第二十回 モーツァルトとマルツェミーノ【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

モーツァルトはその短い35年と10ヶ月余りの人生のうち3分の1を旅に費やしたと言われています。中でも少年時代のイタリアへの旅は、後にオペラの名作を産み出す素地になりました。

1回目のイタリア旅行は1769年から1771年までの1年以上に及ぶもので、その後も1771年にもう一度、1772年から1773年にかけて3度目の旅をしています。

モーツァルトが13歳から17歳の間に行われたこれらの旅で、音楽理論の大家ジョヴァンニ・バティスタ・マルティーニ神父から対位法を学び、また本場のイタリア・オペラに接しました。
 

当時、ウィーンやモーツァルトの生地ザルツブルクでは、数多くのイタリア出身の音楽家が宮廷や貴族に召抱えられて活躍していました。父レオポルドは息子にぜひイタリア音楽を現地で経験させて学ばせ、箔をつけて就職に有利に働くようにという願いもあったのでしょう。 
この時代、音楽家になるということは宮廷音楽家になることだったのです。 

もっとも、時代が移り変わるなか、モーツァルトは25歳でザルツブルク大司教コロレドに解雇された後は、結局フリーランスの音楽家として生きていくことになるのですが……。 

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

さて、1769年12月13日にザルツブルクを出発した父子はブレンナー峠を越えてイタリアへ入り、ボルツァーノ、ロヴェレートを経てヴェローナに至り、年を越します。
そこからマントヴァを経由して当時ハプスブルク帝国領だったミラノへ向かい2ヶ月ほど滞在しました。 

その後、ボローニャで上述のマルティーニ神父から教えを受け、さらにフィレンツェからローマへと南下。ローマでは、門外不出の秘曲というグレゴリオ・アレグリの9声部の合唱曲《ミゼレーレ》を2回ほど聴いただけで暗譜して書き写してしまったというエピソードは長く語り継がれています。 
ひと月ほど滞在して、さらに南はナポリへと向かいます。ここでもひと月あまり滞在して、ポンペイの遺跡などを観光したようです。 

ローマに戻ったモーツァルトは教皇クレメンス14世から「黄金拍車騎士勲章」を授かるという名誉に浴します。 

今度はイタリア東部を経由して再びボローニャへ。パラヴィッチーニ伯爵の別荘で夏を過ごし秋口までの長い滞在となりました。 
ここで、彼はアカデミア・フィラルモニカの会員に選ばれたほか、フィルミアン伯爵からの依頼を受けオペラ《ポント王ミトリダーテ》の作曲に着手します。このオペラは次の滞在地ミラノで作曲が進められ、12月には完成、大成功をおさめます。ミラノには翌年2月頭までの長い滞在となりました。 

その後、ヴェネツィアまで足を延ばし、仮面舞踏会のマスクでも知られる謝肉祭を見物し、3月28日にザルツブルクへと帰還したのです。 

 

《ドン・ジョヴァンニ》



さて、そんな少年時代のイタリアへの旅から十数年後、30代のモーツァルトは台本作家ダ・ポンテと組んで後に「ダ・ポンテ三部作」と呼ばれるオペラを作曲します。
 

《フィガロの結婚》(1786年) 

《ドン・ジョヴァンニ》(1787年) 

《コジ・ファン・トゥッテ》(1790年) 

の三作品で、どれもイタリア語で歌われるオペラで(モーツァルトはドイツ語のオペラも作曲しています)、ブッファと呼ばれる身近な題材を扱った喜劇的なオペラです。 

《フィガロの結婚》はパイジエッロの《セヴィリアの理髪師》の後日談で、フランスのボーマルシェの戯曲を元にしています。
アルマヴィーヴァ伯爵の家来のフィガロと伯爵夫人に仕えるスザンナが浮気者の伯爵を出し抜いて、めでたく結ばれるまでをコミカルに描いていますが、コメディの裏には身分制度を風刺する要素が秘められています。 

《コジ・ファン・トゥッテ》は、哲学者ドン・アルフォンソの「女は必ず心変わりするもの」という言葉に対し、男二人は「自分たちの恋人はそんなことはない!」と主張し、互いに相手の貞節を試そうとして口説くと、心変わりしてしまい……という物語。

《ドン・ジョヴァンニ》は有名な「ドン・ファン」伝説に基づき、放蕩のかぎりを尽くした騎士ドン・ジョヴァンニが最後には地獄へと落ちていくまでを描いた作品で、最後の晩餐の場面では贅沢な食事とともにマルツェミーノというワインを飲む様子が描かれています。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

マルツェミーノ種で造られたエウジェニオ・ローズィ「ポイエーマ」2018 

 

ドン・ジョヴァンニが従者レポレッロに「酒を注げ、最高のマルツェミーノを!」(Versa il vino. Eccellente marzimino!)と命じる台詞があります。
マルツェミーノとはイタリア北部ロンバルディアやトレンティーノ・アルト・アディジェ州で栽培されている品種で、今日ではそれほど知られていませんが、モーツァルトの時代には有名だったのでしょう。 

この場面では次にレポレッロが雉子の肉一切れを盗み食いする様子も描かれており、当時の貴族の食生活を垣間見ることができます。 
少年時代のモーツァルトもミラノ滞在時に父子で雉子肉の料理を味わっており、昔を懐かしんだのかもしれません。 

また、ドン・ジョヴァンニには第一幕にも酒や料理を振る舞いながら歌う「シャンパンの歌」と呼ばれるアリアがあります。欲望の権化のようなドン・ジョヴァンニに想いを馳せながら、杯を重ねるのも一興でしょう。 

 

 

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Text&Photo(ワイン):野津如弘

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