第十八回 虫の音に耳を傾けて【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

毎年、夏は吹奏楽コンクールの審査や指導であちこち旅をしてまわっています。旅先での楽しみは、その地方ならではの料理と酒。よく訪れる街には、馴染みになり必ず訪れる店もありますが、初めて行く土地では新たな店との出会いも楽しみです。

宿を取るのも街中だけではなく、近郊の温泉地や、途中下車をして泊まってみるのも新たな発見があって、長旅の癒しとなっています。つい先日も、北信の温泉地に泊まり、近くの料理屋を訪れました。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

山に囲まれた田園地帯にポツリとあるそのお店は、古い民家を趣深く改装して営業しています。出す料理はその土地の素材を生かしたもので、酒も地酒を味わいました。

日が暮れて、もう一組いたお客が帰ると、しんと静まりかえった座敷に響いてきたのは無数の虫の声。普段、都会に暮らしていると忘れていた、なんとも言えず懐かしく心地良い響きに包まれました。

この虫の音を日本人は古来より愛してきました。「虫の声」といえば秋の季語でもあります。この日聴こえてきたのは「すいっちょん」と鳴くウマオイや「ちっちろり」と鳴くマツムシなどだったでしょうか。あまりの大合唱、そして虫の鳴き声には詳しくない僕には、一体どんな虫たちが鳴いていたのかわかりませんでしたが、酒を飲みながら、日本の原風景に流れる音に耳を傾けるひと時でした。

 

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

『源氏物語』には「鈴虫」の巻があり、女三宮の「おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声」、それに対する光源氏の「心もて草の宿りを厭へどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ」の歌が詠まれています。中秋の名月の宴の場面は、二千円札の裏に描かれており、原画では笛や笙を吹く人物を確認することができます。実はこの当時の「鈴虫」は現在の「松虫」という説もあるようですが、どちらにせよ美しい鳴き声であることには変わりません。

江戸時代には「虫売り」という商売ができるほど、人々は虫の鳴き声に魅せられていました。鈴虫や松虫、コオロギなどの鳴く虫に加えて、ホタルは大人気だったそうです。確かに、夜になれば暗く静かになった当時のことですから、人々の感性もまたそういった微かな光や音にも敏感だったのかもしれません。

ところで、この虫の声を雑音ではなく「声」という表現があるように、日本人は言語脳で捉えているという説を角田忠信博士が1978年に出版された『日本人の脳』という本で唱えました。ベストセラーともなった日本人論ですので、ご存知の方も多いと思います。今でも賛否両論ある説ですが、僕もフィンランドに留学していた頃は虫の鳴き声を聞かなかったな、と思う節があります。フィンランドに鳴く虫がいなかったのか、現地で生活しているうちに僕の脳が日本語脳ではなくなったのか、理由はわかりませんが……。鳥はよく鳴いていて、夏の白夜の時期などは明るくなると鳴き始めるので、明け方3時頃にはもう煩くて寝ていられないという経験をしたものです。

数年前に、知り合いに招かれ、京都は嵐山で中秋の名月を一調一管の調べで祝ったことがあります。一調一管とは能楽の一つの演奏形式で、一調とは太鼓、一管とは笛のことを指します。渡月橋にほど近い桂川に舟を浮かべ、満月のもとで演奏されたその調べは、川面に共鳴し、山に谺し、まさに幽玄という言葉がふさわしいものでした。遠く平安時代の昔から奏でられてきた響きは、いつしか風の音や川の流れる音と渾然一体となり深い余韻を残しつつ、夜はふけていきました。

さて、今年の中秋の名月は9月10日だそうです。欠かせないものといえば、月見団子ですね。ススキにお団子をお供えし、月を愛でながら飲む酒は、やはり季節ものの「ひやおろし」でしょうか。「ひやおろし」とは冬に出来上がった新酒に火入れをし、夏の間ひんやりとした蔵で寝かせた酒を、秋に二度目の火入れを行わずに出荷する酒のことです。フレッシュさとまろやかさが同居する味わいで、江戸時代に技術が確立したと言われています。

中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれます。お椀の中に浮かぶまんまるのお団子は満月そのもの。甘いお団子が苦手な方はこちらをどうぞ。前述のお店で出てきたお椀の種は芋団子だったことを思い出しました。また、信州と言えばそばが有名ですが、お凌ぎで出てきたそばは「オヤマボクチ」という野草の葉を乾燥させたものをつなぎに使っており、大変めずらしいものだということです。月見そばもいいですね。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

 

 

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Text&Photo:野津如弘