第29回 J-POPはなぜ世界で通用しないのか①【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

日本文化3種の世界的ポジション

 

ラーメンとカレーライス。日本人にとって最も身近なメニューの2トップ。国民食と言ってもよいと思いますが、二つとも先祖は海外ですね。中国とインド。でももはや先祖たちとは似て非なるものに変異を遂げました。逆に日本食として、ラーメンは世界各地で人気だというし、カレー・チェーンの「CoCo壱番屋」はインドにも進出しているそうです。とにかくその「日本的改造」の完成度の高さは素晴らしい。
クルマももちろん外来品。だけど日本車は故障しにくい、燃費がよいなどの強みで、先輩たちが犇めく欧米含め、世界にその市場を広げました。ただ、デザイン面とか、「風格」あるいは「佇まい」というような感覚的な部分では、まだヨーロッパ車に敵わない気がします。「まだ」というより、この先も適う気がしません。だから山の手の高級住宅街辺りでは、日本車よりヨーロッパ車のほうが多いくらい。
音楽はどうでしょう? 欧米からやってきたクラシックやジャズやポップスを貪欲に吸収し、60年代後半からは次々と生成発展するロックの奔流に、刺激を受け、影響されながら「歌謡曲」、「J-POP」などの「日本流ポップミュージック」がつくられてきたわけですが、それが世界に通用するかというと、全然と言えるほど厳しいでしょう。もちろん日本語のハンデはありますが、それを考慮しても、サウンドとしていまだに米英に勝るものを確立できていません。
ラーメン、カレーライスはもちろん、クルマなどに比べても、日本の音楽は弱い。イケてない。
近年は、竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984)や松原みきの「真夜中のドア~stay with me」(1979)が海外で評価されて、日本の「シティ・ポップ」が世界の注目を集めているようですが、これらは過去のもので、これまで海外には知られていなかったもの。慣れ親しんだ米国流フュージョン・サウンドに、日本語かつ日本テイストの歌が乗っかっている。音楽的関心と言うよりは、珍しいものを発見した好奇心が一時的に盛り上がっているだけじゃないですか?
あるいは「アニメソングは海外でも人気でしょう」と言うかもしれませんが、それはやはり「アニメ」が人気なんでしょう。
日本産ポップミュージックで、海外でもちゃんと認められたのはたった1曲。それも約60年も前、1963年に「ビルボード Hot 100」で1位を獲得した坂本九「上を向いて歩こう」だけです。
好きな作品は私もいろいろありますが、総体的な音楽クオリティにおいて、日本は米英のレベルを超えることはできていないと思います。2018年以降「1人当たりGDP」で日本を抜き去った韓国は、音楽でも“BTS”が何度も米国チャートのトップを制する活躍をしています。私自身はBTSの音楽にそれほど斬新さは感じませんが、少なくとも、日本車のように、その高い「性能」によって、世界のコンテンポラリー・ミュージック市場に確固たる地歩を固めたと思います。音楽でも日本は韓国に抜かれました。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

無から有を生むということ

 

「日本車はデザイン面や感覚的な部分でヨーロッパ車に敵わない」と言いました。その理由は何か? クルマに限らず、デザインという仕事には、AよりBのほうが優れているとか、何が正しいとかいう客観的な基準がありません。目指すところは「よりインパクトがあるもの」とか「カッコいいもの」など、漠然としています。日本人は、具体的な目標があれば、工夫と努力で、なんとかそれを実現することにはすごく長けていると思うけど、そういう、言わば「無から有を生む」ようなことは、どうも得意じゃないように思います。
音楽もまさに、何か具体的な目標を立てて、設計していくようなものではなく「無から有を生む」ことが大いに必要とされる文化です。

前回の「ヒットを狙うということ②」でも触れましたが、スティーブ・ジョブズは「顧客が望むモノを提供しろという人もいるが、僕の考え方は違う。顧客が今後、何を望むようになるのか、それを顧客本人よりも早くつかむのが僕らの仕事なんだ。欲しいモノを見せてあげなければ、みんな、それが欲しいなんてわからないんだ」と語りました。これは「無から有を生む」ということを、分かりやすく説明してくれる言葉だと思います。
1982年に公開された映画「ブレードランナー」の舞台は2019年です。クルマが空を飛び、パソコンを音声コマンドで操作し、バーには公衆テレビ電話があるという近未来が描かれますが、たとえばスマートフォンは一切出てきません。つまりこの映画がつくられた当時には、スマホなんて想像もできなかったということなんです。ジョブズ率いるAppleはまさに「無」から、「iPhone」という「有」を生んだのです。

なぜ日本の音楽文化は世界で通用しないのか? という問いは、なぜ日本人は「無から有を生む」ことが不得意なのか? を問うことであるような気がします。

 

AppleとSONY

 

そのAppleおよび、Google、Amazon、Facebook(Meta)の4企業は「GAFA」と呼ばれて、ビジネスの巨大さばかりに目が行きますが、彼らにはそれぞれ「無から有を生む」ようなイノベーションがあり、それが多くの人々を魅了したから、今日の成功があるわけです。それらがすべて米国発であること、これは偶然でしょうか。
かつてSONYはイノベーションの会社だと言われました。たしかにいくつかの商品は世界をリードしました。ポータブル・ラジオ、ウォークマン、CD。だけど言ってみれば、ポータブル・ラジオとウォークマンは小さくしただけ。CDも音のメディアを変えただけです。決して過小評価しているのではなく、凄い仕事なんですが、発想自体は見えやすかったと思うのです。
それに対して「iPod」。技術的には、CDの発明などより全然大したことないでしょう。でも、大容量のメモリーで「何千曲も持ち運ぶ」ことがどういうことなのか、当初誰も解ってなかったと思うのです。ひょっとしたらジョブズ自身も気づいてなかったかもしれません。当初はたしか、音楽配信サービス「iTunes」との親和性が強調されていただけだったはずですから。だけど自分が持っているCDの曲を全部入れて、それをランダムで再生してみたら、すごく楽しい、新しい音楽体験だということを、人はiPodによって初めて知ることになりました。これは「無から有」のイノベーションだと思うんです。
実はiPodが登場した2001年、SONYでは既に同じようなポータブル・ハードディスク・プレイヤーの開発がされていたと聞きました。細部まで完成はしていなかったけど、その気があれば、iPodに先んじて発売することもできたのに、放置されていたと。なぜか? その価値に気づかなかったからです。実はフラッシュメモリーを使ったデジタル・ウォークマンは既に2000年には発売されていましたが、当時の日本の音楽配信は著作権保護が厳しすぎて、そのせいでプレイヤーも利便性に乏しく、人気がありませんでした。それはメモリー容量も小さかったのですが、だからと言って、大容量のハードディスク・モデルに行こうという発想には結びつかなかったのです。
iPodが発売され、話題になって、慌てて放置されていたラインを立て直し、20GBのハードディスク内蔵ウォークマンを発売したのが2004年。時既に遅し、でした。ちなみにその頃Appleは年間売上高約50億ドルでしたが、2019年には2600億ドル(36兆4000億円)に達し、一方SONYは8兆円から、2021年度で12兆円です。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

個人的経験としての洋邦の違い

 

手塚治虫に始まるアニメ、任天堂の「ファミコン」、ドコモの「iモード」などは、立派な日本発「無から有」のイノベーションだと思いますが、やはり、音楽や映画などのエンタテインメント、ITベースの情報サービスなどにおいては、圧倒的に米・英・欧に競り負けていると感じます。
なぜこんなに差があるのか? 人種は違えど同じ人間です。先天的な能力の差などないと思っています。やはり「環境」の違いなんじゃないか、と私は思うのです。

音楽ディレクターとして私は、もうかなり昔のことになってしまいましたが、80~90年代に、何度か海外でのレコーディング仕事を経験しました。そもそもレコーディングなんて、技術も機器も米英由来のものがベースになっていますし、歴史も比較的浅いものですから、日本も海外もやり方に大した違いはないだろうと考えていたのですが、意外にいろんな相違点がありました。そんな相違点が、でき上がる音楽の違いにも、多分に影響していたんじゃないかな、と推測するのです。

まずは、米英のミュージシャンは譜面に弱い、という話です。
土屋昌巳さんのアルバム『LIFE IN MIRRORS』のレコーディングで、1987年、ロンドンに行きました。EPICソニー(当時)の制作担当者として行ったのですが、土屋さんの作品はプロデュースもご自身なので、私はまあパシリみたいなものでした。
日本で全体の5分の4くらいは録音したものに、ロンドンで何人かのミュージシャンの演奏を足して、ミックスダウンをするという行程でした。“Japan”の準メンバーとして、ワールド・ツアーをともにした土屋さんですから、親しいミュージシャンは多く、元Japanのボーカル、デイヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)とベーシスト、ミック・カーン(Mick Karn)、元“Roxy Music”のサックス奏者、アンディ・マッケイ(Andy Mackay)、元“Duran Duran”および“The Power Station”のベーシスト、ジョン・テイラー(John Taylor)といった錚々たるメンバーが参加してくれたのですが、全員、譜面が読めませんでした。しかも、音符だけじゃなくて曲の進み方、つまり頭に戻る「ダ・カーポ」とか「セーニョ」に戻る「ダル・セーニョ」とか、繰り返しの「リピート」なども分からないというレベルです。日本人でも音符が読めないミュージシャンはいますが、進行記号も分からない人は、まずスタジオ仕事は務まりません。それもギターやベースなど自己流でできるような楽器ならまだしも、サックスのような、当然誰かから学ばないとできないであろう楽器の奏者であるアンディ・マッケイすら譜面が苦手というのは、理解できないと言うか、不思議なくらいです。
とにかく、土屋さんはそんなことは想定済みなので、マルチトラック・テープのひとつのトラックに、たとえば「ダル・セーニョ」で「Aメロ」に移るところだとしたら、その2小節前に「A section coming」という言葉、1小節前に「1,2,3,4」というカウントを、声で録音しておいて、それをヘッドフォンで聴きながら演奏してもらう、ということをやっていました。
ただ、ミック・カーンとはそういうやり方ではありませんでした。彼には録音の3日ほど前に、ベース以外の演奏が入ったカセット・テープを渡して、家で練習してきてもらったんです。そして、その録音当日の彼には、私はほんとに驚かされました……。

……つづく

 

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