【その歌の理由 by ふくおかとも彦】 第6回 Sam Cooke「A Change Is Gonna Come」②

「A Change Is Gonna Come」を歌わなかった理由

 

サム・クックは生前「A Change Is Gonna Come」(以下「Change」)を、人前では1回しか歌っていません。その1回とは、1964年2月7日放送のテレビ番組『The Tonight Show Starring Johnny Carson』で、収録アルバム『Ain't That Good News』の発売前でした。マネージャーのアレン・クラインは白人(ユダヤ系)だけど、この曲をいたく気に入り、その時最新シングルだった「Ain't That Good News」はもうプッシュしないで「Change」に力を入れよう、と主張していたのでした。商売人のクラインのことですから、ピーター・ポール&マリーやボブ・ディランが売れているのを見て「プロテストソング」が売れると踏んだのかもしれません。
ところがちょうどその2日後に、ビートルズが『The Ed Sullivan Show』に初めて出演し、まさに爆発的な大反響が巻き起こって、さすがのサム・クックの新曲の話もすっかりかき消されてしまいました。

その後1964年7月に、サムはニューヨークの「コパカバーナ」というナイトクラブでショーを開催しました。「コパ」は、以前は“黒人お断り”だったこともあり客の大半は白人中産階級、大物スターでないと出演できない高級クラブで、それまで黒人シンガーで成功したのはサミー・デイヴィス・ジュニアくらい。つまりここでの成功は白人マーケットにも認められたことを意味するという、ひとつのステータス・シンボルだったのです。

実はこれ、サムにとっては2度目の「コパ」出演でした。初回は1958年3月。ゴスペルからポップに転向して最初のシングル「You Send Me」(1957)が大ヒットして、勢いに乗っていたはずですが、ステージでは本来の力を全く出せず大コケしてしまったのでした。それから6年越しの再挑戦でしたが、今回は客席の反応も上々で見事リベンジを果たし、それを収録したライブアルバム『Sam Cooke at the Copa』もヒットしました。

その中で、彼は最後から2曲目、アンコールの1曲として「Blowin' in the Wind(風に吹かれて)」を歌ったのです。この曲がサムに「Change」を書かせる主な理由のひとつになったらしいことは前回お話ししました。サムはすぐにこの曲をライブのレパートリーに加えていたそうです。ただ、ほとんどが白人の観客に向かってあえてプロテストソングを歌う、だけど自作の「Change」ではない、というこの微妙な選曲の意図は何だったのでしょうか?

前回お話ししたように、サム自身も、黒人であることで様々な嫌な思いをしてきたし、体制に立ち向かう気持ちも強く持っている。でも彼はこれまで、状況を少しでもよくするために彼がとるべき道は、自身の音楽で白人マーケットをも制することだと考えてやってきました。もちろんぶっちゃけ、大スターになって出世したい、金を稼ぎたいという欲もしっかりあったと思います。白人にも受けそうな曲づくりや、白人コーラスを使ったのもそのためだし「ウィリアム・モリス・エージェンシー」という白人マーケットに強いエージェントを使ったり“ヒューゴ&ルイジ”というイタリア系白人のプロデューサーや、ユダヤ系白人のアレン・クラインと組んだのもそうでした。「コパ」での成功は彼にとって、非常に重要なステップだったのです。

一方、公民権運動が盛り上がる中「このままでいいのか?」という自問も大きくなっていったでしょう。そしてついに「Change」というプロテストソングをつくり、歌うに至ったのです。ただまだ、それを前面に押し出すことには迷いがあった。プロテストの気持ちは表明したいが、やり過ぎると、これまで築いた白人マーケットでのポジションを危うくしてしまうという不安。この葛藤が“他人の”、“よく知られている”プロテストソング「Blowin' in the Wind」を歌う、という選択に落ち着いたのではないでしょうか。

 

その歌の理由_01

 

「A Change Is Gonna Come」を恐れていた?

 

サムは「Change」という曲を恐れていたそうです。なぜ恐れていたのか具体的に語ってはいないのですが、アルバムに収録してリリースし、テレビで歌ったのですから最初から恐れていたわけではないでしょう。おそらく(予想はしていたでしょうが)、公民権運動の活動家たちがこの曲を知ってすぐに、とっておきのプロテストソングとして取り上げ始めたことから徐々に不安を感じ出したのではないでしょうか。

公民権運動はますます激しさを増して、活動家が命を奪われる惨事も頻繁に起きていました。「Blowin' in the Wind」のボブ・ディランやピーター・ポール&マリーは白人だから大丈夫だろうけど、もしかしたら自分は命を狙われるかもしれない、と考えても無理はありません。
だとするとなぜ、B面だったとは言えシングルカットすることにしたのか、という疑問も生じますが、これはあくまでビジネス重視のクラインやレコード会社が強引に進めたことかもしれません。公民権運動のアンセムとして注目を集めている以上、もう目立たせずにおくことはできない、という判断もあったでしょう。

そして、その恐れは“ある意味”的中し、1964年12月11日、シングル発売の直前にサム・クックは銃で撃たれて死亡しました。33歳の若さでした。“ある意味”と言ったのは、サムの場合はその後マルコムXやマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が殺害されたような、政治的な理由による銃撃ではなかったからです。

とは言え、それは不可解な事件でした。表向きに発表された経緯はこんな感じです。

12月11日の未明、サムはロサンゼルスのハリウッドにあるレストランで知り合った女性リサ・ボイヤーを、家に送ると言いつつ、自身のフェラーリで(治安の悪い)サウス・セントラル地区まで行き、モーテルに入った。強姦される恐れを感じたボイヤーは、サムがシャワーを浴びている間に、追われないようにと彼の服を持って部屋を飛び出した。シャワーから出たサムは居なくなったボイヤーを探し、全裸にコートを羽織ってモーテルの管理人室へ押しかけた。泥酔状態で「女はどこだ?!」と叫び、管理人の55歳の黒人女性、バーサ・フランクリンに激しい剣幕で掴みかかるなどしたため、身の危険を感じたフランクリンが発砲、クックは胸部に銃弾を受け死亡した。その後の裁判では正当防衛と認定され、フランクリンは無罪となった……。

しかし、この発表には、以下のような多くの疑問がつきまとっています。

・サムは“女好き”ではあったが、溺れるタイプではない。酒に酔ったとは言え、女を探して管理人に乱暴するなど考えられない。

・リサ・ボイヤーはコールガールであったとの報告が複数あった。彼女がサムから(服ごと)金を奪って逃げたなら話は分かるが(サムが当日多額の現金を持っていたことは目撃されており、事件後それは紛失している)、その点は一切追求されていない。

・バーサ・フランクリンの供述は、事件直後に警官がとった調書と裁判での証言では、サムの行動についての説明がくい違っていた。ボイヤーもフランクリンも「嘘発見器」を通過したらしいが、供述の食い違いを、検察官も判事も問題にしていない。

・歌手のエタ・ジェイムス(Etta James)がサムの死体を見たが、複数箇所にひどい損傷があり、とても女性であるフランクリンに撃たれただけとは思えなかったと語っている。

などなど、ボイヤーやフランクリンの証言には非常に疑わしい点があるにも拘らず、それ以上調べることはなされず、判決が下され、結審となっています。まるで何か都合の悪いことを隠蔽するかのように……。

サムの友人や仕事仲間たちは当然、誰もその判決内容を信じませんでした。“カシアス・クレイ”だった頃から、サムと親しかったモハメド・アリは「もしこれがフランク・シナトラだったら、ビートルズあるいはリッキー・ネルソンだったら、FBIが操作を続けて、今頃あの女(バーサ・フランクリン)は監獄行きになってるだろう」と公言しました。アレン・クラインは私立探偵を雇って独自に調査を行い、ロサンゼルスの新聞『センティネル』紙は、事件にまつわる多くの疑問点を記事にしました。
それでも、ロサンゼルス市の検察局は上告を拒否しました。“ひとりの黒人の死”など、彼らにとっては日常茶飯事のひとつに過ぎなかったのでしょう。

 

その歌の理由_02

 

「A Change Is Gonna Come」が今も愛される理由

 

1964年12月22日に「Change」は「Shake」とともにシングル発売され、B面だったにも関わらず全米31位、R&Bチャート9位のヒットとなりました。前述のように、公民権運動のアンセムとなり、差別と闘うすべての人たちの心の支えとなりました。オーティス・レディング(Otis Redding)は、サムの死による喪失感を埋めたいと、65年にタイトルを「Change Gonna Come」と変えて、カバーをリリースしました。“The 5th Dimension”も70年にカバーし、その後も多くのアーティストがカバーやサンプリングで、この曲への敬意と愛着を示しました。

米国史上初めてのアフリカ系アメリカ人大統領となったバラク・オバマの、選挙戦でのキャッチフレーズは「Yes, we can.(私たちはできる、やればできる)」と「change(変革)」の2つでした。2008年11月4日、当選が決定すると、地元のシカゴでオバマは勝利演説を行いましたが、その中で「Change」の歌詞を引用しながら「It's been a long time coming, but tonight, change has come to America.(時間はかかったが、今夜ついに、アメリカに変革は訪れた)」と語り、24万人の観衆を熱気と興奮に包みました。

ただ「Black Lives Matter = BLM運動」が始まったのはオバマ大統領の任期中の2013年です。それが全米的なデモに発展するきっかけとなった「ジョージ・フロイド事件」は2020年です。現実には、いまだ変革は訪れていません。

ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind(風に吹かれて)」が“The answer is blowin' in the wind(答えは風の中に揺れている)”と歌うように、サム・クックの「A Change Is Gonna Come」も「変革は(やがて)訪れることを、私は知っている」だけで、それ以上具体的なことは語っていません。オバマ元大統領は力強く「has come」と言ったけれど、それは「初めてアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生した」という“変化”に過ぎませんでした。

だからまだ、この歌は歌い継がれていくのでしょう。本当の意味での「change(変革)」が訪れるその日まで。


参考文献

・『Mr. Soul サム・クック』

Daniel Wolff/S.R.Crain/Clifton White/G.David Tenenbaum 著
石田泰子/加藤千明 訳 
ブルース・インターアクションズ(2002)

 

 

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