第27回 ヒットを狙うということ①【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

音楽は(アートやエンタテインメントはみんなそうですが)、人の感性に働きかけるものなので、最重要事項はそのクオリティです。ただ、そこに常につきまとうのが、売上というヤツ。音楽作品をつくるには多少なりともお金がかかるし、もちろん人は食べていかねばなりません。最初のうちはレコード会社などの先行投資もあるでしょうが、結局売れないとその先には進めません。だから、売れるものをつくらなければならない。だけど、クオリティがよければ必ず売れるのであればまだしも、そうとは限らないのが世の中です。しかも、クオリティというもの自体が思い通りにはなりません。がんばっても、時間をかけても、いいモノができるかどうかは分からない。答えはまさに「神のみぞ知る」なのです。
冷静に見れば、音楽業界はかくもあやふやな世界なのですが、ひとたびヒットが出れば大きなお金が生まれます。だから、すべての音楽業界人たちは、常にヒットを狙って知恵と体力をふりしぼって働いているわけですが、これも、狙ってヒットになるならいいですが、そうはいかないところに様々な物語が生まれていくのです。
今回は「ヒットを狙う」ということについて、考察してみました。

 

瓢箪から駒のレコード誕生記

 

いきなり古くて大きな話になりますが「レコード」というものの発明が人類にもたらした影響って「革命」なんて言葉じゃまったく役不足なほど、とてつもなく巨大ですね。そこからポップ・ミュージックと音楽ビジネスが始まったと言ってもいい。まあその前夜に、楽譜ビジネスというものがあるのですが。
で、1877年に世界で初めて「Phonograph(フォノグラフ)」という蓄音機をつくった、かのトーマス・エジソンが「レコードの発明者」ということになるわけですが、実はエジソンが蓄音機をつくったのは、音楽のためじゃないのです。より正確に言うと「蓄音機」をつくろうとは思ってなかったのです。
その前年、1876年に「電話」が発明されていまして、これはグラハム・ベルの功績となっているのですが、その頃は「電信の次は電話だ」ってことで、電話の開発に邁進している人は他に何人もいました。ベルは特許局に申請するのが人より僅かに早かっただけなんです。エジソンも当然のようにその有力ライバルのひとりでしたが、破れ、地団駄を踏みました。でもすぐに「電話の会話を録音できる器械をつくれば売れるぞ」とひらめいたんです。あ、「録音」という概念もまだないですね。「会話をそのまま記録できる器械」か。
いわばこれも「ヒット狙い」ということですね。それでできたのが「Phonograph」。だけど録音時間が最長2分くらいだったので、目論んでいた電話録音には十分ではなかった。要するに失敗作だったのですが、ともかく「録音できる」ということは画期的な発明だったので、今度はこれを、ビジネスの現場で「口述記録機」として使うことを考えます。「タイプを打つよりしゃべるほうが速いんだから」というわけです。実際、そのための販売会社もいくつかできて、そのひとつがのちのコロムビアです。コロムビアも最初は音楽を売るつもりじゃなかったのです。

ところがフタを開けてみると、しゃべること自体はタイプより速くても、当時は録音再生の手間がたいへんだわ、すぐに故障するわで、ユーザーからはクレーム続出、たちまち行き詰まってしまいました。
さあ、そのままだと、無用の長物として葬り去られるかもしれなかったPhonographですが、1889年に販売店のひとつが、コインを投入するとイヤーフォン(と言っても単なるホースですが)で、予め録音しておいた音楽が聴けるように改造して、店頭においたところ、大評判になったのです。元祖ジュークボックスですね。音質は悪かったけど、まだ世の中にラジオもない時代ですから、とにかく生演奏以外で音楽を聴くこと自体、夢のような体験だったわけです。これでやっと、単なる録音再生機が「蓄音機」となりました。
エジソンは違う目的でヒットを狙っていたのに、それは脆くも挫け、音楽という想定外だった用途で大ヒットとなった。音楽が一大産業になっていく原点となった蓄音機にして、そんなトンチンカンな出発だったことが、音楽業界のあやふやさを象徴しているような気もします。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

ヒット狙いじゃなかったヒット曲たち

 

日本のシングル・レコード売上ランキング・トップ5を見てみると、

1位=子門真人「およげ!たいやきくん」(1975年12月発売 推定売上枚数約457.7万)

2位=宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」(1972年5月 約325.6万)

3位=サザンオールスターズ「TSUNAMI」(2000年1月 約293.6万)

4位=速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団「だんご3兄弟」(1999年3月 約291.8万)

5位=米米CLUB「君がいるだけで」(1992年5月 約289.5万)

……となっています。このあとは“CHAGE and ASKA”や“Mr.Children”など、Jポップのビッグ・アーティストたちが続きますが、とにかく目立つのは、売上的には他を圧倒する1&2位ですね。
「およげ!たいやきくん」は、フジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」から誕生しました。……番組で歌われるとそれなりの反響はあったようですが、その前にフジの系列のキャニオン・レコードから発売した曲「たべちゃうぞ」が売れなかったので、当初「たいやきくん」のレコード発売の予定はなかった。番組で「たいやきくん」を歌っていた生田敬太郎は、レコード化予定がないので、テイチクと契約をした。やがてキャニオンがやはりレコード発売することになったが、生田がテイチクなので、別の歌手、子門真人を起用した。歌は買取契約で、子門には5万円支払われただけだったが、子門も売れると思っていなかったので、なんの不服も唱えなかった(のちにヒット記念として、キャニオンから現金100万円と白いギターが贈られたらしい)……と、発売前の動きはいずれも「誰もヒットするとは思っていなかった」ことを示すものばかりでした。
「女のみち」は“ぴんからトリオ”というお笑い芸人が自作自演した曲です。歌謡漫才ではありましたが、プロ歌手ではない彼らが、結成10周年記念として、300枚を自主制作したのがこの曲のシングル盤だったのです。それが有線から火がついて、ジワジワと燃え広がり、コロムビアから再発売すると450万枚。イニシャルの15,000倍売れました。
日本のシングル売上で君臨するこれら2曲が、実はまったく「ヒット狙い」じゃなかったことは明白でしょう。

他にも、ヒット狙いじゃなかった大ヒット曲は、坂本九「上を向いて歩こう」、ザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」、イルカ「なごり雪」、夏川りみ「涙そうそう」、秋川雅史「千の風になって」などなど、枚挙に暇がありません。
また、B面(若い人には通じない言葉かもしれませんが)だったのにA面よりも売れてしまった曲を、私は勝手に「B面どんでん返し」と呼んでおりますが、これもけっこうあるのですよ。これなどまさに「狙っていたほうがダメで、そうじゃないほうがヒットした」ものの典型です。クレージーキャッツ「スーダラ節」、GARO「学生街の喫茶店」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、弘田三枝子「砂に消えた涙」などなど。
はっぴいえんど「風をあつめて」は、いわゆるヒット曲ではないかもしれませんが、海外映画で使われたり、今やいろんな国の人が日本語で!唄う、日本が世界に誇るフォーク・ロックのスタンダード・ナンバーとなりました。でも、シングル・カットもされていませんし、細野晴臣さんがある時、スタジオで急に曲ができたので、その時いなかった鈴木茂さんと大瀧詠一さんなしに、松本隆さんと2人で録音してしまったという、適当じゃもちろんないでしょうが、軽いスタンスでつくった曲です。こんなふうになるとは全く予想しなかった、と本人たちは語っています。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

このように、ビッグヒットやロングヒットは、むしろ狙っていないところから生まれることが多いのです。大衆がどういうものを求めているのかを見抜くことは、それほど難しいということですね。だけど、じゃあ余計なことは考えず、自然体に任せておけばいいかというと、そんなわけにはいかないでしょう。アーティストやミュージシャンも含めて、音楽業界で働く全ての人たちが、元気に活動していくためには、コンスタントに売上を上げていかねばならず「明日は明日の風が吹く」などと呑気に構えていると、そのうち干からびてしまうかもしれません。
だから、常に懸命にヒットを狙うしかない。でも、どうやって? はずしてばかりだと売上どころか損失が増えて、何もしないほうがよかった、なんてことになりかねません。
ヒットの狙い方、実際どのようにやってきたのか、本当はどのようにしたほうがいいのか、などについて、次回、考察していきたいと思います。

……つづく

 

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