第二十一回 ペストと音楽【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

コロナ禍で開始したこの連載も20回を超えました。コロナの波は今また第8波を迎えるなど、増減を繰り返しながら続いていますが、今回は過去のペストの流行を振り返り、パンデミック後にどんな音楽が生まれたのかを見ていきたいと思います。

ペストの流行でとりわけ大きかったのは歴史上3回あるとされています。14世紀半ばにヨーロッパで起きた流行では、特に1347年から1353年にかけて猛威をふるい、ヨーロッパの全人口の3分の1の2500万人が、その後の波も含めるとさらに多く5000万人が亡くなったと推定されています。

感染ルートとされているのが、ジェノヴァの商船がクリミア半島から持ち帰り、コンスタンチノープルやシチリアを経由して地中海全体に拡がったというものです。当時、クリミアの黒海北岸の街カッファ(現ウクライナのフェオドシア)はジェノヴァの植民都市として黒海交易の中心となっていました。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

あっという間にヨーロッパ中に広まったペストは芸術にも大きな影響を与えました。
文学の分野ではボッカッチョが『デカメロン』を書き、絵画の世界では「死の舞踏」あるいは「死の勝利」という題の作品が多く描かれるようになりました。

『デカメロン』は1348年にペストが流行していたフィレンツェから10名の男女が郊外に逃れて、1日10話、10日で100話を語る物語です。日ごとにテーマが設けられており、成功譚や不幸な話、ユーモアに富んだ話、恋愛話や艶話など多岐に渡ります。
1348年に書き始められ、1353年に書き上げられました。まさにペストの最中に産み出された作品です。

「死の舞踏」を題材にした絵の始まりは、教会や墓所に描かれた壁画と言われています。骸骨と踊る様子を描いた壁画は、後に写本としても出版されるようになり、さらには多くの画家たちの題材ともなりました。
16世紀になって描かれたブリューゲルの『死の勝利』には多種多様な骸骨が描かれています。剣で首をはねようとしているもの、砂時計で死を宣告しているもの、馬車に跨がり髑髏を運ぶもの……中には、楽器を演奏しているものもいます。リュートを爪弾きながら愛を語らう男女の後ろでヴィオラ・ダ・ブラッチョを演奏するもの、そして建物のバルコニーでトランペットを吹くもの、荷車でハーディ・ガーディと呼ばれるルネサンス期に人気だった弦楽器を弾くものなどです。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

さて、「死の舞踏」は後世の音楽に多大な影響を与えました。有名な作品が二つあります。
ひとつはフランツ・リスト(1811-1886)の《死の舞踏》(Totentanz, 1849/1853/1859)、もうひとつはカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)の《死の舞踏》(Danse macabre, 1872/1874)です。

リストの作品は独奏ピアノとオーケストラのための作品で「『怒りの日』によるパラフレーズ」の副題が付けられています。「怒りの日」(Dies irae)とは『ヨハネの黙示録』にあるキリスト教において神の審判が下される日のことですが、ここでいう「怒りの日」はグレゴリオ聖歌の旋律のことです。
先例として、ベルリオーズの《幻想交響曲》(1830)の第5楽章「ワルプルギスの夜(サバトの夜の夢)」にも引用されています。ちなみに《幻想交響曲》で骸骨が踊る様子を「コル・レーニョ」(イタリア語で「木で」の意)と呼ばれる、弓の棹の部分で弦を叩く特殊な奏法で表現しています。

リストは《幻想交響曲》の初演に立ち会って大きな衝撃を受け、ピアノ独奏版を作ったほどです。この体験、そして1838年にイタリアのピサで見たフレスコ画『死の勝利』が本作品の創作の源になっています。
冒頭から、打楽器のように低音域を強く打ち鳴らすピアノと、オーケストラの低音群がこの旋律を力強く奏でます。ピアノの名手として活躍したリストの面目躍如たる華々しいソロで全編が貫かれており、演奏効果も抜群と言えるでしょう。

一方、サン=サーンスの作品はアンリ・カザリスの詩に触発され1872年にまずは歌曲として作曲され、1872年に管弦楽版が作られました。
ハープが夜中の零時を告げるように12回鳴らされると、独奏ヴァイオリンが突如、不協和音を奏でて死神が登場します。骸骨たちの踊りがシロフォンで表現されるなどイメージしやすい描写にあふれており、人気となっています。

ワインの世界にもペストに匹敵するような災禍がありました。
19世紀後半にヨーロッパ中を襲った「フィロキセラ禍」です。フィロキセラとは和名「ブドウネアブラムシ」と呼ばれるように、ブドウの樹の根などに寄生し、やがて枯死させてしまう恐ろしい害虫です。体長は1mm以下と大変小さく、また地中の根に寄生するために、最初は原因がなかなか突き止められませんでした。
また、原因が解ってからも、地中に薬剤を散布することは難しいために、対策として考え出されたのが接木をする方法です。フィロキセラ耐性の強いアメリカ系の台木にヨーロッパ系のヴィティス・ヴィニフェラというワイン用のブドウ樹を穂木とします。
日本でもフィロキセラは19世紀の終わり頃に侵入し、猛威をふるいました。

さて、このフィロキセラ禍から逃れた地域もあります。チリやアルゼンチン、オーストラリアの一部。そしてヨーロッパにもごく一部の地域で生き残ったブドウ樹が存在しており、「プレ・フィロキセラ」と称し、フィロキセラ禍以前からのブドウであることを謳ったワインが生産されています。
シャンパーニュのメゾン・ボランジェが誇る「ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズ」は特に有名ですが、希少性ゆえにお値段も張ります。他にも「プレ・フィロキセラ」で探すと入手しやすいワインもありますので、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。

 


 

Text&Photo(ワイン):野津如弘