管弦楽版が出されました。

1.「ジョク・ク・バータ(棒踊り)」
ヴォイニチェニという村でロマのヴァイオリニスト2人が弾いていた旋律から採られています。

2.「ブラウル(帯踊り)」
バナトで採集された軽快な踊り。

3.「ぺ・ロック(足踏み踊り)」
同じくバナトで採集されました。増二度という音程が取り入れられており、エキゾチックな響きを醸し出しています。

4.「ブチュメアーナ(角笛の踊り)」
ブチュムという山間の村で採集された角笛の踊り。

5.「ポアルカ・ロマネアスカ(ルーマニア風ポルカ)」
ベイウシュで採集された、リズミカルで装飾音符を伴う旋律が特徴的な野趣あふれるポルカ。

6.「マヌンツェル(速い踊り)」
前半はベイウシュで、後半はネアグラで採集されたものから構成されています。同じメロディーがハーモニーを変えて繰り返され、クライマックスを迎えます。
 

 

~今月の一本~

 

ラ ヴィ ピノ ノワール

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(4)

 

ルーマニア・ワインは、北部モルダヴィア地方のコトナリで造られる白ワイン、東部ドブロジャ地方ムルファトラルの赤ワインが有名です。また、フェテアスカ・アルバ(白い乙女)、フェテアスカ・レガーラ(高貴な乙女)と呼ばれる白ぶどう、フェテアスカ・ネアグラ(黒い乙女)と呼ばれる黒ブドウが土着品種として知られています。

2000年代初めに何度か訪れたことがありますが、素朴ながらも大変美味しいワインを飲みました。料理では内臓を煮込んだ酸味の効いたスープ「チョルバ・ディ・ブルタ」そして豚肉料理が記憶に残っています。

プラムから造られた蒸留酒「ツイカ」の味わいも忘れられません。

 


 

Text&Photo(ワイン):野津如弘