【その歌の理由 by ふくおかとも彦】 第4回 Whitney Houston「I Will Always Love You」②

映画全体で主題歌を盛り上げる

 

映画『ボディガード』の中で、ホイットニー・ヒューストンが“レイチェル・マロン”として「I Will Always Love You」を歌うのは、お終い近くです。見事にレイチェルを守りきったボディガード=ケヴィン・コスナー演ずる“フランク・ファーマー”は契約終了でお役御免。自家用ジェットで旅立つ彼女を見送りに。軽い挨拶のあと二人が離れると、アカペラの歌が静かに始まる。飛行機に乗り込むレイチェル。動き出すと、だけどすぐに彼女は叫ぶ。「Wait!」。すると曲は、ようやく入ってきたストリングスとともに最初のサビ(And I…)に入ります。飛行機を降りて、再び駆け戻ったレイチェルとフランクが改めて熱く抱擁&キスを交わす……シーンは変わり、この曲を歌うレイチェルのアップになりますが、これはもう観客にはホイットニー自身が歌っているようなものでしょう……また場面は変わって、何かのイベント会場。ステージの奥にカメラが近寄っていくと、そこには油断なく目を配るフランクの姿。早くも新しい任務です。カメラはさらに彼に近づいていき、やがてストップモーション。その瞬間、ドラムのスネアがダン!転調してパワー全開の「エンダーーー(And I …)」に突入です。音は最高にエモーショナル、画面はフランクの何とも言えない無表情という対比。そのままエンドロールが流れ始めます。
映像と曲の実に隙のない一体感で、感動を否が応でも高める演出。サントラが売れないわけがありませんね。

ところで、映画の前半、レイチェルとフランクが初めて二人でデートをした時のパブで、さりげなくカントリー・テイストの「I Will Always Love You」が流れているんですよね。ドリー・パートンではなく、ジョン・ドウ(John Doe)という男性歌手のバージョンです。それに合わせてチークダンスをしながら、レイチェルが「暗い歌ね」なんてつぶやきます。これってつまり「こんな地味な曲でも、レイチェルが歌うととても感動的な歌になるんだね」なんて感心させるための伏線なのかな?と思うんですが、でも違いが大き過ぎて、同じ歌だと分からないんじゃないかな? 実際私は昔観た時には全然気づきませんでした。いや、ドリー・パートン版も一応カントリー・チャート1位だったから、アメリカ人ならふつう気づくのか?
ともかく、元は腐れ縁みたいな長いつきあいの果ての男女の別れ、女が男に「幸せになってね」と言ってるだけのまったりした歌なんですが、ホイットニーにかかると、荒れ狂う嵐の中で「何があってもあなたを愛し続けるわー」と歌い叫んでるみたいになって、実際日本では「絶対的な愛の歌」だと思っている人も多いでしょう。映画評論家の町山智浩氏が「どんな曲でも彼女が歌うとアンセム(賛歌)になってしまう」と発言しておられましたが、まさに言い得て妙です。
そしてこの曲は“ホイットニー・ヒューストンの曲”となりました。ドリー・パートンが作者であることを、アメリカ人でもあまり知らないそうです。その代わり、彼女の元には莫大な著作権使用料が舞い込んだことでしょう。
余談ですが『ボディガード』で曲が足らなくなって、カーティス・スタイガース(Curtis Stigers)という歌手で「(What’s So Funny ‘Bout) Peace, Love and Understanding」という曲を収録したのですが、その曲、ニック・ロウの作品なんですね。エルヴィス・コステロも歌っています。有名だけど、特別大ヒット曲を持っていたわけじゃないニック・ロウに、思いがけなく100万ドルくらいの印税収入があっただろうと言われています。

 

その歌の理由_02

 

「I Will Always Love You」以降、ホイットニーの人生が一変

 

さて「もし映画に出て失敗したら」というクライヴ・デイヴィスの心配は杞憂だったのですが、逆に売れ“過ぎ”てしまったのかもしれません。歌手だけでなく、女優としても最大級の成功を収めて順風満帆、向かうところ敵なし、かと思いきや何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」なんでしょうか、逆にこの映画とこの曲以降、彼女の人生はしだいに混迷の森へと踏み込んでいってしまうのです。

このあと彼女は『ため息つかせて(Waiting to Exhale)』(1995年)と『天使の贈りもの(The Preacher's Wife)』(1996年)という2本の映画に主演をします。いずれの映画もサントラも『ボディガード』には到底敵わないまでも、しっかりヒットしました。でもオリジナル・アルバムは、前作『I'm Your Baby Tonight』から約8年後の1998年まで出ていません。サントラでももちろん何曲かは歌っていますし、シングルヒットもしていますが、それ以前の勢いを考えると音楽活動からやや距離を取っていたようにも見えます。

『ボディガード』の少し前、1992年7月に彼女はボビー・ブラウンと結婚していました。ボビーからのDVとか、彼がホイットニーをドラッグの悪癖に引きずり込んだとかいろいろ言われていますが、ボビー本人は「結婚した時、彼女は既にコカインをやっていた」などと発言もしているし、真相はよく分かりません。クライヴ・デイヴィスは、ボビーはいいヤツだったし、ホイットニーの仕事面で彼が口出しをするなどということは一切なかった、と言っています。

そして、1998年の4thアルバム『My Love Is Your Love』まではまだよかった。音楽活動の停滞にしびれを切らしたクライヴが、得意の“手紙攻撃”を繰り出してハッパをかけると、ホイットニーは何事もなかったように元気にレコーディングに取り組み、11月にニューアルバムをリリースすると、世界で1000万枚以上を売り上げる結果を出しました。

ところが1999年あたりから、以前は実に“品行方正”だった彼女が、インタビューや写真撮影やリハーサルなど仕事にはしょっちゅう遅刻をするし、コンサートやテレビ出演などをドタキャンしたりするようになり、しかもガリガリに痩せていったんですね。
2000年1月には、ハワイの空港でマリファナの所持が発覚しました。3月にはクライヴの「ロックの殿堂」入りの発表イベントで歌う予定だったのに、声がガラガラで直前にキャンセルしました。同月行われたアカデミー賞でも「Over the Rainbow」を歌うことになっていたのにリハーサルでは別の歌を歌い、周囲に対し非常に不遜で失礼な振る舞いをしたために、音楽ディレクターだったバート・バカラック(2023年2月8日永眠…R.I.P.)に強制的に降板させられてしまいました。

これらの失態は、明らかにドラッグの濫用が原因だと思われます。アーティストのプライベートには立ち入らない主義のクライヴもさすがにこれは見過ごせず、ホイットニーと会い、彼がこれまで身近で見てきたジャニス・ジョプリンやスライ・ストーンのドラッグ中毒による惨苦を例に挙げ、そんな苦しみを味わってほしくないからと「リハブ」=更生施設に入ることを強く勧めました。しかし彼女は「自分のことはちゃんと管理できているし、リハブなどまったく必要ない」とキッパリ拒否したのでした。

クライヴが次にホイットニーを見たのは2001年9月。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・ジャクソンの30周年記念コンサートにゲスト出演したのですが、彼女はさらに痩せこけていました。再び「とにかくリハブに入ってくれ」と今度は手紙を書きましたが、常に結果を出してきた彼の“必殺手紙攻撃”にも、彼女からは何の反応もないのでした。

2000年半ば以降、仕事のポジション的にホイットニーからはずれざるを得なかったクライヴが、2004年に再び関われるようになり、もう1作アルバムをいっしょにつくることになります。しばらくぶりに恐る恐る連絡してみると、思いの外ホイットニーは元気で体調も悪くなさそうでした。
2007年4月にはついにボビー・ブラウンと離婚。この時ホイットニー43歳。ようやく全てをリセットして歌の道に専心すれば、まだまだやれる。栄光の日々を取り戻すべく、アルバム『I Look to You』を2009年8月にリリースすると、これが全米初登場1位。見事な復活劇!……かと見えたのですが、実は喉の状態や歌唱力はかなり低下していて、若い頃はワンテイクで完璧に歌いこなすのが当たり前だったのが、レコーディングにはとても時間がかかったそうです。当初2008年中に発売するとアナウンスしていたのが遅れたのも、それが原因のようです。
そして、その後ワールドツアーを行うのですが、これが悲惨でした。息が切れたり、音を外したりという、以前のホイットニーからは考えられない失態を繰り返したのです。

そして2012年2月11日、グラミー賞イベントの前日、ビバリー・ヒルトン・ホテルの客室の浴槽で、彼女は死体で発見されました。遺体からコカインが検出され、コカインの影響による心臓発作からの溺死だろうと発表されています。ホテルに滞在していたのは、クライヴが毎年主催してきた「プレ・グラミー・パーティー」に出席するため。わずか数日前、まさにその客室で、クライヴはホイットニーと会っていました。「以前の声を取り戻すために鍛錬している」と彼女は言い「8月くらいから新作をレコーディングしよう」という話もしたそうです。
48歳という若さでのホイットニーの急死に世界中は驚きました。翌日のグラミー賞授賞式では急遽、ジェニファー・ハドソンがホイットニーの死を悼んで、ピアノだけの伴奏で「I Will Always Love You」を歌いました。この時の「you」はもちろんホイットニー・ヒューストンのことでした。
ちなみに死の一週間後、20年前に発売された「I Will Always Love You」のシングルが再び「ビルボード Hot 100」チャートにランクイン、3位にまで上昇しました。

 

その歌の理由_02

 

葬儀でのケヴィン・コスナーの言葉

 

彼女の生まれ故郷であるニュージャージー州ニューアークの教会で行われた葬儀では、ケヴィン・コスナーが17分にもおよぶ弔辞を述べました。『ボディガード』の共演からは既に20年も経っていたのですが、それが自然に思えるのは、やはりこの映画の存在がホイットニーおよびケヴィンにとって非常に大きなものであったことを物語っていると思います。この弔辞は丸ごとYouTubeで観ることができます。

ちょっと意外なのは、ケヴィンが屡々笑いを取っていることです。日本だと、葬式では笑いは禁物、弔辞を述べる人も涙ながらに、あるいは少なくとも沈痛な面持ちで語るのがあるべきマナーみたいな感じがありますが、あちらではそんなことはないのかしら。もちろん“爆笑”ではなく思わずクスッと笑ってしまう、それで却って哀しみが増す、といったタイプの笑いなのですが、なんだかいい雰囲気だなと思いました。さすが、名優ケヴィン・コスナー。

弔辞の中で彼が強調しているのが、ホイットニーがいつも、小心な少女のように自分はうまくやれているのか、みんなホントにいいと思ってくれているのか、ということを気にかけていたということです。「人気商売」を生業としている人は、少なからずそうした不安や怖れは持っているものですが(「I’ve had mine」とケヴィン)、ホイットニーの場合はそれが甚だしかったと。「Am I good enough?」、「Am I pretty enough?」、「Will they like me?」。『ボディガード』のスクリーンテストの時も、既に大成功者にして世界的な名声を得ている人とは思えないくらい、ずっとそんなことを気にしていたそうです。逆に、そうした不安を解消するためにがんばることで、彼女は成功を手にしていったとも言えるのですが、早過ぎる死をもたらしたのもまたその極度の不安だった……。
故人に手向ける言葉ですから、ケヴィンはホイットニーがいつも“不安”と隣合わせだったことを憐れみ、最後も「神の前で歌う時は、心配しなくていいよ。あなたは十分素晴らしいから」と感動的に結んでいましたが、実際は、その“不安”から逃れようとドラッグに頼ってしまったことが、彼女の死期を早めてしまったわけです。

天から歌の才能と美しい身体を恵まれ、敏腕プロデューサーと出会えて、20歳ソコソコで出した音楽作品がいきなり大ヒット。30歳前に初主演した映画とサウンドトラックがまた前代未聞の大ヒット……と、何の問題もない、これ以上恵まれた人はどこにもいない、誰もが羨むような人生だと思ってしまうんですが、人の“幸せ”って難しいんですねぇ。

たしかに、成功して有名になれば、常に多くの人から見られることになりますからね。批判的な人も少なくないでしょう。ファンは応援してくれるけれど、いつまで続くか分からないし、どこまで理解してくれているのか。中にはそれこそ『ボディガード』の映画のように、ファン心理が昂じていびつな行動に出てしまう人もいるかもしれません。信頼できるのは家族とか親友だけ、一歩外に出れば一瞬たりとも気が許せない、というような日々なんでしょうか。
相当ずぶとい神経の持ち主でないとやっていけないような世界ですが、ホイットニーは逆に、人並み以上に繊細な人間だったようです。また「苦節**年でようやく売れた」というような場合なら、その喜びのパワーで当分乗り切れるような気もしますが、彼女の場合あまりにもすんなりと成功を手に入れてしまったから、それが当たり前の状態。喜びよりも不安のほうがずっと大きかったでしょうね。
それでもしばらくは、より成功を積み重ねることでその不安をなんとか乗り切っていけたんだけど『ボディガード』での成功はあまりにも巨大だったため、そのあとはどうしていいのか分からなくなってしまったのかもしれません。不安が大きくなるだけだったし、実際、夫婦生活のこと、ドラッグ禍のこと、人気の衰え、歌唱力の衰えなどなど、マスコミはあることないことを騒ぎ立ててホイットニーの不安をさらに煽るばかりでした。安らぎを求めてボビーと結婚したけど頼りにならず、結局、彼女の逃げ道はドラッグしかありませんでした。そして、その先には死が、口を開けて待っていました。

ある意味「I Will Always Love You」が彼女の早すぎる死の「理由」だったと言えるかもしれません。


参考文献

・『The Soundtrack of My Life』

Clive Davis with Anthony DeCurtis 著
Simon & Schuster(2013)[アメリカ合衆国]

・「American Rhetoric」

Kevin Costner
Address at the Public Memorial for Whitney Houston 

 

 

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