【その歌の理由 by ふくおかとも彦】 第3回 Whitney Houston「I Will Always Love You」①

先月(2022年12月)『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』という伝記映画が公開されましたね。ちょうど、没後10年、そして映画『ボディガード』から30年というタイミングでした。私は現時点でまだその伝記映画は観ていないのですが、今回はホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)が歌った「I Will Always Love You(オールウェイズ・ラヴ・ユー)」にフォーカスしてみます。

 

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「I Will Always Love You」の理由

 

「I Will Always Love You」はホイットニーの数あるヒット曲の中でも断トツに売れた作品です。全米シングルチャート14週連続1位をはじめとして、世界各地のヒットチャートでトップを穫りました(日本では洋楽チャート連続27週1位、公称180万枚の売上ながら、オリコン総合シングルチャートでは5位)。シングル・レコードの売上枚数は世界で1500万とも2000万ともされ、さらにこの曲を含むサウンドトラック・アルバム『The Bodyguard』は世界で4500万枚と言われていますから、合わせると、もうとんでもない数です。

ご存知の通りこの曲は、1992年に公開された映画『ボディガード』の主題歌、かつドリー・パートンがつくって歌った1974年のカントリー・ポップソングのカバーなんですが、まずはホイットニーがこの曲を歌うに至った理由について探ってみましょう。

ホイットニーは1985年にデビュー。その類稀なる歌唱力と、持って生まれた毛並みの良さ(シシー・ヒューストンが母、ディオンヌ・ワーウィックとディー・ディー・ワーウィックがいとこ)が、選曲眼や“ヒット”に対する用意周到さでは第一級のプロデューサー、クライヴ・デイヴィスの強力なサポートを得たことで、早くもデビュー・アルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』が1986年の年間チャート1位に輝く大成功。並行して、4thシングル「Saving All My Love for You(すべてをあなたに)」から、シングルが7作連続で全米1位になるという快挙も達成しています。日本では“KinKi Kids”や松田聖子が何十作もの連続1位を達成していますが、ビルボードはそんなに生易しくありません。ホイットニーはビートルズとビージーズが持っていた6作連続の記録を破っての新記録、それは未だ破られていません。

一躍、スターと呼ばれる存在になり、交友関係も激変しました。中でも著名な映画俳優たちのセレブな暮らしぶりには刺激され、自らもその世界に加わりたいという願望が日増しに膨らんだようです。エディ・マーフィーと束の間交際したという話もあります。
彼女の代理人が映画出演の仕事を探していると知って、クライヴ・デイヴィスは心配します。歌の世界ではそれ以上望めないくらいの成功を収めたのだから、映画進出もいいんじゃないの、と単純に思ってしまいますが、クライヴは
「映画出演して成功した歌手もいるけれど、彼らはあくまでも例外だ。そこには落とし穴もいっぱいあって失敗は隣り合わせ。失敗すれば当然これまで苦労して築き上げたものに悪影響を及ぼす。音楽の世界で頂点を極めたとしても、映画の世界では初心者に過ぎない。もし小さな役だとしたら、それは彼女を小さく見せてしまうし、主役だとしたら、失敗した時のマイナスは大き過ぎる。もしうまくいったら? いや、彼女はもう充分に大スターなんだけど……」
などと心配した、とその自伝『The Soundtrack of My Life』の中で語っています。彼は弁護士出身ということもあって、事に当たって常に極めて綿密に検討し、特にマイナス面についてはきちんと把握し、対策を考えておかなければ気がすまないという人なんです。口癖が「I get paid a lot of money to worry」。「私が高い報酬をもらっているのは“心配する”ためだ」、つまり“心配する”ことはそれくらい重要な仕事なんだ、と言うんですね。彼の“プロデュース哲学”の根幹です。

でもホイットニーは、映画『ボディガード』の主役の話がくると、即出演を決め、一歩も引かない様子でした。クライヴは譲らざるを得ませんでしたが“心配”をやめたワケではありません。

 

その歌の理由_02

 

こだわりのせめぎ合いが名作を生む

 

実はこの映画の脚本は、1975年頃にスティーヴ・マックイーンを念頭に書かれたものでした。相手役はダイアナ・ロス。しかし、キスシーンを嫌がるなどロスから何度も脚本のダメ出しがあったり、マックイーンが80年に亡くなってしまったり、まだまだ黒人と白人間のロマンスの描写に抵抗感があったりなどの理由により、映画化がなかなか実現していなかったのですが、クライヴはそもそも、脚本自体をさほどいいとは思っていませんでした。
そして、最初のラッシュを観た時、クライヴの不満が爆発します。躊躇なく彼は、その感想と改善してほしい点を手紙に書いて、監督のミック・ジャクソンとプロデューサーの一人ジム・ウィルソン、および主演でありプロデューサーでもあったケヴィン・コスナーに宛てて送りました。
趣旨は「ホイットニー演ずる“レイチェル・マロン”が大スターであるという描写が足りず、そのため、危機の深刻さやレイチェルの脆さがリアルに感じられない」というようなことです。もちろん私は完成版しか知らないので、その意見の妥当性についてはよく分かりませんが、とにかくハリウッド大作映画の制作内容について、レコード会社の社長がとやかく文句を言うなんて、さすがに異例だと思います。
でも幸い、ケヴィン・コスナーがそれに大いに同意してくれ、監督と口論になりつつも、手直しがなされました。クライヴの“心配力”、さすがです。

さて、どういう音楽を使うかについては、サウンドトラック・アルバムのリリースを任されているクライヴの主戦場です。最初からデイヴィッド・フォスターやL.A.ライド&ベイビーフェイスらを巻き込み、入念に曲を集めましたが、問題は主題歌です。ケヴィン・コスナーは当初「What Becomes of the Broken Hearted」という曲を想定していました。モータウンのジミー・ラフィン(Jimmy Ruffin)(“The Temptations”のDavid Ruffinの兄)が歌って、1966年にヒットした曲です。希望と憂いの両面を感じさせる、たしかにこの映画に相応しい名曲だと思います。しかし、ポール・ヤングが『フライド・グリーン・トマト』という映画のサントラとしてこの曲を録音したと知って、ボツにしました。
それでは、とコスナーが提案したのが「I Will Always Love You」です。彼は音楽面にもいろいろこだわりがあったようで、編曲を担当するデイヴィッド・フォスターに、最初の40秒はアカペラで歌ってほしいと要望します。フォスターは映画用に、その要望にそってアレンジしました。
フォスターがクライヴに送ったそのバージョンの「DAT」(デジタル・オーディオ・テープ)には、わざわざ彼の字で「substandard(基準を満たしていない)」と書いてありました。当然、そんな40秒ものアカペラ状態ではラジオでかかるわけないので、レコード化する時は完璧なオーケストレーションで編曲し直すつもりでしたが、例によってクライヴは細かく注文を出してくるだろうから、一応この段階で聴かせておこう、などと考えたのでしょう。
だけど、クライヴはその映画用バージョンに心を奪われてしまいました。「初めてサイモン&ガーファンクルの『Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)』を聴いた時のことを思い出した」と彼は言います。長ったらしく風変わりなバラードで、アルバムのリード・シングルというもののあるべき姿からは程遠いけど「真に優れたものに対しては常識など意味がない」と感じたのです。

余談ですが、私も「明日に架ける橋」を初めて耳にした時のことを覚えています。と言いながら具体性に欠けるのですが、テレビのホームドラマ(たしかTBSの水曜劇場、若尾文子さんが出ていたような…)のBGMとして流れたのです。そんな状況なのに、たちまち私の耳はその曲に持っていかれました。ドラマの後も忘れられず、数日後にシングルを買いました。たしかに優れた曲が人の心を捉える力には“売り方の常識”など関係ないような気がします。

クライヴはフォスターに「このままでいい」と伝えました。フォスターはまず驚き、それから猛反対しました。そして、いろんなサウンドアイデアを音にして次々と送ってくる。でも、どれもクライヴのお気に召しません。やはり元のほうがいいと。フォスターは「あの音源は仮だったからもう存在しない」。クライヴは「君が送ってくれたDATがあるから大丈夫」。数週間のやり取りのあと「だったら極力シンプルなアレンジでやってみる」とフォスターも譲歩しましたが、既に映画サイドからは、映画の宣伝のために「I Will Always Love You」を早くレコード化して発売してほしいと要請されていました。ところが“極力シンプル版”はなかなかできてきません。
ついにシングル・レコード製造のためのデッドラインがやってきました。クライヴはフォスターには悪いと思いつつ、えいやっとばかりに、例の“仮の”音源をプレス工場に送り、リリースしてしまいました。
ほどなくそれがラジオから流れてきたのを聴いて、フォスターは仰天しました。すぐさまクライヴに電話をかけ、怒りをぶちまけます。「人が知る限りの全ての下品な言葉で私を罵った」とクライヴ。でも結果的に、前述の通り思いも寄らないほどの特大ヒットになったことで、すんなり一件落着、むしろフォスターはクライヴが信念を曲げなかったことに感謝の意を表し、二人の絆は却って深まったそうです。

以上はクライブが自伝で語っていることなので、多少“自慢”が入っているかもとは思いましたが、フォスターを描いたドキュメンタリー映画『デイヴィッド・フォスター:名曲の裏にのぞく素顔』の中でも、フォスターとクライヴが同じことをしゃべっていましたから、事実なんでしょう。

名作が誕生する過程には、たいていこのように誰かの強いこだわりが存在します。それは、他の誰かのこだわりを退け、あるいは周りの状況や予期せぬできごとにも負けないくらいの“強さ”なんですが、そこではアイデア自体の説得力よりもむしろ、その人の熱量の大きさが重要です。
ホイットニーの「I Will Always Love You」が生まれた(今のような形になった)最大の「理由」は、クライヴ・デイヴィスという男のこだわりと熱量だったと思います。

…つづく


参考文献

『The Soundtrack of My Life』

Clive Davis with Anthony DeCurtis 著 
Simon & Schuster(2013)[アメリカ合衆国]

 

 

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