ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』【「本棚の前で音楽と……」番外編】

 最近、エンニオ・モリコーネ(1928〜2020)が自身のことについて語った邦訳本が立て続けに2冊ほど出版された。2022年10月26日にフィルムアート社から出た『あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る』と、2022年11月30日にDU BOOKSから出た『エンニオ・モリコーネ 映画音楽術 マエストロ創作の秘密――ジュゼッペ・トルナトーレとの対話』である。
 映画ファン、音楽ファンにとっては説明不要のビッグネームではあるが、念のため説明しておこう。モリコーネは、1960年代にマカロニ・ウエスタン(ヨーロッパで撮られた西部劇)の映画に独創的な音楽を提供し、世界的に知られるようになったイタリアの作曲家である。1980年代に生み出された耽美的とさえいえる流麗な旋律――例えば、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』における「デボラのテーマ」、映画『ミッション』における「ガブリエルのオーボエ」、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』におけるメインテーマ――はクラシック音楽の演奏家が演奏する機会も多く、映画ファン以外からも人気が高い。87歳の時に公開された『ある天文学者の恋文』(2016年1月)が最後の映画音楽となり、同年2月の第88回アカデミー賞では映画『ヘイトフル・エイト』で作曲賞を、6回目のノミネートにして初受賞。2020年7月6日に91歳でこの世を去っている。

 

本人が認めた“真実の書”『あの音を求めて』

 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_01

 

 先に発売された『あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る』は、A5判・で536ページもある分厚い大著で、モリコーネから話を聞き出しているのは57歳年下のアレッサンドロ・デ・ローザ(1985〜 )という若い作曲家だ。彼とモリコーネの関係は、本書の「序」で丁寧に語られているのだが要約すれば、独学で作曲をしていたデ・ローザは、モリコーネに自作を聴いてもらい、才能を見いだされたことで作曲を本格的に学びだしたのだという。彼にとってモリコーネは“師匠”とまではいえず、“メンター”といったところだろうか。
 世代を超えた音楽家同士の交流のなかで生まれた本書について、(抜粋されて帯にもなっているように)モリコーネ自身は「疑いの余地なく、本書は、わたしに関して書かれた本のうち、詳細にわたり丁寧に検討された正真正銘の最良の書である。これは真実の書である」と著している。本人がこう語っているのだから、モリコーネについて最も深く知ることの出来る本であることは間違いないし、読み物としても非常に優れている。
 一例を挙げれば第4章「神秘と職業」で、モリコーネが「ここには彼女〔=妻マリア〕以外誰も入れないんだ」と語る書斎にデ・ローザを招き入れ、オスカー像など数々のトロフィーが鎮座している様子をデ・ローザが心の声のように語るシーンがある。まるで我々読者も書斎を見学する現場に立ち会っているかのようで、鳥肌が立ってしまった。そして類書では掘り下げが充分とはいえなかったモリコーネの映画音楽以外の作品や、他の作曲家に対する言及にもしっかりと頁を割いているのが本書ならではの読みどころといえる。
 しかし音楽家同士の会話であるがゆえに、説明や注釈なく専門用語が使われたり、時々挟み込まれる譜例が読めないと意味が掴みづらかったりと、(映画だけでなくクラシック音楽や現代音楽に関する)事前知識をある程度要するので正直一般読者向けとしてはややハードルは高め。もちろん、500ページ超えという厚み(ハードカバー込みで実測4cmほど)も読破までの障壁となるであろう。

 


まるで祖父と孫のような、ふたりの親しげな様子は動画からもうかがえる。

 

 

ドキュメンタリー映画の副読本『映画音楽術』

 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_02

 

 それに対し、四六版で一回り小さく、厚みも実測で2cmほどと目視では半分となるのが『エンニオ・モリコーネ 映画音楽術 マエストロ創作の秘密――ジュゼッペ・トルナトーレとの対話』である。ジュゼッペ・トルナトーレ(1956〜 )は、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)から、前述した『ある天文学者の恋文』(2016)までの四半世紀以上にわたってモリコーネと協働してきた映画監督だ。
 先にご紹介した『あの音を求めて』において、デ・ローザの「音楽の理解が進んでいった監督はいますか?」という問いに対し、モリコーネは「いちばん多くを学んだのはトルナーレだね。いまではわたしに助言をくれるほどまでになったよ。こんなことはわたしの経験でそれまでになかったことなんだ」と語っていることからも、ともに仕事をしてきた数多くの映画監督のなかでもトルナーレは特別な存在であることが分かる。
 それゆえ、映画(ならびに映画音楽)ファンはモリコーネを深く知りたいと思った時、書店で『あの音を求めて』と『映画音楽術』が並んでいたとしたら、きっと後者を手に取るのではなかろうか。ところが、こちらの『映画音楽術』も実際に読み出してみると、すぐに歯ごたえのある内容であることに気付かされる。沢山の興味深い“情報”が詰まってはいるのだが、読み物としては如何せん文脈が掴みづらく、読み手側の知識に基づく読解力に寄りかかった内容になっているからだ(しかも見た目は薄いのに、ページ数は432頁もある!)。
 例えば、第1章「霊感などありえません」においてトルナーレは、モリコーネの音楽の根源を探ろうと、どんな作曲家から影響を受けたのか(あるいは受けていないのか)という話題から本書を始めていく。具体的には強い影響を受けた作曲家として「バッハ、ストラヴィンスキー、パレストリーナ、モンテヴェルディ、フレスコバルディ」を挙げ、反対に影響の少ない作曲家として「ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、シューマン、メンデルスゾーン」をモリコーネは挙げている。このチョイスは、20世紀イタリアにおける古楽復興のムーブメントなしには考えられないし、その文脈理解なしには西洋音楽史においてモリコーネがどこをスタート地点としていたのかを結局掴み損ねてしまうだろう。
 念のため、誤解のないように付記しておけば翻訳が悪いわけではなさそうだ。あくまでも原著の編集・構成方針が、読み手にやさしくないのである……。
 なぜ、こうなってしまったのか!? その疑問は、2023年1月13日から日本でも公開されるドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を試写でひと足先に拝見させてもらったことで瓦解した。トルナーレからすれば、主となる目的はこのドキュメンタリー映画の製作であって、『映画音楽術』という書籍はその副産物であり、最高の副読本なのだということが分かったのだ。

 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_03

 

 本国イタリアでは2021年7月7日――つまりモリコーネが亡くなって丸1年と1日後に公開されているこのドキュメンタリーは、トルナーレにとって『ある天文学者の恋文』以来の5年半振りの新作映画だ。まず驚くべきは157分(2時間37分)という長尺の上映時間。トルナーレ自身にとっても『ニュー・シネマ・パラダイス』(オリジナル版155分、ディレクターズカット版173分)以来の長さなのである。
 大雑把な全体構成と、おおよその長さを書き出してみると、次のようになる。

 

① 導入(人々によるモリコーネへの賛辞).................................... 6分
② 幼少期〜映画音楽の作曲家になるまで.............................. 30分
③ モリコーネの手掛けた映画音楽......................................... 97分
 (1961年の『ファシスト』〜1998年の『海の上のピアニスト』)
④ 現代音楽の作曲と、晩年(評価と受容を軸に)..................... 20分
⑤ エンドロール....................................................................... 4分

(※上記は筆者の分析に基づく)

 

 全編を120分以内に収めようとするならば、おそらく「幼少期〜映画音楽の作曲家になるまで」の部分がもっと短くなるはずだ。だが実際にこの部分を観てみると、かなり駆け足気味の編集で、何とか短く刈り込んだ結果として30分間に収められていることが分かる。
 このセクションは実父マリオ・モリコーネ(1903〜1974)や作曲の師ゴッフレード・ペトラッシ(1904〜2003)とのエピソードで始まっていくが、重要なのはペトラッシから現代音楽との関わりの話題をしっかりと広げていく点であろう。映画音楽のドキュメンタリーとしての分かりやすさを追求するのなら、カット候補の最右翼といったところだがモリコーネを語る上で欠かせぬものとして、なんとかトルナーレは(30分間という上限を設けた上で)死守したのではないかと、勘ぐりたくなる。
 現代音楽との関わりをしっかりと描くことで、その後に続くポップソングや映画音楽にモリコーネが取り込んだ奇抜な音色の源泉を理解できるようになるだけでない。モリコーネの人生に通底する、絶対音楽(≒芸術的な前衛音楽)と応用音楽(≒映画音楽など)の相克がどのように解消されていくかという流れがドキュメンタリーにおけるドラマツルギーの決着点になり、モリコーネの唯一無二の個性を形作った要因であることが際立ってくる。
 これは言い換えると、映画よりも音楽に重点をおいたモリコーネ観なのだが、だとすれば(モリコーネ作品だけのコンサートを除けば)演奏される機会の少ない1970年代の映画音楽については扱いを減らしても良さそうなものだが、トルナーレは80年代の映画と同じ時間(約25分)を割いて、実際の映画を抜粋しながらしっかりと紹介している。ここに、このドキュメンタリー映画の特徴があらわれているように思う。まとめれば……


【その1】「現代音楽との関わり」と「70年代の映画」の両方の要素をしっかりと描こうとした結果、150分超えの長尺になった(のではないかと推測される)。

【その2】現代音楽やクラシック音楽に興味がないと序盤の駆け足の展開に理解が追いつかず、1970年代のイタリア映画に興味がないとその部分が冗長に感じられる(のではないかと推測される)。

 誤解しないでいただきたいのは、このドキュメンタリーをネガティブに評しているわけではないということだ。あくまでもトルナーレがこの映画で提示したのは入り口なのだから――つまり、ドキュメンタリーを観て消化不良になった場合も、もっと知りたいと思った場合も、先に紹介した『映画音楽術』という書籍が待ち受けているのだ。
 「映画」でモリコーネの全体概要を掴み、「書籍」でモリコーネの細部を理解する……両方を見通してこそ、トルナーレの描くモリコーネ像は完結するのである。

 

 


 

【Information】
 

映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

2023年1月13日(金)
TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ
ほか全国順次ロードショー
 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_04

 

監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』

原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国

出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか

公式HP: https://gaga.ne.jp/ennio/

 

 


 

【紹介書籍】
 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_05

 

『あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る』
(フィルムアート社刊)

エンニオ・モリコーネ+アレッサンドロ・デ・ローザ著
石田聖子+岡部源蔵訳
初版刊行日:2022年10月26日
判型:A5判
定価:4,200円+税
ISBN:978-4-8459-2027-3
http://filmart.co.jp/books/music/ennio-morricone/

 

 

ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』_06

 

『エンニオ・モリコーネ 映画音楽術』
(DU BOOKS刊)

エンニオ・モリコーネ+ジュゼッペ・トルナトーレ著
真壁邦夫訳
初版刊行日:2022年11月30日
判型:四六判
定価:2,800円+税
ISBN:978-4-8664-7184-6
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK339

 


 

Text:小室敬幸

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